相川亮二

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相川 亮二
東京ヤクルトスワローズ #2
2010年4月3日(明治神宮野球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県市川市
生年月日 (1976-07-11) 1976年7月11日(47歳)
身長
体重
182 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1994年 ドラフト5位
初出場 1999年8月21日
年俸 1億2,000万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2004年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

相川 亮二(あいかわ りょうじ、1976年7月11日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手捕手)。千葉県市川市出身。

弟はファッションモデル俳優寿里

来歴

プロ入り前

兄の影響で5歳で野球を始め、小学2年生の時に地元市川市リトルリーグに入る。このときのチームメイトにはG.G.佐藤がいた。子供の頃は横浜大洋ホエールズヤクルトスワローズのファンで、憧れていたプロ野球選手は屋鋪要池山隆寛であった。父がバスケットボールをやっていたこともあり、野球だけでなく様々なスポーツに取り組んでいた。中学校までは投手東京学館高校に入学後は外野手だったが、2年生の冬、外野守備を見ていた社会人チームの監督からの薦めで強肩を生かすために捕手へ転向。1学年下には後にプロでも同じチームに所属する石井弘寿がおり、バッテリーも組んでいた。

足も速く、3年生の春からは「1番・捕手」として活躍。高校時代は通算152安打をマークし、夏の千葉県大会はベスト8。捕手経験は浅かったが、地肩の強さとバッティングセンスを買われ、1994年ドラフト会議横浜ベイスターズから5位指名を受け入団。

横浜時代

一軍公式戦の初出場は入団5年目、1999年8月21日ヤクルトスワローズ戦。9月3日阪神タイガース戦で初安打を放つ。翌2000年は当時の正捕手、谷繁元信が戦線離脱していた8月25日読売ジャイアンツ戦で桑田真澄からサヨナラ安打を打つなど、徐々に頭角を現す。

2001年も谷繁の控えながら代打などで活躍を見せ勝負強さを発揮する。この年の5月3日のヤクルト戦で高校の後輩である石井弘寿から初本塁打を放つ。オフに一度背番号25番への変更が決定し発表されたが、「変更するなら一ケタ」という相川本人の強い希望から25番のユニフォームを着ることなく59番に戻った。

2002年は谷繁の移籍により正捕手候補と期待されたが、足の故障もあり、谷繁と入れ替わるように移籍してきた中村武志がレギュラーに就いた。

2003年も中村と併用が続くものの、5割近い盗塁阻止率を記録し存在感を見せる。ただし、この頃まで打たれては叱られるを繰り返しリードに自信を持てず、当時を「味方ベンチの顔色を窺ってサインを出しているようなものだった」[1]と後に本人も語っている。この2003年からバッテリーコーチに就任した福田功の基礎からの徹底的な指導により自信を取り戻し、技術を身につけリードに成長をもたらすこととなった。

2004年、シーズン中にアテネオリンピック野球日本代表に選出され銅メダルを獲得。出場機会はあまり無かったが、裏方役に徹した相川に対してチームメイトから感謝の寄せ書きが贈られた。その際には「選出されたことは最初は嫌だったが今ではお願いしてでも出たい」と語っている。帰国後は好調な打撃を発揮し、中村の不振もあって、初めて100試合以上(102試合)に出場した。

2005年は自己最高の144試合出場を果たす。チームも4年ぶりのAクラス入りを果たし、長年バッテリーを組んできたエースの三浦大輔最優秀防御率最多奪三振のタイトルを獲得。チーム防御率もリーグ2位となるなど投手陣を引っ張り正捕手の座を不動のものとした。

2006年ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出される。この年から2008年まで横浜の選手会長を3年間務め、名実ともにチームの顔となった。

第1回WBCにて(2006年)

2007年は開幕から器用な打撃力で、高打率をキープ。プロ13年目にしてオールスターゲームに初出場。シーズン終盤、規定打席に到達させるために2番スタメンで出場する事もあり、初の打率3割台をマークした。打率.302は球団の歴代捕手では最高打率であった。肩の故障もあり盗塁阻止率は.250と低迷したが、攻守ともチームにも他球団にも強い存在感を見せた。北京五輪の代表候補選出では肩の故障が考慮され、星野仙一監督も相川の招集を見送るつもりだったが、手術を先送りして代表入りを熱望し、ギリギリまで代表の合同自主トレに参加していた。シーズン終了後、痛めていた肩の手術を行った。契約更改で球団の提示額に不満を持っていたが、同時期に開催したクリスマスパーティーには女性を中心とする200人以上のファンが集まった。当初は20人集まれば良いとされていたイベントであったが、予想以上の人気により球団も考えを変え推定年俸1億円の大台に乗せ、「イケメン査定」として話題となった。

2008年は手術開けや故障で試合を欠場することも多く、チーム成績の低迷もあり、若手捕手に出場機会を譲ることもあった。持病の腰痛の再発もあって101試合出場の打率.255にとどまった。オフには海外FA権を行使し、アラン・ニーロを代理人としてメジャー挑戦を目指した。

ヤクルト時代

メジャーリーグの複数の球団と交渉するも契約がまとまらず、2009年1月16日、唯一オファーしていた東京ヤクルトスワローズへの入団が内定した。これは、ヤクルト球団史上初のFA補強となり、FA補償は金銭補償となった。

相川が入団した際に球団と古田敦也が推薦する選手が出るまで欠番となっていた背番号27を提示されたが、本人が辞退している。

2009年は開幕からスタメンマスクを被り、女房役としてチームの好調を支えオールスターゲームにも選出された。クライマックスシリーズ争いが激しい攻防の最中、9月28日に左脇腹肉離れで登録抹消される。クライマックスシリーズにはケガをおして出場するもチームは敗戦。

2010年は引き続き正捕手を任される。開幕当初は打撃不振だったものの徐々に打撃の調子が上向き、打率2割台から5月には3割台にまで戻し、打順も上がって主に6番を打ち下位打線を支えた。最終的には打率.293に加え、6月4日埼玉西武ライオンズ戦から6日の千葉ロッテマリーンズ戦にかけて、自身初の3試合連続本塁打を放ち、自己最多となる11本塁打65打点をマークした。また、この年のチーム防御率もリーグ2位とリード面でも貢献し、攻守に充実したシーズンとなった。

2011年4月下旬からチームは首位に立ち続けるが夏場以降から故障者が続出し失速。相川自身も8月26日の阪神戦でワンバウンドしたボールを右手に当てて親指の剥離骨折と亀裂骨折と診断される。1度は出場を見合わせるが、代わりにマスクを被っていた2番手捕手の川本良平も試合中に靱帯を断裂し離脱したため、骨折をしたまま最終戦まで強行出場した。この年シーズン中は1本塁打に終わったが、クライマックスシリーズファーストステージの巨人戦では勝ち越し本塁打を打つなど攻守で活躍。しかしチームはファイナルステージの中日ドラゴンズ戦で敗退した。

プレースタイル

センター返しを基本とする打撃で配球を読んで狙い打ちする傾向がある[2][3]。若手時代から好機での勝負強い打撃を見せており、2006年から2010年までの通算得点圏打率.329と得点機に強い。また得意とする球種コースは、速球に強く[4]、内角の球にも強い[5][6]

捕手としては攻守ともに総合力が高く[7][8]、積極的に3球勝負に持ち込む外角中心のリードを持ち味とする[3][9]館山昌平からは「配球やバッターに対する洞察力がすごい」と評され、山口俊からは「オールスターでバッテリーを組んだ時には僕の特徴を生かしたリードをしてくれた」と評された[10]。二塁送球は2.1秒台と速いほうでは無いが[11]、スローイングが安定しており[2]、盗塁阻止率はレギュラーに定着し始めた2004年から2010年までの通算31パーセントを誇る。レギュラー定着前の2002年までは肩が弱いわけではなかったが盗塁阻止率は低かった。これを改善するために二塁への送球を速くするため2003年から利き足を右足から左足に変える。小学生の頃にサッカーをやっており、そのときの利き足が右だったため極端に重心が左に乗っていたが、捕ってから投げるまでを早くするためにこれを矯正した[12]。さらに捕球の確実性も上げて投げるまでの動作が安定したことにより高い盗塁阻止率をマークするようになった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 横浜 8 8 8 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
2000 39 82 73 6 16 2 0 0 18 7 0 0 3 1 3 0 2 11 2 .219 .266 .247 .512
2001 59 70 64 7 15 2 0 2 23 12 0 0 2 3 1 0 0 12 1 .234 .235 .359 .595
2002 73 184 174 16 39 6 0 1 48 12 0 1 1 1 6 3 2 34 5 .224 .257 .276 .533
2003 70 182 165 16 41 8 1 5 66 14 1 1 5 1 10 5 1 50 1 .248 .294 .400 .694
2004 102 323 304 31 80 16 1 8 122 46 3 0 5 1 13 2 0 77 8 .263 .292 .401 .693
2005 144 559 498 38 129 20 0 8 173 46 0 2 9 7 39 9 6 90 13 .259 .316 .347 .664
2006 119 438 388 36 95 19 0 6 132 39 2 1 9 7 29 10 5 83 11 .245 .301 .340 .641
2007 123 450 391 37 118 12 1 2 138 33 0 1 16 1 40 13 2 51 6 .302 .369 .353 .722
2008 101 339 306 27 78 5 1 7 106 22 0 1 11 1 19 3 2 52 7 .255 .302 .346 .648
2009 ヤクルト 122 446 413 26 102 21 1 5 140 43 2 2 6 3 23 3 1 69 14 .247 .286 .339 .625
2010 120 474 427 44 125 17 2 11 179 65 2 0 6 7 30 4 4 70 8 .293 .340 .419 .759
2011 126 458 409 24 100 14 1 1 119 33 0 0 11 4 30 5 4 62 13 .244 .300 .291 .591
通算:13年 1206 4013 3620 309 940 142 8 56 1266 372 10 9 84 37 243 57 29 662 89 .260 .308 .350 .658

年度別守備成績


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1999 6 10 0 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2000 17 95 10 0 0 0 1.000 12 6 6 .500
2001 21 52 4 1 2 1 .982 2 2 0 .000
2002 71 373 23 4 4 5 .990 33 26 7 .212
2003 63 352 26 2 6 1 .995 35 19 16 .457
2004 102 624 44 2 9 2 .997 58 40 18 .310
2005 144 1067 68 9 11 4 .992 89 61 28 .315
2006 116 825 71 5 13 4 .994 81 57 24 .296
2007 123 865 59 5 4 3 .995 80 60 20 .250
2008 101 575 69 4 8 5 .994 75 50 25 .333
2009 122 747 80 3 9 2 .996 75 45 30 .400
2010 120 828 82 2 11 8 .998 85 58 27 .318
2011 124 846 67 8 9 2 .991 .333
通算 1204 7259 603 45 86 37 .994
  • 2011年度シーズン終了時

表彰

  • 県知事賞(2004年) - 千葉県より
  • 市民栄誉賞(2004年) - 千葉県市川市より
アテネオリンピック野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて

記録

背番号

  • 59 (1995年 - 2003年、2004年アテネ五輪、2006年WBC)
  • 8 (2004年 - 2008年)
  • 2 (2009年 - )

脚注

  1. ^ NHK「スポーツ大陸」 - 2009年9月20日分より
  2. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、117頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7 
  3. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクト、2008年、157頁頁。ISBN 978-4-7572-1439-2 
  4. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』白夜書房、2008年、53頁頁。ISBN 978-4-86191-374-7 
  5. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、129頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6 
  6. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、43頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6 
  7. ^ 捕手の総合力比較SMR Baseball lab
  8. ^ Baseball Lab守備評価~CatcherSMR Baseball lab
  9. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』白夜書房、2007年、136頁頁。ISBN 978-4-86191-246-7 
  10. ^ 『プロ野球選手100人が選ぶ! 現役最強ベストナイン』宝島社、2011年、34頁頁。ISBN 978-4-7966-8666-2 
  11. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクト、2009年、421頁頁。ISBN 978-4-7572-1628-0 
  12. ^ 貯金9、最多タイ ヤクルト躍進、支える相川(2009年6月14日、朝日新聞社)

関連項目

外部リンク