火曜ワイドスペシャル
火曜ワイドスペシャル | |
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ジャンル | 単発特別番組枠 |
出演者 | 放送番組に準ずる |
製作 | |
製作 | フジテレビ |
放送 | |
放送局 | フジテレビ系列 |
放送国・地域 | 日本 |
第1期 | |
放送期間 | 1971年4月6日 - 1971年9月28日 |
放送時間 | 火曜 20:00 - 21:26 |
放送分 | 86分 |
第2期 (20・21時台 86分枠時代) | |
放送期間 | 1972年4月4日 - 1972年9月 |
放送時間 | 火曜 20:00 - 21:26 |
放送分 | 86分 |
第2期 (20・21時台 85分枠時代) | |
放送期間 | 1972年10月 - 1975年9月 |
放送時間 | 火曜 20:00 - 21:25 |
放送分 | 85分 |
第2期 (20・21時台 84分枠時代) | |
放送期間 | 1975年10月 - 1981年9月 |
放送時間 | 火曜 20:00 - 21:24 |
放送分 | 84分 |
第2期 (19・20時台 84分枠時代) | |
放送期間 | 1981年10月 - 1997年9月30日 |
放送時間 | 火曜 19:30 - 20:54 |
放送分 | 84分 |
火・曜・特・番!! | |
放送期間 | 1999年10月12日 - 2000年3月28日 |
放送時間 | 火曜 19:00 - 20:54 |
放送分 | 114分 |
第3期 | |
放送期間 | 2000年4月18日 - 2001年3月27日 |
放送時間 | 火曜 19:00 - 20:54 |
放送分 | 114分 |
『火曜ワイドスペシャル』(かようワイドスペシャル)は、1971年4月6日から2001年3月27日までフジテレビ系列局が編成していたフジテレビ製作の単発特別番組枠である。
概説
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 第1期は1971年4月6日[1]から同年9月28日[2]までナイターシーズンのみの編成だったが、第2期は1972年4月4日から1997年9月23日、そして第3期は2000年4月18日から2001年3月27日まで放送。なお、第3期開始前の1999年10月12日から2000年3月28日にも『火・曜・特・番!!』のタイトルで放送された。
- 当番組は、前年1970年4月から同年9月まで同枠で放送され、10月からは木曜20:00 - 21:26に移動し1972年9月まで放送した「テレビグランドスペシャル(第2期)」(以降「TGSP」と略記)という前身が有る。更に「TGSP」は、1967年11月から1968年3月まで土曜20:00~20:56で放送された「第1期」が有り、これが日本初の単発特別番組枠である(第1回は「オールスター秋の大運動会」だった)。
- 当時、フジテレビは平日帯枠で19:30「クイズグランプリ」(以後、クイズ漫才グランプリ→逆転!クイズジャック)19:45「スター千一夜」の2番組があったため、当初は20:00~21:26(日本時間-JST。1973年10月以降は21:25まで、1975年10月以降は21:24まで)の放送だった。その後、1981年9月で両番組が終了するとともに、19:30~20:54の放送となる。
- 「楽しくなければテレビじゃない」をモットーとするフジらしく、バラエティーを中心にドキュメンタリー、情報系番組、歌謡番組などを編成。放送されたコンテンツ数は述べ1000本以上に及ぶという。
- ダイヤモンドグローブスペシャルとして、輪島功一などのプロボクシングの世界タイトルマッチの実況生中継を行っていたのもこの枠だが、『火曜ワイドスペシャル』としての回数には含まれない。プロ野球中継(雨天中止で映画を放送した際も)[3]やバレーボール中継、日本歌謡大賞(フジテレビ制作当番の年の場合[4])、FNS歌謡祭も同様である。またバラエティ番組も、正月特番『新春かくし芸大会』と『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』が火曜日にぶつかっても、当番組扱いはされない[5]。
- 3年後の2004年、火曜の特番枠は「カスペ!」として復活することになった(2015年3月終了)。
放送された番組
- ザ・ドリフターズシリーズ
- ドリフのアンタッチャブル(1971年4月6日)『火曜ワイドスペシャル』第1回目の放送。
- ドリフの昭和大爆進(1975年10月7日 - 1976年3月23日)
- ドリフのバカ笑い大爆進(1976年6月8日 - 11月30日)
- ドリフ大爆笑[6]
- ドリフのクリスマスプレゼント(1986年、1987年、1991年)[7]
- 加トちゃんケンちゃん光子ちゃん(1990年1月9日、10月9日、1992年2月4日、1994年5月17日)
- 志村けんのバカ殿様[8]
- 改編期特番シリーズ[9]
- 世紀の祭典シリーズ(1973年3月6日、1975年3月4日、1976年3月2日)
- 秋だ目玉だ! ドーンと大放送(1975年9月30日。初の秋の改編期特番)
- 欽ちゃん・二郎さん・Oh〜ドリフ! 秋だ目玉だ大進撃!!(1976年9月28日)
- オールスターどっきり! 爆笑! 大行進(1977年4月1日。後述の『どっきり㊙報告』が母体。司会は『どっきり』の三波伸介と、斎藤こず恵)
- オールスター秋の祭典スペシャル(1978年10月10日)[10]
- ポップス20年〜ザ・ヒットパレード(1977年4月5日。『ザ・ヒットパレード』の復活特番)
- スターどっきり㊙報告(1979年9月に第1期→『スターどっきり生放送』が終了後、1981年3月3日と同年10月27日に当枠で『春(秋)の超大作 オールスターどっきり㊙報告』として再開。翌1982年に第2期を半年間放送後、当枠などで継続放送)
- オールスター紅白大運動会(1972年秋〜1973年秋、1974年秋[11]〜1977年、1978年秋[12]、1979年〜1985年。『TGSP』廃枠後に本枠が引き継いで放送した、最大の名物企画である。その後1994年春〜1996年春に『ものまね王座決定戦』の出演者で復活した事があった)
- スター対抗花の競技大会(1972年11月21日。『大運動会』の派生番組。「聖火台」のセットや「聖火入場」は『大運動会』と同じだが、収録はフジテレビのスタジオ内で行われ、チームも「紅組」・「白組」・「青組」に増やしたものの、出場者は42名と大幅に減らした。競技は「床運動」・「トランポリン」・「アーチェリー」に、『大運動会』でお馴染みの「障害物競走」と、なぜか「椅子取りゲーム」も登場。当時「年間盗塁」の世界新記録を達成した、阪急ブレーブスの福本豊も出演した)
- オールスター親子対抗大合戦(1975年3月25日。同じく『大運動会』の派生番組で、芸能人家族が紅白に分かれて対決する。総合司会は三波伸介、アシスタントは宮脇康之(現:健)と真木洋子。なお番組には三波の息子・伸一(現:二代目三波伸介)も参加した)
- 600回記念特集II 見たい見せたいあのスター珍プレー名場面集(1982年5月11日。後述の「スター水着」に続く600回記念特集で、『大運動会』の名場面を放送)
- オールスター紅白大運動会 栄光の青春・激斗編(1987年7月14日。『大運動会』の総集編番組。ナレーターは『大運動会』末期に実況を担当し、最末期には土居まさるに代わって総合司会も兼任したみのもんた)[13]
- オールスター水泳大会→ドキッ!女だらけの水泳大会(『大運動会』同様、『TGSP』廃枠後に当番組に移行して放送。当初は夏放送の『紅白水泳大会』だったが、1974年から1984年までは冬放送の『寒中水泳大会』も平行放送した[14])
- 600回記念特集 見たい見せたいあのスター水着(1982年4月20日。当番組の600回を記念して、『水泳大会』の名場面を放送。印象に残った水着芸能人を『ザ・ベストテン』形式で紹介したり、競泳場面から4名をエントリーし、1画面に合成してトップを決めるなどを放送した。司会は芳村真理とおりも政夫。ゲストは郷ひろみ・三原順子(現:じゅん子)・清水クーコ・小野ヤスシ)
- オールスター水泳大会 25周年同窓会スペシャル(1994年2月15日。『水泳大会』の総集編番組。『水泳大会』に関わった芸能人がスタジオに集まり、過去の映像を見ながら当時を振り返った。司会は『オールスター~』時代の司会のおりも政夫と、『ドキッ!~』時代司会の田代まさしと桑野信義。ナレーターは青嶋達也アナウンサー)
- THE MANZAI
- ザ・ガマン
- ムツゴロウとゆかいな仲間たち
- ものまねシリーズ
- 発表!日本ものまね大賞
- オールスターものまね王座決定戦(1973年 - 1996年、2000年)
- 爆笑! スターものまね王座決定戦(1985年、1987年 - 1997年、2000年)
- あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101(1990年 - 1997年)
- アメリカ大陸横断クイズ!!(1978年9月6日。 アメリカ合衆国に関するクイズに、3名で構成された一般家族100組が挑戦する生き残りクイズ。日本テレビの『アメリカ横断ウルトラクイズ』にタイトルが酷似しており、司会も『ウルトラクイズ』と同じ高島忠夫だが、実際に アメリカ合衆国に行ったのはレポーター役のピンク・レディーで、挑戦者はスタジオ内で、かつて同局で放送された『オリンピックショウ 地上最大のクイズ』と同じく「○札」と「×札」や「三択札」を使って解答する。ハワイパートではアグネス・ラムも登場、またアナハイム・スタジアム(現:エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)のパートでは遠征中のニューヤンキースも登場(その事に関しては後述))
- オールスター10人10種競技(1979年2月20日。芸能人10名が計10種類のクイズやゲームに挑戦する)
- クイズ決定版!ウルトラドボン(1979年3月13日。4名で構成された男女対抗クイズ。クイズに正解すれば2点追加、不正解チームは「黒ひげ危機一発」に挑戦し、海賊が飛ばなかったら1点追加だが、海賊が飛んだら得点はリセットされる。10回戦行い、合計点の多い方が勝ち。その後何度か別枠で放送された。司会は高島忠夫と酒井ゆきえ。アシスタントは三笑亭夢之助)
- 新春スターかくし芸大会関連番組シリーズ(『かくし芸』で放送された出し物の練習風景・NG・外国語劇でのカンニング、過去の出し物を放送)
- 名・珍場面大続出!かくし芸だよ総決算!!2度と見られぬ16年(1979年11月27日)
- スターかくし芸だよ20年名珍場面NG集(1983年3月29日)
- 新春スターかくし芸大会 初公開!みんなが知らない舞台裏!(1984年3月20日)
この節の加筆が望まれています。 |
- オールスター氷上スポーツ(1979年11月27日。芸能人が4チームに分かれて行う氷上競技合戦。競技は「人間ボウリング」や「人間通りゃんせ」、そして裸足で氷上のリンクを走り回る「氷上耐久マラソン」など。最後は国土計画女子チーム(後の「SEIBUプリンス ラビッツ」)とのアイスホッケーの試合を行なう。収録は品川プリンスホテルに存在した「ゴールドリンク」)
- スーパージャンボクイズ'80(1980年5月13日。4名1組で構成された視聴者チーム200組が箱根に集まり、椅子取りゲーム[15]・○×クイズ・カルタクイズなどでチームを減らし、勝ち残った4組がフジテレビスタジオに集結、スタジオでは映像筆記クイズに挑戦、正解すると2点獲得、不正解チームは多数のびっくり箱から1つ選んで蓋を開け、何も起こらなければ1点追加、物が出たら点数がリセットされる(先述の『ウルトラドボン』と同じ)。そして最終的に点数の多かったチームが優勝、グァム島旅行を獲得。スタジオ司会は桂三枝(現:六代目文枝)と酒井ゆきえ[16]、箱根レポーターは小野ヤスシ・青空球児・三笑亭夢之助[17]・清水クーコ、映像クイズレポーターは月亭八方と団しん也、ナレーターは広川太一郎)
- ノストラパニック・大富豪かスッテンテンか!?(1980年6月10日。『ノストラダムスの大予言』をイメージした異色のクイズ。100名の一般参加者が成績によって「大富豪」から「スッテンテン」までの4ランクに分けられ、最後まで「大富豪」となった参加者が優勝、ハワイ旅行を獲得。司会はみのもんた。進行役の「ミスターノストラ」役は糸居五郎)
- 全世界期待の超大作 スター・ウォーズ大特集(1980年6月24日。新作『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』日本公開を4日後に控えた宣伝特番。司会は高島忠夫)
- 世紀のスーパーアニメ 銀河鉄道999・宇宙戦艦ヤマト・そして謎の女1000年女王がキミに迫る!(1980年11月11日。松本零士原作アニメ『新竹取物語 1000年女王』放送を翌年4月に控えた宣伝特番で、『1000年女王』の雪野弥生をはじめ、『銀河鉄道999』の星野鉄郎・メーテル、『宇宙戦艦ヤマト』の森雪ら松本キャラがアニメで共演)
- オールスター夢のラブラブショー(1981年9月15日。2年前に終了した『ラブラブショー』の復活版で、オリジナル版の芳村真理が司会。出演ペアは松田聖子&桑原正、野村義男&河合奈保子など、オリジナル終了後にデビューした芸能人が登場)
- FNS番組対抗名珍場面傑作NG大賞→FNS番組対抗NG名珍場面大賞
- タケちゃんの思わず笑ってしまいました1〜9
- いたずらウォッチング!!
- わてら陽気なオバタリアン
- プロ野球珍プレー・好プレー大賞(1991年11月5日、1995年8月1日、11月14日、1996年11月12日、1997年7月22日)
- プロ野球選手対抗戦シリーズ
- 激突!プロ野球12球団対抗日本シリーズ(1981年〜1986年)
- オールスタープロ野球12球団対抗歌合戦(1987年〜1995年。2000年にも放送)
- オールスター夢の球宴(有名人や人気スターや俳優や歌手やタレントが中心に行って野球大会。1985年~1991年。1970年代前半にも『TGSP』から移行して放送されていた。主審は1970年代は田辺一鶴、1985年以降は森山周一郎。なお森山は後述のニューヤンキース戦でも主審を務める)
- ニューヤンキース(1978年8月に『土曜グランドスペシャル』(以降『土GSP』)が終了したのに伴い、本枠で継続放送。なお『土GSP』同様、OPにはスリーヤンキースの歌『ザ・ベースボール』を使用した)
- 女子野球・アメリカ遠征ついに実現 夢の黄金カード!!(1978年9月26日。ニューヤンキースが アメリカ合衆国へ遠征し、元メジャーリーガーのジョー・ディマジオ[18]が監督を務め、元阪神のジーン・バッキー、元南海のジョー・スタンカ、元阪急のダリル・スペンサーなどといった、かつて日本プロ野球に在籍していた外国人で構成された「オールアメリカ」との対戦模様を放送。なおニューヤンキースは帰国後、一部の選手が独立し、「ブラックイーグルス」が誕生)
- 女子野球だよドリフターズ!(1978年10月24日・1979年3月20日。ザ・ドリフターズ率いる「パーフェクト」とニューヤンキース・ブラックイーグルスの試合中継。メンバーはドリフの他、内山田洋とクール・ファイブ・郷ひろみ・野口五郎・布施明・角川博など。『土GSP』廃枠後、『土GSP』時代では絶対に出来なかった[19]ドリフとの対決が実現した。なお1979年3月放送はニューヤンキースとしては最後の試合となった)
- オールスター紅白バレーボール大会(1973年~1977年、1978年秋、1979年、1981年[20]。芸能人を男女別の数チームかに分け、サイドアウト制による6人制1セットマッチで行う。冒頭ではエキシビジョンとして、「元・東洋の魔女」対芸能人選抜チームの試合が有った)
- オールスター雪の祭典(新潟県の苗場スキー場で行われるゲーム合戦。これに歌やコントを絡ませる。ゲームはスーパーマンの様に雪上を滑る「スーパーマン」、雪の入った股引を着用して行う「モモヒキー」、高台から雪目掛けて跳び落ちる「恐怖の90㎝級ジャンプ」、肉襦袢を着て関取となり尻相撲で対決する「大相撲苗場場所」など)
- オールスタースポーツの祭典(1982年・1983年。「雪の祭典」の姉妹版で、夏場の苗場で収録。芸能人が田原俊彦率いる「トシ組」と近藤真彦率いる「マッチ組」に分かれて行うゲーム合戦。またゴルフ対決も行われた。司会は「雪の祭典」のあのねのね)
- オールスターマジック大賞(1983年7月25日・1984年2月21日・1985年4月23日。芸能人が著名な奇術師と共に奇術を披露する。司会は立川清登。出演芸能人は柏原芳恵・太川陽介・石川秀美・松本伊代ほか。出演奇術師は北見マキ・ダーク大和・松旭斎すみえ・ゼンジー北京・マギー司郎ほか。またこれらとは別に、二代目引田天功による奇術も披露された。なお1985年版はタイトルが『決定!'85スター対抗マジックグランプリ』に改題)
- 大相撲部屋別対抗歌合戦
- チャレンジ・ザ・ギネス
- 河田町プッツン意思表示(1986年9月9日放送)
- オールナイトフジスペシャル
- おニャン子クラブ関連
- おニャン子のアブない夜だよ 生放送(1986年6月3日放送)
- 甲子園に行かなくても校歌が歌える全国大会(1986年8月放送)
- 所・田代の鉄人技大賞(1987年9月15日放送)
- 全日本小心者大賞
- 笑っていいとも!特大号(1984年・1985年放送)
- 世界の超豪華・珍品料理
- 意地悪ばあさんリターンズ 伝説のばあさんVS湾岸署スリーアミーゴス意地悪バトル(1999年10月12日。本枠では珍しいドラマで青島幸男主演版『意地悪ばあさん』は10年振りにして最終作だが、平四郎役は河原崎長一郎から段田安則、良子役は坪内ミキ子から森公美子にそれぞれ変更、また『踊る大捜査線』の「スリーアミーゴス」がゲスト出演した)
など
放送され、のちにレギュラー番組に昇格した番組
- 1972年10月1日から日曜20時台で14年間放送。
- 1977年10月1日から土曜12時台で半年間放送。
- 「スターどっきり㊙報告」に改題し、1982年4月から木曜20時台で半年間放送。
- 1985年4月13日から土曜19時台で半年間放送。
- 1988年10月13日から木曜21時台で休止期間を挟みながら2018年3月まで「とんねるずのみなさんのおかげでした」として29年半放送。
- 1989年10月18日から水曜21時台で2年半放送。
- 1991年12月8日から日曜20時台で約6年間放送。
- スターどっきり㊙報告
- 「スターどっきり大作戦」に改題し、1997年4月から月曜19時台で半年間放送。
ネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 | |
北海道 | 札幌テレビ | 日本テレビ系列 | 同時ネット | 1972年3月まで[21] |
北海道文化放送 | フジテレビ系列 | 1972年4月開局から | ||
青森県 | 青森テレビ | TBS系列 | 遅れネット | [22] |
岩手県 | テレビ岩手 | 日本テレビ系列 | 1991年3月まで[23] | |
岩手めんこいテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から | |
宮城県 | 仙台放送 | |||
秋田県 | 秋田テレビ | |||
山形県 | 山形テレビ | テレビ朝日系列[24] | 1993年3月打ち切り[25] | |
さくらんぼテレビ | フジテレビ系列 | 1997年4月開局から | ||
福島県 | 福島テレビ | |||
新潟県 | 新潟総合テレビ | 遅れネット →同時ネット |
[26] | |
長野県 | 長野放送 | 同時ネット | ||
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | 遅れネット | [27] |
静岡県 | テレビ静岡 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
富山県 | 富山テレビ | |||
石川県 | 石川テレビ | |||
福井県 | 福井テレビ | |||
中京広域圏 | 東海テレビ | |||
近畿広域圏 | 関西テレビ | |||
島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビ | |||
岡山県 →岡山県・香川県 |
岡山放送 | 1979年3月までは岡山県のみの放送 1979年4月以降は香川県でも放送 | ||
広島県 | 広島テレビ | 日本テレビ系列 | 1975年9月まで[28] | |
テレビ新広島 | フジテレビ系列 | 1975年10月開局から | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列[29] | 同時ネット →遅れネット[30] |
|
愛媛県 | テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | 同時ネット | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 遅れネット | 1997年3月まで[31] |
高知さんさんテレビ | フジテレビ系列 | 同時ネット | 1997年4月開局から | |
福岡県 | テレビ西日本 | |||
佐賀県 | サガテレビ | |||
長崎県 | テレビ長崎 | [32] | ||
熊本県 | テレビ熊本 | [33] | ||
大分県 | テレビ大分 | 日本テレビ系列 フジテレビ系列[34] |
||
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | [35] | |
沖縄県 | 沖縄テレビ |
脚注
- ^ 初回は「ドリフのアンタッチャブル」であった
- ^ 最終回は「オールスター家族対抗のど自慢」であった
- ^ テレビ新広島が本枠を差し替えて広島東洋カープ戦のローカル放送を実施した際は、番組タイトルロゴに「火曜ワイドスペシャル」を加えた物を使用していた。
- ^ 1976年・1980年・1984年・1989年・1993年(最終回)が該当。
- ^ 『かくし芸』は1974年・1980年・1985年第1部・1991年、『ものまね紅白』は1989年・1990年・1996年がそれぞれ該当する。
- ^ 現在はファミリー劇場で1996年度途中までの放送回は視聴可能。
- ^ 現在はファミリー劇場で毎年12月に放送。
- ^ 現在はファミリー劇場で2001年から2007年の放送回は視聴可能。
- ^ これらの他にも、1992年9月29日と1994年3月29日には『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』をそれぞれ火曜19:00 - 22:24で放送したが、これらは本枠扱いされなかった。
- ^ この回は、当初10月2日(月曜日)19:00 - 20:54に放送する予定であったが、当日はセ・リーグ初優勝にあと1勝に迫ったヤクルトスワローズの「対巨人」戦(明治神宮野球場)に差し替えられたため、この日の19:30 - 21:24に延期された(2日予定分は雨傘番組となったが試合は予定通り行われた)。なお試合は巨人が勝ち、ヤクルトの初優勝は翌々日の4日まで持ち越された。
- ^ 1974年春は第10回を記念して2時間枠(通常は90分枠。その後も1982年・1983年は2時間枠)であったため、木曜20:00 - 21:55で放送された。
- ^ 1978年は、1975年以来廃止していた春開催を、「ニューヤンキース」宣伝のために『土GSP』で特別に開催した。この後1984年・1985年は春のみ開催された。
- ^ この番組は、元々1987年度のプロ野球中継の雨傘番組として用意された番組で、当日予定の「広島×巨人」戦が雨天中止になったのに伴い編成された。なお放送後の火曜プロ野球中継雨傘番組は、『オールスター夢の球宴』の「珍プレー好プレー特集」に変更されたが、その後の火曜プロ野球中継は全て予定通り行われ、翌1988年の火曜雨傘番組に回されるも、ここでも中継は予定通り行われたため、同年10月2日の『サンデーイベントアワー』枠(関東ローカル)に回され、ようやく放送された。
- ^ ただし1978年では、本枠放送は『寒中水泳』のみで、『紅白水泳大会』はニューヤンキース宣伝のため『土GSP』で放送、また『土GSP』ではニューヤンキースを始め女性芸能人限定で行われた『真夏の水中フェスティバル』も放送、収録は大磯ロングビーチではなく豊島園で行い、司会はおりも政夫ではなく小林大輔(当時・フジテレビアナウンサー)が務めた。
- ^ ただし椅子ではなく座布団で、また座布団はチーム代表者の人数分(200名)だけあり、実は裏に「×」と書かれている座布団に座った者のいるチームが失格、そして失格チームは、その場で使った座布団を回収する罰ゲームが行われた。
- ^ 酒井は箱根レポーターも兼任した。
- ^ 夢之助は映像クイズレポーターも兼任した。
- ^ ディマジオは、1978年5月6日に『土GSP』で放送された『オールスター対抗!女子野球大会』(オールスターズ戦)でも、始球式ゲストとして出演している。
- ^ 『土GSP』の裏(正確にはその2/3)に、ドリフメインの国民的バラエティ番組が存在していたため。
- ^ 1974年までは『大運動会』同様春秋開催だが、1975年からは春限定に変更、1980年は開催せず(理由不明)。また1978年春は『大運動会』同様、ニューヤンキース宣伝のために『土GSP』で開催、そして同枠では女子限定のスペシャル大会『激突!!女子スター選抜バレーボール大会』も開催された。
- ^ 1972年3月まではフジテレビ、日本テレビ系列のクロスネット局。火曜日は原則フジテレビの番組が優先して放送されたため、同時ネットであった。
- ^ 「土曜ワイドスペシャル」とタイトルを改題した上で、土曜12:30から放送されていた(ただし「土曜ワイドスペシャル」時代は、120分バージョンは一度も放送されなかった。)。なお当局では、その後の「カスペ!」も土曜もしくは日曜午後に遅れネットで放送していた。
- ^ 土曜午後(概ね14:00からの事が多かった)に、『土曜ビッグプレゼント』等のタイトルで放送。なお番宣も、当局が独自に制作した物が放送されていた。
- ^ ネット打ち切りまではフジテレビ系列で、その後1993年4月よりテレビ朝日系列。
- ^ テレビ朝日系列へのネットチェンジにより打ち切り、以後1997年3月まで山形県では当番組は未放送となった。ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ・仙台放送・福島テレビ・新潟総合テレビ)を受信できた場合は1993年4月以降も引き続き視聴可能だった。
- ^ テレビ新潟が開局する前の1981年3月まではフジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列によるクロスネット局で、その時期は編成の都合上同時ネットができなかった事から、土曜午後に「NST土曜スペシャル」の番組枠として当番組・日本テレビ「木曜スペシャル」・テレビ朝日「水曜スペシャル」等と併せて、一部番組のみが放送されていた。その後1981年4月からは同時ネットに移行した。
- ^ 土曜もしくは日曜午後に遅れネットで放送されていた。
- ^ 1975年9月30日まではフジテレビ系列とのクロスネット局だった。なおその日にフジテレビ系列で放送された当番組は、同年の秋以降の番組宣伝を兼ねた「秋だ目玉だ!ドーンと大放送」だった。しかし、その翌日に当局が日本テレビ系列のフルネットに転換し、フジテレビ系列の番組が全てテレビ新広島に移行する事から、広島テレビで放送するわけにもいかないと言うフジテレビやスポンサー側の配慮から、同局では「栄光のビッグスター75年を歌う」に差し替えられた。
- ^ 1987年9月まではTBS系列とフジテレビ系列によるクロスネット局。
- ^ クロスネット局時代の1987年9月までは同時ネットだった。その後同年9月末をもってフジテレビ系列を離脱し、TBS系列にネット一本化してからは遅れネットに移行した。
- ^ 土曜もしくは日曜の午後に放送されていた。番宣はフジテレビ系列と同様の物が使用されたが、放送日時のテロップはボカシや黒枠で隠されていて、その上に当局での放送日時をかぶせると言う手法が使われていた。
- ^ 1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局。
- ^ 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局。
- ^ 1993年9月まではテレビ朝日系列も含めたトリプルネットだった。
- ^ 1982年9月まではテレビ朝日系列・日本テレビ系列とのクロスネット局で、その後1982年10月から1994年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局。
関連項目
19時台
フジテレビ系列 火曜19時前半枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
火・曜・特・番!!
(1999年10月12日 - 2000年3月28日) ↓ 火曜ワイドスペシャル(第3期) (2000年4月18日 - 2001年3月27日) |
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フジテレビ系列 火曜19時後半枠 | ||
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1981年10月 - 1997年9月30日) |
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快進撃TVうたえモン
(1999年1月12日 - 1999年9月14日) ※19:00 - 20:00 |
火・曜・特・番!!
(1999年10月12日 - 2000年3月28日) ↓ 火曜ワイドスペシャル(第3期) (2000年4月18日 - 2001年3月27日) |
20時台
フジテレビ系列 火曜20時台 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
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おらんだ左近事件帖
(1971年10月12日 - 1972年3月28日) ※20:00 - 20:56 |
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1997年9月30日) |
|
火・曜・特・番!!
(1999年10月12日 - 2000年3月28日) ↓ 火曜ワイドスペシャル(第3期) (2000年4月18日 - 2001年3月27日) |
鬼平犯科帳(第9シリーズ)
(2001年4月17日 - 2001年5月22日) ※19:59 - 20:54 |
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フジテレビ系列 火曜20:54 - 20:56枠 | ||
旗本退屈男(高橋英樹版)
(1970年10月6日 - 1971年3月30日) ※20:00 - 20:56 |
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
おらんだ左近事件帖
(1971年10月12日 - 1972年3月28日) ※20:00 - 20:56 |
おらんだ左近事件帖
(1971年10月12日 - 1972年3月28日) ※20:00 - 20:56 |
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1981年9月) |
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フジテレビ系列 火曜20:56 - 21:00枠 | ||
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
待ッテマシタ! (火曜)
(1971年10月 - 1972年3月) 火曜21:26枠から移動 |
|
待ッテマシタ! (火曜)
(1971年10月 - 1972年3月) 火曜21:26枠へ移動 |
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1981年9月) |
FNNニュース・明日の天気(火曜)
(1981年10月6日 - 1998年3月24日) ※20:54 - 21:00、火曜21:24枠から移動 |
21時台
フジテレビ系列 火曜21時前半枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
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火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1981年9月) |
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フジテレビ系列 火曜21:24 - 21:25枠 | ||
そこがききたい新婚さん
(1971年2月2日 - 1971年3月30日) ※21:00 - 21:30 |
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
いじわるばあさん(ドラマ第2作)
(1971年10月12日 - 1971年12月28日) ※21:00 - 21:30 |
歌謡スタジオ大作戦
(1972年1月4日 - 1972年3月28日) ※21:00 - 21:30 |
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1975年9月) |
FNNニュース・明日の天気(火曜)
(1975年9月30日 - 1981年9月29日) ※21:24 - 21:30、1分拡大 |
フジテレビ系列 火曜21:25 - 21:26枠 | ||
そこがききたい新婚さん
(1971年2月2日 - 1971年3月30日) ※21:00 - 21:30 |
火曜ワイドスペシャル(第1期)
(1971年4月6日 - 1971年9月28日) |
いじわるばあさん(ドラマ第2作)
(1971年10月12日 - 1971年12月28日) ※21:00 - 21:30 |
歌謡スタジオ大作戦
(1972年1月4日 - 1972年3月28日) ※21:00 - 21:30 |
火曜ワイドスペシャル(第2期)
(1972年4月4日 - 1973年9月) |
FNNニュース・明日の天気(火曜)
(1973年10月2日 - 1981年9月29日) ※21:25 - 21:30 |