徳光正行

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とくみつ まさゆき

徳光 正行
生誕 德光 正和とくみつ まさかず(本名)
(1971-12-12) 1971年12月12日(52歳)
日本の旗 日本神奈川県茅ヶ崎市
国籍 日本の旗 日本
出身校 相洋高等学校
日本大学芸術学部
職業 キャスタータレント
配偶者 田野辺実鈴(2010年 - 2015年)
徳光和夫(父)
親戚 徳光寿雄(祖父)
ミッツ・マングローブ(従弟)
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徳光 正行(とくみつ まさゆき、1971年12月12日 - )は、日本キャスタータレント。本名は德光 正和(とくみつ まさかず)。血液型はO型。所属事務所は佐藤企画

祖父は映画監督の徳光寿雄。父はフリーアナウンサー徳光和夫サントリーに勤務している兄と、妹の3人兄妹の次男。フリーアナウンサーの田野辺実鈴は元妻。

ミッツ・マングローブは従弟にあたる。

人物[編集]

神奈川県茅ヶ崎市出身。中学卒業後プロレスラーを志したが、父の和夫に反対され断念。相洋高等学校卒業後、3浪の末に日本大学芸術学部音楽学科情報音楽コースに進学し、1留して卒業。

大学卒業後は就職せずにミュージシャンを目指していたが、2001年に父が入院したことにより自立を決意、タレントとしてデビューした。

父の影響により、大の巨人プロレスファンである。三沢光晴との交流は、1992年から三沢が死去する2009年まで17年間続いた[1]。三沢のお別れの会では父の和夫が弔辞を読み、2010年には、三沢とのエピソードを綴った『伝説になった男 - 三沢光晴という人 - 』を出版した[1]

2010年6月17日発売の週刊新潮にて、同月20日に東京MXテレビアナウンサーの田野辺実鈴と結婚するという報道があり、それを受けて正行自身が6月17日放送の『ザ・ゴールデンアワー』のエンディングにて結婚を正式に発表した。2010年11月7日にザ・キャピトルホテル 東急で挙式披露宴を行った。しかし、2015年に離婚している。

2013年5月28日西口プロレスミル・マスカラスを模したマスクマン「ミル・マサカラス」として登場。試合中マスクを剥がされ正体が明らかになり、会場にゲストで来ていた父の前でファイトをした。お笑いプロレスごっことは言え、中学生の頃の夢だったプロレスデビューをかなえる事となった。以来、月一度の西口プロレス本興行にマサカラスとして定期的に参戦している。

本名の正和という名前は、兄と同じ様に「かず」の字を名前につけた方がいいと言った和夫の妻が田村正和のファンで、抱いた時に田村正和が隣にいるような気持ちがいいということから名付けたという[2]

出演[編集]

まだ芸能界に入る前で当時高校生だった1989年、第13回アメリカ横断ウルトラクイズの第1問発表時(この時は予選開催日に新聞の朝刊の広告に問題が掲載された)に、茅ヶ崎の実家にて父の和夫と出演。テロップでは「次男 正和君」と本名で表記された。

父からは「マサ」と呼ばれており、共演番組でもそう呼ばれる。

2006年10月より、テレビ東京の情報番組『レディス4』の3代目司会者に就任する。その為、MXテレビ『5時に夢中!』は同年9月22日を以て降板した。2007年12月25日に行われた『ハッスル・ハウス ~クリスマスSP 2007~で』自身初のプロレス実況を担当し、親子2代でのプロレス実況が実現した。同年の大晦日に2年連続で『年忘れにっぽんの歌』の司会を担当した。

2006年に『年忘れにっぽんの歌』、『サルヂエ』、2007年には『24時間テレビ30』『オジサンズ11』で父と共演している。

出演番組[編集]

現在の出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

レギュラー[編集]

その他[編集]

 ほか多数

作品[編集]

著書[編集]

脚本[編集]

  • 短編映画『シラユキサマ』(2019年、監督:諸江亮[3] - 『怪談手帖 怨言』が原作

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 最終更新日であり、配信は3月7日12時まで。

出典[編集]

  1. ^ a b 平野遼 (2010-09-12). “落涙必至──徳光正行が語る、故・三沢光晴の知られざる素顔『伝説になった男』”. サイゾー. https://archive.ph/1tSNG 2012年11月20日閲覧。. 
  2. ^ 徳光和夫アナ 田村正和さんを悼む 次男を正和と命名したワケ”. スポーツニッポン (2021年5月22日). 2021年5月22日閲覧。
  3. ^ 岩井志麻子×徳光正行×諸江亮 - 徳光正行 原作・脚本 映画『シラユキサマ』公開記念対談!!”. Rooftop (2019年1月12日). 2019年3月19日閲覧。

外部リンク[編集]