小松聖

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小松 聖
オリックス・バファローズ #28
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県いわき市
生年月日 (1981-10-29) 1981年10月29日(42歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年7月16日
年俸 3,500万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2009年

小松 聖(こまつ さとし、1981年10月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。マネジメント契約先はスポーツビズ

経歴

プロ入り前

福島県いわき市出身。いわき市立小名浜第一中学校から福島県立勿来工業高等学校に入学。3年夏は福島大会ベスト16。その後、東都大学リーグ国士舘大学に進学し、下級生の頃からベンチ入りしたものの大学では通算4勝に留まった。

2004年社会人野球JR九州に入社。都市対抗野球大会九州地区二次予選準決勝の日産自動車九州戦で先発したが序盤で打ち込まれて降板。秋の社会人野球日本選手権大会九州地区二次予選では第2代表決定戦となった九州三菱自動車戦で、3連投で本来の調子ではなかったエースの樋口龍美をリリーフして代表権獲得に貢献した。

2005年は樋口と町豪将の2人がプロ入りしてチームを抜け、140km/h前後の速球と2種類のスライダーを武器に台頭した。JABA四国大会では敢闘賞を受賞。第76回都市対抗野球大会九州予選では第1代表獲得に貢献する好投でMVPに選ばれ、エースの座を掴んだ。本大会では、初戦で三菱重工神戸サヨナラ勝ち、準々決勝ではホンダに勝利。準決勝では日産自動車に敗れたものの69年ぶりの4強入りを果たし、優秀選手賞を受賞。社会人野球日本選手権大会九州予選でも勝ち抜き、本大会では同年の都市対抗覇者三菱ふそう川崎との2回戦で先発して5安打9奪三振完封勝利を挙げた。

2006年は吉田博之監督[1]の手の内を隠す方針でオープン戦にはほとんど登板せず、ここ一番の試合に限定して起用された。その信頼に応えて第77回都市対抗野球大会九州予選準決勝の日産自動車九州戦では1失点完投、第1代表決定戦の三菱重工長崎戦では完封し、前年に引き続き本大会出場に貢献した。本大会では初戦の西濃運輸戦でソロ本塁打1点に抑えたものの打線の援護が無く0-1で敗退。社会人野球日本選手権九州2次予選では、初戦の三菱重工長崎戦で1失点完投。連投となったホンダ熊本戦では完投したものの2本塁打を打たれ3-5で敗戦。敗者復活2回戦の日産自動車九州戦ではリリーフとして登板し3連投となったが、サヨナラ本塁打を打たれて代表権獲得はならなかった。しかし安定感の有る投球が評価され、同年のプロ野球ドラフト会議オリックス・バファローズ希望枠で入団。

プロ入り後

2007年7月16日中継ぎとしてプロ初登板。9月9日の対ソフトバンク戦で、リードされた場面で登板し1回を無失点に抑えるとその後チームが逆転しプロ初勝利。ウエスタン・リーグでは26試合40回を投げて49奪三振、防御率3.15の成績を残した。

2008年は中継ぎとしてスタートしたが、先発に転向。4月9日の対ソフトバンク戦でプロ初先発し5回1失点で先発初勝利。4月16日の同カードでは9回2死まで1失点の好投で2勝目。セ・パ交流戦では初戦の対広島戦、2戦目の対ヤクルト戦と連続KOされ、その後は中継ぎに回ったがリーグ戦再開後は先発に復帰。7月8日の対楽天戦では9回1失点で初完投勝利を記録。7月28日の対西武戦以降は10試合に先発して9勝負け無し、シーズン最終登板となった9月28日の対西武戦で3度目の完投勝利を挙げ、球団では1995年平井正史以来13年ぶりとなる15勝目を記録した。パ・リーグ球団との対戦成績は15勝1敗、防御率2.09。援護率3.69。また、チームが敗れた次の試合で11度先発し10勝1敗と連敗を止める役割を果たした。クライマックスシリーズでは2戦目に先発したが敗戦。シーズン終了後には、記者投票171票中170票という圧倒的な得票で新人王を獲得。

2009年第2回WBC日本代表に選出された。韓国との第2ラウンド1位決定戦で2番手として登板し、2回1/3を投げ無失点の5奪三振と完璧に抑え、勝利に貢献した。ペナントレースでは、4月3日の対ソフトバンク戦で初の開幕投手を務めた。しかし、この試合で5回7失点と打ち込まれると、次の4月10日の対ロッテ戦でも5回途中6失点と打ち込まれ、翌日に二軍降格。4月24日の対日本ハム戦で一軍復帰を果たすも、7回途中で自己ワーストの11失点。以後も調子が上がらず、交流戦序盤で二軍降格。7月15日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)で2失点完投でシーズン初勝利を果たした。しかし、精彩を欠いた投球が多く、結局はこの1勝のみに終わった。1勝9敗、防御率7.09と前年から大きく成績を落とした。

2010年はキャンプに監督の岡田彰布からリリーフ転向を命じられ、抑え候補にも挙げられていたが調整の遅れもあり中継ぎとなる。開幕後はリリーフとして存在感を見せたが、岸田護が抑えに転向したことに伴い交流戦から先発に転向し、5月13日の対ヤクルト戦で5回2失点で勝利を挙げるなど、交流戦中先発5試合で2勝2敗であった。交流戦後も先発として起用されたが打ち込まれる場面が目立つようになり、7月以降はわずか1勝を挙げるのみに終わる。そして、8月27日の対日本ハム戦登板後に右肋骨が疲労骨折していたことが判明し登録抹消、そのままシーズン終了を迎えた。最終成績は29試合登板し、防御率4.77であったが、そのうちリリーフでは16試合登板し、防御率1.69だったのと対照的に、先発では13試合、防御率5.51、4勝7敗であった。

2011年は怪我で開幕二軍スタート。5月10日にロングリリーフ要員として一軍昇格を果たすも、その日の登板で僅か0回1/3を投げて(かつ、アウトは犠飛によるもの)被本塁打1を含む被安打5の集中打で5失点を喫し、翌日に二軍落ち。以降は一度も一軍昇格をすることなく二軍生活を送った。二軍ではチームで唯一規定投球回数に到達し、リーグ最多の98奪三振、防御率は3.02とウエスタン・リーグ3位ながら、6勝7敗と今一つの結果に終わった。この年、第一子となる長女が生まれた。

プレースタイル

最速146km/hの直球スライダー、緩急をつけるカーブ、変化が安定していないが時に鋭い落差を見せるフォークボールなどを制球良く投げ分ける。また、マウンドで頻繁に雄叫びを上げるのも特徴。

投球フォームは社会人時代にはワインドアップ、プロ入り1年目は成績不振や先発投手からリリーフへの転向もありセットポジション、2年目はノーワインドアップにするなど試行錯誤を繰り返し、2008年の先発ローテーション投手としての活躍、成績の向上につなげている。1年目に当時の住友平二軍監督からモーション時に三塁側へ視線を向ける癖を矯正されようとした際は、幼い頃からの慣れを理由に拒否した事もある。[要出典]

人物

ヒーローインタビューではものまねタレントである山本高広の「キターッ!」のモノマネをする。「キタ、キタ、キタ、キタ、キターッ!」と言ったり、右手を上げた際、握り拳ではなくピースサインだったりなど独自のアレンジが加えられている。シーズン終了後、山本からは新ネタの提供と「キターッ!」を広めたことへの感謝の手紙を貰った。参天製薬から知名度アップに貢献したお礼として目薬「サンテFXネオ」を3ダース、計36箱プレゼントされた。

2008年4月29日にはデーゲームの試合前練習をナイターと間違えて3時間の遅刻をしてしまい、球団から厳重注意を受けて20万円の罰金を課せられた。

2009年7月、元タレントの上條ひとみと入籍。同年12月1日にハワイで挙式した。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 オリックス 8 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 40 10.2 7 2 3 0 0 13 1 0 3 3 2.53 0.94
2008 36 22 3 0 0 15 3 0 3 .833 688 172.1 134 14 42 1 2 151 4 0 55 48 2.51 1.02
2009 17 17 2 0 0 1 9 0 0 .100 428 91.1 121 17 40 1 4 74 6 0 78 72 7.09 1.76
2010 29 13 1 0 0 5 8 0 2 .385 381 83.0 107 10 27 3 4 58 5 0 47 44 4.77 1.61
2011 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 0.1 5 1 0 0 0 0 0 0 5 5 135.00 16.67
通算:5年 91 52 6 0 0 22 20 0 7 .524 1543 357.2 374 44 112 5 10 296 16 0 188 172 4.33 1.36
  • 2011年度シーズン終了時

表彰

記録

背番号

  • 28 (2007年 - )

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 主に1980年代南海ホークス・福岡ダイエーホークスで活躍した捕手吉田博之(後に阪神タイガースにも在籍)とは別人である。