ビッグボーイズ打線

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ビッグボーイズ打線(ビッグボーイズだせん)は、2008年から2009年まで使われたオリックス・バファローズ打線の愛称である。

概要[編集]

オリックスは2000年以降、2007年まで8年連続Bクラスと長期的な不振に苦しんでいた。そこで、積極的な打線の補強に踏み切る。

2007年東京ヤクルトスワローズを自由契約になっていたグレッグ・ラロッカシンシナティ・レッズで結果を残せず引退を表明していたタフィ・ローズを獲得。2008年には西武ライオンズを自由契約になっていたアレックス・カブレラを獲得した。

ローズとカブレラはシーズン本塁打55本の日本記録保持者(当時)であり、ラロッカも2004年には40本塁打101打点を記録した強打者である。この3人の外国人選手を当時オリックスの監督だったテリー・コリンズがビッグボーイズと名付けた[1]のが、ビッグボーイズ打線の由来である。

2008年のオリックスは、ローズが打率.277、40本塁打、118打点で打点王、カブレラも打率.315、36本塁打、104打点と爆発し、ラロッカが怪我で26試合の出場に終わったものの、1997年以来の2位に輝いた。なお、ビッグボーイズの名付け親だったコリンズは5月に辞任し、大石大二郎が監督代行に就任している(その後8月に正式監督となる)。この他、同年の控え選手には清原和博もいたため、清原も時に代打でビッグボーイズ打線の仲間入りを果たすこともあった(清原は同年に引退)。

2009年はローズ、カブレラ、ラロッカは全員残留し、さらに東北楽天ゴールデンイーグルスを自由契約になったホセ・フェルナンデスを獲得。4人の外国人選手の通算本塁打が1014発(2008年終了時点)という超重量カルテットが結成され、「BIG4」と呼ばれた[2]。本来4人の外国人野手を同時に一軍登録することはできないが、ローズは読売ジャイアンツ在籍時の2004年に国内FA権を取得して外国人枠を外れており、さらにカブレラも前年に国内FA権を取得してこの年から外国人枠を外れたため、4外国人野手を同時に一軍登録することが可能となっていた。

3月17日の北海道日本ハムファイターズとのオープン戦では、豊島明好から1イニングに4人全員がホームランを放ち、期待通りの破壊力を見せ付けた。開幕してからも当初は4人全員がスタメンに名を連ねることも多く、4月12日の千葉ロッテマリーンズ戦、4月22日の埼玉西武ライオンズ戦では4人が3番から6番まで連続してスタメンで出場した(打順は2試合とも3番カブレラ、4番ローズ、5番フェルナンデス、6番ラロッカ)。だが、翌4月23日の西武戦でカブレラが骨折すると、ローズが5月13日の西武戦、ラロッカが7月28日の福岡ソフトバンクホークス戦、フェルナンデスが9月13日の西武戦でそれぞれ骨折し、結局4月23日を最後に4人が一軍に揃うことはなかった。チームも特にローズの離脱後は長打力不足に陥り低迷、シーズンを最下位で終えることになった。

シーズン終了後にローズとフェルナンデスが自由契約となり、ビッグボーイズは事実上ここで解散。残ったカブレラとラロッカも2010年に自由契約となった。

布陣[編集]

太字はリーグトップ

2008年[編集]

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 坂口智隆 .278 2 32 13
2 迎祐一郎 .132 0 3 4
3 グレッグ・ラロッカ .169 1 9 0
4 DH タフィ・ローズ .277 40 118 2 打点王ベストナイン(指)
5 アレックス・カブレラ .315 36 104 2 ベストナイン(一)
6 濱中治 .253 9 29 0
7 後藤光尊 .285 14 57 13
8 大引啓次 .258 3 26 1
9 日高剛 .269 13 47 1

2009年[編集]

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁
1 グレッグ・ラロッカ .287 12 43 0
2 坂口智隆 .317 5 50 16
3 アレックス・カブレラ .314 13 39 0
4 タフィ・ローズ .308 22 62 0
5 DH ホセ・フェルナンデス .261 15 47 4
6 濱中治 .208 6 12 0
7 後藤光尊 .274 4 17 8
8 塩崎真 .234 2 7 0
9 日高剛 .254 5 34 1

脚注[編集]

  1. ^ コリンズ監督命名「ビッグ・ボーイズ」、日刊スポーツ、2008年2月26日掲載。
  2. ^ オリックス「BIG4」が11日お披露目、日刊スポーツ、2009年3月10日掲載。