ワーキングプア

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ワーキングプア(working poor)とは正社員並み、あるいは正社員としてフルタイムで働いてもギリギリの生活さえ維持が困難、もしくは生活保護の水準にも満たない収入しか得られない就労者の社会層[1]のこと。

直訳では「働く貧者」だが、働く貧困層と解釈される[2]

これまでに見られた典型的な失業者をはじめとする貧困層とは異なり、先進国で見られる新しい種類の貧困として2006年以降、問題視された。

本項では特に断り書きがない限り、日本での事例について述べる。

経緯

ワーキングプアの出現

「ワーキングプア」とは、1990年代アメリカで生まれた言葉である。アメリカの社会保障は自己責任に基づいて行われており、政府の公的扶助制度は高齢者、低所得者などジャンルごとに分類しているので、日本と比べると何から何まで面倒をみるというシステムではない。しかも1996年以降、公的扶助受給者の自立を促進する目的で予算削減を行い、低所得者の増加がみられるようになった。

日本におけるワーキングプア

日本では、1990年代以降のグローバリゼーションの流れに対応して、政府・企業の主導のもと、労働市場の規制緩和・自由化がすすめられた。派遣労働の段階的解禁はその表れだが、その他パート契約社員も含め非正規雇用の全労働者に占める割合は、90年代後半以降一貫して増え続けている。これら非正規雇用は企業にとっては社会保障負担の軽減や、雇用の調整弁や単純業務のための安価な労働力としての活用という点で、人件費を大幅に削減することを可能にする。

したがって、労働者から見ると多様な就業形態を可能にするが、雇用の継続は1ヶ月~最長でも1年程度の短期しかない不安定な状態で、キャリアアップの機会に乏しいうえ、雇用保険社会保険といった社会保障も正社員に比較して不十分であることが少なくなかった。

さらに、ほとんどの企業が賃金の支払い日を(労働基準法第24条第2項の規定により)「月1回払いのみ」としており、なおかつ「締め日~支払日までの日数が非常に長い[3]」ため、「既往の労働に対する賃金」が速やかに受け取る[4]ことができず、所得と貯蓄の低下に拍車をかけている(賃金を速やかに受け取れないことは、労働者の就労意欲(モチベーション)の低下にもなりえる)。

他方、1990年代の日本経済は長期停滞にあえぎ、リストラなどで職を失う労働者が続出した上、「就職氷河期」と呼ばれる世代は就職活動において正規雇用として職を得ることが困難となり、非正規の不安定な形で職に就くことが少なくなかった。日本の雇用慣行では新卒として正社員の職を得られなかった場合、その後に安定した職業に就くチャンスが少ないため、氷河期世代にはその後も長らく非正規雇用として働き続けている者も多い。

こうして、労働市場の流動化と経済の長期停滞といった要因が複合的に絡み合い、ワーキングプアに代表される低賃金労働者が増えていったと考えられる。

このような流れは少しずつ進行したが、大きく注目されたきっかけはNHKによるドキュメンタリー番組(NHKスペシャル『ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない』〈2006年7月23日〉)の放送である。

規模

ワーキングプアにあたる所得の世帯数は2007年現在、日本全国で約675万世帯ほどと推定され、2006年以降は社会問題として採り上げられるようになった。推計根拠は総務省の就業構造基本調査。これに基づいて試算すると、ワーキングプアの規模は次のとおりといわれている[5]

労働者単位で見ると年収200万円以下の労働者が2006年には1023万人、労働者全体の22.8%を占め、1985年以来21年ぶりに1000万人を突破した。2009年現在は1100万人、労働者全体の24.5%を占めている[6]

人件費削減

ワーキングプアが大量に発生した要因として、企業の人件費削減の流れが指摘されている。

企業は

  • 安価な労働力確保を目的とした国外への進出
  • 賃金の高い正社員の新規採用の削減
  • 人件費が安価で売上等状況に応じて雇用調整を行いやすいアルバイトやパート、契約社員、派遣社員といった非正社員を増やす[7]

などにより、総人件費の抑制を図った。企業が労働者に支払った給与の総額は1999年には217兆円であったが、2009年には192兆円にまで減少している[8]。なお非正社員への置き換えについては、製造現場への派遣行為を禁じていた「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法)旧規程が2006年に緩和されたことによる、大企業の製造現場における偽装請負といった法令違反も発覚した。

賃金水準の抑制
労働者の賃金水準は、低下傾向にある。1999年には労働者の平均年収は461万円であったが、2009年には406万円に減少している[9]
賃金の高い正社員の新規採用を減らす
新規採用の減少については、リクルートワークス研究所の公表資料を参照。
正社員の採用については新卒が主流なため、新卒で就職できなかったりあるいはいったん正社員となっても自発的な離職、倒産やリストラなどの非自発的離職で職を失うと、「特別な技能や国家資格などがある」か、「即戦力となれるだけの経験・技量がある」(と求人先に認められた)場合を除き、定職に就くのは厳しく、特にホワイトカラーでの就職はほぼ不可能であり、ブルーカラー全般の職種しか残されていない。また派遣・アルバイト等の経験がどれだけあっても責任ある仕事を任されないためキャリアとして認めない傾向が強く、正社員への道は極めて狭い[10]
非正社員を増やす
2000年には労働者の74.0%が正規雇用であったが、2010年には65.6%にまで減少している[11]。非正社員の増加は、企業収益に関わらず、コスト削減等の競争力を維持したい企業は非正社員でまかなえる業務は非正社員でまかなおうとする傾向があるため、構造的なものと言える。例えば、コンビニエンスストアにみられるように企業間のサービス競争の中で24時間体制(の深夜労働または年中無休)での労働になり、なおかつ最低賃金(+深夜の割増賃金)でしか雇用しないなど過酷な勤務も増えた。
グローバル化により低賃金の中国人労働者などが競争相手となるため(累計経費を抑えられる国外発注にされる)、下請企業が受け取る代金は低下圧力を受けた。特に零細企業でその傾向が激しい[12]アメリカではプログラマーなどの専門職ホワイトカラーですら人件費の安い中国、インドなどに仕事を奪われ、ワーキングプアに陥るケースが続出した。そのため、景気が回復しても安価な中国人労働者との競争の問題が克服されない限り非正社員が減るとは限らない。

政府の見解

2007年10月4日の第168回通常国会本会議で、当時の内閣総理大臣福田康夫

「いわゆるワーキングプアについては、その範囲、定義に関してさまざまな議論があり、現在のところ、我が国では確立した概念はないものと承知している。これまでに、いわゆるワーキングプアと指摘された方々は、フリーター等の非正規雇用、母子世帯、生活保護世帯等であって、このような方々の状況については、既存の統計等によってその把握に努めるとともに、働く人全体の所得や生活水準を引き上げつつ、格差の固定化を防ぐために成長力底上げ戦略に取り組むなど、対応を図っているところである」

と答えた[13]

厚生労働省の勤労者生活課長は、2007年7月31日の「平成19年度第3回目安に関する小委員会議事録」において、

「ワーキングプアということ自体の確立した定義がないので、どこがワーキングプアとは統計的にはなかなか言えない」

と述べている[14]

OECDの対日勧告

経済協力開発機構(OECD)は、日本の労働市場における正規雇用と非正規雇用の二重構造を問題点として挙げている。日本では、企業が労働コストの節約をするために社会保険料の企業負担が少ない非正規労働者を多く雇用しており、非正規雇用者比率は1990年の20%から2008年の38%に上昇した。正規雇用者に比べて非正規雇用者の賃金は低いため、非正規雇用者の増加は平均賃金と民間消費を低下させている。企業の非正規雇用者に対する訓練の投資は少ないため、長期的な生産性にも悪影響を与えている。経済協力開発機構(OECD)は日本に対して以下の包括的な方法により労働市場を改善していくことを求めている[15]

  • 社会保障制度の非正規雇用に対する適用範囲の拡大
  • 正規労働者の雇用保護を引き下げる
  • 非正規雇用者の就業機会を増やすよう職業訓練をする
  • 女性によるフルタイム就業を阻害する制度の廃止
  • 育児支援施設の量的、質的改善

2009年の雇用見通しのなかで、日本では現在の景気低迷以前から、ワーキングプア(働く貧困層)が、貧困層の80%以上を占めていたと指摘した。OECD加盟国の平均は63%であり、これを大きく上回っている。また、日本では職に就いている人が最低1人以上いる家計に属する人の11%が貧困だと指摘した。これはOECD加盟国のなかでトルコメキシコポーランド、アメリカに次いで5番目の高さとなっている。そして、日本の税と所得再分配制度は、「労働者の貧困緩和にはほとんど効果をあげていない」と述べている[16]。これは所得移転が、ほぼ高齢者へ割り当てられ、低所得の若年層への補償がないことを意味している。

所得階層別の推移

所得階層の推移を見ると1999年以降、年間所得が400万円以下および2000万円以上の階層の給与所得者が増加する一方で中間階層では給与所得者が減少している。

所得階層別給与所得者数の推移
(単位:千人)
区分 1999年 2009年 推移
〜100万円 2,961 3,989 1,028
100〜200万円 5,076 7,010 1,934
200〜300万円 6,875 7,899 1,024
300〜400万円 8,046 8,149 103
400〜500万円 6,600 6,163 -437
500〜600万円 4,788 4,074 -714
600〜700万円 3,210 2,464 -746
700〜800万円 2,284 1,695 -589
800〜900万円 1,584 1,148 -436
900〜1,000万円 1,070 710 -360
1,000〜1,500万円 1,894 1,303 -591
1,500〜2,000万円 431 268 -163
2,000万円〜 164 186 22
合計 44,984 45,056 72

資料出所:民間給与実態統計調査(国税庁)

日本国外での事例

日本国外では一般に、ワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困状態の者」とされている。

アメリカ合衆国連邦労働省労働統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上職に就いているか、職を探すかしているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[17][18]」と定義し、1987年から調査を行っている[19]。2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると述べている[18]

韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で日本の過去最高である34%を超えている[20]

台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は増加傾向にあるという[21]。増加の要因は、派遣労働の増加にある[21]

イスラエルでも急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており[22]、また、2011年には貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニヤフ首相の新自由主義政策により格差社会であり、貧富の差が激しい国である。

途上国の例では、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている[23]

各国のワーキングプア解決への取り組み

ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされている。

韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい規制を課している。しかし、現実には「非正社員が2年勤務の法実施の直前までの期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となっており、企業側にとって有利な抜け道と不備があるざる法で、実質的にはあまり効果が出ていない[20]

アメリカでは州立大学に企業の講師を招き、最先端バイオテクノロジーに関する授業を格安で低所得者に学ばせ、地域の安定した労働者に育て上げる取り組みがなされている。

イギリスでは若者に職業訓練を受けさせ、その期間中は生活費を支払い就職できるまで見守る取り組みが国を挙げてなされている。

日本ではワーキングプアに陥りやすい母子家庭の自立支援策として高等技能訓練促進費(養成期間の後半三分の一に一定額の給付を行う)という資格補助制度が導入されている。しかし実態に即していないなどの批判があり、予算の執行割合も低い[24]

ドキュメンタリー

  • NHKスペシャル
    • 「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない 」(2006年7月23日)
    • 「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」(2006年12月10日)
      • 上記2本が連続で2007年12月10日(本放送からちょうど1年経過)に再放送された。
    • 「ワーキングプアIII 解決への道」(2007年12月16日)
    • 「セーフティネット・クライシス 日本の社会保障が危ない」(2008年5月11日)
    • 「セーフティネット・クライシスII 非正規労働者を守れるか」(2008年12月15日)
  • モーガン・スパーロックの30デイズ 第1話:最低賃金で30日間(WOWOW 2006年3月19日)
  • 地球特派員2006「アメリカ 格差社会の底辺で〜ワーキングプアの現実〜」(2006年11月19日 NHK BShi、12月3日 NHK BS1
  • BS世界のドキュメンタリー「貧困へのスパイラル」▽アメリカ格差社会の実態 前後編(NHKBS1、2005年11月5日 アメリカ、パブリックポリシープロダクションズ/en:WGBH制作)
このドキュメンタリーは3年以上にわたり、4つの家族に密着して取材している。

文献

関連項目

脚注

  1. ^ 「改正最低賃金法が成立 ワーキングプア解消狙う」 朝日新聞(2007年11月28日)
  2. ^ 「フルキャスト再び事業停止――厚労省方針 処分中に派遣」朝日新聞(2008年9月29日付夕刊、第3版、第14面)
  3. ^ 賃金の「締め日」および「支払い日までの日数」は企業によって大きく異なり、早ければ「毎月月末締め・翌月10日払い」の場合もあるが、長くなると「毎月月末締め・翌月末払い」の場合もあり、就労できたとしても当日から2ヶ月間は実質無収入となる場合もある。
  4. ^ 労働基準法第25条(非常時払)で「使用者は、労働者が出産、疾病、災害その他厚生労働省令で定める非常の場合の費用に充てるために請求する場合においては、支払期日前であつても、既往の労働に対する賃金を支払わなければならない。」と規定されているが、「既往の労働に対する賃金」を生活費(家賃、食費、水道光熱費などの固定費)として充てるため前払いするよう請求しても、ほとんど認められない(生活費については「非常の場合の費用」として想定されていない)。
  5. ^ 後藤道夫「貧困急増の実態とその背景」貧困研究会編『貧困研究vol.1』P120〜121
  6. ^ 国税庁『民間給与実態統計調査』
  7. ^ 非正社員の増加、賃金の低さは読売新聞の特集「【連載】ワーキングプア」(2006年)で取り上げられている。
  8. ^ 国税庁『民間給与実態統計調査』
  9. ^ 国税庁『民間給与実態統計調査』
  10. ^ 渋谷のヤング・ハローワークの話として「即戦力を求めがちな企業側はアルバイト経験しかない人材を好まない傾向」があり指導官が「未経験者でも育ててゆく姿勢でもう少し門を広げてほしい」と述べているが、これは法的な強制力を有するものではない(朝日新聞・週末特集be-b〈青色〉 2006年11月4日)。同趣旨の記事は、多く報道されている。単行本では橘木俊詔『格差社会 何が問題なのか』(2006年、岩波新書)や中野麻美『労働ダンピング』(2006年、岩波新書)などを参照されたい。
  11. ^ 総務省『労働力調査』
  12. ^ 『NHKスペシャル』「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」(2006年12月10日放映)
  13. ^ 第168回国会本会議第5号(衆議院会議録情報)
  14. ^ 平成19年度第3回目安に関する小委員会議事録(厚生労働省、2007年7月31日)
  15. ^ OECD編『OECD対日経済審査報告書 : 日本の経済政策に対する評価と勧告. 2009年版』明石書店、2010年2月23日、pp.38-42頁。ISBN 978-4-7503-3143-0 
  16. ^ OECD雇用アウトルック2009
  17. ^ A Profile of the Working Poor, 2000 (U.S. Department of Labor, Bureau of Labor Statistics, March 2002)
  18. ^ a b 井樋三枝子. “アメリカの貧困対策の現状、外国の立法、No.235、pp.186-196、2008年3月”. 2009年4月26日閲覧。
  19. ^ A profile of the working poor(MONTHLY LABOR REVIEW ONLINE, October 1989, Vol. 112, No. 10)
  20. ^ a b 『NHKスペシャル』「ワーキングプアIII 解決への道」(2007年12月15日放映)
  21. ^ a b 「貧困層が22万人を越える、ワーキングプア増加が主因―台湾」 Record China 2008年2月26日
  22. ^ Report: Standard of living rises, poor remain impoverishedイェディオト・アハロノト電子版 2008年2月14日
  23. ^ Nomaan Majid. “The size of the working poor population in developing countries, EMPLOYMENT PAPER, 2001/16”. 2009年4月26日閲覧。
  24. ^ 「母子家庭「使えぬ」就業支援」 (朝日新聞 2007年10月22日)

外部リンク