湯浅誠

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ゆあさ まこと
湯浅 誠
生誕 1969年 (42–43歳)
日本の旗 日本 東京都
出身校 東京大学
職業 活動家
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湯浅 誠(ゆあさ まこと、1969年 - )は、日本の社会運動家である。自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長、内閣府参与(緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長、内閣官房震災ボランティア連携室長)。

2008年平成20年)末に東京・日比谷公園で行われたイベント、『年越し派遣村』の”村長”としても知られる。

目次

[編集] 人物

東京都小平市出身。武蔵高等学校を経て、東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。

2008年平成20年)には『年越し派遣村』の「村長」として、さらに民主党が政権を得た後の2010年平成22年)には内閣参与に就任してマスメディアに取り上げられ、広く知られるようになった。一方、湯浅本人や諸活動に対する評価は別れ、湯浅らは激しいバッシングを受けているとしている[1]

[編集] 生い立ち

1969年昭和44年)、新聞社勤務の父と小学校教諭の母の間に生まれる[2]武蔵高等学校を卒業し、一浪後の1989年(平成元年)、東京大学教養学部文科I類入学した。

児童養護施設のボランティアや映画鑑賞にのめりこんで授業にはあまり出席していなかったが、5回生の夏に一念発起し学者を志して勉学に集中、一時的にボランティア活動から離れた。1995年平成7年)に東京大学法学部を卒業すると、いったんは他大学の大学院に籍を置いた。

[編集] 大学院時代

1996年平成8年)、東京大学大学院の法学政治学研究科に入学、日本思想史の研究を行った。

大学院在学中の2000年平成12年)、炊き出しの米を集める「フードバンク」を設立。翌2002年平成14年)には、ホームレスを支援する「自立生活サポートセンター・もやい」設立した。

この間湯浅は社会活動と大学院での研究を並行して行っていたが、父の死などをきっかけに、2003年平成15年)に単位取得退学には社会活動に専念するようになった。「もやい」事務局長職は無給であり、大学院を辞めてからは毎月数万円で生活していたが、『貧困襲来』発表後、講演会などの収入で多少は持ち直したという[3]

[編集] 大学院退学後から年越し派遣村まで

2003年平成15年)、便利屋「アジア・ワーカーズ・ネットワーク」設立。

2007年平成19年)、「反貧困ネットワーク」結成を呼びかける。時の特命担当大臣竹中平蔵の発言「日本に絶対的な意味での貧困は存在しない」に反論する論文を雑誌「賃金と社会保障」に掲載したことがきっかけで編集者に声をかけられ、同年7月山吹書店から『貧困襲来』を著す。

2008年平成20年)10月、当時の首相・麻生太郎が、「30万円のスーツを着用している」、「趣味の射撃で大卒初任給の2倍の弾を使う」ことなどを理由に、東京都渋谷区にある麻生の自宅を見学するとして、ツアーと称した無許可デモを主催したが[4][5]、これは三人の逮捕者を出す事件となった 。

同年12月、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』により平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、大佛次郎論壇賞受賞。同月31日には、社会問題化したいわゆる「派遣切り」への緊急対策として、他のNPOと協力の上で日比谷公園に「年越し派遣村」を開設。“村長”として運営を取り仕切った。

[編集] 民主党政権下での活動

2009年平成21年)10月、副総理兼国家戦略担当大臣(当時)菅直人に要請され、10月26日内閣府参与・緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長に就任[6][7]

翌年2月には、内閣府参与を辞任したことが報じられたが[8]、実際にはこの時点では辞表は提出していたものの受理されておらず、慰留中という状態であった[9]。同年3月、辞表が受理されたことから、3月5日内閣府参与を正式に辞任[10]。しかしながら湯浅は直後の同年5月10日、内閣府参与として再任されている[11]

湯浅は同年10月28日、京都市がホームレスが回収前の資源ごみから空き缶を持ち去って転売する行為を禁止する条例を可決すると、「野宿者が生活の糧とする空き缶回収の禁止は時代に逆行する動き。住民と野宿者の双方が納得できる形をつくることが行政の仕事」と条例の撤回を求めた[12]

2011年平成23年)3月16日、東北地方太平洋沖地震を受けて、被災地で活動するボランティアと連携し情報提供などを行う内閣官房震災ボランティア連携室長に就任[13]

[編集] 思想 - 理念と主張 -

[編集] 「五重の排除」

湯浅は自身の活動経験から、「元首相小泉純一郎による『聖域なき構造改革』以降の日本社会で顕在化した貧困において、個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスには5つの排除構造が存在する」と主張している[14]

教育課程からの排除
親世代が貧困状態である場合、その子供たちは多くの場合中卒あるいは高校中退で社会に出なければならず、社会的階層上昇(貧困脱出)のための技術や知識・学歴を獲得することが極めて難しい。この背景には、日本がOECD加盟諸国の中でも、学校教育費への公的支出のGDP比が下から2番目という、教育関係への公的支出が極端に少ない国であるという問題がある[15]
企業福祉からの排除
非正規雇用の人々は、正規雇用の人々に与えられている雇用保険社会保険、企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されており、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。
家族福祉からの排除
低負担・低福祉である日本社会では、親族間の相互扶助が社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしているが、貧困状態に陥る人々はもともと頼れる家族・親族がいない(たとえば家族・親族もワーキングプアであるなど)ことが多い。
公的福祉からの排除
「ヤミの北九州方式(水際作戦)」に代表されるように、現在の日本では生活保護担当の公務員は、申請者をあれこれ理由を付けて追い返し、門前払いにすることばかりに力を入れており、いよいよ追い詰められた状況でも生活保護受給にたどりつけない者が非常に多い。湯浅は現在、生活保護受給資格があるにもかかわらず「水際作戦」などによって生活保護から排除されている人々(漏給と呼ばれる)を600万人から850万人と見積もっている[16]生活保護問題#水際作戦も参照)。
自分自身からの排除
上に述べた4つの社会的排除に直面した結果、自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう状態を言う。

[編集] 「自己責任の過剰」

湯浅は日本社会に特徴的な病理として「自己責任」論を厳しく批判する。湯浅によると、日本社会に蔓延する自己責任論は、自他の持つ社会資本の格差(親の所得格差、人脈の有無など本人の努力以外の部分で社会における有利不利を決定づけるもの)を見落としているという。またこうした自己責任論はいわゆる「負け組」の人々においても内面化されてしまっており、所持金が底を突きどうにもならなくなるまで「自己責任」で頑張り過ぎる者が非常に多いと湯浅は指摘している。「負け組」におけるこのような自己責任論の内面化の弊害として、より早い段階で各種の支援事業にアクセスすれば防げる事態の悪化(自己破産や一家離散、自殺無理心中など)を湯浅は挙げている[17]

[編集] 「貧困ビジネス」論

湯浅が代表を務める「自立生活サポートセンター・もやい」に対する大手スポンサーが、貧困層を客層とするリプラスであった時期があり、湯浅の貧困ビジネス批判についての評価は分かれている。

[編集] 著作

[編集] 書籍

自著
共著

[編集] 論文・記事

[編集] 参考資料

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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