コルセット

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コルセットをした女性

コルセット: corset)は、女性用ファウンデーションの一種で、近代から現代にかけて、欧州大陸で一般に使用された。胸部下部よりウェストにかけてのラインを補正する役割を持ち、ヒップの豊かさの強調と対比的に、胴の部分を細く見せた。イギリスでは、コルセットとほぼ同じ目的の補正下着としてステイズ: stays)があった。重層的な構造を持っていたので、ヨーロッパ北部では保温目的でも着用された。20世紀半ば以降は、ファウンデーションの素材の進化とファッションの方向性の変化で、コルセットは廃れ、今日では、医療用や趣味を目的として使用される。

コルセットの着用

右はコルセットを着用する女性と、それを手伝う女性の図である。 コルセットの形状を維持するためのボーンは鯨髭、ないしは鉄鋼製であった。通常、背後にはハトメに紐を通したレース部分があり、ウエスト部分から取り出された紐を締め付ける事によってウェストをぎゅっと細くする。このような下着では着用に多少時間がかかるが、一人で着用する事も十分に可能である。しかし、右の図のように装着時に手伝いの手があるとよりよく、より早く着付けることができる。 後年、女性の社会進出と共にコルセットが廃れていったのは、コルセットの装着に時間や手間がかかるのもその一因となっている。

コルセットの衰退

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの肖像

コルセットは動きにくい上に、装着に時間も手間もかかる。コルセットは歴史的に衰退して行くことになる。

先ずこの先駆けとなったのが19世紀フランス革命期のフランスで、この頃のフランス国内の女性の間では一般にコルセットを外したファッションが流行した。右はナポレオン・ボナパルトの妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの肖像であるが、コルセットをしていない事がわかる。

一方で国外に亡命したフランス人貴族の夫人や子女はコルセットをしたままであったし、フランス以外ではコルセットを外す事は一般的ではなかった。ただしフランス軍が占領した地域(例えばミラノなど)ではフランス流のコルセットを外したファッションが流行したと言う記録も残る。

最終的に1815年にナポレオンが失脚し、ブルボン家による王政復古がなると、再び女性達はコルセットを身に付け始めた。これは女性の服装面でも復古主義が進行したことを示している。

コルセットはこの後の時代になると、周期的な流行の波が起こり、19世紀を通じて上流・中流の女性たちのあいだで様々なヴァリエーションのものがはやる一方、流行が低調となる時期が起こった。この波は、19世紀から20世紀初頭にかけて、変化の周期がますます加速して行き、ファッションとして十年単位というより数年単位で流行が推移した。

実用的な補正下着としてのコルセットは20世紀半ば頃まで使用され続けるが、下着生地の素材が進化すると共に多様化し、コルセットとは別種の体型補正下着が素材レベルからデザインされ、これらがコルセットに取って代わって行った。

20世紀の半ば以降になると女性の社会進出が著しくなり、屋外での活動に適した実用的な形状のスカートが登場した。19世紀になお存在した重厚なペティコート、あるいはペティコート型スカートは廃れて行き、ヴィクトリア朝時代に盛んであった装飾過剰で裾の長いドレスも、20世紀の初期から半ばへとかけて、より活動的なファッションへと変化して行ったのである。

これと共に、着脱が容易な補正下着がコルセットの位置を奪っていったのであり、また時代における女性に期待される「美しい身体のライン」の理想の変化もコルセットの衰退をもたらす原因となった。

現代のコルセット

現在でもコルセットは少数ながら生産、販売、使用されている。例えば、英国ポーツマス市にあるコルセットメーカー ヴォラーズ (: Vollers Corset Company) では年間、約2万着のコルセットが生産されている。 日本においては、近年ゴシックロリータで用いられることもあるが、一般的な服飾とはいい難いのが現状である。

関連事項

参考書籍

  • 古賀令子 『コルセットの文化史』 青弓社 2004年 ISBN 4787232312
  • 小倉孝誠 『〈女らしさ〉の文化史』 中央公論新社 2006年 ISBN 4-12-204725-0

外部リンク