ショース

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左脚が紅白の色違いになっているショース。(フランチェスコ・デル・コッサ、1470年)
矢を受ける聖セバスチアンを描いたこの絵では、赤いショースを白いブレー(下着)に留めている様子がよくわかる。『カトリーヌ・ド・クレーヴの時祷書』(1440年)より。

ショース: chausses)は中世西欧の主に男子が用いた脚衣。ホーズ: hose)とも呼ぶ。

歴史[編集]

ショースの素材や構成が判明しているのは中世初期以降になるが、それ以前の古くからショースは使われていたと考えられる[1]。中世初期の時点では、ショースはつま先から膝下程度まで丈がある、ゆるやかな靴下状だった[2]。素材は主に麻製で、白・赤・黄などの色が見られる[1]。当時の男子は中心的脚衣だったブレーの上にショースを穿き、その上端を紐の靴下留めで支え、靴を履いた[1][2]。この形式は10世紀頃まで続いた[1][2]

11世紀から12世紀になると、技術の進歩と共にショースはつま先まで入念に仕立てられ脚全体にフィットするようになり、また長さを増してブレーを覆い、そのベルトに紐で結び留めるようになった[1][2]。素材は麻や絹が使われ、色無地・縞物・縁取などデザイン性を増した[1]。特に僧侶のショースは紋織・錦織など高価なものだった[1]。13世紀のショースは既に一見、現代のタイツ状に見える[3]

軍服の影響で短い上衣が流行すると[2]、ショースの丈は14世紀半ばにもも上まで、後半には腰まで届くほど上がった[1][2]。その結果、ショースが靴下兼ズボンとして男子服の中心的下体衣に昇格し、逆にブレーが単なる腰周りの肌着となった[1][2]。ショースは体型を誇示するため極めてぴったりした形に縫製され[1]、上端についた金具つきの紐をプールポワンの裾の小穴に通して支えるようになった[1][2]。素材は麻・絹・毛織物が使われ、無地物・幾何学模様など色調は様々だった[1]。紋章の発展の影響で左右色違いのショースも現われ、これは16世紀以降も従僕などのお仕着せや、俳優・芸人などの衣装で見られる[4]。また靴を履かずに済むよう、皮底をつけたショーサンブル (chaussembles) という特殊なショースもしばしば見られた[1][4]

15世紀にはそれまで2本の靴下状だったショースは丈が腰上まで上がり、股上の部分は前後とも襠布(まちぬの)で結合され、現代のタイツ状になった[1][2]。素材には麻・木綿・絹・毛織物が使われ、白・黒・赤・茶など様々な色と共に、裏布つきや左右別布などのデザインが流行した[1]。またこの時期、伸縮性に富んだメリヤス織が出現し、ショースに好適な材料として普及した[1]

16世紀になるとショースはオー・ド・ショース(短ズボン)とバ・ド・ショース(靴下)の上下に分離するようになった[1][4]。後者はニット製が一般であり、時代が下り現代のストッキングとなった[4][5]

女性用のショースは男性用に比べ時代の変化に乏しく、靴下としてスカートに覆われ、丈は膝下もしくは膝をおおう程度であり、上端は紐の靴下留めでとめていた[1]

語源[編集]

仏語の chausse はラテン語で「靴」を意味する calceus に由来する[2]

英語の hose は古代英語の hosa に由来し、これは「脚をおおうもの」を意味するゲルマン語と関連を持つ[2]。衣服名としては中世以降に現われ、これはノルマン語のショースに対応するサクソン語だったため、意味上で英仏の違いは無かった[2]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 服装文化協会 (2006) 上 p.462
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 石山 (1982) p.734
  3. ^ 丹野 (1980) p.216
  4. ^ a b c d 丹野 (1980) p.113
  5. ^ 石山 (1982) p.735

参考文献[編集]