NHK東京放送会館

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日比谷国際ビルヂング
Tokyo hoso kaikan.jpeg
情報
旧名称 東京放送会館
用途 事務所
旧用途 放送局
設計者 本館:山下寿郎建築事務所(現・山下設計
施工 本館:竹中工務店
建築主 日本放送協会
事業主体 三菱地所
構造形式 本館:鉄骨鉄筋コンクリート構造
敷地面積 本館:3,934.44平方メートル m²
建築面積 本館:3,003.41平方メートル m²
延床面積 本館:16,714.88平方メートル m²
階数 本館:地下1階、地上6階、塔屋3階付(竣工時)
高さ 本館:地盤面より扶壁上端まで27.75メートル、地盤面より塔屋扶壁まで37.57メートル、地盤面よりアンテナ塔頂まで49.20メートル
エレベーター数 本館:客専用3台、人貨兼用1台、厨房用リフト1台
着工 本館:1935年昭和10年)10月20日
竣工 本館:1938年(昭和13年)12月20日
改築 1978年(昭和53年)11月解体
所在地 100(現在は100-0011)
東京都千代田区内幸町2丁目2番3号
座標 北緯35度40分12.3秒 東経139度45分18.61秒 / 北緯35.670083度 東経139.7551694度 / 35.670083; 139.7551694
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NHK東京放送会館(エヌエイチケイとうきょうほうそうかいかん)は、日本放送協会(NHK)が1938年昭和13年)から1973年昭和48年)まで本部として使用していた施設である。所在地は、東京都千代田区内幸町であった。

概要[編集]

日本初のラジオ放送局として、1925年(大正14年)3月22日に当時の社団法人東京放送局が仮放送を開始した場所は、東京府東京市芝区(現・東京都港区)の東京高等工芸学校内(仮局舎)であった。同年7月、同区愛宕山に本局舎(現在はNHK放送博物館)が完成、移転し本放送を開始した。

その後、社団法人であった大阪・名古屋の両放送局と合同し、1926年(大正15年)8月20日に社団法人としての日本放送協会となると、全国にネットワークを展開した。これにより、愛宕山局舎は手狭となった。加えて、1940年(昭和15年、皇紀2600年)に開催を予定していた東京オリンピックに合わせ、テレビジョン放送を開始する計画を立てることとなり、そのために本格的な施設が必要となったため、当時の東京市麹町区日比谷内幸町に大規模な局舎の建設が計画された。

局舎の設計は指名設計競技方式により行われることになり、1933年(昭和8年)初に西村好時堀越三郎渡辺仁横河時介高橋貞太郎山下寿郎福田重義石本喜久治長谷部鋭吉渡辺節村野藤吾安井武雄の12名を指名し、各人より2種以内の図案提出を求め、1934年(昭和9年)1月の締め切り期日までに、1人1種及び2種合計19種の図案提出があり、審査員は専門家側、中條精一郎大熊喜邦和田信夫佐藤功一岸田日出刀の5名、協会側、小森本部常務理事、中山関東支部常務理事にして、審議の結果、同年3月7日に山下寿郎建築事務所案の当選が決定した。そうして1935年(昭和10年)10月20日に起工され、1938年(昭和13年)12月20日に竣工し、同年運用を開始した。建設は竹中工務店が担当。

オリンピックは結局第二次世界大戦により返上を余儀なくされ、日本敗戦後は連合国軍最高司令官総司令部が一部を接収民間情報教育局が入り放送の検閲や指導を行ったほか、現在のAFNの母体となる駐留軍向け放送(コールサイン:WVTR)が行われていた。

1953年(昭和28年)2月1日地上アナログテレビ放送が開始されたのもこの建物からであった。1955年昭和30年)に増築が行われ、NHKホール(初代)も併設された。

所在地は内幸町であったが、都電田村町一丁目停留所からも近く、当時は「田村町」と呼ばれることも多かった。

東京オリンピックは戦後、1964年(昭和39年)に実現することとなり、それを機に現在のNHK放送センター(渋谷区神南)が五輪放送センターとして建設・運用されることとなった。この建設地は、日本の敗戦後にアメリカ軍の兵舎・住宅施設「ワシントンハイツ」の一部だったものであり、これが1964年に日本に全面返還されたものである。

その後、内幸町の敷地10,550平方メートル及び本館・新館・第2新館の3建物は、1972年(昭和47年)12月8日に行われた公開入札によって三菱地所が354億6,312万700円で落札し[1]、その益金の一部で放送文化基金が設立された。そして、1973年7月31日の放送終了を以って35年にわたる運用を終えた。三菱地所所有となった建物は「日比谷国際ビルヂング」と改称され、貸事務所として暫定的に利用するため、スタジオを貸室に改造するなどの改修が行われ、1974年(昭和49年)3月よりオフィスビルとして運用される運びとなった[1]。その後、道路を挟んであった港区の物産館との一体再開発が図られるも、結局各社別々でされることとなり、当建物は三菱地所による再開発のため1978年(昭和53年)に取り壊され、跡地には日比谷シティが1981年(昭和56年)に竣工した[1]。同地の日比谷通り沿いには小さな放送記念碑が建てられており、「日本放送協会は1938年から1973年までこの地にあった」と書かれている。余談だが、日比谷国際ビルのモニターには、内幸町のNHK放送会館が建てられた名残で、受信料にかかわらず、NHKのテレビが受信されたこともある。

沿革[編集]

  • 1935年昭和10年)10月20日 - 本館着工。
  • 1938年(昭和13年)12月20日 - 本館竣工、運用開始。
  • 1945年(昭和20年) - アメリカ軍が一部を接収する。
  • 1950年(昭和25年) - 放送法施行に伴い社団法人日本放送協会は解散。特殊法人としての日本放送協会が発足。一切の権利義務を継承。
  • 1952年(昭和27年) - 接収全面解除。
  • 1955年(昭和30年) - 増築。同時にNHKホールも開設する。
  • 1964年(昭和39年) - 渋谷区神南のワシントンハイツ跡地に現在のNHK放送センターが運用開始。演奏所機能も移転。
  • 1972年(昭和47年)12月8日 - 公開入札により三菱地所が354億6,312万700円で落札。
  • 1973年(昭和48年)7月31日 - 放送局および本部、全国放送・受信料拠点としての運用終了。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 放送局建物は三菱地所の貸事務所「日比谷国際ビルヂング」として運用開始。
  • 1978年(昭和53年)11月 - 三菱地所は取り壊し工事に着手。
  • 1981年(昭和56年)11月10日 - 跡地の一部に日比谷シティがオープン。

スタジオ[編集]

本館
  • 第1スタジオ(R-301) … 3階、373㎡、大人数の観客を入れての公開放送など。宮城事件では宿直約60名が第1スタジオに軟禁された。
  • 第2スタジオ(R-302) … 3階、111.5㎡
  • 第3スタジオ(R-103) … 1階、72.5㎡
  • 第4スタジオ(R-104) … 1階、95.6㎡
  • 第5スタジオ(R-105) … 1階、64.7㎡
  • 第6スタジオ(R-106) … 1階、64㎡
  • 第7スタジオ(R-107) … 1階
  • 第8スタジオ(R-208) … 2階、57.5㎡、講義放送用、玉音放送を放送
  • 第9スタジオ(R-209) … 2階、36.3㎡、特別講演放送用、国際放送
  • 第10スタジオ(R-210) … 2階、23.7㎡、普通講演放送用
  • 第11スタジオ(R-211) … 2階、20.9㎡、普通講演放送用、FM実験放送
  • 第12スタジオ(R-212) … 2階、13.8㎡、市況放送用
  • 第13スタジオ(R-213) … 2階、12㎡、ニュース放送用
  • 第14スタジオ(R-214) … 2階
  • 第15スタジオ(R-215) … 2階
  • 第16スタジオ(R-216) … 2階
  • 第17スタジオ(R-217) … 2階
新館
別館
  • テレビ第7スタジオ(T-7) … 279.5㎡、1953年、バス通り裏
  • テレビ第8スタジオ(T-8) … 123.5㎡、1954年、婦人百科
  • テレビ第9スタジオ(T-9) … 70.8㎡、1955年、
霞ヶ関分館
銀座スタジオ
日比谷会館
  • ※これら以外にも外部にスタジオを借りていた。
  • ※1961年7月1日にスタジオの名称を改称した(例:テレビ第1スタジオ→T-101スタジオ、など)。
  • ※面積は本館のみ内法寸法、それ以外は壁芯寸法。

跡地の現状[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]