三貴

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株式会社 三貴
MIKI Corporation
三貴旧本社(台東区)
本社所在地 日本の旗 日本
101-0065
東京都千代田区西神田2-7-4 島崎ビル
設立 1965年昭和40年)4月
業種 その他製品
法人番号 7010001091782 ウィキデータを編集
事業内容 宝石販売
代表者 代表取締役社長 平岡裕章
資本金 9,000万円
売上高 約35億円(2014年8月期)
従業員数 60名(2014年8月現在)[1]
関係する人物 木村和巨(創業者)
外部リンク 三貴
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株式会社 三貴(みき)は、日本のファッション企業。宝石輸入・加工・販売会社。宝石販売店「ジュエリーマキ」や「じゅわいよ・くちゅーるマキ」などを運営していた。当時の主力製品は「カメリアダイヤモンド」である[2]

かつては、宝石部門は日本最大手、アパレル部門は日本第6位の規模を持ち、日本ファッション業界における「製造小売業」(SPA)の先駆けとなった企業である。

概要

創業
早稲田大学大学院商学研究科の学生だった木村和巨1939年7月2日 - 2020年)が創業し、1965年4月に会社設立。当初は卸売事業からスタートしたが、後に小売事業の比重を増やし、高価な贅沢品であった宝石を大量加工し、安価な価格で販売。高度経済成長期という時代背景もあり、高級・高額品であった宝石をファッション商品として大衆化させて、業績を伸ばした。
全国展開
バブル期には、宝石店以外にも婦人服の小売店舗「ブティックJOY」、子供服の小売店舗「ファニィ」を全国展開。その数は1400余店に及び、中国タイに生産工場を、日本国内(埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)・千葉県香取郡多古町)に大規模な物流センターを有し、資本金41億円、従業員数12,000名、売上高1,700億円 (当時世界一)にも及んだ。積極的なTVコマーシャルを展開し、レディースファッション業界のマンモス企業として知名度を上げた。当時、世界的なダイヤモンドシンジケートであるデ・ビアスが扱うダイヤモンドのうち、30%が同社に卸されていたという。一時期、三貴のCMソングで爆発的に人気の出た歌手らを「カメリア族」と呼ぶ現象まで起きた。一方、キャッチセールスと見紛うばかりの強引な販売、企画から生産、小売りの垂直統合により安くて高品質な宝石を提供するシステム、業界団体の日本ジュエリー協会に加盟しないことなどから、従来の宝飾業界の関係者からは顰蹙を買うこともあった。それでも、1990年代初めごろは、年2回ほど100人近い仕入れ先を熱海へ招き、経営方針などを説明する機会を設けており、取引業者の中には「仕入れ先を見下すような態度を取る宝飾会社の社長も多いなかで(木村は)仕入れ先を大事にしていた」と評する者もいた[2]
メインバンクの破綻に伴う会社分割と清算(一度目の経営破綻)
急成長の翳りによる勇み足により、mikiメンバーズ会員は表示価格から9割引きという広告が公正競争阻害表示と認定され、1995年に公正取引委員会から排除命令を受けている[3]
さらに1997年以降、メインバンクの北海道拓殖銀行の破綻、上場に向けた証券幹事会社である山一證券の廃業に加え、ワンマン経営の弊害や、従業員の労務問題や裁判等[4][注釈 1]も抱えて業績が急速に悪化し、同年4月に婦人服・子供服部門から撤退した。
多店舗展開によりバブル経済崩壊後に達した借入金は1664億円(1997年当時)までに達し、金融債務の一部が整理回収機構に引き継がれていたため、東京地方裁判所主導により2002年に債務整理(営業権を新会社(株)三貴に譲渡(旧会社は(株)エムアンドアールエステートに商号変更して特別清算)し、事業の再構築を行った上で大幅に規模を縮小して営業。メインバンク破綻という不運や金融機関の協力の下でスキームが実行されたため通常とは経緯・背景が異なるが、この会社分割という手法を使って事業を新会社に移し旧会社を清算するスキームは、実質的な債務逃れを目的としたものとして利用されることがあり、多くの場合は銀行側が不良債権を抱える原因となっているため、責任の所在があいまいになったこともあってこれがその後の展開を悪化させる原因となった[2]
また、2002年より宝石の売り上げ減をカバーするため、アンチ・エイジングの健康食品やスキンケア商品の販売も始めている。ただし、2015年2月に、同社が販売していた飲料水の効能表示に科学的な根拠がないとして消費者庁から処分を受けた。
一度目の民事再生法適用申請(二度目の経営破綻)
さらにリストラを進め、本社ビル(池袋イースト)の返却、従業員の給料3割カットと自主退職の勧奨を行っていたが、2009年1月21日、東京地裁に民事再生法の適用申請を行い、負債総額約117億円を残して経営破綻した[5]。なお、破綻前年の2008年8月期には約205億円の年間売上高があった。
破綻後も営業を継続したが売上高の減少は止まらず、2009年8月期には100億円を切り約80億円に落ち込んだ。2012年8月22日に民事再生法適用期間が決着したことに伴いCMも復活させて引き続き経営再建を行っていたが、2013年8月期の売上高は約45億円程度にまで落ち込んだ。
二度目の民事再生法適用申請(三度目の経営破綻)
2014年7月30日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請する。先立つ同年5月に18店舗を閉鎖するなど、急速に業容を縮小。しかし、低迷する業績に、各金融機関が融資を停止する状態に陥り、結果、取引先への支払いにも支障をきたす事態となり、今回の措置となる。負債は約120億円[1]。なお、2014年8月期の売上高も約35億円にまで縮小したが、創業者の木村和巨社長が辞任し、新たなスポンサーのもと、社長を交代させて営業を続けている。しかし、スポンサーが何度も代わるなど、経営上の混乱がしばらく続いた。
この破綻前数年の三貴の評判は「ストアコンセプトがはっきりしていない」「顧客ターゲットが絞れていない商品構成」など厳しいものばかりであった[2]
最大級の宝石強盗被害
過去、日本で最大級の宝石強盗被害に遭ったことがある。1991年12月に銀座にオープンし、かつて同社のフラッグシップ店だった「ル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ」に2004年3月5日、外国人風の2人組の男が客を装って店内に入り、催涙スプレーをかけて30億円相当のダイヤのネックレスなど計12点・総額35億円相当を奪って逃げた事件があり、当時マスコミから注目を浴びた[6]
消費者庁からの指導
飲料水「プラチナビューティーウォーター」について、「がんの原因である活性酸素を除去する」などと記載し、実際のものよりも著しく優良であると示す新聞の折り込みチラシを2014年2月15日から4月23日にかけておよそ170万部配布。翌年2月景品表示法に違反するとして消費者庁が同社に対して措置命令を行った[7]
2015年1月に刷新した経営陣は旧体制のこととはいえ、措置命令を真摯に受け止め社内のコンプライアンス強化を宣言している。
現在
再建スポンサーであったロゼッタホールディングスは、経営から撤退し、2015年、株式会社アキ・インターナショナルが親会社になっている。

沿革

  • 1965年4月 - 株式会社三貴設立。
  • 1967年5月 - 子会社(株)大阪三貴設立<西日本地区担当>。
  • 1968年3月 - 子会社(株)マキ設立、東京青山に事務所を設け、ショールーム開設。
  • 1969年4月 - 銀座ジュエリーマキ1号店(旧イトーヨーカ堂大井店内)がオープン。
  • 1970年11月 - ブティックジョイ1号店、横須賀市にオープン。当初は、輸入民芸品や雑貨販売を主力にしていた。
  • 1971年9月 - 子会社(株)ジェイ・ハウス設立<販促・PR・店舗設計>。
  • 1973年
    • 3月 - 子会社(株)ファニイ設立<子供服小売部門>、ファニイ1号店、三島市にオープン。
    • 埼玉県大宮市に中華料理店「王花林」出店、飲食事業に出資。
  • 1976年4月 - じゅわいよ・くちゅーるマキ1号店オープン。
  • 1979年
    • (株)サミコ設立<宝石加工・商品開発>。
    • カメリアダイヤモンドチェーン発足。卸機能を生かし、約2年後には個人経営等のFC協賛店を約150店舗ほどに増やす。
  • 1981年
  • 1985年 - 三貴健康保険組合発足。
  • 1987年9月 - 子会社ミキ・インターナショナル・トレーディング(株)設立<海外生産委託品の輸入窓口>。
  • 1989年10月 - 子会社三貴システムデベロップメント(株)設立<電算機による販売情報管理>。
  • 1991年
  • 1995年 - (株)大阪三貴を吸収合併。
  • 1996年 - 子会社ミキクリエイト(株)設立<総務・人事業務のシェアードサービス>。
  • 1997年4月 - 婦人服、子供服部門から撤退。約400店を一挙に閉鎖。宝石の小売に特化する。
  • 2002年10月 - 負債900億円を抱え、東京地裁より特別清算開始が決定される。休眠会社に営業譲渡した上で会社を清算。休眠会社を(株)三貴と改称し、事業を存続。
  • 2009年1月 - 東京地方裁判所に民事再生法適用を申請し、負債総額約117億円で経営破綻[8]
  • 2012年8月 - 民事再生法適用期間が決着。
  • 2014年7月30日 - 東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、二度目の経営破綻。負債は約120億円[1]
  • 2015年1月 - ロゼッタホールディングスが買収し、第3代社長に飯田正己が就任。

その他

  • 同社はアパレル部門のストアブランドとして、「THE GAP」(ザ・ギャップ)を展開していたが、1994年にアメリカのGAPが日本に進出すると、商標を巡って係争することになった。結果、三貴側が「THE GAP」をブティックジョイに店舗名を変更することで決着した。そのため、一時は同一テナントにブティックジョイが2店も存在するという珍光景も見られた。
  • メセナの一環として、かつてタルムードの翻訳版を刊行していた。

店舗ブランド

現行店舗ブランド

過去の店舗ブランド

  • 宝石
    • ビジュ・イル・エル
    • ファン・ジュエリーエブ
    • ミス嵯峨野
    • ル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ
    • ジェムファ
    • ジュエリーマキ
    • じゅわいよ・くちゅーるマキ
    • マキアウトレット
  • 婦人服
    • ブティックJOY
    • ザ・ギャップ
    • パティファイブ
    • マリエール
    • ミラクルメニュー
    • ミス・タカオ
    • イーブルナージュ
    • しゃれっと
    • ピーリード
    • ステイニューユニッツ
  • 子供服
    • ファニイ
    • ファニイ・ベビー
    • ファニイ・シューズ & アクセサリー
  • デザイナーズ婦人服アンテナショップ
    • デニ・マズジ
    • エイドリ
    • ジェーン・バーンズ
    • アン・クライン
    • エマニュエル・カーン
    • ジャン・ポール・ゴルチェ
    • J・C・カステルバジャック
    • ニーナ・ギーbyブティックJOY

過去のPBブランド

  • 宝石
    • Chloё (クロエ)
    • Trentaine (トランタン)
    • Twenty (トゥエンティ)
    • マダムカメリア
  • 婦人服
    • ミスタカオジーニング
    • オリビエ・モンタギュー
    • ダン・ベランジェ
    • デービッド・ヒックス
  • 子供服
    • PETIT TAKAO (プチタカオ)
    • PETIT TAKAO ENFANTS (プチタカオ・アンファン)
    • bigoudi (ビグディ)
    • PETIT TAKAO JEANING (プチタカオ・ジーニング)
    • trotinette (トロチネット)
    • Chloё enfants (クロエ・アンファン)

CM

かつての三貴グループのテレビCMは、主にスポットCMとして日本全国で放送されていた。とりわけ深夜の時間帯に多く放送されていたが、テレビ東京系列局においては朝晩問わず放送されていた。放送回数の多さに加え、秋吉久美子桃井かおりなどをCMキャラクターに、中森明菜布袋寅泰などの曲をCMソングに起用するという話題性の高さから、若年層への知名度は高いものがあった。このCMで起用された数多くの曲がヒットし、一時期「カメリアダイアモンド、ブティックJOY、ファニィの三貴グループのCMソングで起用されるとブレイクする」「カメリア族」などとも言われ、新人歌手の登竜門的存在とされていた。また、CMでは商品の宣伝は行わず(1997・1998年度のエステート・ツインジュエリーは例外)、ダイアモンドを「身に着ける」価値について流していた。そのため、同社では「CM」ではなく「コマーシャルフィルム」と紹介している。

これら三貴のCMは、最後に放送地域における販売店の入居先を読み上げるのが通例で、地域ごとにナレーションを差し替えていた。

下記に示すものは「ジュエリーマキ」「じゅわいよ・くちゅーるマキ」のものであるが、「ブティックJOY」や「ファニィ」においても、放送地域ごとに主な販売店の入居先を読み上げていた。ちなみに、「ジュエリーマキ」のCMについては個別店舗名の入らない「銀座ジュエリーマキ」のみを読み上げるバージョンもあり、地域によってはそれらも並行して放送されていた。

しかし、後の三貴グループの業績悪化などを受け、テレビCMは1998年3月の放送を最後に一時放送を休止していた。特にアパレル部門のCMは、同部門の撤退が決まった1997年には既に打ち切られていた。

その後、「ジュエリーマキ」は2003年頃よりCMキャラクターに桃井かおりを迎え、専門チャンネルなどから徐々に放送を再開していった。そして、2005年からは浜崎あゆみの曲などを起用するようになり、かつて三貴グループがCMを盛んに放送していた頃を彷彿させるようになった。しかし、2008年のリーマン・ショック、市場におけるプラチナの価格高騰のあおりを受け、CM展開も控えめになった。2011年、4年ぶりとなる新たなCMキャラクターを迎え、若い世代への新規顧客開拓を図った。しかし、地上波及びCS放送においてもCM放送回数は激減している。

上記以降のさらなる経営環境の変化を受け、2016年1月時点でCM制作ならびにCMの放送は一切行われていない。

CMキャラクター

CMソング

提供番組

脚注

注釈

  1. ^ 憲法第32条で裁判を受ける権利を保障されているが、訴えを提起すること自体が不法行為を構成して損害賠償責任を負うこともあると解する裁判、昭和63・1・26(損害賠償請求事件、破棄自判(控訴棄却)。民集42巻1号1頁)があり、訴えの提起が訴権の濫用であるとして却下する事例もある(三谷忠之・民事訴訟法講義(東洋大学通信教育部)243頁以下、三谷忠之・民事訴訟法講義(成文堂)303頁以下参照)。
  2. ^ 放送は在京局限定。地元局であるテレビ神奈川には未出稿のため、同局では放送されず。

出典

関連項目

外部リンク