エンドーチェーン

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株式会社エンドーチェーン
ENDOCHAIN CO.,LTD
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
980-0021
宮城県仙台市青葉区中央四丁目1番1号
設立 1951年(昭和26年)1月24日
業種 不動産業
法人番号 6370001007258 ウィキデータを編集
事業内容 仙台駅前ビル「E BeanS」の運営管理
その他不動産賃貸業
代表者 代表取締役社長 遠藤 養一
資本金 1億円
純利益 1億1700万円
(2022年02月28日時点)[1]
純資産 18億6100万円
(2022年02月28日時点)[1]
総資産 27億0300万円
(2022年02月28日時点)[1]
関係する人物 遠藤養吉(創業者)
外部リンク https://www.e-beans.jp/
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株式会社エンドーチェーンは、宮城県仙台市に本社を置き不動産業を営む株式会社仙台駅前で商業ビル「EBeanS」を管理運営するほか、不動産賃貸業を行っている。かつては東北地方を中心にスーパーマーケットチェーン「エンドーチェーン」を展開しており、西友業務提携東北西友として西友の店舗を展開していた時代もあった。

歴史[編集]

創業と成長[編集]

第二次世界大戦後まもなく、創業者の遠藤養吉(えんどう ようきち)が、宮城県黒川郡吉岡町(現:黒川郡大和町吉岡)に「遠藤養吉商店」を開店したのが始まりである。

1962年、東北地方では初となるスーパーマーケット「エンドーチェーン」を仙台市宮町にオープンした。この際には宣伝に多額を費やしたほか、仙台駅前と店舗との間に今でいうシャトルバスも運行された。その後は店舗を徐々に拡大させ、宮城県のほぼ全域に店舗を構えるまでに成長した。

1964年3月20日には仙台駅前にフラッグシップ店舗である仙台駅前店を開店。1972年には新館をオープン、10階建で吹き抜けを有する大きな建物であった。この店舗は仙台市民・宮城県民に受け入れられ「エンドーチェーン」の代名詞となる。

1980年には、日経流通新聞調べの『日本の小売業200社ランキング』でエンドーチェーンが41位にランクされ注目を集めた。また、創業者は『モーニングショー』(テレビ朝日東日本放送)内の名物コーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」で取り上げられた。

全盛期の1980年代には、当時の仙台市周辺の消費文化や芸能をリードした。当時のCMで流れていたキャッチコピーには「絵になるファッションの仲間たち エンドーチェーン」や「(プラスアルファの)生活感動店[† 1] などがあった。

他社との競争激化[編集]

しかしエンドーチェーン全体としては、仙台市中心部では1975年に仙台店を開業したダイエージャスコなど他県資本の大手チェーン、仙台市郊外では藤崎スーパーマーケットトーコーチェーン、岡崎スーパーマーケット(後のオカザキスーパー2018年に自己破産し営業終了[2])などの地元資本のチェーンとの競争が激化し、徐々に体力を消耗していった。

さらに仙台市以外の宮城県内や岩手県福島県でも、イトーヨーカ堂グループイトーヨーカドーヨークベニマル)、ニチイなどの他県資本や、ジョイスベルグループなどの地元資本のスーパーなどが駐車場を備えた店舗を展開していくと、駅前立地で駐車場が少ないエンドーチェーンの店舗は対抗しきれず客足が減少した。そのため1986年頃から、商業界を中心にエンドーチェーンの経営を不安視する声が聞こえはじめた[3]

1989年4月、エンドーチェーンは3ヵ年計画で、不振店を全面的に業態転換するか、または増床・改装する方針を固め、当時の総店舗47店のうち不振店16店を3年かけてテコ入れする決定を下した。また、同年5月には取引銀行であった日本債券信用銀行からの最終答申を受け、社長をトップとする総合経営企画委員会を設け、1年程度をかけて経営上の諸課題を洗い出し、改善処置を執る体制を敷いた[4]

西友の資本参加[編集]

1991年2月に株式会社西友から10%程度の資本参加を受け、経営、人事、商品施策など全般にわたる業務提携の調印を発表した[5]。当時、東北地方における西友の店舗は、百貨店業態で運営していた郡山西武店(福島県郡山市)のみであったが、この提携により西友は東北における本格進出への端緒を得た[6]。これに基づき、同年3月20日には会社分割により経営を引き継ぐ新法人としてエステートエンドーを発足させた。

1991年5月に最初の再建計画が明らかとなり、当時運営していた44店舗(宮城県36店舗、岩手県6店舗、福島県2店舗)中、仙台駅前店とそれ以外の店舗の運営を分離することとなり、仙台駅前店は西友本体が運営し、30店舗(宮城県28店舗、岩手県は花巻店のみ、福島県は保原店のみ)はエステートエンドーの運営で存続することになった。残る13店舗(宮城県は7店舗、岩手県は盛岡市内4店全店と北上店の5店舗、福島県は福島駅前店)は1991年中に閉店することになった[3]。同年8月にはエステートエンドーの社長に西友元常務が、会長に遠藤養一がそれぞれ就任した[7]。同年9月1日、エンドーチェーンが「エステートエンドー」に、新会社のエステートエンドーが「エンドーチェーン」にそれぞれ商号を変更した[8]

西友の資本参加と同時に、西友のノウハウを取り入れマーチャンダイジングの強化、取引改善、物流システムの再構築に当たったほか、若手社員を西友に2年間にわたりトレーニーとして派遣する制度も実施された[9]1992年には2度目の再建計画が発表され、宮城県内では駅前に立地する店舗を中心に半数近い店舗が閉鎖、岩手県では花巻店の閉店に伴い完全撤退し、食品スーパー専業へ転換した。これにより総合スーパーの店舗は西友に譲渡された[10][11]

1991年11月3日、西友[† 2] が基幹店であった仙台駅前店を、1991年9月1日付で賃借・営業譲渡した上で「SEIYO(セイヨー)仙台店」として営業を開始した[12]。これによって8階以上は閉鎖され、ファッション部門以外では、ゲームセンター、地下一階の食料品売場を残しを売り場を減床した。また、この名称変更の際、仙台駅前店の一室に保存されていたエンドーチェーンとしてのイベント・宣伝等の貴重な資料は、その大部分が散逸してしまった。なお、SEIYOは1997年9月19日にザ・モール長町が開業するため、西友がそちらの運営に傾注したいとの意向から[13]、同年7月31日閉店。跡地には同年11月28日、エステートエンドーが運営するテナントビル「EBeanS(イービーンズ)」として衣替えて再オープンした。

1997年には、西友の資本参加を得てスーパー部門を「株式会社エンドーチェーン」(後の株式会社東北西友)として分離し、本体は仙台駅前店のビルを管理する不動産部門となり「株式会社エステートエンドー」と社名変更した。

2001年(平成13年)6月1日、株式会社エンドーチェーンは株式会社東北西友に社名変更し、同年4月25日に開店した宮城野原店で店名も全店西友へ統一された[14]。なお、西友本体の直営店であるザ・モール仙台長町店と区別するため、東北西友の店舗にはその後「THE FOOD FACTORY」のロゴを併記している。

2003年6月1日に「株式会社エステートエンドー」は「株式会社エンドーチェーン」へ社名を戻した[15]。また、EBeanSの屋上看板もお色直しされ、「EBeanS」の下に「エンドーチェーン」というロゴが設置され、9年ぶりに表記が復活し話題を呼んだ。

西友との提携解消[編集]

2006年4月29日には「一日限りの屋上開放」と題して、EBeanSとなってから初めて正式に屋上を開放し、フリーマーケットを試行開催した。これが好評であったため、同年9月17日に「復活エンドーチェーン 屋上フリマ」と銘打ち本格的にフリマを実施した[8]。さらに2008年8月16・17日および23・24日の4日間、「エンドー創業80周年記念」として「屋上復活祭」を開催。THE ポッシボーザブングルほかをゲストに長年放送していた『エンドーミュージックショーウィンドー』の復刻版を含むTBCラジオの公開生放送、縁日、キャラクターショーなどが行われた。このイベントを契機に夏期は屋上が連日開放されることとなり[16]、その後も不定期にイベント開催時などには開放されるようになった。また、この屋上開放の再開と前後して、EBeanSとしてもかつての「エンドーチェーン」の頃を思わせる催事・イベント等を活発に行うようになっている。

2008年1月、「エンドーチェーン」は不動産賃貸業としての業績復調を背景に、西友に売却していた自社株約172万株 (16%) を買い戻して西友との資本関係を解消。経営再建計画が完遂し[17]、仙台の地場資本へと戻ることになった。一方、東北西友は同年7月にエス・エス・ブイなど他地域の子会社5社と共に西友へ吸収合併された[18]

ロゴマーク「レインボーマーク」[編集]

エンドーチェーンのロゴマーク社章)は「レインボーマーク」という。長年親しまれてきたが、全店舗が東北西友になった後は見かけることはほとんどなくなった。

しかし、2006年1月1日付『河北新報』朝刊に掲載されたEBeanSの初売り広告にはエンドーチェーンのロゴマークが使用され、その後もEBeanSの広告やテレビCMなどにエンドーのロゴマークが登場している。テレビCMでは「エンドーチェーン・EBeanS」とアナウンスされることもある。また、EBeanSの屋上看板(ネオンサイン)および1階・2階の各出入り口の上部などに設置された看板にも、エンドーチェーンのロゴマークが復活している。

「イービーンズ」の名称の由来[編集]

創業者の遠藤養吉から『遠藤チェーン』の「エンドーチェーン」『エンドウ豆』から『E(エンドウ) - Beans(豆)』という流れで「イービーンズ」という名前の由来となっている。

エンドーチェーン EBeanS[編集]

イービーンズ
EBeanS
EBeanS 20150124.JPG
「エンドーチェーン」の商標が付加されたEBeanS
(2015年1月撮影)
店舗概要
所在地 980-0021
宮城県仙台市青葉区中央四丁目1番1号
座標 北緯38度15分30.9秒 東経140度52分47.1秒 / 北緯38.258583度 東経140.879750度 / 38.258583; 140.879750 (EBeanS)
開業日 1964年3月20日
正式名称 仙台駅前エンドーチェーン E BeanS
施設所有者 株式会社エンドーチェーン
施設管理者 株式会社エンドーチェーン
中核店舗 ソフマップ
店舗数 約70店舗
営業時間 10:00 - 20:00
駐車台数 2397台(契約駐車場)台
前身 エンドーチェーン仙台駅前店
→ SEIYO
外部リンク https://www.e-beans.jp/
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東日本大震災発生以前の店舗
東日本大震災から復旧した直後の店舗(2011年11月撮影)

1997年11月28日に「EBeanS」として営業開始。エンドーチェーン仙台駅前店、その後のSEIYO[† 3] と、総合スーパーだった業態を転換して食料品売場を廃し、家電量販店さくらや東北地方初出店となる「さくらや仙台西口駅前店」が低層部に核店舗として出店した。EBeanSへの転換に際しては看板を改装するとともに、駅前に面した吹き抜けを白色から赤と青に塗り替えている。

しかしさくらやは、すでに競合店のヨドバシカメラが巨艦店を仙台駅東口へ出店した後の参入となり、店舗面積もその約半分 (4000m2)と狭く、翌年にラオックス仙台店が出店すると大打撃を被り[† 4]、売り上げ不振で約2年後に撤退となった[† 5]

改装後は若い女性をターゲットに、地下1階〜地上3階には渋谷109ファッションテナントが出店。4階以上には、100円ショップザ・ダイソー」、ドラッグストアダルマ薬局」、中古レコード店「パラダイスレコード」、「島村楽器」、書店「ジュンク堂書店」、アニメショップ喜久屋書店漫画館」などが出店した。

ギャル系ファッションを集積させたことで集客力が増し、同様にギャル系に舵を切った仙台十字屋(現:ヤマダ電機LABI仙台)とともに仙台駅前の一角を東北地方のギャルが集中する地区に変えた。また、隣接する仙台朝市を見習い、アニメ系・萌え系や音楽系などの趣味性の高い店舗を集積して売り上げを回復した。

しかし、2011年東日本大震災で被災し営業不可能な状況となったことから、エンドーチェーンが旧館(1964年竣工)と称する仙台駅側の4階より上の階を解体し、同社が新館(1972年竣工)と称する裏側の建物全体を含む残す部分についても耐震補強やリモデルを行い、屋上と化した旧館の旧4階は公開空中庭園となった。そして2011年11月18日に1階・2階フロアを除き一部が営業再開、2012年3月24日に全フロアが営業再開に至った。

2014年10月29日をもってEBeanSオープン当初からのメインテナントであったジュンク堂書店仙台店が閉店。ジュンク堂に代わるメインテナントとして同年11月21日にソフマップ仙台駅前店がオープンした[19]。また、ジュンク堂があった影響でコミック関連商品のみを扱っていた喜久屋書店漫画館が増床して同年12月5日より一般書籍も扱うようになった[20]。また同じ日には東北初出店となった紳士服店「洋服のサカゼン」もオープンした[21]

2015年1月24日より、それまで仙台アメ横ビルに店舗を構えていたアニメショップアニメイト」がEBeanSに移転[21]。さらに同ジャンルの店舗である「ゲーマーズ」「らしんばん」も同日にEBeanSへと移転しており、サブカル系の店舗を集約する形となっている。

前述の通り、現在は西友とは無関係であるが、2018年現在、店内放送チャイムは西友で用いられるものと同一の音源が使用されている。

主なテナント[編集]

エンドーチェーン仙台駅前店[編集]

現在の「EBeanS」は、かつて「エンドーチェーン仙台駅前店」として、仙台の消費文化の中心の役割を担っていた。

サテライトスタジオ[編集]

1階にはサテライトスタジオもあった。当初は仙台駅前の大通りに面した場所に、ガラス張りで店舗の外からも見えるスタジオがあり、1972年の新館オープン後は1階中心部に移動した。開店直後の1964年3月23日から1991年8月10日まで、TBCラジオの『エンドーミュージックショーウィンドー』」という番組の生放送が行われた。この番組には石原裕次郎が映画『黒部の太陽』のプロモーションのために出演するなど、若手からベテランまで数多くの歌手・俳優・スポーツ選手らが連日出演し、全盛期には2階の吹き抜けからの見物客もたくさんいた。「EBeanS」になってからも引き継がれていたが、2017年9月24日をもって53年の歴史に幕を閉じた[22]。また同時期にはTBCテレビでも『エンドーサテライトスタジオ』が放送されていた。

フロア[編集]

駅前立地型の大型総合スーパー(GMS)である。ボウリング場、おもちゃ売り場、レストランなどがあった。荒井由実はデビュー当時の1974年、サテライトスタジオや屋上広場ではなくフロアで拡声器を持ってプロモーション活動をしたことを本人が述懐している[23][24]

屋上広場[編集]

「屋上スカイランド」とも呼ばれた。松田聖子南野陽子SMAPなどが来仙し、ミニコンサートが開催された。また、東映東映動画とのタイアップによるキャラクターショーも、1980年代初め頃までは毎週末に行われていた。冬にはミニスケートリンク、夏場は「ジャブジャブ広場」と名付けられた足をつけるだけのプールなどを開いていた。勝つと4本セットのクルクル鉛筆、負けても4本セットの内の1本がもらえたジャンケン大会などが行われた。エンドーからSEIYOへの名称変更後は、屋上は基本的に開放しない状態が続いていたが、2008年の夏以降は期間を区切って限定的に開放し、再びイベントなどを開催するようになり、2011年11月18日の営業再開からは屋上が開放されるようになった。また、屋上へ向かう階段付近に過去のエンドーチェーン時代の写真が飾られている。

駐車場[編集]

店舗北隣に駐車場があった。現在は、土地所持者の日本通運に売却されており、跡地には仙台パルコ2が開業した。

周辺[編集]

店舗の北側の細道(仙台市道1247号「中央三丁目1号線」)は、仙台駅から仙台朝市に繋がる道であるため、行商テントや板で簡便な露店を並べていた。

東北新幹線開業(1982年)に合わせて1977年仙台駅の新駅舎が完成し、1978年にはS-PALも開業したが、丸光隣の新東北ビルにあった緑屋やエンドーに対抗してS-PALにもサテライトスタジオが作られた。

プライベートブランド[編集]

子供用オリジナル玩具[編集]

全盛期には、プライベートブランドとしては珍しい自社オリジナルの玩具を企画・販売していた。

かつて販売されていたエンドーチェーン「レインボー村 森の仲間たち」のキャラクター商品マグカップ
  • ユーユークルクル
  • ローズボンボン
  • アンジュボンボン
  • レインボー村 森の仲間たち(ライオン・タヌキ・サルなど)
ローズボンボン、アンジュボンボン、森の仲間たちはエンドーチェーンのイメージキャラクターとしてCMや広告にも登場。2009年には新たなキャラクターとして“ごんべえ&お花”が登場した。

物販以外の活動[編集]

メディア連動[編集]

全盛期には、エンドーチェーン一社提供テレビ番組が複数放映されていた。

ミヤギテレビにて日曜の朝に放映された子供番組『ザ・ドッチラチン』では、ローカルタレントヨースケくんや工作の「Q六先生」などを輩出し、毎週のように各地の小学校でドッジボール大会や相撲大会を開催して放送していた。番組内では当日にエンドーチェーンの各店舗で行われるイベントの告知も行われた。

その他、1980年代頃までは東北放送(TBCテレビ)、仙台放送テレビ岩手[† 6]福島テレビなどで放送されていた日曜朝のアニメ・特撮枠のスポンサーとなっていた。中でも、TBCテレビにて1973年に放送されたヒーロー番組『レインボー・アタックエース』は、ローカルヒーローの元祖として知られている。

東日本放送にて祝日の午前を中心に放送されていた『宮尾すすむの探検ショッピング』では、エンドーチェーンの店内を宮尾すすむが走り回り、目に止まった商品を無理やり値引きをするといった様子を放送していた。

また、宮城県と岩手県では企画ネット番組『エンドーミュージックショーウインドー』が放送されていた。TBCラジオでは、前述のように仙台駅前店に置かれたサテライトスタジオから毎日12時15分 - 13時00分に公開生放送を放送していた[† 7]IBCラジオ[† 8]では、後述のように盛岡駅前通店に置かれたサテライトスタジオから公開生放送をしていた。

TBCラジオでは他にも一社提供番組『ジャンボリクエストAMO(AMO東北ヒットパレード)』が放送されており、各地のラジオ局が休止する日曜深夜の放送ということもあってか、全国各地からリクエスト葉書が寄せられる人気番組となっていた。

1980年代前半のテレビCMには、モデル事務所であるオスカープロモーションに所属する3人の女性によって結成されたパンジーキャンペーンガールとして出演していた。

エンドーが仕掛けたわけではないが、2007年5月24日に発売された本『ジミ都市仙台の本―杜の都へのナビゲーション』(大内順著、しののめ出版)には当時のエンドーが伝説として紹介され、現社長の遠藤養一が感激したという逸話がある。

CMソング[編集]

ピンキーとキラーズ、ジミー・オズモンド、森田公一とトップギャランチェリッシュなどといった有名アーティストを次々に起用し、オリジナルのCMソングを制作して前述の提供番組を中心にオンエアされていた。

催事[編集]

ツタンカーメン展』、『大恐竜展』、『大マンモス展』、『ザ・シーラカンス展』、『栄光のインカ帝国展』、『大エジプト展』、『プロ野球展』、『山下清展』、ほか多数。

これらの催事では、触るのが可能な特定の展示物に触ると「○○タッチ証明書」(恐竜の化石では「サウロタッチ証明書」)なるものがもらえた。触れるものは化石の他、金の延べ棒などがあった。

1970年7月25日には、仙台都市圏北部にある遊園地富谷グリーンパーク[† 9]」を会場として『第1回エンドー夏まつり』が開催された(主催は東北放送)。当時の人気ドラマ「柔道一直線」の桜木健一吉沢京子、同じく「サインはV」の岡田可愛范文雀中山麻里、それにフォーリーブス金井克子竹脇無我といった、当時の人気タレントを招いての大規模なイベントだった。

1980年前後には東映東映動画とのタイアップによる、当時の人気声優らを招いてのイベントも多く行われた。仙台東映(現在は閉館)を会場に、東映動画が製作した長編アニメーション映画の連続上映会(入場無料)も開催した。

西部警察ロケ[編集]

石原プロ制作テレビ朝日系で放映されたテレビドラマ『西部警察 PART-III』の宮城ロケ(第32話「杜の都・激震!!-宮城・前編-」1983年12月18日放映と、第33話「仙台爆破計画-宮城・後編-」1983年12月25日放映)で仙台市内各地でロケが行われ、その中で「エンドーチェーン」も登場した。

劇中、渡哲也演ずる大門団長のセリフに「『エンドーチェーン店』です」(この時、通常のような「チェーン」の「ン」のみ下がる発音とは異なり、「エン」と「チェーン」の部分にアクセントの力点がおかれていた)というものもあり、当時の仙台駅前店でロケが行われ、サテライトスタジオ、ロゴマーク、店舗内などが映し出されていた。

後編のクライマックスシーンでは、当時の仙台駅前店の駐車場(店舗に隣接したものとは別)に立てたステージと給水塔が使われた。同敷地は現在、住友生命仙台中央ビル (SS30) が建設されている。このエピソードは全国のテレビ朝日系列局やCS放送ファミリー劇場で再放送され、当時の様子を窺い知ることができる。また2012年、DVD-BOX『西部警察 PART-III セレクション 木暮BOX 1』に収録され発売された(レンタル版では第6巻に収録)。2014年1月には『西部警察 全国縦断ロケコレクション 福島・宮城篇』として単品でも発売された。

西武ライオンズ優勝セール[編集]

1991年に西友と業務提携したことに伴い、西友がセゾングループであった時代は、エンドーチェーンでも西武ライオンズ優勝セールを行っていた。

Wake Up, Girls![編集]

2015年12月公開のアニメ映画『Wake Up, Girls! 続・劇場版後編 Beyond the Bottom』では、現在のエンドーチェーンのロゴの入ったEBeanSの建物(震災復旧後)館内でのイベントのシーンが静止画で映し出された。なお本作にはエンドーチェーンも協力しており、エンドロールには「仙台駅前 イービーンズ」名義でクレジットされている。また、同作品のメインキャストを演じる声優ユニットのWake Up, Girls!のメンバーである永野愛理(宮城県出身)と奥野香耶(岩手県出身)が、開館と閉館のアナウンスを行っている。この館内アナウンスの収録の模様は、2015年にテレビ東京で放送されたバラエティ番組わぐばん!』で放映された。

店舗[編集]

西友本体運営へ移行して営業中の店舗[編集]

宮城県[編集]

  • 富谷店(富谷市、1987年(昭和62年)12月開店)
  • 吉岡店(2代目、黒川郡大和町、?開店)
  • 汐見台店(宮城郡七ヶ浜町、1985年(昭和60年)4月開店)
  • 燕沢店(仙台市宮城野区、?開店)
  • 木町店(仙台市青葉区、1966年(昭和41年)6月開店)
  • 台原店(仙台市青葉区、1969年(昭和44年)12月開店)
    • 台原店は1989年 - 1990年頃に「ディスカウントZONE」に業態転換した後、エンドーチェーンの店舗縮小時に一旦閉店。後に再オープンした(その間は家具の山口→幸福堂が入居)。3階のボウリング場は、一旦閉店する前は直営の「台原レインボーボウル」だったが、後に「サンボウル台原」を経て解体前までは「C-BIC仙台」であった。東日本大震災で上階テナントの天井崩落や建物外壁に亀裂が入るなど被災したため解体後、2013年に再オープンした。なお建物は通常の西友と同じ平屋の店舗となる。
  • 上杉店(仙台市青葉区、1998年(平成10年)4月14日開店)
    • 西友傘下入り後初の新店舗[25]
  • 八幡町店(仙台市青葉区八幡四丁目1-3、国道48号線沿い「ヴィルヌーヴ八幡町」1階、1967年(昭和42年)4月開店)
  • 旅篭町店(仙台市青葉区小田原六丁目、1969年(昭和44年)8月開店)
    • 旅篭町店は旧店名。現在は西友小田原店として営業中。
  • 太白店(2代目、仙台市太白区、2000年?開店)
    • 旧店舗隣に、西友太白店として営業中。

福島県[編集]

  • 保原店(2代目、福島県保原町伊達市保原町9-5、1996年(平成8年)4月23日開店[26]
    • 1992年11月に一旦閉店後[27]、2代目店舗として開店。
    • 初代店舗については下記を参照。

過去に存在したエンドーの店舗[編集]

かつて存在した店舗。現在は他店舗や別会社になっているもの、更地になっているものも含む。×印は、建物が解体された店舗。

宮城県[編集]

  • 荒巻店(仙台市青葉区、1978年(昭和53年)3月開店 - ?閉店)
  • 柏木店(仙台市青葉区、?開店 - ?閉店)
  • 北仙台店(仙台市青葉区、?開店 - ?閉店)
    • 東北西友誕生前のオープン。以前はトーコーチェーン北仙台店だったが、1989年(平成元年)に閉店後にマンションに建て替えられ、その1階に引き続き出店予定であった。しかし経営不振で資金繰りに窮していた時代で、代わってポロロッカ食品館が入ることとなった。ポロロッカ撤退後、短期間に数回テナントが変わっている(詳細は不明)。
  • 晃福ハイツ店(仙台市青葉区八幡四丁目10番1号、1982年(昭和57年)4月開店 - ?閉店)
    • 八幡店(現・西友八幡町店)と至近の位置に存在したため「裏エンドー」の愛称で親しまれた。
  • 宮町店×(仙台市青葉区宮町四丁目6番21号、1962年(昭和37年)3月開店 - 1991年(平成3年)閉店)
    • 跡地にはファミリーマート東北地区本部が入居するとともに、1階に東北地区1号店のファミリーマート宮町店が出店した[28]上記の通り「エンドーチェーン」第1号店であり、東京の旧丸ビルを意識したフォルムをもつ斬新な設計の大型店舗であった。
  • 将監店(仙台市泉区、1980年(昭和55年)12月開店 - ?閉店)
    • 宗教団体の施設だったが、東日本大震災後に宗教団体が撤退、現在はナイスが開発した住宅地となった。
  • 南光台店×(仙台市泉区、1987年(昭和62年)11月開店 - ?閉店)
  • 長命ヶ丘店×(仙台市泉区、1982年(昭和57年)6月開店 - ?閉店)
  • 南長命ヶ丘店×(仙台市泉区、1983年(昭和58年)7月開店 - ?閉店)
    • 閉店後はミートパビリオンジャイアント、更地を経てかっぱ寿司が出店。しかし 東日本大震災で建物が多大の影響を受け閉店。セレモニア長命ヶ丘梓会館となった。
  • 太白店×(初代、仙台市太白区、1976年(昭和51年)1月開店 - ?閉店)
    • 閉店後は駐車場以外が閉鎖され、長い間建物が放置されていたが、2012年になり解体された。
  • 西多賀店×(仙台市太白区、1977年(昭和52年)9月開店 - ?閉店)
仙台駅東口店(2010年12月8日)
  • 仙台駅東口店×(仙台市宮城野区、1979年(昭和54年)[29] 3月開店 - 2011年(平成23年)5月8日閉店) - 売場面積877m2[29]
    • 東日本大震災で被災したことにより、テナントとして入居していたマンションの再開発による解体に伴い閉店、現在はヨドバシ仙台第2ビル(ヨドバシカメラ マルチメディア仙台)とその立体駐車場となっている。
  • 弓ノ町店×(仙台市宮城野区、1969年(昭和44年)3月開店 - ?閉店)
  • 椌木店×(ごうらぎ、仙台市若林区、1968年(昭和43年)1月開店 - ?閉店)
  • 中倉店(仙台市若林区、?開店 - ?閉店)
  • 南小泉店×(仙台市若林区、1972年(昭和47年)8月開店 - ?閉店)
    • 閉店後は、ライオンズマンションのモデルルームを経てローソンが出店。
  • 南材木町店×(仙台市若林区、1971年(昭和46年)4月開店 - ?閉店)
  • 多賀城桜木店(多賀城市、1983年(昭和58年)8月開店 - 2011年(平成23年)3月11日閉店)
    • 東日本大震災の被害により閉店、多賀城市から撤退した。
  • 石巻店×(石巻市、1974年(昭和49年)5月開店 - 1992年(平成4年)10月閉店)
    • 1992年1月には同じ石巻市立町に計画していた2店目の計画を撤回した。石巻市中心部では同年7月にダイエージャスコといった大型店の出店計画も相次ぎ白紙撤回されている。閉店後に建物は解体され、跡地は駐車場となった。
  • 岩沼店(岩沼市、1981年(昭和56年)6月開店 - ?閉店)
  • 角田店(角田市、1973年(昭和48年)4月開店 - ?閉店)
    • 西友と提携後、郊外に9000m2級の店舗を出店する予定があったが、これも立ち消えになった。ヨークベニマル、藤越も同じ時期に同規模の店舗を出店計画していた。
  • 小牛田店(こごた、遠田郡美里町、1979年(昭和54年)11月開店 - ?閉店)
    • 小牛田駅前の小牛田警察署跡の町有地に出店。当初は小牛田町農協が農協ストアの増築を計画していたが、小牛田町と土地の買収価格が折り合わず断念[30]。その後トーコーチェーンが1978年4月に出店を表明したものの[30][31]、同年6月の宮城県沖地震で既存の仙台長町店が大きな被害を受け[32]、1978年10月正式に断念[33]、直後の11月にエンドーが小牛田進出を決意した[34][35]。エンドーの計画では当初1階を駐車場にした4階建ての店舗を予定していたが、現地をボーリング調査した結果、土質が軟弱であるため1階に駐車場を作るには大量のコンクリートパイルが必要な上、地震の際に危険という理由から駐車場なしの3階建ての店舗に変更された[36]
  • 佐沼店(登米市、1981年(昭和56年)3月開店 - ?閉店) - 現在はパーラーJ-遊 佐沼店。
  • 東佐沼店×(登米市、1983年(昭和58年)3月開店 - ?閉店)
    • 閉店後、店舗前の駐車場にはローソンが出店。店舗には一時期、家具店や携帯電話ショップが入居したものの短期間で閉店。空き店舗の状態が続いた後に解体された。
  • 塩釜店×(よこたやエンドー、塩竈市、1978年(昭和53年)11月開店 - ?閉店)
  • 白石店(白石市、1974年(昭和49年)4月19日開店[37] - 2000年(平成12年)7月2日閉店[38]
    • 白石駅前にて営業していた。建物は1階が駐車場で店舗は2階から上という当時としては珍しい造りであった。
  • 豊里店(登米市、1982年(昭和57年)9月開店 - ?閉店)
  • 中新田店×(なかにいだ、加美郡加美町、1976年(昭和51年)12月開店 - 2006年(平成18年)5月31日閉店)
    • 宮城交通中新田営業所(かつての仙台鉄道加美中新田駅)跡地に開業。東北西友発足後も営業を続けていた。同店の閉店により、宮城県北からエンドー→東北西友の店舗はすべて姿を消した。閉店後に建物は解体され、JA加美よつば中新田支店(金融・共済)が移転してきた。
  • 古川駅前店(大崎市、1970年(昭和45年)3月開店 - ?閉店)
  • 古川中央店×(大崎市、1980年(昭和55年)6月開店 - ?閉店)
    • 建物は解体され、跡地は大崎市役所の駐車場になった。
  • 古川三日町店(大崎市、1959年(昭和34年)4月開店 - ?閉店)
    • 建物は解体され、跡地は「ギャラリー緒絶の館」になった。
  • 古川バイパス店(大崎市、?開店 - ?閉店)
  • 吉岡店×(初代、黒川郡大和町、1936年(昭和11年)5月開店 - ?閉店)
    • ここがエンドーチェーン発祥の店舗であった。現在の東北西友吉岡店はファルが撤退した空店舗に移転。
  • 利府店(宮城郡利府町、1984年(昭和59年)開店 - ?閉店)
  • 涌谷店×(遠田郡涌谷町、1975年(昭和50年)10月開店 - ?閉店)
    • 閉店・解体後、跡地には涌谷郵便局が移転。

岩手県[編集]

  • 盛岡駅前通店×(盛岡市、1969年(昭和44年)9月開店 - 1983年(昭和58年)3月閉店)
  • 盛岡中央店×(盛岡市、1973年(昭和48年)7月11日開店[40] - 1991年(平成3年)6月閉店)
    • 1969年6月に「光フェアビルジュネス」として開店した後、1973年7月にリニューアルされ営業していた。100mほど離れた川徳デパート(1980年10月まで)→中三デパート(1981年5月以降)と一部競合関係にあったが、通りを挟んだ向かいにある盛岡バスセンターによる交通アクセスの良さもあり、中ノ橋通商店街の集客に貢献していた。1991年5月発表の再建計画で閉店対象店舗とされ、同年6月に閉店[3]。閉店後の建物は翌1992年、商業ビル「with」として再々オープンしたが、テナントが次々と撤退し、ビル管理会社の光商事(8階)と同社経営の古着屋HANJIRO(2階)のみの状態が続いたが、建物の老朽化により2011年8月28日をもって完全閉店し、2012年に建物は解体された[40]。跡地にはタワーマンション「ル・サンク中の橋タワーレジデンス」が建設された。
  • 盛岡青山町店×(盛岡市、1972年(昭和47年)4月開店 - 1991年(平成3年)5月閉店)
    • 1991年5月発表の再建計画で閉店対象店舗とされ、同年5月に閉店[3]。閉店後建物は解体され、現在はパチンコ店「パーラーQuest」。
  • 盛岡南青山店×(盛岡市、1972年(昭和47年)2月開店 - ?閉店)
    • 詳細が不明だったが、存在が確認されている模様。
  • 盛岡館坂店×(盛岡市、1972年(昭和47年)2月開店 - ?閉店)
    • 閉店後に建物は解体され、ローソン、花屋を経て、台湾料理店「鴻運」となるも。2020年頃に閉店。建物は再度解体され更地となっている[41]
  • 盛岡神明町店(盛岡市、1980年(昭和55年)9月開店 - ?閉店)
    • 盛岡中央店の近くのマンションの地下1階 - 2階にあった店舗。「第2盛岡中央店」と呼ばれた。一部の商品の取扱を盛岡中央店から移管したものの、閉店に伴い営業を盛岡中央店に再集約した。
  • 盛岡仙北町店×(盛岡市、1971年(昭和46年)11月開店 - 1991年(平成3年)5月閉店)
    • 1991年5月発表の再建計画で閉店対象店舗とされ、同年5月に閉店[3]。閉店後も建物は残っていたが、1994年発生の三陸はるか沖地震で外壁の一部が崩落し、翌1995年に建物は解体。
  • 盛岡松園店×(盛岡市、1977年(昭和52年)11月開店 - 1991年(平成3年)6月閉店)
    • 1991年5月発表の再建計画で閉店対象店舗とされ、同年6月に閉店[3]。閉店後建物は解体され、現在はパチンコ店「WINS松園ニュー公楽」。
  • 北上店×(北上市、1978年(昭和53年)11月開店 - 1991年(平成3年)8月閉店)
    • 1991年5月の再建計画発表の時点では存続か閉店かは未定であったが[3]、最終的に同年8月閉店。建物は解体され、現在はセブンイレブンが出店。
  • 花巻店×(花巻市、1980年(昭和55年)7月開店 - 1992年(平成4年)11月閉店)
    • 花巻店の閉店により、岩手県からエンドーチェーンは撤退した。閉店後は地元スーパーが営業していたが倒産。建物は解体され、跡地にはマンションが建設された。

福島県[編集]

  • 福島駅前店×(福島市本町、1974年(昭和49年)4月開店 - 1991年(平成3年)閉店)
    • 福島県第1号店。福島宿本陣跡地と1927年に竣工した福島ビルヂング(福ビル)跡地に開店[42]
    • 1991年5月発表の再建計画における閉店対象店舗[3]。閉店後は空きビル状態が続き、1993年7月13日には照明が、1997年3月6日には建物の外壁が市道に落下するという事故が発生した[43]。1998年度に福島市が福島都心中央土地区画整理事業用地として取得し解体。跡地は暫定的に公共広場「街なか広場」として活用し、公共広場と公益施設(商業ビル)を建設する予定だった[44][45]。しかし中心市街地空洞化や不景気、東日本大震災後の建設コスト高騰などもあり、20年近くにわたり建設されず塩漬けされ、2018年11月22日に福島市が公益施設建設断念を発表した[45]
  • 保原店×(初代、保原町[† 10]1980年(昭和55年)7月開店[27][46] - 1992年(平成4年)11月15日閉店[27]
    • 建物は2階建て。福島交通社長だった織田大蔵邸宅跡地に建設[47]。建物解体後、3年半後の1996年4月に2代目店舗として営業再開[26](上記)。

東京都[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 現在は「楽しさをプラス!生活感動館!!」と公式サイトにて表記されている。
  2. ^ 百貨店事業部→SEIBU事業部→大型店事業部運営、現在のLIVIN
  3. ^ 新聞報道での仮称は「仙台西武」(『日本経済新聞』1991年3月16日、地方経済面24面)、「OZ仙台店」(『日経流通新聞』1991年8月10日、4面)だった。
  4. ^ そのラオックスも2003年には売場縮小し、結局は閉店した。
  5. ^ さくらやは2010年2月で残った全店舗を閉店し、同年6月に会社解散した。
  6. ^ 1990年4月の『THE・サンデー』のネット開始に伴い撤退。
  7. ^ 店舗休業日は局内スタジオから放送
  8. ^ 当時の社名は岩手放送だった。
  9. ^ 宮城県黒川郡富谷町三ノ関字狼沢73-1(北緯38度24分26.8秒 東経140度53分56.4秒 / 北緯38.407444度 東経140.899000度 / 38.407444; 140.899000 (富谷グリーンパーク))。1965年開園。
  10. ^ 現・伊達市

出典[編集]

  1. ^ a b c 株式会社エンドーチェーン 第73期決算公告
  2. ^ “仙台の「オカザキスーパー」が自己破産申請、負債3億円”. 不景気.com. (2018年9月4日). https://www.fukeiki.com/2018/09/okazaki-super.html 2020年9月22日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i 「盛岡市内4店舗を閉店 エンドーチェーン8月末までに」岩手日報 1991年5月10日
  4. ^ 『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』P 131 - 132
  5. ^ 「西友、東北で営業力 中堅スーパー「エンドーチェーン」と提携」『朝日新聞』1991年2月22日
  6. ^ 「エンドーチェーン、西友の傘下に 近代化へ遅すぎた決断、東北進出へ西友足固め」『日経流通新聞』1991年2月28日
  7. ^ 「新会社が発足、西友支援下のエンドーチェーン 再建へ本格始動」『日本経済新聞』1991年3月27日
  8. ^ a b 『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』P 134
  9. ^ 「リージョナル拠点企業列伝(宮城編)、「エンドーチェーン」(30店・350億円)――13店閉鎖後、西友方式導入で基盤再構築へ」『食品商業』1992年7月号
  10. ^ 東北地区夏期特集-エンドーチェーン、再建へ中期方針打ち出す(日本食糧新聞 1992年8月26日)
  11. ^ 東北地区食品流通特集 エンドーチェーン・永山竹敏代表取締役社長に聞く(日本食糧新聞 1994年7月6日)
  12. ^ 「仙台駅前商戦「冬の陣」一段と加熱 SEIYO仙台店開店 大型店出そろう」『河北新報』(河北新報社) 1991年11月4日、朝刊22面。
  13. ^ 『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』P 135
  14. ^ エンドーチェーン、東北西友に社名変更(日本食糧新聞 2001年6月6日)
  15. ^ 『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』P 138
  16. ^ 仙台駅前の商業ビル、17年ぶりに屋上開放-運営会社80周年で(仙台経済新聞 2008年8月20日)
  17. ^ 『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』P 143
  18. ^ 「地域子会社5社、西友が吸収合併、経営効率化」『日経MJ』2008年5月28日
  19. ^ “ソフマップ仙台駅前店開店で行列”. 河北新報. (2014年11月22日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201411/20141122_12002.html 2015年1月7日閲覧。 
  20. ^ “仙台駅前・イービーンズの「喜久屋書店」、館内移転増床-総合書店に刷新”. 仙台経済新聞. (2014年12月19日). http://sendai.keizai.biz/headline/1796/ 2015年1月7日閲覧。 
  21. ^ a b アニメイト仙台、イービーンズに来年1月移転(河北新報 2014年12月2日)
  22. ^ EBeanS エンタメ(@EB_RADIO)さんのツイート” (2017年9月16日). 2017年11月23日閲覧。
  23. ^ Yuming Biography《1970年〜1979年》”. Yuming FC WEB 松任谷由実ファンクラブ公式サイト. 2021年1月15日閲覧。
  24. ^ 『風都市伝説 1970年代の街とロックの記憶から』p.189、CDジャーナルムック、音楽出版社、2004年4月9日。ISBN 978-4-900340-88-6
  25. ^ 東北地区食品流通特集 エンドーチェーン・飯田晴雄社長に聞く(日本食糧新聞 1998年7月22日)
  26. ^ a b 「4年ぶりに保原店が再オープン」『福島民報縮刷版』平成8年4月(福島民報社)、1996年4月24日、535頁(1996年4月24日朝刊5面)。
  27. ^ a b c 「エンドーチェーンの『保原店』が閉店」『福島民友』(福島民友新聞) 1992年11月17日、朝刊7面。
  28. ^ ファミリーマート東北地区本部、今年末までに80店を計画。東北展開急ピッチ(日本食糧新聞 1992年5月20日)
  29. ^ a b 東北地区食品流通特集 エンドーチェーン仙台駅前東口店、リニューアル効果が顕著(日本食糧新聞 1993年7月9日)
  30. ^ a b 「小牛田にも大型店 駅前の警察署跡地に計画」河北新報 1978年4月27日 朝刊10面
  31. ^ 「今週の目 小牛田にも大型店の波紋」河北新報 1978年5月22日 朝刊11面
  32. ^ 「小牛田進出は微妙 トーコー、地震の打撃で」河北新報 1978年9月15日 朝刊10面
  33. ^ 「エンドー進出か 小牛田町が誘致工作 トーコーは断念」河北新報 1978年10月20日 朝刊10面
  34. ^ 「エンドー進出決まる 来年夏開業へ 駅前に四階建てで」河北新報 1978年11月7日 朝刊8面
  35. ^ 「小牛田にエンドー進出決る 四階建て来夏に開店」大崎タイムス 1978年11月10日 1面
  36. ^ 「小さくなる”町の顔”小牛田 大型店が規模縮小 着工直前 四階建てから三階建てに」河北新報 1979年4月20日 朝刊11面
  37. ^ 創刊からの広報しろいし3(白石市ホームページ)
  38. ^ エンドーチェーン白石店を7月2日で閉店 宮城県白石市(大量販売新聞社「タイハン特報」 2000年5月1日)
  39. ^ 【いわてアーカイブの旅】第95回 ラジオの公開放送 IBC岩手放送 6BOX - 岩手放送版『ミュージックショーウィンドー』の放送時の模様が収録されている
  40. ^ a b 8/20~21「ウィズ盛岡41年間の 大感謝祭」の企画・運営を行いました! | 女子100人委員会活動報告「トライアルデー」 のびあ!、2011年8月27日、2019年6月19日閲覧。
  41. ^ 本格台湾料理店”鴻運”が解体 愛LOVEもりおか~徒然日記~
  42. ^ 住んでみんかドットネット 近代福島の歴史的建造物について「13.福ビル(福島ビルヂング)」”. 空き家・古民家相談センター. 2021年10月23日閲覧。
  43. ^ 「福島の旧エンドーチェーン 外壁崩れ市道に落下」『福島民報縮刷版 平成9年3月』福島民報社、171頁(1997年3月6日、朝刊31面)。
  44. ^ 「福島市長選を前に 県都の行方2「中心街 効果の見えない区画整理」」『朝日新聞』2001年11月7日付福島版朝刊。
  45. ^ a b 「福島市が商業ビル建設『断念』発表 特別会計2億5600万円計上」(2018年11月23日)”. 福島民友(みんゆうNet). 2019年6月14日閲覧。
  46. ^ 「エンドーチェーン保原店 11月末閉店」『福島民報縮刷版』平成4年9月(福島民報社)、47頁(1992年9月3日朝刊7面)。
  47. ^ 『大蔵語録』伊達物産ブッサン・ジャーナル編集部、1974年3月。 

参考文献[編集]

  • 別冊東北学編集室編『仙台学, Vol.6 : 歩く見る聞く仙台』 別冊東北学編集室、2008年。
  • エンドーチェーン創業80周年記念誌編集委員会編『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌』 エンドー チェーン、2008年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]