りりィ

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りりィ
出生名 鎌田 小恵子
生誕 (1952-02-17) 1952年2月17日
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市
死没 日本の旗 日本 (2016-11-11) 2016年11月11日(64歳没)
ジャンル フォークJ-POP
職業 シンガーソングライター女優
担当楽器 ベース
活動期間 1972年 - 2016年
レーベル 東芝EMI
ビクターインビテーション
BMG JAPAN
コロムビア
事務所 アルファーエージェンシー
公式サイト Lily-Yoji Live Freak

りりィ(Lily、1952年2月17日 - 2016年11月11日)は、日本シンガーソングライター女優。本名、鎌田 小恵子(かまた さえこ)[1]福岡県出身。アルファーエージェンシー所属。音楽業のほか女優としても活躍し、ドラマ映画CMに多数出演した。

日本の女性シンガーソングライターとして最初期にデビュー、活動し始めた先駆者である[2]

遺作映画)は『彼らが本気で編むときは』、最後の公開作品は『追憶』。いずれも2017年公開。

長男は、ロックバンドFUZZY CONTROLのJUON。DREAMS COME TRUE吉田美和は義娘にあたる[3]

略歴[編集]

福岡県福岡市天神生まれ[4]唐人町などで育ち[4]、小学校3年から東京で育つ[5]。母は中洲でバー「翡翠」を経営[4]、父は米空軍将校で、りりィはハーフ[1]。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた[1]。10歳で家族と一緒に上京[4]東映の児童劇団に1年半所属[1][4]。東映在籍中の1966年緑魔子主演の『非行少女ヨーコ』にちょい役で出演(ラーメン屋につとめるヨーコがどんぶりを落として割るところを蔑んで見る娘役)[4]。高校には行かず、彼女が17歳のとき母が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りをする。「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元[1]。「ィ」がカタカナなのは、なんとなく自分で変えたという[1]

1971年下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。イギリスのフォークシンガー、ドノヴァンの楽曲「ラレーニア」(Lalena)から採ったレーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。

所属事務所はモス・ファミリ(小澤音楽事務所系)[4]。本格的に曲作りを始めたのは山上路夫からの勧めがきっかけ[4]。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが[4]、風邪をひいた日に二升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという[4]1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバムたまねぎ』で歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで注目され、1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒット[6]を記録する。この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌った[7]という。

24歳のときに結婚するが1年で別居し、7年後の1981年に離婚した[1]

東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」と回想している。主なメンバーとして坂本のほか、木田高介土屋昌巳伊藤銀次吉田建斉藤ノブ井上鑑国吉良一などが参加しており、長らく活動して全国のライブハウスなどを回っていた。

1982年ビクター音楽産業に移籍。その後、2度目の結婚をし、活動休止。1985年、一人息子のJUONをもうけた。子育て中は埼玉県狭山市に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、JUONが中学生になり子育てが一段落した1997年TBS系テレビドラマ「青い鳥」に出演し、芸能活動を再開した。

1993年3月、音蔵シリーズと称する過去アルバム作品群のCD化プロジェクトにより、『たまねぎ』『Dulcimer』『タエコ』『ラブ・レター』がそれぞれCD化・発売される。

1999年からは斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成し、全国各地で活動した。

テレビドラマ『3年B組金八先生』で共演した上戸彩とも親交があった。

2009年に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。

2012年2013年には過去のアルバム作品が相次いで再発売された。まず、2012年1月にはEMI ROCKS The Firstシリーズの1枚として、ファーストアルバム『たまねぎ』がデジタルリマスタリングされた音源に紙ジャケット仕様で復刻され、同年11月には『Dulcimer』『タエコ』『りりィ・ライヴ』『ラブ・レター』『りりシズム』の5枚が、2013年には初CD化となる『オーロイラ』『マジェンタ』の2枚が、デジタルリマスタリング音源でタワーレコード限定で再発売された。

晩年肺がんと闘病し、2016年11月11日死去、64歳歿[8][9][3]。定期検診で静養が必要と診断され、同年5月からライブ活動を中止していた[10]

その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUEの中村正人[11]俳優泉谷しげる[12]映画監督青山真治[13]アニメ監督山崎理[14]など、多くの著名人から追悼のコメントが出されている。

音楽作品[編集]

シングル[編集]

  • 「にがお絵」 (c/w 「恋するリリィ」)(1972年)B面のみ 角田ヒロ高中正義リリィ名義[15]
  • 「にがお絵」(c/w 「私の映画」)(1972年5月5日)
  • 「クイズの賞金」(c/w 「沖縄にて」)(1972年10月5日)[16]
  • 心が痛い」 (c/w「スプリング・ハズ・カム」) (1973年7月5日) - オリコン72位
  • 私は泣いています」(c/w「皮肉」) (1974年3月5日)[17] - 両面ともシングル・バージョン。オリコン3位
  • 「風のいたみ」(c/w「バイ・バイ・セッション・バンド」)(1974年9月5日) - オリコン43位
  • 「しあわせさがし」 (c/w「春早朝」) (1975年3月5日)[18] - オリコン40位
  • 「月のセレナーデ」 (c/w 」あなたの影が去った時」)(1975年10月5日)
  • 「家へおいでよ」 (c/w「オレンジ村から春へ」) (1976年3月20日)[19] - オリコン14位
  • 「涙のない町」(c/w「さようならになった日」) (1976年10月1日)
  • 「ミス・キャロン・ターバット」(c/w 「心は夏に誘われて」)(1977年5月5日)
  • 「綺麗になりたい」(c/w 「ラブ」) (1977年9月21日)
  • 「さわがしい楽園」(c/w 「水鏡のなか」) (1978年2月5日)
  • 「E・S・P」(c/w 「気にしないで」) (1978年5月5日)
  • 「ベッドで煙草を吸わないで」(c/w 「ひとりよりふたり」)(1978年9月20日)
  • 「おやしらず」(c/w 「P.S. I LOVE YOU」) (1979年3月20日)
  • 「涙の第三京浜」(c/w「ジュリア」) (1980年11月5日)
  • 「涙のドライビング」(c/w 「天動説の女」) (1981年4月5日)
  • 」(c/w 「女心」) (1981年12月5日)※東芝EMIでの最後のシングル。
  • 「モダン・ロマンス」(c/w「ペントハウスで恋をして」)(1982年7月5日)※ビクター移籍第一弾シングル。
  • 「さらさら」(c/w 「誘惑」) (1982年10月5日)
  • 「Wooman」(c/w 「グッバイ・シティ」)(1983年1月10日)
  • 「さよならアリス」(c/w「ハッピーバース」)(1983年7月21日)
  • 「風のバレリーナ」(c/w「白い旅人」)(1986年9月21日) - オリコン47位
  • 「夢のエレメント 〜勇者達への鎮魂歌〜」(OVA『戦国奇譚妖刀伝』の『炎情の章』『総集編』エンディングテーマ)(1987年)
  • 「さよならロンリネス」(c/w「Really Want You, Lover」)(1988年5月21日)
  • 「Rescue you」(c/w 「天使の記憶」)(1989年6月7日)
  • 「でも さよならが言えない」(c/w 「風の子守唄」)(1995年2月22日)りりィ in PAB名義

アルバム[編集]

  • たまねぎ(ONION)』(1972年2月5日)※初回プレスはジャケットデザインが違う。
  • Dulcimer(ダルシマ)』(1973年7月5日)[20]
  • 『タエコ』(1974年6月5日)
  • 『りりィ・ライヴ』(1974年12月1日) - ここまで木田高介プロデュース
  • 『ラブ・レター』(1975年5月20日)
  • 『オーロイラ』(1976年5月20日)
  • 『りりシズム』(1977年6月5日)
  • 『気にしないで』(1978年6月5日)※未CD化。
  • 『マジェンタ』(1979年6月5日)
  • 『南十字星』(1980年11月5日)
  • 『モダン・ロマンス』(1982年5月5日)※ビクター移籍第一弾。未CD化。
  • 『Say』(1983年3月5日)※未CD化。
  • 『fairy tale』(1988年12月16日)
  • 『愛』(1995年6月21日)※りりィ in PAB名義
  • 『フロム〜ツインボーカル〜』(2008年4月23日)※Lily-Yoji名義

ベスト・アルバム[編集]

  • 『P.S. I LOVE YOU 1972〜1981』(1981年12月5日/東芝EMI)※初ベスト、未CD化。
  • 『P.S. I WANT YOU -scene 1974〜1986-』(1986年12月16日/ビクター)※東芝EMI時代の楽曲も収録。
  • 『TWIN BEST りりィ』(1996年11月27日/東芝EMI)
  • 『BEST COLLECTION』(1998年/東芝EMI)※The CD Club通信販売限定
  • 『ゴールデン☆ベスト りりィ』(2004年11月17日/東芝EMI)

楽曲提供[編集]

歌手 タイトル 作詞/作曲 収録盤 (【S】はシングル) 備考/規格品番
藍とも子 1983 フルムーン・ナイト・パーティー 作詞作曲 春画 YV25-1014
大原麗子 1978 待つことになれて 作詞作曲 愛のつづれ織り L-11002R
かまやつひろし 1975 DARLING 作詞作曲 あゝ我が良き友よ ETP-72033
キャンディ・レイ 1978 ただいま思春期 作曲 初恋のメルヘン【S】 GK-192
桑名正博 1983 GROOVY NIGHT 作詞 WOMANIAC 28MS0029
沢田研二 1979 アムネジア 作詞作曲 ロンリー・ウルフ【S】 DR-6355
サンディー・アイ 1975 愛のメロディー 作詞 くちづけは許して AX-8029
日曜日の午後 作詞作曲
鈴木ヒロミツ 1976 いつでも帰っておいでよ 作詞作曲 永遠の輪廻 ETP-72205
中山エミコ 1981 A MEMORY OF YOU 作詞 Mr.ロンリー【S】 ETP-17231
水島裕 1983 初恋少女 作詞作曲 彩の季節【S】 VIHX-1622
都はるみ 1979 港という字は涙の巷 作曲 えとらんぜ AX-7203
横山みゆき 1980 誰かいい人みつけて 作詞作曲 紫陽花【S】 GK-395

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

ラジオドラマ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 週刊朝日』1982年8月6日号、42-46頁
  2. ^ 1972年は数多くの女性シンガーソングライターがデビューした年だが、りりィのデビューは1972年2月5日であり、谷山浩子1972年4月25日)、荒井由実1972年7月5日)、五輪真弓1972年10月21日)らより早くデビューを果たしている。
  3. ^ a b りりィ肺がんで死去、JUONや吉田美和に見守られながら”. 音楽ナタリー (2016年11月11日). 2016年11月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j サンデー毎日』1982年7月4日号、158-162頁
  5. ^ 読売新聞社文化部 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』 社会思想社1997年1月、320頁。ISBN 4390116010 
  6. ^ これは累計の数字。古い資料によっては76万枚。自身の公式サイトでは大雑把に100万枚としている。
  7. ^ CD『木田高介アンソロジー 〜どこへ 1969-1980』ソリッド、 2011年、ブックレット中のインタビューより
  8. ^ “りりィさん死去 64歳「私は泣いています」が大ヒット”. 報知新聞. (2016年11月11日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161111-OHT1T50082.html 2016年11月11日閲覧。 
  9. ^ “りりィさん死去 64歳 肺がん闘病中だった「私は泣いています」大ヒット”. デイリースポーツ. (2016年11月11日). http://www.daily.co.jp/gossip/2016/11/11/0009656865.shtml 2016年11月11日閲覧。 
  10. ^ りりィ+よーじ から・・お詫びとお知らせ Lily+Yoji
  11. ^ “ドリカム・中村正人、りりィさんを追悼「吉田(美和)も『りりたん』と呼ばせて頂くほど慕っていました」”. ORICON STYLE. (2016年11月11日). http://www.oricon.co.jp/news/2081325/full/ 2016年11月12日閲覧。 
  12. ^ “泉谷しげる りりィさん哀悼「あの声ゾクゾクした」…対談でケンカも明かす”. デイリースポーツ. (2016年11月12日). http://www.daily.co.jp/gossip/2016/11/12/0009658870.shtml 2016年11月12日閲覧。 
  13. ^ “青山真治氏「ただただ悔しくて」/りりィさん悼む”. 日刊スポーツ. (2016年11月11日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1736910.html 2016年11月12日閲覧。 
  14. ^ LeeYamakunのツイート(796939064863641600)
  15. ^ アルバム『たまねぎ』プロモーション・シングル。B面は角田ヒロが歌う英語詞の曲に乗って『名前はリリィ。あと28日で二十歳』など本人のナレーションが入る。非売品
  16. ^ 1974年7月に別の品番で再発され、オリコン85位。オリジナル盤と若干ジャケットデザインが異なるが音源は同一。
  17. ^ このシングルまでの4枚は「リリィ(カタカナ表記)」名義。
  18. ^ B面曲「春早朝」は資生堂1975年春のキャンペーンソングに使われた。
  19. ^ 前年に続き、B面曲「オレンジ村から春へ」が資生堂1976年春のキャンペーンソングに使われた。 また、後年宮崎県で、「サンA」のブランドで知られている宮崎県農協果汁のオレンジジュースのCMソングにも使われた。
  20. ^ LP盤レーベルに記載されていたでたらめな英語タイトル(当時の東芝EMIエキスプレスはよくそういうことがあった):1.GOOD BY OF STRANGER 2.I LEFT MY BLUES 3.MY DEAR Mr.ROMANCE 4.JUN 5.PIPE LOVE 6.NOTHING BY MOUTH 7.SPRING HAS COME 8.DAY BREAK 9.DON'T EAT THE APPLE 10.AS I CAN'T SLEEP(2) 11.WHY
  21. ^ 押井守“若者が壊れる瞬間”を凝視、「東京無国籍少女」で清野菜名が血まみれに”. 映画ナタリー (2015年5月22日). 2015年5月25日閲覧。
  22. ^ 映画『FOUJITA』”. シネマトゥデイ. 2015年10月8日閲覧。
  23. ^ ★追憶(2017)“生田斗真がトランスジェンダー演じる主演作、追加キャストにミムラ、門脇麦ら5人”. 映画ナタリー. (2016年6月20日). http://natalie.mu/eiga/news/191409 2016年6月20日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]