吉田美和
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吉田 美和 | |
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出生名 | 吉田 美和 |
別名 |
MIWA 観音崎すみれ 岡リーナ |
生誕 | 1965年5月6日(57歳) |
出身地 |
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学歴 | 北海道帯広柏葉高等学校 |
ジャンル | J-POP |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 |
DREAMS COME TRUE(1988年 - 現在) 吉田美和(ソロ)(1995年、2003年) FUNK THE PEANUTS(1995年 - 1999年、2014年、2017年、2018年、2019年) |
レーベル |
DREAMS COME TRUE エピック・ソニー・レコード(1988年 - 1997年) 東芝EMI・Virgin/D.C.T.(1997年 - 2002年) DCT records(2002年 - ) ユニバーサルJ(2003年 - 2006年) NAYUTAWAVE RECORDS(2007年 - ) 吉田美和(ソロ) エピック・ソニー・レコード(1995年) DCT records(2003年) FUNK THE PEANUTS エピック・ソニー・レコード(1995年 - 1997年) 東芝EMI・Virgin/D.C.T.(1999年) |
共同作業者 | DREAMS COME TRUE |
公式サイト | miwa yoshida official site |
吉田 美和(よしだ みわ、1965年5月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。音楽グループDREAMS COME TRUE(ドリカム)のボーカルで、同グループの楽曲の全ての作詞と数多くの作曲を手がけている。北海道中川郡池田町出身[1]。血液型A型。一人称は「おいら」もしくは「あっし」。
経歴[編集]
池田町立池田小学校[2]、同池田中学校卒業。中学時代に学校祭でバンドを結成し、自作の曲を発表。北海道帯広柏葉高等学校在学中、西川隆宏と出会う。中村正人と初めて会った時、彼に「うれしはずかし朝帰り」「週に一度の恋人」を地下鉄の中で歌って聴かせた。その時、中村正人からボーカルとしての高い才能を評価され、バンド結成を持ちかけられた。その後、小泉今日子や中山美穂のバックボーカルや、中村正人と共にとんねるずなどのバックバンドに参加しながら、ドリカムの前身と言える「CHA-CHA & AUDREY's PROJECT」を結成、ライブ活動を行う。
1995年にはアルバム「beauty and harmony」でソロデビュー。アルバムの題名は名前の「美」と「和」を英訳したところから名づけられた。ニューヨーク・LAで活躍するマイケル・ブレッカーやデイヴィッド・T・ウォーカー、 ラルフ・マクドナルド、チャック・レイニー、ハービー・メイソン、グレッグ・アダムスらのトップミュージシャン達と共演を果たし、マリーナ・ショウのアルバム「フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ」とほぼ同じバックが固める。レコーディング時とほぼ同一メンバーと共に全国ツアーを行った。
2003年3月、交際中だった映像ディレクター、末田健の離婚が成立(末田は吉田の9歳年下で、一児を持つ既婚者だった)。2004年5月に婚姻届を提出しない事実婚という形での結婚を発表。
2004年12月公開の映画『アマレット』を自主制作し、中村正人とともに初の原案・主演を果たす。同年、NHK全国学校音楽コンクールの課題曲として「未来を旅するハーモニー」を作詞作曲。
2006年には、有楽町西武のシンボルキャラクターに起用された。
2008年、10年振りに改訂された広辞苑 第六版の広告媒体に著名人8人の1人として起用される。キャンペーン統一テーマは「ことばには、意味がある。」で、吉田を象徴する言葉として「愛」とともに登場した[3]。
同年10月13日、吉田の出身地である北海道池田町から、同町初の町民特別栄誉賞を受賞。
2012年3月21日、FUZZY CONTROLの鎌田樹音と3月8日に入籍した事を発表した[4]。
人物[編集]
作曲家としても数多くの曲を作っているが、楽譜が読めないことを公言している。そのため、作曲の際には吉田が書いた独特のメモを元に中村が採譜している。楽器の演奏も不得手だがオカリナは得意としており、『琥珀の月』(『DELICIOUS』に収録)では吉田のオカリナ演奏が収録されているほか、ライブにおいてはしばしば、ピアノ・ティンパニー・パーカッションなどの演奏も披露されている。
FUNK THE PEANUTS・アンドレ中村とオホーツクボーイズといったドリカムの変名ユニットでの活動時や、他のアーティストへ歌詞を提供する際には「観音崎すみれ」のペンネームを使用することがある(「アマレット」における彼女の役名でもある)。また、アンドレ中村とオホーツクボーイズでは「岡リーナ」の変名を使用していた(前述の通りオカリナが得意であることにちなんだもの)。
「降らせ物」(上から大量に物が降ってくるもの)が苦手で、大量に物が降ってくるとすぐに泣いてしまう。『うれしたのし大好き』(フジテレビ系)に出演していた当時はその性質を番組ディレクターの清水淳司に見抜かれ、番組では吉田を泣かせるために要所で風船などを降らせる演出が使われていた[5]。
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
- 涙の万華鏡 -m.yo mix-(2003年5月6日)
- 涙の万華鏡 -m.yo mix-/あなたのかわいい人 -radio mix-(J-WAVE「LIVING IN TOKYO〜夢と冒険の世界へ〜」キャンペーンソング)
アルバム[編集]
- beauty and harmony(1995年12月18日)
- beauty and harmony/つめたくしないで/泣きたい/バイバイ/パレードは行ってしまった/A HAPPY GIRLIE LIFE/DARLIN'/冷えたくちびる/奪取/生涯の恋人/beauty and harmony〜reprise
- beauty and harmony 2(2003年5月6日)
- theme of beauty and harmony 2/涙の万華鏡/どうしてこんなに/お願いします/夢の続き/あなたのかわいい人/the lessons/おとなじゃん!/告白/theme of beauty and harmony 2 for strings
映像[編集]
- miwa yoshida concert tour beauty and* harmony(VHS:1996年 DVD:2003年11月19日)
参加作品[編集]
ドリカム(及びFUNK THE PEANUTS・アンドレ中村とオホーツクボーイズ)、ソロ活動以外にも、ボーカリストとしていくつかの作品に参加している。
- 3 VIEWS(3 VIEWS、2000年)- ドラマーの村上"ポンタ"秀一を中心としたユニットのアルバム。メドレーでボーカルを担当。
- Wishing A Special Christmas To You(Full Of Harmony、2000年)
出演[編集]
ラジオ番組[編集]
- 今夜もフリー&フリー 吉田美和のWhat's Up?(文化放送、1989年10月 - 1990年3月)- 『今夜もBREAK OUT ラジオバカナリヤ』枠で放送。
CM[編集]
プロデュース[編集]
脚注[編集]
- ^ “ドリカム、北海道地震に「言葉が見つからない」…吉田美和が池田町出身”. スポーツ報知. (2018年9月6日) 2018年9月7日閲覧。
- ^ “吉田美和が母校へ、今晩「NEWS ZERO」にドリカム登場”. 音楽ナタリー (2015年10月14日). 2015年10月18日閲覧。
- ^ 広辞苑 第六版プレスリリース (PDF) - 岩波書店(2008年1月)
- ^ ご報告です。 - ドリブログ・2012年3月21日
- ^ 吉田美和は風船に弱い! - 美術Pは見た!・2007年6月27日
- ^ 19年ぶり、ドリカム吉田美和が化粧品のCM出演/ファンケル「新・無添加スキンケア 誕生」編アドタイ2012年3月28日
- ^ “what mee mee wants”. DCTentertainment. 2017年10月13日閲覧。
- ^ “ドリカム吉田美和、初のオリジナル香水をプロデュース。吉田が“世界でいちばん好きな香り”とは!?”. M-ON! MUSIC (2017年3月21日). 2017年10月13日閲覧。