ハムレット
『ハムレット』(Hamlet)は、シェイクスピア作の悲劇5幕から成り、1601年頃に書かれたと推測される[1]。「デンマークの王子ハムレットが、父王を毒殺して王位に就き、母を妃とした叔父に復讐する物語」である[2]。
正式題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」(The Tragicall Historie of Hamlet, Prince of Denmarke あるいは The Tragedie of Hamlet, Prince of Denmarke) で、続く『オセロ』『マクベス』『リア王』と共にシェイクスピアの四大悲劇の一つとされ、「1人の知識人の精神史を描いたものとして世界の演劇史上に特筆すべき作品」と評される[1]。およそ4000行で、シェイクスピアの戯曲の中で最長である[3]。
主人公のハムレットについては、イギリスのロマン主義を代表する詩人・批評家でシェークスピアを神格化した[3]コールリッジ[4]による「悩める知識人」像が一般的だが[3]、「近年は自己克服をした行動人ハムレットという解釈も有力である。」[5]
『ハムレット』の話はハムレット伝説といわれる[6]北欧の伝説が元になっており、デンマークの歴史家サクソ・グラマティクスが12世紀に書いた『デンマーク人の事績』(Gesta Danorum)にハムレット王子の原話が出ていて[1]、モデルになったアムレート(Amleth)の武勇が伝えられている。シェークスピアに直接影響を与えたのは、イギリスの劇作家トマス・キッドが書いた『スペインの悲劇』という1587年ごろ初演された戯曲とされている[7][8]。また、研究者が「原ハムレット」と呼ぶ現存しない戯曲があって、1580年代末にロンドンで初演されて人気があった作者不明の作品がおそらくシェークスピアの『ハムレット』の直接の下敷きであろうとされている[1][9]。「原ハムレット」の作者をトマス・キッドと推定する説がある[1][8][9]。
登場人物
- ハムレット(Hamlet):デンマーク王国の後継者。
- ガートルード(Gertrude):ハムレットの母親。クローディアスと再婚している。
- クローディアス(Claudius):ハムレットの叔父。ハムレットの父の急死後にデンマーク王位についている。
- 先王ハムレットの亡霊(King Hamlet, the Ghost):先代のデンマーク王。ハムレットの父。クローディアスの兄。
- ポローニアス(Polonius):デンマーク王国の侍従長。王の右腕。
- レアティーズ(Laertes):ポローニアスの息子。オフィーリアの兄。
- オフィーリア(Ophelia):ハムレットの恋人。ポローニアスの娘。
- ホレイショー(Horatio):ハムレットの親友。
- ローゼンクランツとギルデンスターン(Rosencrantz and Guildenstern):ハムレットの学友。
- フォーティンブラス(Fortinbras):ノルウェー王国の後継者。
- オズリック(Osric):廷臣。ハムレットとレアティーズの剣術試合で審判を務めた。
あらすじ
王が急死する。王の弟クローディアスは王妃と結婚し、後継者としてデンマーク王の座に就く。父王の死と母の早い再婚とで憂いに沈む王子ハムレットは、従臣から父の亡霊が夜な夜なエルシノアの城壁に現れるという話を聞き、自らも確かめる。父の亡霊に会ったハムレットは、実は父の死はクローディアスによる毒殺だったと告げられる。
復讐を誓ったハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに憂慮するが、宰相ポローニアスは、その原因を娘オフィーリアへの実らぬ恋ゆえだと察する。父の命令で探りを入れるオフィーリアを、ハムレットは無下に扱う。やがて、王が父を暗殺したという確かな証拠を掴んだハムレットだが、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたポローニアスを、王と誤って刺殺してしまう(「ねずみかな」という台詞があるが、本当にねずみと思っていたわけではない)。オフィーリアは度重なる悲しみのあまり狂い、やがて溺死する。ポローニアスの息子レアティーズは、父と妹の仇をとろうと怒りを募らす。ハムレットの存在に危険を感じた王はレアティーズと結託し、毒剣と毒入りの酒を用意して、ハムレットを剣術試合に招き、秘かに殺そうとする。しかし試合のさなか、王妃が毒入りとは知らずに酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズ両者とも試合中に毒剣で傷を負う。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を殺して復讐を果たした後、事の顛末を語り伝えてくれるよう親友ホレイショーに言い残し、この世を去ってゆく。
構成
- 第一幕
- 第一場 - エルシノア城。その前の防壁の上。
- 第二場 - 城内。国務の間。
- 第三場 - ポローニアスの館。その一室。
- 第四場 - 防壁の上。
- 第五場 - 防壁の上、別の場所。
- 第二幕
- 第一場 - ポローニアスの館。その一部屋
- 第二場 - 城内の一室。
- 第三幕
- 第一場 - 城内の一室。
- 第二場 - 城内の大広間。
- 第三場 - 城内の一室。
- 第四場 - ガートルード妃の部屋。
- 第四幕
- 第一場 - ガートルード妃の部屋。
- 第二場 - 城内の一室。
- 第三場 - 城内の、別の一室。
- 第四場 - ガートルード妃の部屋。
- 第五場 - 城内の一室。
- 第六場 - 城内の、別の一室。
- 第七場 - 城内の、別の一室。
- 第五幕
- 第一場 - 墓地。
- 第二場 - 城内の大広間。
原書
ハムレットには三つの異なる印刷原本が存在しており、二つの四折版(quatro)をQ1とQ2、もう一つの二折版(folio)をF1と呼ぶ。
- Q1(1603年、約2150行):短縮版を役者の記憶に基づき再現(マーセラス役の俳優を買収か?)した海賊版とされているが、現在では真正であり、Q2の原型ではないかと考えられている(安西徹雄の訳により光文社 から2010年に出版されている(ISBN 4334752012))。
- Q2(1604年 - 1605年、約3700行):草稿版。真正かつ完全なる原稿であり、海賊版に対抗して(現在の説ではQ1の改訂版として)出版された。
- F1(1623年、Q2の230行を削り、80行追加):演出台本版。劇団保管の演出台本にQ2を参考にして制作された。
有名な台詞
- Frailty, thy name is woman.
- これは、ハムレットが夫の死後すぐに義理の弟であるクローディアスと再婚した母・ガートルードに対する批難の台詞である。日本語では、坪内逍遥などが「弱き者よ、汝の名は女」と訳したものがよく知られている
- 。しかし、この訳文では弱き者とは即ち保護すべき対象を指し、レディーファーストの意と誤解をしばしば招くことがあり、坪内も後に「弱き者」を「脆(もろ)き者」と再翻訳している。なお、この台詞は当時の男性中心社会の中で、女性の貞操観念のなさ、社会通念への不明(当時のキリスト教社会では、義理の血縁との結婚は近親相姦となりタブーであった)などがどのように捉えられていたかを端的に表す言葉としても有名である。また、語呂の良さから、様々な場所で引用の対象とされる(例:松原正作の戯曲『脆きもの、汝の名は日本』)。
- To be, or not to be
- これは劇中で最も有名な唄である。明治期に『ハムレット』が日本に紹介されて以来、この台詞は様々に訳されてきた。『ハムレット』は、読者の視点によって多様に解釈できる戯曲であるが、この現象はその特徴を端的に現していると言える。この台詞は有名ではあるが、訳すのが非常に困難だとされている。「To be or not to be, that is the question.」という文は、この劇全体からすれば、「(復讐を)すべきかすべきでないか」というようにもとれる。しかし、近年の訳では「生きるべきか死ぬべきか」という訳が多い。初期の日本語訳の代表的なものには、坪内逍遥の「世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ」(1926年)などがある[10]。
- Get thee to a nunnery!
- これは、ハムレットがオフィーリアに向かって言った台詞であり、特に論議を呼ぶ場面を構成する。大きく分けて二つの解釈がある。
- 尼寺を単純に「売春宿」と解釈するかしないか、については研究者の間でも議論があり、決着がついているわけではない。ただし、「尼寺」を「売春宿」と解釈する研究者は少ないと言われている。
映画
- 1948年版
- ローレンス・オリヴィエが監督し、自らハムレットを演じている。共演はジーン・シモンズ / ベイジル・シドニー / アイリーン・ハーリー / ピーター・カッシング / クリストファー・リー。音楽はウィリアム・ウォルトン。白黒で重厚な雰囲気を持つ不朽の名作と言われ、第21回アカデミー賞にて作品賞・主演男優賞を始めとした5部門を受賞。
- 悪い奴ほどよく眠る(1960年)
- 黒澤明監督作品。厳密には別の映画だが、ハムレットの内容を下地にしているのは明らかである[要出典]。日本の昭和時代が舞台。
- 1964年版
- グレゴリー・コージンツェフ監督によるソ連映画。ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、イギリス版をしのぐと評判になった。日本では長い間観ることが難しかったが、現在はDVDが発売されている。音楽はドミートリイ・ショスタコーヴィチによる。
- 1969年版 ヒロインにマリアンヌ・フェイスフルを起用
- 1990年版
- フランコ・ゼフィレッリ監督。ハムレットを演じたのはメル・ギブソン。ヘレナ・ボナム=カーター、グレン・クローズ、イアン・ホルム、ピート・ポスルスウェイト共演。
- 1996年版
- ケネス・ブラナーが監督し、自らハムレットを演じている。舞台は中世ではなく19世紀のデンマーク王国に置き換えられ、劇中では産業革命の産物である蒸気機関車が出てくるシーンがあるものの、シェイクスピアの世界を豪華に、また台詞を1つもカットせずに4時間にわたって描き出した。共演はケイト・ウィンスレット他、豪華キャストが出演。
- 2000年版
- マイケル・アルメレイダ監督作品。舞台を現代のニューヨークに移し、デンマーク王国もマルチメディア企業に置き換えられているが、台詞はそのままとなっている。ハムレットはイーサン・ホークが演じている。ジュリア・スタイルズ、カイル・マクラクラン共演。
- 女帝 [エンペラー](2006年)
- 馮小剛監督による香港・中国の合作映画。チャン・ツィイー主演で中国王朝時代に置き換え、主人公をガートルート側に置いている。
クラシック音楽
- ドメニコ・スカルラッティ:オペラ『ハムレット』
- アンブロワーズ・トマ:オペラ『ハムレット』(1868年)
- フランツ・リスト:交響詩『ハムレット』
- チャイコフスキー:幻想序曲『ハムレット』、劇付随音楽『ハムレット』
- プロコフィエフ:劇付随音楽『ハムレット』
- ショスタコーヴィチ:劇付随音楽『ハムレット』
- アルフレッド・リード:「ハムレット」への音楽
- フランコ・ファッチョ:『アムレット』
漫画
ゲーム
- Golden Glitch:『Elsinore』
- Elsinore(外部リンク)
オーディオドラマ
日本における舞台化
翻案による上演
翻訳による上演
- ROCK OPERA『HAMLET』-To be or not to be -(1993年、中野サンプラザ)
- ジャイルス・ブロック脚本・演出『ハムレット』(1995年初演)
- 人形劇団クラルテ公演「ハムレット」(2001年初演・2017年再演)
- Bunkamura30周年記念 シアターコクーン・オンレパートリー2019 DISCOVER WORLD THEATRE vol.6「ハムレット」(2019年)
- サイモン・ゴドウィンが演出。Bunkamura シアターコクーンと森ノ宮ピロティホールで上演された。
- ハムレット役を岡田将生、オフィーリア役を 黒木華が務めた。
- 「5 Guys Shakespeare - Act1 :[HAMLET]」(2020年)
備考
- 英語で演技の下手な役者のことを「ham」と呼ぶ。これには諸説あり、OEDによると19世紀後半のアメリカで黒人の低レベルな役者を指してhamfatterと呼んだことにちなんでいる。これを短縮して、hamが下手な役者、あるいは素人を意味するようになった。hamfatterとは当時のあるミンストレルのタイトルThe Ham-Fat Manに由来しており、ハムレットとは関係が無いと言ってよい。
また、俗説として「ハムレット」に関係しているとするものがある。それは、
- 下手でもハムレット役を演じれば人気が出るから
- 下手な役者はこの役を解釈しきれずオーバーに演じることから
- 下手な役者ほどハムレット役をやりたがる
などである。
- ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』の主人公であるハンバート・ハンバートは、小説の本編において自らを何度も「ハム」と呼んでいる。
- 毎年夏、デンマーク東端にあるクロンボー城内ではHAMLET SOMMER(ハムレット演劇)が上演されている。
- オリジナルの上演では、シェイクスピア自身が、亡霊(父ハムレット)を演じたと言われている。
- バイロンの詩劇『マンフレッド』の冒頭に、『ホレイショーよ、天と地の間にはお前の哲学が夢見る以上のものがあるのだ。』(There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy.)という第1幕、第5場166-167行のハムレットの台詞の引用がある。
- 日本の音楽グループであるP-MODELの曲に「To be, or not to be」に因んだ『2D OR NOT 2D』という曲が有る。
脚注
- ^ a b c d e f 小津二郎「ハムレット」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ 「ハムレット」『デジタル大辞泉』小学館、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ a b c 狩野良規「研究ノート ハムレットの悩み」青山国際政経論集103号、青山学院大学国際政治経済学会、2019年、207頁。
- ^ 「コールリッジ」『旺文社世界史事典』三訂版、旺文社、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ 「ハムレット」『百科事典マイペディア』平凡社、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ 「サクソ・グラマティクス」『世界大百科事典』平凡社、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ 「スペインの悲劇」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ a b 笹山隆「キッド」『世界大百科事典』平凡社、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ a b 「ハムレット」『世界大百科事典』平凡社、コトバンク。2021年3月2日閲覧。
- ^ 上記、河合祥一郎訳の角川文庫版巻末に添えられた解説にこの台詞の諸訳が年代順に40近く列挙されている。
- ^ a b c 「ハムレット」(土肥春曙に言及した箇所)『世界大百科事典』平凡社、コトバンク。2021年3月3日閲覧。
- ^ “ネルケプランニングHAMLET公式”. 2020年11月22日閲覧。
関連文献
主要校訂本
- (アーデン版)、"Hamlet"(Third Series)、Ed. by Ann Thompson & Neil Taylor、2006年、ISBN 1904271332
- (オックスフォード版)、"Hamlet"、Ed. by G.R.Hibbard、Clarendon Pr.、1987年、 ISBN 0198129106
- (新ケンブリッジ版)、"Hamlet, Prince of Denmark"、 Ed, by Philip Edwads、Cambridge University Pr.、2003年、ISBN 0521532523
註解書
- 久保井一雄、『ハムレット注釈』、近代文芸社、 1996年、ISBN 4773351527
- 高橋康也、河合祥一郎(編集)、『ハムレット』、大修館書店、2001年、ISBN 4469142522
- 大場建治、『ハムレット』、研究社、2004年、ISBN 4327180084
日本語訳テキスト
題名は特記したもの以外は全て『ハムレット』
- 安西徹雄訳、『ハムレットQ1』、光文社古典新訳文庫、2010年2月、ISBN 4334752012
- 市河三喜、松浦嘉一訳、旧岩波文庫、1957年
- 小田島雄志訳、白水社、のち白水Uブックス、1983年、ISBN 4560070237
- 河合祥一郎訳、『新訳 ハムレット』、角川文庫、2003年、ISBN 4042106145
- 木下順二訳、「シェイクスピア. 5」講談社、1988年、ISBN 4061800655
- 坪内逍遥訳、『ザ・シェークスピア 愛蔵新版―全戯曲』、第三書館、2007年、ISBN 4807407104
- 永川玲二訳、集英社文庫、1998年、ISBN 408752051X
- 並河亮訳、建設社、1950年
- 野島秀勝訳、岩波文庫、2002年、ISBN 4003220498
- 福田恆存訳、新潮文庫、1967年、改版1991年、ISBN 4102020039
- 本多顕彰訳、旧角川文庫、1966年改版
- 松岡和子訳、ちくま文庫、1996年、ISBN 4480033017
- 三神勲訳、河出書房、1953年
- 横山有策訳、大泉書店、1949年
日本語訳全集
- シェイクスピア大全、新潮社、2003年、ISBN 4108500385
関連項目
- 復讐悲劇
- 原ハムレット
- 新ハムレット
- ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ
- 藤村操
- アムレート
- モスクワ芸術座版『ハムレット』 - コンスタンチン・スタニスラフスキーとエドワード・ゴードン・クレイグが組んだ上演。
- ベイ・シティ・ブルース - 宝塚歌劇。1940年代後半のアメリカ合衆国・西海岸の大都市を舞台に展開するマフィア版の作品。
外部リンク
- http://www.shakespeare-literature.com/Hamlet/
- ハムレットの翻訳史 - ウェイバックマシン(2004年9月7日アーカイブ分)
- HyperHamlet - research project at the University of Basel (English)
- 坪内逍遙訳 ハムレット - 物語倶楽部のインターネットアーカイブ。
- 「ハムレット」題材のタイムループADV『Elsinore』PC向けにリリース―時をかけるオフィーリア