出口典雄
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出口典雄(でぐち のりお、1940年5月2日 - 2020年12月16日[1])は、日本の演出家。劇団シェイクスピア・シアター主宰、同劇団附属演劇研究所講師。
来歴・人物
[編集]- 島根県松江市生まれ[2]。東京大学文学部美学科卒業。
- 1965年、文学座に入座。小田島雄志による「シェイクスピア研究会」に参加。
- 1972年、劇団四季へ移籍。
- 1975年、劇団シェイクスピア・シアターを旗揚げ。渋谷の小劇場ジァン・ジァンを拠点に『十二夜』の上演をスタートとしてシェイクスピア戯曲全37本の上演を目指す。翻訳は小田島雄志が担当。
- 1978年、第13回紀伊國屋演劇賞演出部門個人賞受賞。
- 1981年、『アントニーとクレオパトラ』の上演をもって全37作品の上演を達成。一人の演出家によるシェイクスピア全作品の演出・上演は世界初である。
- 現代風の演出に対して、福田恆存が批判し、NHK教育テレビで「Gパンハムレットを叱る」の題で、福田と出口の、それぞれのインタビューを組み合わせた疑似論争が行われた。
- 2020年12月16日、誤嚥性肺炎のため、死去[3]。80歳没。
主な演出作品
[編集]シェイクスピア戯曲全37作品
[編集]- 1975年~現在(シェイクスピア・シアター)
- 各地の高校で芸術鑑賞会としての公演も行っている。
シェイクスピア・シアター以外での主なシェイクスピア演出
[編集]- 1968年『ハムレット』(文学座)
- 1971年『十二夜』(文学座)
- 1972年『ハムレット』『トロイラスとクレシダ』『ロミオとジュリエット』(文学座アトリエ公演「シェイクスピア・フェスティバル」に於いて連続上演、出演:江守徹、倉野章子ほか)
- 1990年『夏の夜の夢』(シアターコクーン、出演:柴俊夫、峰さを理、宮崎美子、山下裕子ほか)
- 1991年『ペリクリーズ』(グローブ座カンパニー、出演:上杉祥三、山崎清介、峰さを理ほか)
シェイクスピア作品以外の演出
[編集]- 1974年『天保十二年のシェイクスピア』(井上ひさし作、初演)
- 1980年『三人姉妹』(アントン・チェーホフ作)
- 1984年『黒蜥蜴』オペラ全二幕(三島由紀夫原作)[4]
- 東京オペラ・プロデュース。
- 於:日本都市センターホール。
- 1985年『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(トム・ストッパード作)
- 1987年『ブラック・コメディ』(ピーター・シェファー作)
- 1987年『朱雀家の滅亡』(三島由紀夫作)
- 1989年『カム・ブロー・ユア・ホーン』(ニール・サイモン作)
- 博品館劇場製作。
- 於:博品館劇場。
- 1992年『マリアの首』(田中千禾夫作)
- 1995年『耳に蚤(疑いのとりこ)』(ジョルジュ・フェドー作)
- 2001年『桜の園』(アントン・チェーホフ作)
- 2002年『新ハムレット』(太宰治作)
- 2005年『エビスくん』(重松清原作)
- 2005年『シェイクスピア・リハーサル』(出口典雄作)
- 2007年『こころ』(夏目漱石原作)
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ 朝日新聞2020年12月22日朝刊
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.551
- ^ “劇団シェイクスピアシアター主宰・出口典雄、誤嚥性肺炎のため80歳で死去”. ステージナタリー (2020年12月22日). 2020年12月22日閲覧。
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
外部リンク
[編集]- 劇団シェイクスピアシアター
- 出口典雄本人によるブログ(2013年で更新停止)