マリアンヌ・フェイスフル
| マリアンヌ・フェイスフル Marianne Faithfull | |
|---|---|
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マリアンヌ・フェイスフル(2009年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Marianne Evelyn Gabriel Faithfull |
| 生誕 | 1946年12月29日 |
| 出身地 |
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| 死没 |
2025年1月30日(78歳没) |
| ジャンル | ロック、ポップ、フォーク、ジャズ、ブルース |
| 職業 | 歌手、ソングライター、俳優 |
| 担当楽器 | ボーカル、鍵盤楽器 |
| 活動期間 | 1964年 - 2025年? |
| レーベル |
デッカ・レコード デラム・レコード ロンドン・レコード NEMS コロムビア・レコード アイランド・レコード RCAレコード Instinct サンクチュアリ・レコード アンタイ・レコード ナイーブ |
| 共同作業者 |
アンドリュー・ルーグ・オールダム ミック・ジャガー ローリング・ストーンズ |
| 公式サイト |
www |


マリアンヌ・フェイスフル(英語: Marianne Faithfull、1946年12月29日 - 2025年1月30日)は、イギリス生まれの歌手、女優である。上層中流出身。かつての交際相手だったミック・ジャガーも上層中流出身だった。
生涯
[編集]生い立ち
[編集]1946年12月29日[1]にイギリス・ロンドン北部のハムステッドに生まれる。父親のロバートは大学教授[2]、母親のエヴァ[3]はオーストリアの名門貴族の家系出身で、先祖がハプスブルク家やレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホの血筋を引いている(マリアンヌの母方の曾祖父母の兄弟が、レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ)[4]。しかし家庭はそれほど裕福だったわけではなく、6歳のときに両親が離婚したため母と一緒にロンドンの西に位置するレディングに移り[5]、マリアンヌは修道院で育つことになる[6]。2009年、BBCのインタビューにおいて、従兄弟の死によってザッヘル=マゾッホ男爵家の家督を相続したと明らかにしている[7]。
スウィンギングロンドンの渦中へ
[編集]1964年から地元のコーヒーハウスでフォークソングを歌い始め[8]、交際中の美術商で"インディカ・ギャラリー"[注 1]オーナーのジョン・ダンバーが[5]ローリング・ストーンズのマネージャーアンドリュー・ルーグ・オールダムと知り合いだったので、パーティに出席したのをきっかけにオールダムに芸能界に誘われる[6]。彼女のために用意されたミック・ジャガー、キース・リチャーズ、オールダムが作曲した『As Tears Go By (涙あふれて)』で、1964年にでデビューを果たした[9]。たちまちヒットとなり、英国のシングルチャートで9位にランクインする。その後、1965年にはデビュー・アルバム『Marianne Faithful』をリリース。1966年の『North Country Maid』などでポップ・アイドルとしての地位を確立し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの一員となった[10]。彼女はデビューから数年間はエンジェル・ボイスと言われてきたが、1969年の『Sister Morphine (シスター・モルヒネ)』で、綺麗な歌声に変化が表れる[6]。
1965年にジョン・ダンバーと結婚したフェイスフルは息子のニコラス[11]を出産したが、その後すぐにミック・ジャガーと同居し交際が始まった[10]。1966年にダンバーと離婚し、本格的にのミック・ジャガーの恋人となった[2]。
フェイスフルには映画界やTVドラマの世界からも声がかかり、1966年公開のジャン=リュック・ゴダール監督、アンナ・カリーナ主演の『メイド・イン・USA』で映画デビューも果たす。1967年はアンナ・カリーナとセルジュ・ゲンズブール主演のTV映画『アンナ』では、歌を歌うだけのシーンだったが出演を果たした。1967年公開のマイケル・ウィナー監督、オーソン・ウェルズやオリヴァー・リードが出演した『明日に賭ける』、1968年公開のジャック・カーディフ監督、アラン・ドロン主演映画『あの胸にもういちど』で、ドロンと不倫関係に落ちる女性を演じた[12]。'60年代中盤にはウエスト・エンドの舞台に定期的に出演しており、グレンダ・ジャクソンと共に出演したアントン・チェーホフの『三人姉妹』やアンジェリカ・ヒューストンを相手役に迎えたウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』などで知られている[13]。
失墜と醜聞
[編集]フェイスフルはストーンズのヒット曲『Sympathy for the devil (悪魔を憐れむ歌)』 や『Wild Horses (ワイルド・ホース)』『I Got the Blues』『You Can't Always Get What You Want (無情の世界)』 などに影響を与えたほか、フェイスフルがミック、キースと共作した1971年のアルバム『Sticky Finger (スティッキー・フィンガーズ) 』収録の『Sticky Finger (シスター・モーフィン) 』ではヴォーカルも担当した[8]。その関係性の深さからストーンズのミューズとして知られる[3]。そして当時のストーンズを取り巻く状況の中で、彼女もまたドラッグ、アルコール、セックスの渦中へと沈み込んでいく[6]。
10代での結婚と出産、マリファナから始まったドラッグ嗜癖、同性との交渉を含むフリーセックス、アルコール、ロックを始めとするアート界との交流、ジャガーとの同棲と流産、睡眠薬を大量に飲んでの自殺未遂──。ドラッグ使用はLSD、アンフェタミン、コカインとエスカレートし、ほどなくジャンキー仲間も心配するほどの大量のヘロインを血管に注射することが彼女の日常の一部となった。1日1本のジャックダニエルを空にする生活がルーティンになるのは、間もなくのことである[14]。
事件は1967年2月、キース・リチャーズのサセックス州レッドランズの自宅にミックと美術商のロバート・フレイザーが訪れていたところ、警察に薬物関連の家宅捜査で急襲に遭ったというものだが、全裸でオーバードース状態で倒れているところを警察に見つかるなどの虚実が錯綜したスキャンダルに見舞われた[15]。フェイスフルはそれまでの清純派のイメージを捨てざるをえなくなり、この事件で彼女のアイドル生命は終わったとされる[16]。後年"マーズ・バー・スキャンダル"は、MI5とFBIによるでっち上げであったとの指摘がある[17]。
マスコミに追い詰められミックとの子を流産した上に、浮気性なロックスターに翻弄される日々に疲弊したフェイスフルは、さらにドラッグに溺れる。そんな彼女の姿を見かねたミックは薬物を止めさせようとするが、うまくいかず結局二人は1970年に破局した[6]。
復帰後の精力的な活動
[編集]薬物依存や路上生活、摂食障害、親権剥奪、自殺未遂などトラブルが重なり一時はキャリアが失墜したが、更生施設に入るなど周囲の助けを得て依存症を克服[3]。
1979年にはアイランド・レコードからアルバム『Broken English 』で歌手として第一線に復活。英国では57位、米国のBillboard 200チャートでは82位にランクインし、1965年以来の全米チャート入りを果たした。このアルバムはグラミー賞の最優秀女性ロックボーカルパフォーマンス部門にノミネートされ、現在では彼女の画期的なレコーディングのひとつと評価されている[10]。また、フェイスフルは様々なアーティストとコラボレーションも行っており、メタリカが1997年にリリースしたシングル「The Memory Remains」にヴォーカルで参加している。その後もキャリアを通じて数年ごとにアルバムをリリースし続け、2021年にはウォーレン・エリスとのコラボ・アルバム『She Walks in Beauty』を発表するが、これが最後の作品になった[8]。
'90年代以降は女優としての活動がみられた。2006年にソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』で、マリア・テレジアとして出演。2007年のサム・ガルバルスキ監督『やわらかい手』では38年ぶりに映画主演を果たし、61歳にして老婆役を演じ女優としての評価を高めている[6]。
晩年
[編集]バイセクシャルであることを公表しているフェイスフルは、デビュー当時からLGBTQのアイコンとしても絶大な支持を得てきた。長年の功績を称えられ、2009年に旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領主催の「Women’s World Award」で生涯業績賞を受賞。2011年にはフランス文化省より芸術文化勲章・コマンドゥールが授与された[3][18]。
2017年にはフランスで、サンドリーヌ・ボネール監督によるドキュメンタリー映画『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』が制作された[19]。フェイスフルへのインタビューを中心に、オールダムとミック・ジャガーも出演している[20]。
晩年はC型肝炎、乳がん[21]と体調を崩しがちで、2020年3月30日には新型コロナウイルスに感染しロンドン市内の病院に入院したことが明らかになったが[22][23]、22日間の入院生活を経て4月22日に退院したと公式SNSに投稿された[24][25]。
死去とその追悼
[編集]2025年1月30日、ロンドンにて死去[26]、78歳没。広報担当によると、家族に見守られながら静かに息を引き取ったと伝えられた[27]。
マリアンヌ・フェイスフルの訃報を受け、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドが追悼コメントを発表した。またストーンズのSNSアカウントは過去のパフォーマンス映像を「マリアンヌに捧ぐ」というメッセージを添えて投稿している[28]。
影響
[編集]映画『あの胸にもういちど』には、ヒロインが全裸に革のライダースーツでバイクに乗るシーンがあり、鈴木則文監督や[29]、井筒和幸監督[30]らが映画でのフェイスフルに強い印象を受けたことを語っており、『ルパン三世』の峰不二子がバイクに乗る場面のモデルになったと言われている[31]。
2025年、晩年に撮影されフェイスフルの生前最後のパフォーマンスも収められたイアン・フォーサイス、ジェーン・ポラード両監督による、公式ドキュメンタリー映画『Broken English』が完成[32]。8月30日にヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された[33]。
2025年9月12日から25日まで、ブロードキャスターのピーター・バラカンが選ぶ音楽映画フェスティバル「Peter Barakan's Music Film Festival 2025」が、角川シネマ有楽町で開催された[34]。上映作品の一本に、上述のドキュメンタリー映画『マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて』が日本初公開された[35]。
2020年にフェイスフルの伝記映画『Faithfull』の制作が発表された。監督はイアン・ボノート、主演かつ製作総指揮はルーシー・ボイントン。ミック役を演じる俳優はオーディションを行っているとまで報道されたが[36]、その後の情報がないまま2025年2月になって、監督はフィンランド人監督のザイダ・バリルート、マリアンヌ役はフレイヤ・アーラン、ミック役は英国人俳優ジョジョ・マッカリと続報された[37]。現在はプリプロダクション中であるとしている[38]。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- 『カム・マイ・ウェイ』 - Come My Way (1965年) ※イギリス限定
- 『マリアンヌ・フェイスフル』 - Marianne Faithfull (1965年)
- Go Away from My World (1965年) ※アメリカ限定
- 『妖精の歌 - マリアンヌ・フェイスフル、フォーク・ソングを歌う』 - North Country Maid (1966年)
- 『永遠の歌 - マリアンヌ・フェイスフル、青春を歌う』 - Faithfull Forever... (1966年)
- 『ラヴ・イン・ア・ミスト』 - Love in a Mist (1967年)
- 『ドリーミン・マイ・ドリームス』 - Dreamin' My Dreams (1976年) ※1978年に『Faithless』として再発あり
- 『ブロークン・イングリッシュ』 - Broken English (1979年)
- 『悪の戯れ』 - Dangerous Acquaintances (1981年)
- 『聖少女』 - A Child's Adventure(1983年)
- 『リッチ・キッド・ブルース』 - Rich Kid Blues (1985年) ※1971年録音。『True: The Collection』として再発あり
- 『ストレンジ・ウェザー』 - Strange Weather (1987年)
- 『ブレイジング・アウェイ』 - Blazing Away (1990年) ※ライブ
- 『ア・シークレット・ライフ』 - A Secret Life (1995年)
- 『シングス・クルト・ワイル - ワイマールの夜』 - 20th Century Blues (1997年)
- 『マリアンヌ・フェイスフル・シングズ・クルト・ワイル2 - 「7つの大罪」&クルト・ワイル・ソング』 - The Seven Deadly Sins (1998年)
- 『ヴァガボンド・ウェイズ』 - Vagabond Ways (1999年)
- 『キスィン・タイム』 - Kissin Time (2002年)
- 『ビフォア・ザ・ポイズン』 - Before the Poison (2005年)
- 『イージー・カム・イージー・ゴー』 - Easy Come, Easy Go (2008年)
- 『ホーシズ・アンド・ハイ・ヒールズ』 - Horses and High Heels (2011年)
- 『ロンドンによろしく』 - Give My Love to London (2014年)
- No Exit (2016年) ※ライブ
- Negative Capability (2018年)
シングル
[編集]- 「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて)」 - "As Tears Go By" (1964年)
- "Blowin' In The Wind" (1964年)
- "Come and Stay With Me" (1965年)
- "This Little Bird" (1965年) ※日本盤は1968年に「リトル・バード (かわいい小鳥) / アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて)」として発売
- 「恋の一夜」 - "Summer Nights" (1965年)
- 「イェスタデイ」 - "Yesterday" (1965年)
- 「一人になりたい」 - "Go Away From My World" (1965年)
- 「明日のために」 - "Tomorrow's Calling" (1966年)
- "Counting" (1966年)
- 「恋の手段」 - "Is This What I Get For Loving You?" (1967年)
- 「希望の鐘」 - "C'È Chi Spera" (1967年)
- "Something Better" (1969年)
- "Dreamin' My Dreams" (1975年)
- "All I Wanna Do In Life" (1976年)
- "The Way You Want Me To Be" (1978年)
- "The Ballad Of Lucy Jordan" (1979年)
- "Broken English" (1980年)
- "Intrigue" (1981年)
- 「あなただけに」 - "For Beautie's Sake" (1981年) ※日本限定
- 「スィートハート」 - "Sweetheart" (1982年)
- "Sister Morphine" (1982年)
- "Running For Our Lives" (1983年)
- "Hang It On Your Heart" (1997年)
- "Vagabond Ways" (1999年) ※CDシングル
- "Sex With Strangers" (2002年)
- "Easy Come, Easy Go" (2008年) ※CDシングル、フランス盤
- "Why Did We Have To Part?" (2011年) ※CDシングル
- "Sparrows Will Sing" (2014年) ※CDシングル
- "The Gypsy Faerie Queen" (2018年) ※デジタル
出演映画
[編集]| 公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1966 | メイド・イン・USA Made in U.S.A. |
バーで唄う女 | |
| 1967 | アンナ Anna |
テレビ映画 | |
| 明日に賭ける I'll Never Forget What's'isname |
ジョジー | ||
| 1968 | あの胸にもういちど The Girl on a Motorcycle |
レベッカ | |
| 1969 | ハムレット Hamlet |
オフィーリア | |
| 1992 | ホワイト・ナイトメア The Turn of the Screw |
- | ナレーション |
| 1993 | 豚が飛ぶとき When Pigs Fly |
リリー | |
| 1994 | ショッピング Shopping |
ベヴ | |
| 2001 | インティマシー/親密 Intimacy |
ベティ | |
| 2004 | トゥルーへの手紙 A Letter to True |
- | ドキュメンタリー映画 ナレーション |
| 2006 | パリ、ジュテーム Paris, je t'aime |
マリアンヌ | |
| マリー・アントワネット Marie Antoinette |
マリア・テレジア | ||
| 2007 | やわらかい手 Irina Palm |
マギー | |
| 2011 | フェイシズ Faces in the Crowd |
ランゲンカンプ医師 |
音楽映像作品
[編集]ミュージックビデオ
[編集]- ヘヴィ・メタル・バンド、メタリカの1997年アルバム「reload」からの曲、「The Memory remains」の中でバッキング・ヴォーカル部分をアドリブのセリフ入りで2分程担当。また、PVにゲスト出演している。曲の歌詞の内容が、彼女自身の経歴を思い起こさせるような歌詞になっていた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “英国のロック・アイコン、マリアンヌ・フェイスフル、78歳で死去”. Sortiraparis.com. Sortir à Paris (2025年1月30日). 2025年11月19日閲覧。
- ^ a b Harry, Bill (2000). The Beatles Encyclopaedia (2000 paperback edition; first published 1992). London: Virgin Publishing. p. 403. ISBN 0-7535-0481-2
- ^ a b c d “マリアンヌ・フェイスフルが死去。享年78歳”. VOGUE JAPAN. 合同会社コンデナスト・ジャパン (2025年1月31日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ “Marianne keeps the Faith”. Vancouver City Guide. 2012年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月26日閲覧。
- ^ a b “マリアン・フェイスフル~スウィンギングロンドンを舞台に歌に映画に異彩を放った、そのサヴァイヴァーとしての生き方”. ONTOMO. 音楽之友社 (2025年4月28日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “マリアンヌ・フェイスフル〜ミック・ジャガーの恋人、様々な依存症を乗り越えて、老婆を好演する女優となって”. TAP the POP. 株式会社ワイルドフラワーズ (2025年1月31日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ [1]しかし公に貴族の称号を名前の前につけることはないともしている(いずれにせよ現在のオーストリアでは貴族の称号は法律上無効)
- ^ a b c “60年代の英ロック/ポップ・アイコン、マリアンヌ・フェイスフルが78歳で死去”. MUSIC LIFE CLUB. シンコーミュージック・エンタテイメント (2025年2月4日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)が死去 ローリング・ストーンズやミック・ジャガーとの関係で60年代ロンドンを象徴した歌手”. Mikiki by Tower Records. Mikiki編集部 (2025年1月31日). 2025年11月20日閲覧。
- ^ a b c “マリアンヌ・フェイスフル死去”. amass. Copyright © amas (2025年1月3日). 2025年11月21日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル 新曲4曲収録 遺作EP『Burning Moonlight』発売決定 1曲試聴可”. amass. Copyright © amass.jp (2025年3月14日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “Festival de Cannes: The Girl on a Motorcycle”. festival-cannes.com. 2009年4月5日閲覧。
- ^ “Marianne Faithfullが享年78歳で逝去”. LMusic LikeDis Music News. LMusic編集部 (2025年2月1日). 2025年11月19日閲覧。
- ^ “【マリアンヌ・フェイスフル】60年代のポップ・アイコンが40年後に歌った人生の歌─ライブ盤で聴くモントルー Vol.37”. ARBAN. 株式会社VISUALNOTES (2021年10月18日). 2025年11月20日閲覧。
- ^ “ローリング・ストーンズの1967年の麻薬摘発を振り返る”. 世界の顔. 世界の顔 (2020年11月12日). 2025年11月22日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフルは、破滅的な人生を送った最高のファム・ファタールである!”. Middle Edge(ミドルエッジ) (2018年4月20日). 2020年4月30日閲覧。
- ^ “ローリング・ストーンズの67年の薬物捜査はFBIとイギリス情報局MI5が仕組んだものだったとミック・ジャガーの新刊伝記が指摘”. rockinon.com (ロッキング・オン ドットコム). (2012年10月2日) 2020年4月30日閲覧。
- ^ “「私たちは皆、同じ人間でしょう?」──薬物依存や路上生活、別離を乗り越えた歌手マリアンヌ・フェイスフルの人生観。【世界を変えた現役シニアイノベーター】”. VOGUE JAPAN. 合同会社コンデナスト・ジャパン (2022年6月3日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて”. allcinema. 株式会社スティングレイ. 2025年11月24日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル 波乱を越えて”. キネマ旬報社web. 株式会社キネマ旬報社. 2025年11月26日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル、乳がん発覚でツアーを延期”. BARKS. 株式会社BARKS (2006年9月15日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ 『富山新聞』2020年4月7日付11面『「峰不二子のモデル」入院』より。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル 新型コロナウイルス検査で陽性 入院中”. amass. Copyright © amass.jp (2020年4月5日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル、新型コロナウイルスから回復”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2020年4月23日) 2020年4月30日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフル、22日間にわたる新型コロナ闘病を経て退院”. billboard JAPAN. 株式会社阪神コンテンツリンク (2020年4月23日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ Hauser, Jennifer (2025年1月30日). “Marianne Faithfull: 1960s pop icon has died at her home in London”. CNN World (アメリカ英語). Atlanta: CNN. 2025年1月31日閲覧.
- ^ “英歌手M・フェイスフルさん死去、78歳 元恋人M・ジャガー氏が追悼”. Reuters. ロイター (2025年1月31日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフルの訃報を受け、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロニー・ウッドが追悼”. amass. Copyright © amass.jp (2025年1月3日). 2025年11月29日閲覧。
- ^ 鈴木則文『東映ゲリラ戦記』筑摩書房、2013年、p.77
- ^ 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.229
- ^ 高橋実『まぼろしのルパン帝国 ルパン三世 ザ・ファーストTVシリーズ』フィルムアート社、1994年、p.218
- ^ “マリアンヌ・フェイスフルの晩年に撮影され、生前最後のパフォーマンスも収められた公式ドキュメンタリー映画『Broken English』完成”. amasus. opyright © amass.jp (2025年8月30日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “故マリアンヌ・フェイスフル、新作ドキュメンタリーでテレビインタビュー前のLSD摂取を告白”. BANG Showbiz. BANG Showbiz Japanese (2025年9月1日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “ピーター・バラカンの音楽映画祭が今年も開催、日本初公開は6作品”. 映画ナタリー. 株式会社ナターシャ (2025年8月22日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “Peter Barakan’s Music Film Festival9月12日開催!マリアンヌ・フェイスフル作品など日本初上映”. British Culture in Japan. British Culture in Japan (2025年8月22日). 2025年11月23日閲覧。
- ^ “ルーシー・ボイントン、マリアンヌ・フェイスフルの伝記映画に主演 製作総指揮も”. cinemacafe.net. 株式会社イード (2020年2月5日). 2025年11月25日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフルさんの伝記映画にフレイヤ・アーランが主演”. 映画.com. 映画.com株式会社 (2025年2月24日). 2025年11月25日閲覧。
- ^ “マリアンヌ・フェイスフルの伝記映画『Marianne』 監督/マリアンヌ役/ミック・ジャガー役決定”. amass. Copyright © amass.jp (2025年2月1日). 2025年11月25日閲覧。
関連項目
[編集]追悼記事
[編集]- マリアンヌ・フェイスフル 最新インタビュー〜キャリア50周年を迎えた孤高の歌姫が語る近況と華麗なる交友関係 - Billboard JAPAN(2024年11月のインタビュー記事)
- 【訃報】デビュー60周年──時代を駆け抜けたアイドル、マリアンヌ・フェイスフルの人生に迫る - Harper's BAZAR(2024年6月号のインタビュー記事の再掲)
- マリアンヌ・フェイスフルのレトロ&モードな愛されスタイル10 - ELLE(ファッションを振り返った追悼記事)
- マリアンヌ・フェイスフルの髪型を振り返り! 60年代スタイルアイコンの前髪に注目 - ELLE(ヘアスタイルを振り返った追悼記事)
- キース・リチャーズが語る、盟友マリアンヌ・フェイスフルとの記憶と彼女の死 - Rolling Stone(キース・リチャーズへのインタビュー記事)
- 写真で振り返る、マリアンヌ・フェイスフルとスウィンギング・ロンドン - VOGUE JAPAN(アーカイブ写真で振り返った追悼記事)