周羣

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周 羣(しゅう ぐん、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。仲直。父は周舒。子は周巨。益州巴西郡閬中県(四川省南充市閬中県)の出身。図讖予言)と呼ばれる、自然現象などから未来の兆候を探る学問を父から教わっていたという。

経歴[編集]

幼い頃より、父から図讖の学を教わった。周羣は自邸の庭に櫓を建て、奴僕たちに天空の異変を観察させた。少しでも異変があるとすぐに報告させ、昼夜を問わず自ら確かめた。その結果、周羣の予言はよく的中したという。劉璋に召し出され、師友従事へ任命された。

202年に変わる事件があった。周羣は、前漢哀帝の時にも同じ出来事があったとして、王朝交代の予兆であると主張した。18年後、後漢は滅びが興った。207年12月、彗星が鶉尾の星官に入ったのを見て、劉表の死を予言した。劉表は翌年8月に死去した。212年12月、彗星が五諸侯の星宿に出ると「(中国の)西方で土地を占拠している軍閥達は、みな領土を失うだろう」と予言した。西方に割拠していた益州の劉璋、漢中張魯涼州韓遂、枹罕の宋建は、2年の内に皆が降伏するか敗死した。

214年劉備によって益州が平定されると、儒林校尉となった。劉備は、張魯を降伏させた曹操から漢中を奪おうと出兵を企て、周羣に占わせた。周羣は「土地を手に入れても住民は手に入らないでしょう。また一部隊しか出さないなら必ず負けます」と答えた。劉備は進言を聞かず呉蘭雷銅に出撃させたが、全滅して帰還しなかった。その後、漢中攻略には成功したが、住民の多くが曹操によって移住させられた後だった。このように多くの予言を的中させたことから、茂才に推挙された。

子も、図讖の学を受け継いだ。

参考文献[編集]

「正史 三国志 5 蜀書」 (陳寿 著、裴松之 注、井波律子 訳) ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08045-7