敬哀皇后張氏

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敬哀皇后(けいあいこうごう、? - 237年)は、三国時代の後主劉禅の皇后。姓は。父は張飛、母は夏侯覇の従妹。は伝わっておらず、で敬哀皇后と呼ばれる。死後に妹が劉禅の皇后に立てられている(単に張皇后と呼ばれる)。

生涯[編集]

200年建安5年)、張飛は薪取りをしていた夏侯覇の従妹を捕え、良家の娘と知り自分の妻にした。そして生まれた長女が敬哀皇后である(裴松之が引く『魏略』)。

221年章武元年)、劉備が即位すると太子劉禅の妃として宮中に入り、223年建興元年)に劉禅の即位に伴い皇后に立てられた。

237年(建興15年)に死去した。享年は不明であるが若死にである。南陵に葬られた。

三国志演義での扱い[編集]

小説『三国志演義』では、諸葛亮の薦めで張皇后が17歳の時に劉禅の妃となっている。演義には「敬哀皇后」の名は登場しておらず、妹の張皇后と混同もしくは合一された扱いである。