山本左近
山本左近 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県豊橋市 |
生年月日 | 1982年7月9日(41歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2006-2007, 2010 |
過去の所属チーム |
'06 スーパーアグリ '07 スパイカー '10 HRT |
出走回数 | 21 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 2010年韓国GP |
山本 左近(やまもと さこん、1982年7月9日 - )は、レーシングドライバーで元F1ドライバー、政治活動家。愛知県豊橋市出身。血液型:A型。フジテレビF1中継でのニックネームは「不屈の三河武士」。2015年現在は、医療法人さわらび会副理事長・統括本部長という、病院経営者としての顔も持つ。現在も愛知県在住。
経歴
生い立ち
愛知県豊橋市で生まれる。愛知県豊橋市立青陵中学校、愛知県立豊橋南高等学校卒業。その後南山大学総合政策学部に進学したが、モータースポーツ活動に専念するために中退した。
国内レース
カート/SRS-F
レーシングカート時代は、1999年に全日本カート選手権のFAクラスチャンピオンを獲得した。翌年の2000年に鈴鹿サーキットレーシングスクール (SRS-F) へ入校。
F3/フォーミュラ・ニッポン/SUPERGT
2001年にトムスより全日本F3選手権へ参戦しシリーズ4位。2002年はドイツF3選手権、2003年はユーロF3へ参戦。2004年はトムスより再び全日本F3へ参戦し、初優勝を記録(シリーズ7位)。
2005年は国内最高峰のフォーミュラ・ニッポンに昇格し、近藤真彦率いるKONDO Racingから参戦。SUPER GTでは片岡龍也とコンビを組み、GT500クラスにトムス・スープラ[1] で参戦。SUPER GT第4戦SUGOで初優勝を遂げた。フォーミュラ・ニッポン第8戦(ツインリンクもてぎ)では、チャンピオンを決めた本山哲を最後まで追い詰めての2位で初表彰台を獲得した。
2006年シーズン当初は、フォーミュラ・ニッポンは引き続きKONDO Racingより参戦。SUPER GTに関してはNISMOに移籍。ミハエル・クルムとともに参戦したものの、F1参戦に伴いチームを離れることとなった。
F1/GP2
2005年
2005年10月のF1日本GPで、ジョーダンのサードドライバーとして参戦し1日目午前のフリー走行1回目を走行し、レギュラードライバーよりも速いタイムをマークした。
2006年
2006年6月のイギリスGPより急遽スーパーアグリF1チームのサードドライバーとして参戦し、ドイツGPからはフランク・モンタニーに代わってセカンドドライバーとして参戦した。
ドイツGP・ハンガリーGP・イタリアGPではリタイアに終わるもラスト3戦(中国GP、日本GP、ブラジルGP)では完走を果たし、最終戦ブラジルGPではファステストタイム7位を記録している。なお、F1参戦に伴い、KONDO RacingとNISMOとの契約は解除された。
2007年
2007年はBCN CompeticionからGP2にフル参戦すると共に、スーパーアグリに残留しテストドライバーも務めた。ただ、ジェームズ・ロシターが同チームのテストドライバーとして参加してからはテストでも走行機会がなく、GP2への参戦とスーパーアグリの広報活動に専念していた。
しかし、スパイカーF1チームのレギュラードライバーであったクリスチャン・アルバースが同チームを解雇された後、その後釜として白羽の矢が立ち、第11戦より最終戦までのレギュラードライバー契約を結んだ。そのため、スーパーアグリはテストドライバー契約の解除に応じた。
なお、スパイカーのシート獲得に関しては、ナレイン・カーティケヤンやクリスチャン・クリエンなどの経験豊富なライバルを蹴落としての契約であった。
2008年
2008年2月、ルノーF1とテストドライバー契約を結んだことが発表された。ルノーのテスト開発プログラムを担当するとともに、レースチームに全戦帯同している。ルノーはすでにルーカス・ディ・グラッシおよびロマン・グロージャンとテストドライバー契約を結んでおり、山本とのテストドライバー契約は3人目となる。なお、この契約の中には世界各地で行われる「ルノー・ロードショー」と呼ばれるデモランイベントでのドライブも含まれていた。
2008年7月16日、GP2シリーズへの復帰が発表され、ARTグランプリより第6戦ドイツ・ホッケンハイムから出走した。第7戦ハンガリー・ハンガロリンクのレース2で4位に入りGP2シリーズ初入賞。シリーズランキングは23位。
2009年
2008年-2009年のGP2アジアシリーズにメインシリーズで所属したARTグランプリよりフル参戦することが発表された。前年のチャンピオンチームから出走となり、エースカーであるカーナンバー1をドライブしていた。シリーズランキングは9位。なおこの年はF1チームとの契約及び参戦はなかった。
2010年
2010年はHRT F1とテストドライバー兼リザーブレースドライバー契約を結ぶ。イギリスGPでは、レギュラードライバーであるブルーノ・セナに代わり山本が出走[2]。戦闘力が低い上に慣れないマシンために予選は24位と低迷したものの、2007年以来の決勝出走を果たし、20位で完走した。続くドイツGPからは、カルン・チャンドックの代わりに正ドライバーとして参戦することになった[3]。
イタリアGPのピットイン時には、ロリポップが上がり、残りのピットクルーがマシンから離れた後も作業を行っていたメカニックが、山本がピットレーンから発進した際にリアウイングと接触し負傷するというアクシデントに見舞われた[4]。なおこのレースでは、23位からスタートし19位で完走した。第14戦シンガポールGPでは食中毒で欠場を余儀なくされ、山本の代役にクリスチャン・クリエンが務めることとなった[5](実際は別の要因であったといわれている[6])。
10月10日に行われた日本GPには2戦ぶりに出場、予選24位からスタートで完走扱いを除く完走者(ニコ・ロズベルグがタイヤ離脱でリタイヤも完走扱いで17位)の中では最後尾の16位ながら中盤にはティモ・グロックを十数周に渡ってブロックし続けるなど見所を作り、地元ファンを湧かせた。
第18戦ブラジルGPと、続く最終戦アブダビGPはクリエンと交代した。クリエンは第14戦シンガポールGPに代役出場した際、左近のスポンサーの1つがなかった為、クリエンの方がチームにとって大きな資金をもたらしたため言われており、終盤2戦の交代劇もこの影響があるものと考えられている[7]。
なお、山本がヒスパニア・レーシングのシートを獲得した背景には500万ドル(約4億3500万円[8])ものスポンサーマネーが動いたと言われており[9]、豊富なスポンサー資金でシートを得たとする見方もある[6]。フジテレビの地上波放送では2010年シーズン参戦初戦のイギリスGPと、下位ながら見せ場を作った日本GPを除けば、小林可夢偉の陰に隠れほとんど取り上げられることはなかったが、ヒスパニア・レーシングの2011年シーズンにおける有力ドライバー候補に残るなどの活躍をしており、チームからは山本の金銭面以外の部分にも良い評価を勝ち得ていた[10]。
2011年
2011年はHRTからのフル参戦の可能性もあったが、結局HRTはドライバーをナレイン・カーティケヤンとヴィタントニオ・リウッツィに変更し、山本はHRTから放出される。その後リザーブドライバーとしてヴァージン・レーシングと契約した[11]。当初は3戦限定での契約であったが、その後のレースもリザーブドライバーとしてチームに帯同。また、F1イタリアGP中にミラノで開催されたF1ロックスにDJとして出演した。
F1引退後
2012年以降はほとんどレーシングドライバーとしての活動を行っておらず、ドライバーとしては半ば引退状態となっていたが、本人は2015年3月にブログで「引退宣言はしてませんので」と語り[12]、同月にフォーミュラEのテストに参加している[13]。
その後、2015年6月に開催されるフォーミュラEの第9戦と第10戦に、F1時代の古巣のスーパーアグリのオーナーでもあった鈴木亜久里が共同オーナーとして参画しているアムリン・アグリ・フォーミュラEチームから参戦した。また、2015年8月には、日本初となるフォーミュラEマシンの公道デモラン走行のドライビングを担当し、六本木けやき坂を3往復した。[14]
2016年には自身の運営するカート場をオープンしている。
2018年のインタープロトシリーズ最終戦にスポット参戦。レース1で8台中6位、レース2では8位に終わっている。
2020年の富士24時間レースにアウディ・RS3で参戦。また全日本ラリー選手権にも『新サクラ大戦』とのコラボカラーのトヨタ・86でスポット参戦する。さらに同年12月には全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権にもスポット参戦した。
その他の活動
2012年は1月に開幕予定だった新カテゴリー『i1スーパーカー・シリーズ』に参戦予定だったものの、2013年に開幕が延期となったためレーススケジュールが白紙となった[15]。5月8日には、地元である愛知県の豊橋市民球場で行われたプロ野球セ・リーグ公式戦「中日-ヤクルト戦」で始球式を務めた。2015年4月から2018年12月まで『SUPER GT+』(テレビ東京系)に解説者・レポーターとしてレギュラー出演していた。
一方で父親が創設者・理事長[16] を務める「さわらびグループ」(医療法人さわらび会・社会福祉法人さわらび会)の経営にも参画しており、2012年に同グループの統括本部長に就任[17]。全日本病院学会のような医療系の学会で座長を務めることもある[18]。2017年に愛知県豊川市にある中部福祉保育医療専門学校の理事長になる。現在は病院・福祉施設経営者としての活動がメインになっているが、前述の通りドライバー活動も散発的ながら継続している。
2019年、第25回参議院議員通常選挙に自由民主党の比例区から立候補したが落選[19]。
エピソード
- 日本で開催された「ブライトリング・ジェットチーム」のアクロバット飛行イベントに顔をみせるなど、現在もプライベート面で多彩な活動を行っている。
- 小学校に入学する頃、鈴鹿でF1日本GPを観戦してレーサーに憧れるようになった。11歳の頃、「F1ドライバーの半分以上は12歳までにカートを始めている」という記事を読み、両親に土下座してレースを認めてもらった[20]。
- 高校時代にレコードを集めだしてからターンテーブルを手に入れ、プロレーサーになってからもDJを趣味としている[21]。腕前はプロ並みで、ミュージシャン達とクラブイベントに参加しているほか、F1の音楽イベント「F1ロックス」にも出演している。
- 2008年6月には、セレブタレントとして知られるマリエと路上でキスしている写真が写真週刊誌『フライデー』に掲載され話題となった[22]。元々マリエの父親が大手石油会社「トタル」の国内代理店を経営しており、福田良など多くのドライバーの育成にも関わっていたところから知り合ったと言われている。
- F1参戦中はスペインに住んでおり、スペイン語を第2言語として使っている山本はヒスパニア・レーシングチーム代表であるコリン・コレスとスペイン語で会話をしている。また、英語に堪能との評価もある。
- 2011年シーズンの開幕直前に起こった東日本大震災に際し、F1グランプリのオーストラリアGP冒頭で、日本へ向けたメッセージとしてセバスチャン・ベッテルを筆頭に出場ドライバー24人の日本語によるメッセージビデオが放送された。このビデオの企画やメッセージ文の構成は山本によるものであり[23]、F1公式サイトを通じて全世界にも配信された[24]。
- 2016年3月には、地元・豊橋市の豊橋総合動植物公園内に新設されたレーシングカートコース(のんほいサーキット)の監修を手がけた[25]。
レース戦績
SUPER GT
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | TOYOTA TEAM TOM'S | トヨタ・スープラ | GT500 | OKA 6 |
FSW 6 |
SEP 13 |
SUG 1 |
TRM 8 |
FSW 7 |
AUT Ret |
SUZ 7 |
7位 | 43 | |
2006年 | NISMO | 日産・フェアレディZ | GT500 | SUZ 12 |
OKA 3 |
FSW 9 |
SEP |
SUG | SUZ | TRM | AUT | FSW | 21位 | 15 |
フォーミュラ・ニッポン
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | KONDO RACING | TRM 14 |
SUZ Ret |
SUG Ret |
FSW Ret |
SUZ 4 |
MIN 8 |
FSW Ret |
TRM 2 |
SUZ 11 |
10位 | 9 |
2006年 | FSW 6 |
SUZ 4 |
TRM 14 |
SUZ | AUT | FSW | SUG | TRM | SUZ | 11位 | 3.5 |
F1
年 | 所属チーム | カーナンバー | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | *予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 第12~18戦 |
スーパーアグリF1 | 23 | 0 | 19位 | 16位・2回 | 0回 | 19位・1回 |
2007年 第11~17戦 |
スパイカーF1 | 21 | 0 | 24位 | 12位・1回 | 0回 | 22位・7回 |
2010年 第10~17戦 |
ヒスパニアレーシング | 20/21[26] | 0 | 26位 | 15位・1回 | 0回 | 21位・1回 |
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド
年 | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | スーパーアグリ | SA06 | BHR | MAL | AUS | SMR | EUR | ESP | MON | GBR | CAN | USA | FRA | GER Ret |
HUN Ret |
TUR Ret |
ITA Ret |
CHN 16 |
JPN 17 |
BRA 16 |
26位 | 0 | |
2007年 | スパイカー | F8-VII | AUS | MAL | BHR | ESP | MON | CAN | USA | FRA | GBR | EUR | HUN Ret |
TUR 20 |
ITA 20 |
BEL 17 |
JPN 12 |
CHN 17 |
BRA Ret |
24位 | 0 | ||
2010年 | HRT | F110 | BHR | AUS | MAL | CHN | ESP | MON | TUR | CAN | EUR | GBR 20 |
GER Ret |
HUN 19 |
BEL 20 |
ITA 19 |
SIN | JPN 16 |
KOR 15 |
BRA |
ABU |
26位 | 0 |
GP2
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 総合順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | BCNコンペティション | BHR FEA 11 |
BHR SPR 9 |
ESP FEA 14 |
ESP SPR 18 |
MON FEA Ret |
FRA FEA 11 |
FRA SPR 13 |
GBR FEA 16 |
GBR SPR Ret |
EUR FEA 13 |
EUR SPR 11 |
HUN FEA |
HUN SPR |
TUR FEA |
TUR SPR |
ITA FEA |
ITA SPR |
BEL FEA |
BEL SPR |
VAL FEA |
VAL SPR |
30位 | 0 |
2008年 | ARTグランプリ | ESP FEA |
ESP SPR |
TUR FEA |
TUR SPR |
MON FEA |
MON SPR |
FRA FEA |
FRA SPR |
GBR FEA |
GBR SPR |
GER FEA 12 |
GER SPR NC |
HUN FEA 10 |
HUN SPR 4 |
EUR FEA Ret |
EUR SPR Ret |
BEL FEA 18 |
BEL SPR Ret |
ITA FEA Ret |
ITA SPR Ret |
23位 | 3 |
フォーミュラE
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014年-15年 | アムリン・アグリ・フォーミュラEチーム | CHN | MAL | URU | ARG | MIA | LBH | MON | GER | MSC | GBR1 Ret |
GBR2 Ret |
35位 | 0 |
脚注
- ^ スポンサーは当初ダイナシティだったが、シーズン途中でオープンインタフェースに交代。
- ^ 山本左近、ブルーノ・セナに代わってイギリスGPに参戦 - F1 Gate.com 2010年7月9日
- ^ 山本左近、カルン・チャンドックに代わってドイツGPに参戦 - F1 Gate.com 2010年7月17日
- ^ “F1=イタリアGP、山本のマシンとメカニックが接触事故”. ロイター (2010年9月13日). 2011年1月10日閲覧。
- ^ “山本左近、食中毒でシンガポールGPを欠場 … 代役はクリエン”. F1 Gate.com. (2010年9月24日) 2010年9月26日閲覧。
- ^ a b “山本左近、シンガポールGP欠場は大人の事情?”. F1 Gate.com. (2010年9月25日) 2011年3月23日閲覧。
- ^ “クリスチャン・クリエン 「山本左近の代役は一戦限り」”. F1 Gate.com. (2010年9月27日) 2011年3月23日閲覧。
- ^ 2010年7月下旬での為替相場 = 1ドル約87円でのレート換算
- ^ “Yamamoto set to keep HRT seat for Hungary”. motorsport.com. (2010年7月26日) 2011年3月23日閲覧。
- ^ “山本左近、それでもヒスパニア・レーシングの有力候補”. FMotorsports F1. (2011年1月12日) 2011年3月23日閲覧。
- ^ “山本左近、ヴァージンとリザーブドライバー契約”. F1 Gate.com. (2011年3月23日) 2011年3月23日閲覧。
- ^ official Facebook page についてご報告! - 山本左近公式ブログ・2015年3月7日
- ^ 「いきなり最高出力」に感激 フォーミュラEに山本左近が試乗 - 朝日新聞デジタル・2015年3月20日
- ^ “フォーミュラE日本初走行、六本木に大観衆集まる – AUTOSPORT web”. www.as-web.jp. 2019年1月23日閲覧。
- ^ 「レース延期」 公式ブログ「From左近」(2012年2月4日)より。2012年7月16日閲覧。
- ^ Vol.1 山本孝之 - 山本左近が考える福祉の未来
- ^ 第32回さわらび文化祭 - 浅井よしたか公式サイト・2013年10月7日
- ^ 当法人山本左近統括本部長が全日本病院学会にて座長を務められました@さわらび会 - さわらび会ニュース・2014年10月6日
- ^ “元F1ドライバーの山本左近、参議院議員選挙で落選”. f1-gate.com (2019年7月22日). 2019年7月22日閲覧。
- ^ "山本左近". 覚悟の瞬間. 2013年8月13日閲覧。
- ^ “DJ KAWASAKI×F1レーサー 山本左近 音楽対談(2)”. LOUNGE INTERVIEW. Web Magazine OPENERS. pp. 2/3 (2010年9月3日). 2012年1月29日閲覧。
- ^ マリエ&F1左近、路上で熱烈キス - MSN産経ニュース
- ^ 「この一ヶ月」 本人公式ブログ「From左近」(2011年4月12日)より 2012年7月16日閲覧。
- ^ Video - Formula One racing pays tribute to Japan(2013年9月29日時点のアーカイブ)該当部分は動画の7:20頃から。
- ^ 左近監修のカート場、23日オープン。21日にはエキシビジョンレースも開催 - オートスポーツ・2016年3月19日
- ^ セナ、チャンドックの双方のマシンをシェアする為、車番が異なる
関連項目
外部リンク
- 山本左近オフィシャルWEBサイト
- 山本左近オフィシャルブログ『From 左近』 - Ameba Blog
- 山本左近 (@SakonYamamoto) - X(旧Twitter)
- 山本左近 (@sakon_yamamoto) - Instagram
- 山本左近 (2197724277146509) - Facebook
- 社会福祉法人さわらび会