ホロコースト否認
ホロコースト否認(ホロコーストひにん、ドイツ語: Holocaustleugnung、英語: Holocaust denial)は、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人の組織的虐殺である「ホロコースト」の一部もしくは全体を否認する主張。 これらの主張を支持する者を、「ホロコースト否認論者」という。ホロコースト修正主義、ホロコースト見直し論[1]、ホロコースト否定論[2]とも言う。
ホロコースト否定論は、600万人に近い数のユダヤ人が第二次世界大戦中、ナチスによって虐殺された、という歴史的事実を否定することを核心に置いた現象である。この場合、否定はホロコーストの事実をはっきり否認することの他、該当の事件・事実を極小化・凡庸化・相対化することも含んでいる[3]。強硬派の否定論者ないし「修正主義派(レヴィジョニスト)」(と自己規定したがっている人びと)によれば、ユダヤ人絶滅は実際には起こらなかった[3]。ドイツ側当局はヨーロッパ・ユダヤ人の殺害をけっして計画しなかったし、ユダヤ人が虐殺されたという絶滅収容所なども建設したことも一度もなかった[3]。レヴィジョニストの見るところ、1939年-45年のユダヤ人死亡者数が、まず30万人以上ということはありえず、死因も通常は戦時の欠乏、困難、病気に帰せられるものであった[3]。
否認論の概観
ホロコーストは第二次世界大戦の最中から噂として流れはじめ、1942年12月17日には西側連合国が「ドイツ政府がヨーロッパにおいて野蛮なユダヤ人絶滅政策を行っている」と非難した[4]。ドイツの占領地域やドイツ領が連合国によって解放され始めると、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所やダッハウ強制収容所などで多くの被害者が発見され、世界に衝撃を与えた。ニュルンベルク裁判などの戦争裁判においてはナチス・ドイツが組織的にユダヤ人を殺害する計画を立てていたと認定され、多くの関係者が処刑された。ホロコーストは戦後の歴史家の研究対象となったが、こうした経緯の中で生まれてきたのが否認論である。
歴史学界における否認論の扱い
ホロコーストにより数百万人規模の計画的な殺戮が行われたこと、ホロコーストが中央で計画されたこと、およびホロコーストの実行におけるナチ指導部の役割のあったことは、膨大な物証、証言および文献によって、既に裏付けられているという認識が、近現代ヨーロッパ史の研究者における国際的な合意となっている[5][2] 。この状況をアメリカの歴史家デボラ・リップシュタットは、「古代ローマの研究者がローマ帝国が存在したかどうかを論争したり、フランス史家がフランス革命の起きたことを証明したりするのと同じである」と述べている[6]。
なお、ホロコースト否認論に基づく「論文」のうち、一流論文誌の査読を通過したものは1件もない。否認論者はこのことについて、ヨーロッパ等の歴史学会には否認論を研究する機会が無いためなどとして説明しようとする(2006年にイランで行われたホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議等)。一方でフランスの歴史家ピエール・ヴィダル=ナケは「月はロックフォールチーズで出来ているなどと断言する『研究者』がいると仮定して、一人の天体物理学者がその研究者と対話するような光景を想像できるだろうか。歴史修正主義者(ホロコースト否定論者)たちが位置しているのは、このようなレヴェルなのだ」と形容している[6]。
政治と否認論
ホロコースト否認は学術的な見解に反するのみならず、ヴィダル=ナケが「ドイツ・ナショナリズム、ネオナチズム、反共産主義、反シオニズム、反ユダヤ主義」が否認論の背景にあると分析しているように[7]、ネオナチ等のナチズム再興を標榜する極右派の主要なイデオロギーとなっている。一方で左派出身者にも否定論者は存在する[8]。否認論者は左派であることが反ユダヤ主義者や人種主義者ではない証明であるとして、その「左派」さえ「否認論」を支持しているのだというかたちで「否認論」の正当性を主張しているが[9]、反ユダヤ主義を「右翼」のみに帰するのは余りに単純な図式化である[10][11]。また、大虐殺そのものは明確に立証されており、歴史学者の間で議論になっていない。このため主要なヨーロッパ諸国や、欧州連合の機関においては、公共空間におけるホロコースト否認は、単なる歴史研究ではなく、政治的な意図を持った「扇動」として扱われる(ただし、虐殺の原因、経緯、および犠牲者数には研究者の間で議論があり、それらの学術研究は法的に禁止されていない)[5]。これは、否認論者がしばしば口にする「真理の探究」という口実の裏に、「ユダヤ人による歴史の偽造に対する非難」と「ナチ体制の名誉回復」という真の目的および結果があるという見解によるものである[5]。ただし、犯罪としている国においても、出版などの言論において公共空間に表明することが違法とされており[12]、ホロコースト否認のための研究そのものが法的に禁止されているという事実は無い。
一方で、ドイツと交戦した国でも、イギリスやアメリカにおいては比較的寛容に扱われている。また戦後の中東問題で、イスラエルによる行為を非難する立場から、しばしば否認論が肯定的に取り扱われている。ロジェ・ガロディがフランスにおいてホロコースト否認による人種差別教唆罪に問われた際にも、欧州人権裁判所に対して「シオニズムとイスラエル政府を批判しただけ」と主張したが[13]、「彼の主張はこの範囲にとどまらず」「実際には明白な人種主義的な目的を持っている」として却下された事例[14]もあるように、否認論者側がイスラエルとシオニズム批判を否認論と結びつけることもある。
否認論の主張
ヴィダル=ナケは、否認論者の言論を次のようにまとめている[7]。
- ナチス・ドイツが意図した「ユダヤ人問題の最終的解決」は、東欧方面へのユダヤ人追放を意味する[7]
- しばしばホロコーストの象徴とされるガス室は、存在していない[7]。
- 500万から600万というユダヤ人死亡者の数字は誇張であり、実数ははるかに少なく、数十万人程度である[7]。
- 第二次世界大戦の重要な責任は、アドルフ・ヒトラーになく、ドイツにもない。あるいはドイツはこの責任をユダヤ人と共有する[7]。
- 1930年代から1940年代の人類の最大の敵は、ナチス・ドイツではなくヨシフ・スターリンのソビエト連邦である[7]。
- ホロコーストは連合国、主にシオニストによってでっち上げられたものである[7]。
ホロコーストに関して、生存者、目撃者、歴史家によって提出された証拠は圧倒的な量ではあるが、否認論者はそれに対して、その「矛盾」を指摘することにより、ホロコーストに関する「通説」の立証は十分ではないとして、その見直しをするべきだという立場をとる。彼らは主流であるホロコースト研究者を「大虐殺信奉派」「通説派」「定説派」などと形容している[2]。
しかし否認論者の主張は学界では認められていない[2][5] 。彼らはしばしばそのこと自体を「定説派」が世界を不当に支配している証拠として主張している。しかし一般には否定論者が史学的な検証姿勢を持っていないことが指摘されている。
中東研究家で、ユダヤ関係の著作を持つ滝川義人は否認論者の行動パターンを「あらかじめ決めていた結論に一部分の事実をはめ込み、逆にその結論と矛盾する事実はすべて無視し」「小さな誤認や食い違いを、歴史をひっくり返す大発見とはやし」「当時は不可能だった対応がなかったのはそれがなかった証拠とし」「相手には厳密な証明を求めるのに、自分の意見には因果関係を証明せず、ハーフトゥルーズの世界をつくりあげる」と指摘している[2]。例えば、エルンスト・ツンデルなどの否認論者は、フレッド・ロイヒターがアウシュヴィッツのガス室跡地を調査したが、シアン化物の痕跡は見つからなかったとするロイヒター・レポートを、「強制収容所にガス室は無かった」と主張する上で重視している。しかしロイヒターは化学の専門家でもなく[15]、文献資料も無視しているため、ツンデル裁判においては証拠としての価値を認められなかった。一方で1994年にクラクフ医科大学のヤン・マルキェヴィチのチームが行った調査では、ガス室の跡地からシアン化物が発見されたという報告があるが[16]、否認論者がこの調査を重視することはない。また否認論者が行う主張においては、『アンネの日記』などの「定説派」の文献のみならず、ポール・ラッシニエといった「否認論の先駆」である著書の文脈無視、改竄などをおこなっていることも指摘されている[2]。
学会ではほとんど評価されない否認論者は、論争を行うことによって世間の耳目を集める戦略に出ている[2]。アメリカの懐疑論者マイケル・シャーマーは、フランスの否認論者ロベール・フォリソンが「餌をまいて『大虐殺信奉者』と彼が呼ぶ相手を引き寄せることを好む」と指摘している[2]。こうした「論争」によって否認論者が主張を変更したことはほとんど皆無である。フォリソンは「たったひとつでいい、たったひとつでも証拠を見せてほしい」というフレーズを好んで用いているが、「どういったものを証拠と考えているのか」というインタビュアーの問いにはついに答えなかった[2]。リップシュタットは「否認論者とは議論しない」という原則を揚げているが、これは否認論者が議論においてホロコーストがあったか無かったかという二項対立に持ち込むことで、否認論があたかも重要な価値を持つかのように誤認させる目的があるためだとしている[2]。
「見直し論(修正主義)」であるという主張
ホロコースト否認論者、または「ホロコースト見直し論者(修正主義者)」の多くは、「否認論」または「否認主義」という用語[17]を強く拒否し、「見直し論者(修正主義者)(revisionist)」を自称している。その理由は、彼らによれば、彼ら(revisionist:リビジョニスト)は、ガス室やユダヤ人絶滅政策を否定しているのではなく、証拠の欠如を指摘しているだけなのだと言う。この理由から、デイヴィッド・アーヴィングは、デボラ・リプスタットが、自分(アーヴィング)を「否定論者」と呼んだ事を理由に、リプスタットを名誉棄損で訴えている。又、他の論者たちも、ガス室やユダヤ人絶滅政策が無かったと結論づけているのではなく、現時点では、証言以外に何も証拠(物証)が無い事を指摘しているだけで、証拠の提示を待っているのだと主張している。更に、「ホロコースト」の定義に幅が有る事から、ドイツによるユダヤ人迫害全般を否定している訳ではない事を強調する意味もあって、彼ら(revisionist)は、「否定論者(denier)」と呼ばれる事を強く拒否する傾向がある。これに対して、ホロコースト否認、または「ホロコースト見直し論(修正主義)」を批判する研究者は、「ホロコースト見直し論者(修正主義者:リビジョニスト)」が使う「見直し論(修正主義:リビジョニズム)」という用語に対して、故意にミスリードするものであると指摘する[18]。
これは「否認論」は自分が予想した仮説を支持する証拠のみを採用し、史実をなおざりにするという印象を与える用語であるのに対して、修正主義は、新しく発見されたより正確でより客観的な情報によって歴史の事実を新しく書き換えていくことを目的とし、それまで受け入れられていた歴史を再び調査・検討しようとする態度を示しうるためであるとしている。
「ホロコースト修正」の立場を主張する論者は、適切な修正主義的原則をホロコースト史に適用すべく努めているとし、この視点において「ホロコースト修正主義」という用語が適切であると主張している。「ホロコースト否認論」の用語は「戦後のホロコースト観が描写するようなホロコーストは起こっていないとする論説」に用いるのに対して、「ホロコースト修正主義」という用語は、一次史料などからホロコーストの諸側面を考察するのに用いられる通常の史学的態度に使用されるとしている。一方で、この言説は、主流であるホロコースト研究においても大虐殺の詳しい原因(意図説・機能説論争)、ホロコーストの経緯、犠牲者の正確な数などなお研究者の問で意見・解釈の分かれる論点が多く存在している[6]ことを無視している。
彼らが主張する「ホロコースト否認論」と「ホロコースト修正主義」の区別は一般的に受け入れられていない。2006年2月に独学の歴史家・作家[19]デイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定を理由にオーストリアで有罪判決を受けた時、イギリスのニュースメディアはアーヴィングに対して「修正主義者」という用語を頻繁に使用するなど[20]、「歴史修正主義」英語: Historical revisionismには史学的な手法をとらず、過去の歴史を否定することを目的とする人々への形容詞や蔑称としても扱われるようになっている。
主張と批判
否認論者によってしばしば主張される言論詳細を以下に記す。ただし全ての論者が同一の主張をしている訳ではない[22]。
ホロコースト否認 | ホロコースト否認を批判する立場 | |
---|---|---|
計画性 | 戦後、連合軍がドイツで押収したドイツ政府公文書の中に、ドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、発見されていない。ヒトラー署名の命令書、すなわちドイツやポーランドのユダヤ人を殺害する特別命令、総統命令は発見されていない。
残された公文書には殺害という字句を使用していない。ヴァンゼー会議の状況においても、ナチス政権上層部のホロコーストに帰着するような殺害命令は存在していない。 公文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画案がある。これは収容所の建設目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味している。「最終的解決」と言う用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。だがソ連戦線の崩壊とともに移住計画は頓挫し移住による「最終的解決」は不可能となり別の解決策が模索された。 当時のドイツ政府は「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上していなかった。だがその予算表にはユダヤ人から接収した資産は計上されておらずその接収資産をそのままユダヤ人対策の予算として使っていた証拠の一つとなっている ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を処罰する場合もあった。
|
ホロコースト計画は官僚的だったドイツ政府ドイツ軍によって詳細に文書化されており、何カ国もの間で長年にわたって指揮統括組織によって行われた一大事業であった。ナチスは敗色が濃厚となるとホロコーストの証拠を消し去ろうと試みたが、戦争終盤のナチスの戦力は急速に崩壊したため証拠消滅は不成功に終わった。戦後、何トンもの文書が見つかり、各地の強制収容所の近くに掘られ多数の死体が投げ入れられた穴からは死体が完全には腐敗しない状態のまま発見された。物的証拠や文書証拠の中には、殺されたユダヤ人の数に関するナチスの報告書、収容所へユダヤ人を搬送した列車の記録、何トンものシアン化合物やその他の整理された毒物、写真、フィルム、破壊されずに残った収容所の構造物そのものが含まれている。
|
ガス室 |
|
|
焼却炉 | 大量殺人が実行された場合、死体処理には多数の焼却炉が必要となるが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもルブリン強制収容所にもなく、また焼却に必要な燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていた[要出典]。工業廃油等を使わざるを得ない。存在が確認できた火葬炉は大規模焼却を目的とするには規模が小さく数も少ない。
|
火葬炉の能力に関しては、アウシュヴィッツを例に取ると、こちらのページに掲載されている当時の複数の文書で全く能力不足ではないことが示されている。例えばそこにはビルケナウの火葬場全体で24時間で4,700体以上の能力を示す文書が示されている。ルドルフ・ヘスの自伝[46]ではその倍以上の一日10,000体もの能力があったと記述されている。
|
死亡者数 | 600万人説に関する疑義
収容所での死者数を誇張している複数の例が報告されていることは事実であり、反修正主義者も年々死亡者数と死亡地域の変更を余儀なくされている。
|
ニュルンベルク裁判では被害者数は600万人と認定された。アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館では2013年現在も被害者数は600万人としている[51][52]。
|
公文書の解釈 | ヒムラー発ヒトラー宛のナチス・ドイツ占領下のポーランドで行われた囚人処刑に関する報告書第51号は、ホロコーストで行われた大量虐殺行為に対してヒトラーの共謀と是認があったことの証拠としてニュルンベルク裁判の際に提出された。南ロシア地方、ウクライナ地方、ビャウィストク地方にて、無法者の共犯者と容疑者として、4ヶ月の間にユダヤ人だけで36万3211人が殺害されていると主張するが、当該地域はユダヤ人の反乱を恐れたスターリンの強制移住政策で使われた地域であり、記録に残るだけでも100万人以上のユダヤ人がソ連東部へ強制移住させられていた。[要出典] | 1928年、シベリアにユダヤ人居住地区(1934年にはユダヤ自治州)が建設されたのは事実である。ただしこの計画はウラジーミル・レーニンによって主導された入植計画であり、この地域に移り住んだユダヤ人もさほどおらず、1939年時点の自治州人口108,938人中、ユダヤ人はわずか17,695人にとどまっている[58]。スターリンは逆にユダヤ自治州に対する弾圧を加え、ユダヤ色をなくそうとした。 |
証言 |
|
|
「矛盾」 | 戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転している。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ベルゲン・ベルゼン強制収容所などの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われていた[要出典]。ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われていなかったとされる[要出典]。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。人間石鹸も都市伝説であった。
|
歴史的事実の記述において、調査研究が進むにつれて、記述が変わることがあり得るのは常識で考えれば分かる話である。例えば古くは鎌倉幕府の始まりは1192年とされていたが、今では鎌倉幕府の基本的な機能は1185年にすでに完成しているので鎌倉時代を1185年からとする説が主流になっている。こうした歴史的記述の変更事例は事欠かない。それ故、歴史的記述の変更があったからと言って疑問を抱くのは失当であり、むしろ正確さを増していると考えるのが常識であろう。
|
「イスラエルのプロパガンダ」 | ユダヤ人を犠牲者、ドイツ人を悪魔のように扱うアングロサクソン、あるいはユダヤ人の陰謀がある。また、ドイツについての狂気じみた話を広めることでポーランドやチェコスロヴァキアのような周辺国が、ソ連による支配を容易に受け入れやすくなる。ホロコースト論には、パレスチナにユダヤ人の母国を建設することを可能にする連合国の意向を促進する意図があり、この主張は現在はイスラエルのパレスチナ人政策に対する支持を獲得することに利用されている。1970年代の中東戦争以来、ホロコースト論が語られるようになった[1]。ユダヤ人の歴史学者・シカゴ大学教授ピーター・ノビックは、アメリカのユダヤ社会でホロコーストが喧伝されるようになったのは1970年代からで、中東戦争を背景にイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している[50][1]。 | ホロコーストが捏造であればイスラエルが崩壊するのなら、イランを支援していたソ連が第三次中東戦争の際、何故ホロコーストが捏造だと暴露しなかったのか非常に不合理的である。イスラエルは、一貫してアメリカの支援を受けており、修正主義者によればホロコーストはすべてソ連が捏造したとされている。イスラエルに投入された資金の量とドイツからの賠償金だけでもイスラエルがこの陰謀を続けようとするだけの強力な誘因になる。だが、その陰謀の存在を証明する具体的な証拠は存在しない。 |
「言論の自由」 | ほとんどの学者や歴史家はホロコーストが虚構であると認める勇気がない。もし堂々とそのような話をすれば職を失う恐れがあるし、アメリカやドイツでは現実に解任された教授や経営者、解雇されたキャスターや記者などが多く存在する。数々の放火や暴行、またフランソワ・デュプラがユダヤ人組織に殺害されたことは暴力である[61]。 | ドイツ等でホロコースト否認論を処罰しているのは、そもそも民主主義的に制定された法律に基づくものであり、「言論の自由」のもとで議論が尽くされて定められたものであるから、言論の自由の侵害とは言えない。ホロコースト否認以外の言論であっても、名誉毀損やヘイトなど法律の枠は存在する上に、大学教授等の解雇はそもそも各組織が自主判断で行うものであって、「ホロコースト否認論を規制してはならない」という法律は存在しない。なお、ホロコースト否認論への法的規制は十数カ国に留まっているのが事実であり、規制されていない国が圧倒的に多く、日本でも自由であるし、否認論の本場であるアメリカでは米国憲法修正第一条に守られて、そもそも否認論を規制することは出来ないし、歴史見直し研究所やそれに類する組織も活発に活動している事実がある。 |
他の大量虐殺との比較 | ソ連のグラグで殺された反体制派やキリスト教徒の数に比べればホロコーストは小規模である。 | 他の大量虐殺と比較して、ホロコーストは罪の程度が軽いので見逃すべきであるというのが修正主義者の主張である。 |
ホロコースト否認論の歴史
ニュルンベルク裁判
1945年11月から翌1946年8月にかけて行われたニュルンベルク裁判は戦後秩序の形成を進めた一方で、ドイツにおける歴史修正の原点ともなった。ドイツ人たちは名誉を回復するために、以下のような論拠に基づいてニュルンベルク裁判を否定した[62]。
- 戦勝国が実施する裁判は正当性を欠く。
- 「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった法概念は犯罪が起こった当時確立していなかったため、事後法で遡及的に裁いてはならないとする法の大原則に反する。
- 連合国側の戦争犯罪が問われることがないのはダブル・スタンダードである。
- ニュルンベルク裁判は戦争責任を一般市民を含めたドイツ人全体に帰し、その残虐性を民族的な特質であるとする「集団罪責論」に基づいており、ユダヤ人全体を犯罪者としたナチの人種論と大差ない。
こうした論拠は一部が正当とも言えたために、これ以降ニュルンベルク裁判の否定が定型化することとなった[62]。
1940年代
ドイツでは敗戦直後、歴史の修正がテーマとなる以前の状態であり、むしろナチ時代はそれほど悪くなかったという認識が優勢であった。例えば1948年の世論調査では、ナチズムは良い理念だが実行の仕方が悪かったという意見に約6割が賛同し、指導者としてのヒトラーを肯定的に評価する意見は3割を超えていた[63]。
むしろ戦後すぐにホロコーストの否定が発信されたのはフランスであった。フランスではドイツの傀儡政権であるヴィシー政権が国家的に対独協力を進め、一部の市民はユダヤ人排除に手を貸したため、ナチの免罪が自らの免罪を意味していたし、第二次世界大戦以前からフランスには長い反ユダヤ主義の伝統があったからである[64]。
例えば1948年にフランスのジャーナリストで文芸評論家のモーリス・バルデシュは『ニュルンベルクあるいは約束の土地』(Nuremberg ou la Terre promise)を著したが、彼はその中でニュルンベルク裁判を否定してユダヤ人にこそ第二次世界大戦の原因があり、彼らが連合軍と共謀して強制収容所を捏造したのだと主張した。また対独協力を正当化するために、第二次世界大戦中にユダヤ人は600万人も死亡しておらず、80〜90万人が病死したに過ぎないとも主張した。バルデシュはフランスのファシズムの潮流に位置付けられる人物で、アクション・フランセーズの雑誌『ジュ・スィ・パルトゥ』の編集者を務め、ソルボンヌ大学で教えたこともあった。義兄に対独協力者として処刑された作家のロベール・ブラジヤックがおり、敬愛していた彼が処刑されたことでバルデシュはホロコーストの否定と戦後体制の拒否に向かったとされている[65]。
またフランスのジャーナリストポール・ラッシニエも「ホロコースト生存者」の証言に疑義を呈した。彼は1949年の『戦線を越えて』(Passage de la ligne)や1950年の『オデュッセウスの嘘』(Le Mensonge d'Ulysse)といった著書で強制収容所の実態を極端に歪曲する主張を展開したため、フランスのホロコースト否定論の始祖と位置付けられている。彼によれば強制収容所では囚人の中から選ばれる監視役の「カポ」が最も残忍であり、むしろドイツ人の親衛隊員は人道的ですらあったという。また門の前で夜通し見張りに立っていた親衛隊員でさえ強制収容所の中で起こっていたことにはほとんど何も気が付かなかったため、ドイツ人がこうした実態を知らないのは当然だとしてドイツ無罪論を説いた[66]。
1964年には『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』でガス室を始めとする戦後の通説に疑義を投じた[38]。ラッシニエは社会主義者、非暴力主義者で、ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じ、ユダヤ人をスイスに脱出させる活動などを行なっていた。そのために自らがゲシュタポに捕えられてブーヘンヴァルト強制収容所 とミッテルバウ=ドーラ強制収容所に収容された。戦後、レジスタンス活動によりフランス政府から最高位の勲章を受けている。
しかしラッシニエ自身の主張そのものは、「ガス室で殺された人数は通説ほど多いものでもないと思われる」という程度のものであり、ラッシニエ自身は虐殺自体を否定してなどいなかった。ところがアメリカの歴史見直し研究所 (IHR) は、ラッシニエの著書を英訳するに当たって、「ガス室で死んだ人間は全くいなかった」とし、彼の主張を改竄している[2]。現在でも否認論者達はラッシニエを「ホロコースト修正主義の父」と呼び、現在も彼の著作をホロコーストに関する通説に異議を申し立てた学術的な研究として引用している[2]。また、シオニストがホロコーストの捏造を行ったという見解は後世にも引き継がれている[67]。
ラッシニエへの批判としては「ブーヘンヴァルト強制収容所は絶滅収容所ではなかったので、ガス殺人を目撃しなかった」という彼の主張は意外ではないとするもの、また、ラッシニエは旧来説支持者を納得させるだけの証拠を挙げておらず、自己の指摘と矛盾する情報を無視している点などがあげられている。
またラッシニエと同時期に、ルーマニア系ユダヤ人であるブルグ(Burg)も、戦後語られ出した「ガス室」などによるユダヤ人大量殺戮の主張に疑問を抱き、収容所を自ら調査するなどしている。
1950年代
1950年代の冷戦体制の中、東西対立の最前線に押し出された西ドイツでは西側の安全保障体制に組み込まれるべくナチズムと訣別し、過去を反省して犠牲者に謝罪すべきだというヒトラー時代の「公的」な解釈が形成された。一方で一般市民の間ではナチ時代は全面的に悪しきものとは見做されていなかったため、ヒトラー時代の政治的な解釈と国民の実態にはギャップが生まれた。こうした中で戦争責任の否定と戦争犯罪の矮小化・相対化が行われ、そのような主張は書籍、雑誌、政治団体の機関紙、東欧を追われたドイツ人道鏡団体のニューズレターなど、さまざまなメディアで見られるようになった。例えばヨアヒム・フォン・リッベントロップの未亡人アンネリーゼは亡夫の意向を編纂した『ロンドンとモスクワの間で』(Zwischen London und Moskau)を出版し、さらに自らドイツの戦争責任を矮小化する著作を数々発表した[68]。
また1950年代のドイツ社会はナチ時代からの明白な連続性の上にあった。連合国の非ナチ化政策によって古参のナチは処罰されるか、再教育によって転向させられたことになっていたため、ナチ体制なき後もナチ的世界観を支持するものは「ネオナチ」と呼ばれたが、現実には連続的なナチズム支持者であった。こうした集団は1950年代ごろから政治的に組織化され、1949年に結成された社会主義帝国党は1951年の地方選挙で躍進し、1950年にはドイツ帝国党 (DRP)が生まれた。そうした中で特にホロコーストの否定を続けたのは戦後のネオナチズムを代表する人物、オットー・エルンスト・レーマーであった。彼は自ら発行する雑誌『正義と真実』などでホロコースト否定論や歴史修正主義的な発信を続けた。彼は国防軍の指揮官でヒトラー暗殺未遂事件を鎮圧したことで知られるが、戦後は社会主義帝国党の副代表やイスラエルと敵対するエジプトの軍事顧問などを務めるなど、ナチズム礼賛や反ユダヤ主義がトーンダウンすることはなかった[69]。
1960年代
コロンビア大学の歴史家ハリー・エルマー・バーンズは晩年ホロコースト否認の姿勢をとるようになった。バーンズは立場的には主流派に属する歴史家であり、歴史修正主義運動の初期の指導者の一人である。戦間期には反戦的な著述家で、第二次世界大戦後、ドイツと日本への批判は米国の参戦を正当化するための戦時プロパガンダに過ぎず、その正体が暴かれる必要があると考えた。バーンズは晩年の著作でホロコーストを戦時プロパガンダに含まれるとした。同様に反戦的歴史修正主義の立場をとってきた著述家ジェームス・J・マーティンはバーンズに倣ってホロコースト否認論の姿勢を示した[70]。
アメリカ人の歴史家デイヴィッド・ホッガンは1961年に発表した第二次世界大戦の原因を論じた『強制された戦争』 (Der Erzwungene Krieg)、1969年には、ホロコーストを否認する最初の本の一つである『600万人の神話』を執筆した[71]。ホッガンは一流大学教授の経歴もあり、ホロコースト否認論運動初期の中心的人物の1人となった。
1970年代
1970年代にはヨーロッパと北米でほぼ同時にホロコースト否定論が登場し、ホロコーストを否定する内容の本やパンフレットの出版が始まった。世代交代によって戦後世代が社会の主流となり、特にドイツでは学生運動の中で祖父や父親たちのナチズムへの関与といかに対峙するかが中心的なテーマとなったが、これに対し若者の新しい政治志向を好まない保守層が一種の自己防衛としてホロコーストの矮小化や否定を行ったのであった。また国際的な背景としては相次ぐ中東戦争におけるイスラエルの勝利の影響を強く受けた。1967年には第三次中東戦争ではわずか6日で周辺地域を制圧し、1973年の第四次中東戦争でもイスラエルは勝利した。こうした状況はイスラエルの軍事強国化を鮮明にし、ホロコーストの避難民の国がわずか30年で中東の勢力地図を塗り替えた事実はシオニストによる世界支配だとユダヤ陰謀論支持者たちの目には映った[72]。
ただしホロコースト否定論は登場した時期が同じでも地域的な特質があった。北米のアメリカやカナダは移民国家であったゆえに明白に人種主義的な性格が見られ、加えてアングロサクソン系の国家では「表現の自由」を重視し、悪しき意見にも発言の自由を認めるという法的伝統が存在するため、ホロコースト否定論を支持するかどうかは個人の自由に帰した。一方で大陸ヨーロッパ諸国、つまりドイツやフランスでは特定集団に関する歴史の否定は人種主義的な表現とされ、刑事罰の対象となるため、あくまで歴史の記述の問題であるとされた[73]。
1973年、ドイツ系アメリカ人で中世英文学を研究する大学教授、オースティン・アップが『600万人の詐欺』(The Six Million Swindle)と題されたパンフレットを出版した。彼はここでホロコーストで600万人が殺害されたというのはイスラエルが西ドイツから補償金を詐取するための「嘘」であると主張し、1952年に結ばれた総額約30億マルクを支払うという補償協定の根拠となる事実は存在しないとした。こうした、ユダヤ人がドイツ人から金を搾り取るためにホロコーストを利用したとする言説は狡猾で金にがめついユダヤ人が無垢なキリスト教徒を騙すという伝統的な反ユダヤ主義の焼き直しであり、これ以降もユダヤ人迫害を正当化するために何度も持ち出された[74]。
1974年、アウシュヴィッツ周辺のモノヴィッツで天然ゴムに代わる素材の開発に従事していた元親衛隊員のティーズ・クリストファーゼンが回想録『アウシュヴィッツの嘘』(Die Auschwitz-Lüge)を出版し、ドイツのユダヤ人政策は批判されるべきであるが、戦後のアウシュヴィッツ像はあまりにも誇張されたもので、クリストファーゼンがアウシュヴィッツ周辺で勤務していた当時、ユダヤ人ら被収容者は虐待されていなかったと証言した。戦争末期は別として、大戦中前半はユダヤ人への待遇は戦後語られるような劣悪なものではなかったという。また、被収容者のための売春宿があったことや、当時アウシュヴィッツに勤務していた同僚のドイツ人の中には、ユダヤ人と友情を結んで戦後も文通を続けた者などもいた事実を挙げて、戦後のアウシュヴィッツ像は虚偽であると主張した。更には、クリストファーゼン自身が、ビルケナウ収容所における衛生状態の劣化に懸念を抱いて、ユダヤ人の処遇を改善するよう上司に提案したことがあったことや、ユダヤ人の中にはドイツよりもソ連を恐れる者がいて、ソ連に対するドイツの勝利を期待していたユダヤ人がいたことなどをも述べている。ただし、これはいくつかの証言の一つに過ぎず、歴史的事実として広く認識されているわけではない。そのため、一切の証言は信用ならず証拠にならないとの態度を取りながら、事実という前提で引用する一部の修正主義者は、その言動の矛盾を指摘されることもある。
1976年にアーサー・バッツが『20世紀の大ペテン』(The Hoax of the Twentieth Century: The Case Against the Presumed Extermination of European Jewry)、1977年にデイヴィッド・アーヴィングが『ヒトラーの戦争』を発表、ベストセラーとなったことから、ホロコースト否認論の代表的な論客と見なされている。これらの著述はホロコーストに対する疑義として現在も否定論者の間で重要視されている[75]。
1978年3月18日には、リチャード・ヴェラルの著書『本当に600万人も死んだのか?』(Did Six Million Really Die?)のフランス語訳を刊行した国民戦線のフランソワ・デュプラ(Francois Duprat)がユダヤ人組織に殺害され、妻も腕と足を失った[61][76]。同1978年、ソルボンヌ大学で文書鑑定を専門としていたロベール・フォリソンが『ル・モンド』紙に「ガス室」の存在に疑問を投じる記事を発表しフォリソン事件が起きた。フォリソンは「ガス室」を欺瞞 (fraud) と呼び、「この欺瞞の犠牲者は、(ドイツの)支配者たちを除くドイツ人と、全てのパレスチナ人だ」と述べ、この問題がパレスチナ問題と密接に関係することを指摘した。その後、1989年9月16日、ユダヤ系団体のSons of Jewish Memory(ユダヤの記憶の子供)から襲撃され、顎と顔を砕かれ重傷を負った[61]。Sons of Jewish Memoryの犯行声明文には「ホロコースト否定派をぶるぶる震えさせろ」とあった[61]。
1979年、大戦中ドイツ空軍部隊将校として自らアウシュヴィッツを短期間訪れた経験を持つ西ドイツ(当時)の判事ヴィルヘルム・シュテークリッヒは、裁判官の視点からニュルンベルク裁判をはじめとする戦後の「戦犯」裁判と、ホロコーストを徹底的に検証したとする『アウシュヴィッツの神話』(The Auschwitz Myth - Legend or Reality)を刊行したが、1980年にはシュトゥットガルト裁判所の命令によりドイツ国内で頒布禁止とされ、発売日に書店から回収された。
1978年、米国でウィリス・カートによって歴史見直し研究所 (IHR) が創設された。これは「ホロコーストの俗説」に異議を唱える組織であり、英語圏における見直し論の広がりにおいて中心的な役割を果たしている。IHRは科学的な歴史修正主義を標榜し、ネオナチの背景を持たないジェームス・J・マーティンやサミュエル・エドワード・コンキン三世のような支持者を歓迎し、またラッシニエやバーンズの著作の英訳を販売している。ホロコースト肯定者はIHRの支持者はネオナチや反ユダヤ主義者であり、出版配布されている資料の多くはホロコーストに疑問を呈することを専らとしている団体であると攻撃している[77]。IHRは「我々の組織はホロコーストを否認しない」と表明しており、IHRの定期刊行物には次のように書かれている。
数多くのユダヤ人が強制収容所やゲットーに追放された事実、あるいは多くのユダヤ人が第二次世界大戦で殺害された事実については論争は存在しない。修正主義の学者達は証拠を提出している。この証拠はヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅するというドイツの計画は存在しなかったこと、600万のユダヤ人が戦時中に死んだとする推定が当てにならない誇張であることが示されている。この証拠に対して「絶滅派の連中」(exterminationists) は反駁することができずにいる。ホロコースト、すなわち約600万というユダヤ人が皆殺しにされた (そのほとんどがガスによる) と伝えられていることは悪い冗談であり、これはキリスト教徒や、教養があり誠実で正直な人ならどこの人にも悪い冗談と見なされるべきことである。[78]。しかし、旧来説支持派は、IHRがホロコースト否認論者ではないと表明することにより人々をミスリードする意図があると攻撃している。[79]
IHRは「殺人を目的としたガス室がアウシュヴィッツに存在したという(検証可能な)証拠」に対して50,000米ドルの賞金を提示したのでアウシュヴィッツの生存者メル・メーメルシュタインは証拠を提出した。しかしIHRは賞金を支払わないので個人的苦痛に対する損害賠償訴訟を起こし、勝訴、40,000米ドルを受け取った。
1980年代
IHRはユダヤ主義者から暴力による襲撃を繰り返し受けており、1981年6月26日、1982年4月25日には放火、1982年9月5日には事務所へ発砲をうけ[61]、1984年7月4日にはシオニストグループによって放火され多くの資料が焼失した[61]。見直し論者側はこれを焚書行為と糾弾し、ゲルマール・ルドルフは「異なる意見を抱いているだけで、非人間、悪魔、害虫、下等人種とみなしていいのだろうか? ナチスはそれをやったから非難されているのではないか? 扇動的な表現をすることは、ファシスト的、ナチス的、人種差別主義的ではないか」とユダヤの過激派を批判した[61]。
1984年、カナダの高校教師ジェームズ・キーグストラは授業で資料の一部としてホロコーストに関する戦後の通説に疑問を呈する教材を使用し反ユダヤ主義的主張をしたとして告発され、有罪宣告を受け、解雇された。1988年7月18日にはキーグストラの自宅が放火された[61]。
プリンストン大学教授で、左翼と見なされていた歴史家アーノ・マイヤーは、は、1988年に『天はなぜ曇らなかったのか?』 [80] において、(1)ドイツははじめからユダヤ人を絶滅する計画ではなかったと考えられる、(2)アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは故意の殺害ではなく、病死や飢餓の犠牲者であった等の考察を述べている。メイヤーの問題提起はニューズウィークでも取り上げられ、日本の西岡昌紀にも影響を与え、マルコポーロ事件が発生した。
1987年、ブラッドリー・スミスが「ホロコーストに関する公開討論委員会」 (CODOH) を創立。CODOHは、ホロコーストの通説を問題とする新聞広告をアメリカ合衆国内の大学学生新聞に打つ試みを繰り返している。掲載の諾否は新聞によって異なるが、編集長がどちらの判断を下しても、ほとんどの新聞は表現の自由を理由として、あるいは反ユダヤ主義的な言論は慎むべきであるという理由で、自らの判断を擁護する論説を掲載している。この広告キャンペーンによって、1990年代初期に多くの学生新聞にCODOHの広告が掲載され、全国的な議論を巻き起こし、ニューヨーク・タイムズもで取り上げた[44]。2000年以降は、ユダヤ人広告主の批判を受けた事もあって、少数の例外を除き大半の学生新聞が広告を拒否するようになった[要出典]。
ツンデル裁判とロイヒター・レポート
元カナダ居住者のエルンスト・ツンデルはサミスダット・パブリッシング (Samisdat Publishing) という出版社を運営し、リチャード・ヴァーラルの著書『本当に600万人も死んだのか』などの書物を出版した。1985年、ツンデルは「ホロコーストを否定する書物を配布、出版した」として「虚偽の報道」罪で裁判にかけられ、オンタリオ州地方裁判所によって有罪宣告、15箇月の禁固刑を言い渡された。この事件は大きく注目され、多くの活動家が表現の自由を訴えて、ツンデルの表現の権利を擁護しようと介入し、1992年にカナダ最高裁判所が「虚偽の報道」法は憲法違反だと宣言し、彼の有罪判決は覆された[81]。この裁判で1988年にツンデルが弁護側証拠として米国のフレッド・ロイヒターに依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。裁判でロイヒターが証言をしたものの、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされなかった。1995年5月20日にはツンデル自宅へ爆弾が届く[61]。その後、ツンデルはウェブサイトを立ち上げて主張を宣伝した。このウェブサイトに対する告訴に対して、2002年1月、カナダ人権裁判所はカナダ人権法に違反しているとの判決を下した。2003年2月、アメリカ合衆国移民帰化局はテネシー州において移民法違反の容疑でツンデルを別件逮捕し、数日後カナダに身柄を送還した。そこでツンデルは難民認定を受けようとしたが、ツンデルは2005年1月まで拘留され、11月にドイツで起訴された[1]。
1990年代
1993年には、当時マックス・プランク研究所の臨時職員であったゲルマー・ルドルフの「ルドルフ・レポート」がロイヒター・レポートと同様の結論を提示した。批判としてはインターネット上で発表された Richard J. Green のものがある。レポート内でルドルフは「化学を用いてもホロコーストの存在を科学的に立証することはできない」と、化学的な論争を回避している。「ルドルフ・レポート」は極右運動家のオットー・エルンスト・レーマーの裁判において被告側の弁護資料として用いられた。
1998年、アメリカの歴史家は著書『ホロコーストの否認[82]』 において、アーヴィングが意図的に事実をゆがめて書いていると非難した。これに対してアーヴィングが彼女と出版社のペンギン・ブックスを提訴したが、訴えは棄却され、裁判所ではリップシュタットの考察が正しいと認定された[83](アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件)。
1998年10月、ユダヤ系の The Scribe誌は「神の存在を否認する者は罰せられるべきである」「ホロコーストへの正しい態度とは、神の敵であるわれわれの敵に罰を与えることである」として、否認論者こそが「われわれの敵」であり、この人々は「ホロコーストに関与し、参加したとみなされるべきである」し、否認論者の頭には「死刑宣告」とある、と述べた[84]。
フランスではホロコーストの否認は1990年代に否認主義 (négationnisme) として顕著になってきたが、この動きは遅くとも1960年代にはピエール・ギヨームなどのフランス左翼政治家の中に存在していた[85]。1990年代には、フランス共産党の理論的指導者であったフランスの左翼系哲学者ロジェ・ガロディが、「ガス室」をはじめとする従来の「ホロコースト」言説に疑義を提出し、イスラエルが政治的にこの言説を利用してきたと論じた。近年、フランスでは左派右派を問わず、否認論が広く展開している。その主張はホロコーストを越えて広がり、戦後それを最大限に利用してきたイスラエル批判にも繋がっている。この中には「ユダヤ人資本家」への批判、聖書にあるカナン人虐殺への指摘、シオニズムに対する批判などが含まれる[86]。
1990年代半ば以降、インターネットが大衆化するにつれてホロコースト否認論者やその他のグループを含む多くの組織が新たに国際的な登場をしてきた。他方、1970年代後半から頻発した否認論者への暴行や関係出版社への放火なども多発し続けた[61]。1996年9月にはイギリスの歴史評論社印刷所に爆弾放火が行われ、1999年1月16日にはバルセロナの書店Libreria Europaが放火された[61]。
2000年代
2000年代に入り、ある重要な出来事によって、ホロコースト否認論者は核心的な論拠を失った。それはアーヴィングの転向である。オーストリアでは、公共の場におけるホロコースト否認は犯罪であり、アーヴィングが1989年に行った演説を理由に逮捕状が出されていた。2006年、アーヴィングはホロコースト否定の罪によって、オーストリアにおいて起訴され、その場において、「私は1989年にホロコーストを否定したが、1991年にアイヒマン論文を読んでからは認識を改めた」「ナチスは数百万人のユダヤ人を殺した」「具体的な数字は知らない。私はホロコーストの専門家ではない」と、自らの否定説を撤回する発言を行ったものの、3年の懲役刑を受けた[87]。オーストリア内務省の決定で、アーヴィングは国外退去処分とされた。アーヴィングは自由の身となったが、その後自らの転向を取消したという情報はない。
「ホロコースト産業」論
ユダヤ人指導者がホロコーストを利用して金銭的または政治的な利益を得ており、「ホロコースト産業」 (Holocaust industry) や「ショアー・ビジネス」 (Shoah business) という用語もある。たとえば、1996年、スイスの主要銀行に対し、ホロコースト犠牲者のものとされる休眠口座に眠る預金の返還を求めるユダヤ人の集団訴訟が起こされた。1997年、ドラミュラ大統領兼経済相は「あたかもスイスにもかつて強制収容所があり、ホロコーストの主犯であったかのような非難だ。賠償金の要求はまるで脅迫のようなもの」として、これを「ゆすり・たかり」と非難したが[88]、イスラエルやアメリカの圧力を受け謝罪を余儀なくされる。1998年、休眠口座の調査は続行中だったが、銀行側が今後支払い要求に応じないことを条件に12億5千万ドルを支払うことで政治決着した。2001年10月13日、英紙タイムズはスイスの独立請求審判所による調査の結果を報じ、それによれば休眠口座の総額は6千万ドル程度に過ぎず、ほとんどは少額で、処理した10,000 件近い請求のうち確認できた口座は200件だった。
ユダヤ人政治学者ノーマン・フィンケルスタインは、2002年、このようなユダヤ人団体の行動をホロコーストを利用して利益を得るものとして批判する『ホロコースト産業』を著した。このユダヤ人団体などからホロコースト否定論者とされ非難を浴びた。しかし、フィンケルスタインは『ホロコースト産業』において「ホロコーストを利用して利益を得るユダヤ人団体」を批判したのであって、ホロコースト否定論を唱えている訳ではない。著名なホロコースト研究家であるラウル・ヒルバーグや、ユダヤ系であるノーム・チョムスキーはこのような見解を支持している[89]。一方で「産業論」はホロコースト否定論者に好意的に用いられることもしばしばある。
また、ホロコーストはユダヤ人にとって道徳的優位の道具として用いられているという言説はしばしばある。1987年、ベルリン自由大学教授エルンスト・ノルテが「過ぎ去ろうとしない過去」で、ホロコーストは歴史上の多の虐殺と大して変わらないものであるのに、かつて迫害されたユダヤ人はいまでは「永く特別に取扱われ、特権化されている」などと述べ、論争となった(歴史家論争)[90]。1988年2月10日にはノルテ教授の車が放火される[61]。また1998年には作家のマルティン・ヴァルザーがフランクフルト書籍見本市の平和賞受賞講演で、ホロコーストがドイツ人に対して「道徳的棍棒」として使われていると述べて元ドイツ・ユダヤ人中央評議会議長イグナツ・ブービスとの間に「ヴァルザー論争」が起こった[91]。彼らもホロコーストの存在自体を否定したわけではないが、否定論者には彼らの言説が、ホロコーストがユダヤ人に利益にもたらしている証明として、しばしば利用されることもある。
2001年2月にドイツのシュピーゲル誌が発表した世論調査結果によると「ユダヤ人団体は、自身が利益を得るために、独に対し過度の補償要求をしていると思うか」との設問に対し、ドイツ人の15%がそうだと答え、50%が部分的にせよそうだ、と回答している。また2003年12月に行われたイギリスのガーディアン誌の世論調査では「ユダヤ人は自分たちの利益のためにナチス時代の過去を利用し、ドイツから金を取ろうとしているか」という質問に全体の1/4が「そう思う」と返答し、1/3が「部分的だが真実」との認識を示すなど「ホロコースト産業」論も現在のドイツにおいて広く受け入れられている。
イスラム圏における概況
イスラム教国家においては、ホロコーストに対するユダヤ人への同情論が、結果的にシオニズムの容認とパレスチナからのパレスチナ人追放へと繋がったとする反発から、ホロコースト否認論が近年台頭してきている。中東では、パレスチナの政治グループだけでなくシリアやイランの政府の人間がホロコースト否認を表明しており[92]、2005年にはイランのアフマディーネジャード大統領が「ホロコーストは無かった」などとホロコーストを否定する発言を行って非難を受けた。
ホロコースト否認論はイスラム世界では比較的新しい動きである。名誉毀損防止同盟 (ADL) の副理事ケネス・ジェイコブソン (Kenneth Jacobson) はハアレツ (Haaretz) 紙のインタヴューに応えて次のように述べている。
西側の学者によるホロコースト否認論を適用することはイスラム世界において比較的新しい現象である。彼らの姿勢は、ホロコーストが起こったことは真実だが、パレスチナ人がその代償を負担するべきではないという極めて当然のものである。
ファタハの協同設立者の1人でパレスチナ解放機構の指導者の一人であるマフムード・アッバースはモスクワ東洋大学で1982年に歴史学の博士号を取得したが、学位論文は『ナチスとシオニスト運動の指導者との秘密の関係』と題するものであった[93][94]。なお、ソ連は1960年代からナチスとシオニスト指導部との秘密の結び付き (en:Zionology) を主張し、それを押し進めてきていた。彼がその博士論文を基に1983年に書いた『もう一つの顔: ナチスとシオニスト運動との秘密の関係』 では次のように述べられている。
シオニスト運動の関心事は (ホロコーストの死者) を誇張し、それによって利益を拡大することにあるようだ。これは彼らが国際的世論とシオニズムとの連帯を勝ち得るために (600万という) この数字を強調させる動機になっている。多くの学者がこれまでに600万という数字について議論し、ユダヤ人の犠牲者数を数十万人に修正するという驚くべき結論に達した。[95]
アッバースはまた、2006年3月にハーレツ紙のインタヴューでこう述べている。
私はホロコーストについて詳細に書いており、数字について議論するつもりはないと言っている。私は歴史家の議論を引用したのであって、そこではさまざまな数の犠牲者が言及されていた。ある者は1200万人と書き、ある者は80万人と書いていた。私にはその数字について論争しようとは思っていない。ホロコーストはユダヤ民族にとって恐ろしくかつ許すことのできない犯罪であり、人間には受け入れることの出来ない類の人道に対する罪である。ホロコーストは恐ろしいことであって、私がそれを否認したなどとは誰にも言わせない。[96]
ホロコーストの修正は、現在、様々なアラブ人指導者によって恒常的に宣伝され、それが中東全域の各種メディアを通じて広まっている[97]。2002年8月にはアラブ連盟のシンクタンクで、アラブ首長国連邦副首相のスルターン・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン (Sultan Bin Zayed Al Nahayan) が議長を務めるザーイド協同追求センター (Zayed Center for Coordination and Follow-up) がアブダビでホロコースト修正シンポジウムを開催した[98]。ハマースの指導者たちもまたホロコースト修正を宣伝している。
2005年12月の演説で、イランの大統領マフムード・アフマディーネジャードはホロコーストがイスラエルを守るために広められた「おとぎ話」だと述べ、国際的非難の新しい波を誘った。「彼らはユダヤ人の虐殺の名の下に伝説を捏造し、神よりも、宗教よりも、預言者たちよりも高い位置にそれを捧げ持っている」と述べ、またユダヤ人を迫害したのはドイツやオーストリアとして、迫害の責任を負うのはイスラエルの国家のために土地を手放しているパレスチナ人ではなくドイツやオーストリアであり、イスラエルはこれらの国々に移転するべきだと主張した。さらにイスラエルのユダヤ人をアメリカ合衆国に移住させることを提案している[99]。
2006年4月24日には、「究極の真実を明らかにするために」ホロコーストの真の規模を独立の立場から再び査定することを求めた[100]。米国ではイスラム教徒公共問題協議会en:Muslim Public Affairs Councilがアフマディーネジャードの発言を非難した[101]。同年12月にはテヘランで、ホロコーストの存在に否定的・懐疑的な立場を取る著名人・識者を集めたホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議が開かれた。一方、ハマースの政治指導者であるハーリド・マシャアル (Khaled Mashal) はアフマディーネジャードの発言を「勇敢だ」と評価し、「イスラム教徒はイランを支持するだろう。それはイランが彼らの想い、特にパレスチナの人々の想いを言葉にしてくれるからだ」と述べた[102]。
2007年1月26日の国連総会本会議は、ホロコーストの「全面的、部分的否定」を非難し、すべての加盟国に対してホロコーストの否定とそのための活動を禁止する措置を執ることを勧告する決議案が103カ国の共同提案によって提出された。この決議は投票なしで採択されたが、イランは不参加で「偽善的」と批判した[103][104]。
日本における概況
日本においては、フォリソンなど欧米の否認論者の言説を紹介する形で否認論が展開された。ユダヤ陰謀論論説で知られる宇野正美もしばしばホロコースト否認論説を著書に残している。
1994年にはジャーナリストの木村愛二が雑誌『噂の真相』に「シンドラーのリストが訴えたホロコースト神話への大疑惑」と題した記事を寄稿した[105]。1995年には著書『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)を発表、言論規制の動きに警鐘を鳴らした。木村の問題提起に触発された本多勝一は、一時的にではあるがホロコースト見直し論に関心を抱き、当時、本多が編集長を務めていた『週刊金曜日』に木村による連載を企画した。
マルコポーロ事件
- 1995年、当時厚生省職員であった医師の西岡昌紀が「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を『マルコポーロ』誌に掲載したことが国際的非難を呼び、最終的に『マルコポーロ』紙は廃刊となった(マルコポーロ事件)。記事の中で西岡は「ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害した事は明白」として当時のドイツのユダヤ人政策を支持する立場ではないことを明確にした上で、ドイツはユダヤ人を迫害したが「絶滅」までは計画しておらず、収容所でユダヤ人が大量死した原因は発疹チフスなどによるもので、アウシュヴィッツ等の収容所に処刑のためのガス室は存在しなかった、連合国はそれら病死したユダヤ人の死体の映像をガス室の犠牲者であったかのように発表・宣伝した、等の考察を発表した。なお同記事は、数回のシリーズの第一回として書かれた記事であった。
江川紹子はマルコポーロ事件の直後、マルコポーロの西岡記事を支持しないと明言した上で、サイモン・ウィーゼンタール・センターが文藝春秋に対して行なった広告ボイコットの手法を「民主主義の枠を超えている」と批判[106]、月刊誌『噂の真相』やジャーナリストの長岡義幸などもこの問題を巡る言論弾圧の空気を批判し、「ガス室」についての判断は留保しつつも、西岡を擁護している。木村愛二は『マルコポーロ』の記事がイスラエル建国とホロコーストの関係に全く言及していない点を批判している[107]。
西岡自身はその後、パソコン通信上の発言と1997年の著書[108]において、細部の記述には誤りがあったと自ら認めつつ、ホロコースト否認の立場を維持、ホロコースト否認論者に対する言論規制の動きを「ファシズムと呼ぶべきもの」と呼んで批判した。
ジャーナリストの田中宇は、ホロコーストをめぐる言論状況について「常識と異なる結論に達したら「犯罪者」にされるというのは、分析が禁じられているのと同じ」であるし、またヨーロッパではホロコーストの事実性を検証の対象にすることさえ禁じられようとしていると指摘している[1]。また、シオニストの中でも過激派と、国際協調主義を信奉する労働党系の中道派(左派)とでは意見が対立していると指摘している[1]。
2014年産経新聞が11月26日付の同紙東海・北陸版(約5000部)にホロコーストを否定する書籍の全面広告を掲載し、ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」より抗議を受け、謝罪を行った[109]。
ホロコースト否認を規制する法律
国連では1965年に人種差別撤廃条約を採択、1966年には国際人権規約が採択された。同B規約20条2項には「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とある。ホロコースト修正主義者は人種差別の罪で告発されることもある。否認論者はこれらは「表現の自由」の侵害であると主張しているが、欧州人権裁判所はガロディ裁判で「明確に立証されたホロコースト」に対して虚偽であるとして異論を唱えることは、人種主義とナチズムの復興をはかり、反ユダヤ主義を激化させる目的があると認定している。同裁判所は否認論の表現を認めることは、かえって人権の基礎となる正義と平和を侵害するものであるとしている[5]。
ホロコースト否認は主に欧州の国において違法とされている。フランス(ゲソ法)、ベルギー (Belgian Negationism Law) 、スイス (刑法261条bis ) 、ドイツ、オーストリア (article 3h Verbotsgesetz 1947) 、ルーマニア、スロヴァキア、チェコ、リトアニア、ポーランド [110]、ルクセンブルク などに存在する。イスラエルでも違法。カナダやイギリスでは、ホロコースト否認を禁止する法律はないが、名誉毀損や民族間の憎しみの助長やヘイトスピーチを禁止する法律がある。1997年には否認論者のガロディが、こうしたフランス国内の法律は「人権と基本的自由の保護のための条約」に違反しているとして欧州人権裁判所に救済を求めたが、同裁判所は全員一致でガロディの訴えを棄却している[5]。同裁判所はこの中で「ホロコーストは明確に立証された歴史的事実」であるとしている。
ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されているが、人種差別禁止法によって「ホロコースト否定」を取り締まる国もある。
1994年からドイツでは「ホロコースト否定」が刑法で禁じられており、違反者は民衆扇動罪(第130条)で処罰される。オーストリアにも同様の法律がある。なお「民主主義に敵対する言論や結社の自由は認めない」という理念は極右と極左の双方に向けられており、旧西ドイツの最高裁判所は1956年にドイツ共産党に対し解散命令を下した。これはドイツが第二次大戦の教訓から「自由の敵には自由を与えない」「不寛容に対しては不寛容を以て当たる」とする、いわゆる「戦う民主主義」を採ったためである。
2003年のヨーロッパ委員会による「サイバー犯罪条約への追加議定書」[111]では、人種差別的で排外主義的な行為の犯罪化に関する協約で、第6条に「大量虐殺や人道に対する罪の否認、著しい矮小化、是認、正当化」が上げられているが、まだ法律化されていない段階にある。
またこれらの国では、ナチズムに関するナチの象徴なども禁止している。加えて、ホロコースト否認を特別に禁止している国々では、ヘイトスピーチを禁じるなど、公的な場での発言を制限する法体系が存在していることが指摘されている。グッテンプラン (D. Guttenplan) によると、これは「米国やイギリス、元イギリス植民地のような判例法 (Common law) の国々と、大陸ヨーロッパの大陸法 (Civil law) の国々との違いである。大陸法の国々では法律は一般により規範的である。また、大陸法の体制下では、裁判官はより多く尋問者として振舞い、証拠を分析するほかに証拠を集めたり提示したりする。」[112]
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。 ホロコースト犠牲者は100万人に満たないという内容の博士論文を書いたことがあるパレスチナ解放機構事務局長マフムード・アッバース(前首相)を標的として極右政党国民連合が提出した法案であった[113]。
2007年1月26日の国連総会本会議には、ホロコーストの「全面的、部分的否定」を非難し、すべての加盟国に対してホロコーストの否定とそのための活動を禁止する措置を執ることを勧告する決議案が103カ国の共同提案によって提案され、可決された。ただしこの勧告に強制力はない[104]。
脚注
- ^ a b c d e f g 田中宇「ホロコーストをめぐる戦い」2005年12月20日
- ^ a b c d e f g h i j k l 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち――歴史修正主義の論理と病理――」「上智大学仏語・仏文学論集」2000年3月
- ^ a b c d ウォルター・ラカー 編『ホロコースト大事典』柏書房、2003年10月30日、564頁。
- ^ 芝健介 2002, pp. 23.
- ^ a b c d e f 光信一宏 2009, pp. 58–61.
- ^ a b c 光信一宏 2009, pp. 68.
- ^ a b c d e f g h 光信一宏 2009, pp. 62.
- ^ 「ホロコースト見直し論の父」といわれるポール・ラッシニエもフランス共産党を経てフランス社会党に入った左翼であると紹介されている(松浦寛 2000, p. 110-111)。また、左派とナチズムやファシズムは必ずしも敵対するものではなく、フィリップ・フューランが指摘したフランスの代表的なファシストはいずれも左派の出身であった(松浦寛 2000, p. 111)。またラッシニエが所属していた社会党内の派閥はレオン・ブルムと対立しており、反ユダヤ主義が猖獗していた(松浦寛 2000, p. 111-112)。
- ^ 松浦寛 2000, p. 110-111、125.
- ^ 松浦寛 2000, p. 111-112.
- ^ ラッシニエが所属していた社会党内の派閥はレオン・ブルムと対立しており、反ユダヤ主義が猖獗していた(松浦寛 2000, p. 111-112)
- ^ 光信一宏 2009, pp. 63–64.
- ^ 光信一宏 2009, pp. 59.
- ^ 光信一宏 2009, pp. 61.
- ^ ロイヒターはボストン大学「Bachelor_of_Arts_degree」(文学史の学位)を取得し、電気椅子などの死刑執行関連の器具販売会社を経営していた。
- ^ a b “Cracow (Port-Leuchter) Report: Table VII”. web.archive.org (2019年12月28日). 2020年9月29日閲覧。
- ^ Negationism is the denial of historic crimes. The word is derived from the French term Le négationnisme, which refers to Holocaust denial.
- ^ Omer Bartov, The Holocaust: Origins, Implementation and Aftermath, Routledge, p.12
- ^ イギリスのニュースメディアにおいてアーヴィングを「修正主義者」とした例。
- Kate Connolly Irving held in Austria for denying Holocaust in The Daily Telegraph November 18 2005
- Tony Paterson Austria considers Holocaust denial charge for Irving in The Independent, November 18 2005
- Staff and agencies David Irving jailed for Holocaust denial in The Guardian February 20, 2006
- By Times Online and agencies Bankrupt, disgraced and now jailed: Irving sinks to new low in Times Online, February 20, 2006
- Kate Murphy Irving tests Europe's free speech on the BBC website February 20 2006.
- ^ Metzner, Hans (2019年11月2日). “Holocaust Controversies: Report to Hitler: "Jews executed: 363,211"”. Holocaust Controversies. 2021年4月13日閲覧。
- ^ Michael Shermer and Alex Grobman, Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why do they Say it? University of California Press
- ^ Why Did the Heavens Not Darken?: the "Final Solution" in History, (Pantheon Books, 1988).
- ^ http://www.holocaustchronicle.org/StaticPages/149.html
- ^ 木畑和子 1989, pp. 259.
- ^ Sandner (1999): 385 (66 in PDF) Note 2. The author claims the term Aktion T4 was not used by the Nazis but was first used in the trials against the doctors and later included in the historiography.
- ^ 佐野誠 1998, pp. 4.
- ^ 佐野誠 1998, pp. 6.
- ^ 木畑和子 1989, pp. 262.
- ^ 佐野誠 1998, pp. 7.
- ^ 宮野彬 1968, pp. 131.
- ^ 宮野彬 1968, pp. 128–129.
- ^ ヒトラーは10月末日にこの命令書に署名している(宮野彬 1968, pp. 128–129)。
- ^ 木畑和子 1989, pp. 246.
- ^ 木畑和子 1989, pp. 279–280.
- ^ a b 南利明 & 1995-11, pp. 187.
- ^ 村瀬興雄 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』(中公新書) ISBN 978-4121004789
- ^ a b 『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ』 (フランス語: Le Drame des Juifs européens),1964
- ^ ティル・バスティアン (1995年11月1日). 石田勇治・星乃治彦・芝野由和. ed. アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>. 白水社
- ^ “Institute for Forensic Research, Cracow: Post-Leuchter Report”. web.archive.org (2019年12月29日). 2020年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f Jean Claude Pressac: Auschwitz: Technique and operation of the gas chambers,. The Beate Klarsfeld Foundation, New York. (1989)
- ^ “Auschwitz Document: '...the gassing cellar...'”. phdn.org. 2020年9月27日閲覧。
- ^ “"14 Showerheads, 1 gas-tight door"”. web.archive.org. 2020年9月27日閲覧。
- ^ a b ホロコーストの真実(下)大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ. 恒友出版. (1995年11月7日)
- ^ Metzner, Hans (2019年8月11日). “Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report”. Holocaust Controversies. 2020年9月27日閲覧。
- ^ a b c アウシュビッツ収容所. 講談社. (1999年8月10日)
- ^ 灰は、焼却が休みなく続けられる間にも、炉棚から下に落とされ、はこび出されて粉砕される。骨粉は、トラックで、ワイクセル(ウィッスラ)河にはこばれ、スコップで河に投げ込まれる。(p.409)
- ^ 例えば歴史見直し研究所のホロコーストに関する疑問リストを参照。
- ^ [1] Aaron Breitbart,Breitbard Document
- ^ a b Peter Novick,The Holocaust in American Life,1999
- ^ [2]Guidelines for Teaching about the Holocaust,アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館。2013年11月23日閲覧.
- ^ “加藤幸実,「ホロコーストの「アメリカ化」という現象」千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第232集『帝国・人種・ジェンダーに関する比較研究』栗田禎子編 ,2013”. web.archive.org (2016年3月5日). 2020年9月29日閲覧。
- ^ “The Auschwitz Gambit: The Four Million Variant”. 2020年9月28日閲覧。
- ^ Romanov, Sergey (2017年5月21日). “Holocaust Controversies: Rebutting the "Twitter denial": the most popular Holocaust denial memes debunked”. Holocaust Controversies. 2020年9月26日閲覧。
- ^ ウォルター・ラカー編「ホロコースト大事典」(柏書房・2003)p.152-153
- ^ ウォルター・ラカー編「ホロコースト大事典」(柏書房・2003)p.153-154
- ^ ウォルター・ラカー編「ホロコースト大事典」(柏書房・2003)p.156
- ^ https://web.archive.org/web/20160304113815/http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/09manchuria/column/JewishRegion/
- ^ ウォルター・ラカー 編『ホロコースト大事典』柏書房、2003年10月3日。
- ^ 栗原優 (1997年3月1日). ナチズムとユダヤ人絶滅政策. ミネルバ書房
- ^ a b c d e f g h i j k l Germar Rudolf: [3]Lectures on the Holocaust, Theses & Dissertations Press, 2000,5-2 Violence.pp495-499.
- ^ a b 武井 2021, pp. 40–43
- ^ 武井 2021, p. 43
- ^ 武井 2021, pp. 59–60
- ^ 武井 2021, pp. 60–61
- ^ 武井 2021, pp. 62–63
- ^ Deborah E. Lipstadt, History on Trial, Harcourt:2005 ISBN 0060593768
- ^ 武井 2021, pp. 44–46
- ^ 武井 2021, pp. 53–55
- ^ Phyllis B Gerstenfeld, Diana R Grant, Crimes of Hate. Sage Press, 2003, p 191
- ^ ロサンジェルスに本拠を構える、中立主義的な文献を専門とする出版社ヌーンタイド・プレス (Noontide Press) から刊行。
- ^ 武井 2021, pp. 74–76
- ^ 武井 2021, p. 76
- ^ 武井 2021, pp. 77–78
- ^ Deborah Lipstadt, Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory 1994
- ^ Le Havre Presse, March 20, 1978
- ^ Richard J. Evans, Lying About Hitler: History, Holocaust, and the David Irving Trial, Basic Books, 2002 ISBN 0465021530.
- ^ Journal for Historical Review, 1993, 13, 5, p. 32
- ^ Paul Raber, San Francisco Express, January 17, 1992, page 4.
- ^ Why Did the Heavens Not Darken?
- ^ 判決ではヴァーラルの著書『本当に600万人も死んだのか?』については論評しなかった。
- ^ 邦訳「ホロコーストの真実」上下、恒友出版 (1995)滝川義人訳
- ^ Lipstadt, History on Trial
- ^ [4]Holocaust Denial,” The Scribe, Journal of Babylonian Jewry, No 70, October 1998
- ^ ギヨームは1960年代にラ・ヴィエイユ・トープ (La Vieille Taupe) という出版社に関わっていた。
- ^ Richard Joseph Golsan, Vichy's Afterlife, University of Nevada Press, 2003, p 130
- ^ “Holocaust denier Irving is jailed”. BBC News (BBC). (2006年2月20日) 2009年6月16日閲覧。
- ^ [5]International Service of the Swiss Broadcasting Corporation,2004.5.7.
- ^ Omer Bartov, A Tale of Two Holocausts. Review of The Holocaust Industry, by Norman Finkelstein. New York Times Book Review 6 Aug. 2000
- ^ 『過ぎ去ろうとしない過去』徳永恂,清水多吉,三島憲一他訳,人文書院
- ^ [6]
- ^ Jewish Virtual Library, MEMRI, ICT.
- ^ Was Abu Mazen a Holocaust Denier? By Brynn Malone (History News Network)
- ^ Abu Mazen: A Political Profile. Zionism and Holocaust Denial by Yael Yehoshua (MEMRI) April 29, 2003
- ^ "It seems that the interest of the Zionist movement, however, is to inflate this figure [of Holocaust deaths] so that their gains will be greater. This led them to emphasize this figure [six million] in order to gain the solidarity of international public opinion with Zionism. Many scholars have debated the figure of six million and reached stunning conclusions—fixing the number of Jewish victims at only a few hundred thousand." A Holocaust-Denier as Prime Minister of "Palestine"? by Dr. Rafael Medoff (The David S. Wyman Institute for Holocaust Studies). Abu Mazen and the Holocaust by Tom Gross. PA Holocaust Denial Archived 2006年11月13日, at the Wayback Machine. by Itamar Marcus (Palestinian Media Watch). Can Israel survive if it does not defend itself? by Francisco Gil-White (Historical and Investigative Research).
- ^ Interview with Mahmoud Abbas by Akiva Eldar, Haaretz. March 30, 2006
- ^ ADL on Holocaust Denial, MEMRI
- ^ http://www.likud.nl/extr225.html
- ^ CNN, Iranian leader: Holocaust a 'myth'
- ^ アフマディーネジャードは最近、ロバート・フォーリソン のような有名なホロコースト否認論者たちを招き、「ホロコーストを検証」する会議を開こうとしているといわれている。イスラエル、ヨーロッパ、米国の政府高官は即座にこれを非難。イスラエル政府のある高官はパレスチナ問題に対する「ナチ式の解決」を提案したイラン大統領を非難した。ドイツ連邦議会の6つの政党全てがホロコースト否認論を非難する決議文に署名した。http://www.expatica.com/source/site_article.asp?subchannel_id=52&story_id=26268&name=German+parliament+slams+Ahmadinejad+remarks
- ^ Muslim Public Affairs Council
- ^ Al Jazeera, "Hamas springs to Iran's defence"
- ^ 時事通信社2007年1月27日
- ^ a b 光信一宏 2009, pp. 63.
- ^ 『噂の真相』1994年9月号
- ^ 月刊『創』(1995年4月号)
- ^ 『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)
- ^ 『アウシュウィッツ「ガス室」の真実:本当の悲劇は何だったのか?」日新報道
- ^ 「産経新聞、ユダヤ中傷書籍の広告掲載で謝罪」『日本經濟新聞』 2014/12/6
- ^ 国家記銘院1998年12月18日議決法第55条
- ^ http://conventions.coe.int/Treaty/en/Treaties/Html/189.htm
- ^ D D Guttenplan, Should Freedom of Speech Stop at Holocaust Denial? Archived 2008年1月15日, at the Wayback Machine., Index of Free Expression, 2005.
- ^ 『エルサレム・ポスト』(2004年7月20日)
参考文献
- Richard J. Evans, Lying About Hitler: History, Holocaust, and the David Irving Trial, Basic Books, 2002 (ISBN 0465021530) . As well as the story of the Irving case, this is an excellent case study on historical research.
- Deborah Lipstadt, Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory, Plume (The Penguin Group) , 1994. Debunking Holocaust revisionism.(デボラ・リップシュタット著、滝川義人訳『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者の嘘ともくろみ』恒友社、1995年)
- Donald L. Niewyk, ed. The Holocaust: Problems and Perspectives of Interpretation, D.C. Heath and Company, 1992.
- Robert Jan Van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial. ISBN 0253340160
- Michael Shermer and Alex Grobman, Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why do they Say it? University of California Press ISBN 0520234693
- MichaelShermer: Why People Believe Weird Things: Pseudoscience, Superstition, and Other Confusions of our Time, Freeman, New York 1997
- Mr. Death, a documentary by Errol Morris.
- "Syrian Holocaust Denial" by Mohammad Daoud, Syria Times September 6 2000, retrieved November 08 2005
- "Antisemitism and Holocaust Denial in the Iranian Media" MEMRI Special Dispatch Series no 855, January 28 2005, retrieved November 08 2005
- "Palestinian Holocaust Denial" Reuven Paz, Peacewatch 21 April 2000, retrieved November 08 2005
- Abbot A., Holocaust Denial Research Disclaimed, «Nature» v. 368, 1994
- Till Bastian , "Auschwitz und die «Auschwitz-Lüge». Massenmord und Geschichtsfälschung", Beck’sche Reihe München, 1994
- Francesco Germinario: Estranei alla democrazia. Negazionismo e antisemitismo nella destra radicale italiana, BFS Editore, Pisa 2001
- Francesco Rotondi: Luna di miele ad Auschwitz. Riflessioni sul negazionismo della Shoah. Edizioni Scientifiche Italiane, Napoli, 2005
- Valentina Pisanty: L’irritante questione delle camere a gas. Logica del negazionismo, Bompiani, Milano 1998
- Jean Claude Pressac: "Les carences et incohérences du Rapport Leuchter" «Jour J., la lettre télégraphique juive», 12 decembre 1988
- Jean Claude Pressac: Auschwitz: Technique and operation of the gas chambers, The Beate Klarsfeld Foundation, New York 1989
- Jean Claude Pressac "Les Crématoires d’Auschwitz: La Machinerie Du Meurtre De Masse", CNRS editions, Paris 1993
- Pierre Vidal-Naquet: Les assassins de la mémoire, La Découverte, Paris 1987
- Pierre Vidal-Naquet:Qui sont les assassins de la mémoire? in Réflexions sur le génocide. Les juifs, la mémoire et le présent, tome III.La Découverte 1995.
- Brigitte Bailer-Galanda, Wilhelm Lasek: Amoklauf gegen die Wirklichkeit. NS-Verbrechen und revisionistische Geschichtsschreibung.Wien, 1992
- George Wellers: A propos du «Rapport Leuchter» et les chambres à gaz d’Auschwitz, Le Monde Juif n. 134, 1989
- John C. Zimmerman: Holocaust denial : demographics, testimonies, and ideologies, Lanham, Md., University Press of America, 2000
- Ted Gottfried:Deniers of the Holocaust: Who They Are, What They Do, Why They Do It, Brookfield Conn Twenty-First Century Books, 2001
- Henry Rousso: Le dossier Lyon III : le rapport sur le racisme et le négationnisme à l’université Jean-Moulin. Paris, 2004
- Nadine Fresco:Les redresseurs de morts.Chambres à gaz: la bonne nouvelle. Comment on révise l'histoire. Les Temps Modernes, 407, juin 1980
- Nadine Fresco: "The Denial of the Dead On the Faurisson Affair"1981
- Georges Bensoussan: Négationnisme et antisionnisme: récurrences et convergences des discours du rejet.Revue d'histoire de la Shoah, 166, mai-août 1999. Centre de documentation juive contemporaine 1999
- Valérie Igounet:Dossier «Les terroirs de l'extrême-droite»: Un négationnisme stratégique, Le Monde diplomatique (mai 1998)
- Pierre Bridonneau: Oui, il faut parler des négationnistes, Éditions du Cerf 1997
- Michael Shermer:Why People Believe Weird Things 1997 (ISBN 0-8050-7089-3)
- ティル・バスティアン著、石田勇治・星乃治彦・芝野由和編著『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』(白水社1995年、白水Uブックス2005年)
- Germar Rudolf: [7]Lectures on the Holocaust, Theses & Dissertations Press USA, 2000
- en:Arthur R. Butz, en:The Hoax of the Twentieth Century, Newport Beach: Institute for Historical Review, 1994 (ISBN 0967985692)
- Faurisson, Robert, My Life As a Revisionist, The Journal of Historical Review, volume 9 no. 1 (Spring 1989) , p. 5.
- en:Jürgen Graf, Der Holocaust auf dem Prüfstand (1992)
- en:Richard E. Harwood, en:Did Six Million Really Die?Noontide Press.
- en:David Irving, The War Path (1978) ISBN 0670749710
- en:Michael Hoffman II, The Great Holocaust Trial, June,1985 - (2nd Edition) ISBN 0939484226
- en:Tiit Madisson, Holokaust. XX sajandi masendavaim sionistlik vale (Holocaust. The Most Depressing Sionist Lie of the XX Century; 2006)
- 木村愛二「アウシュヴィッツの争点」(リベルタ出版・1995年)
- 西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」(日新報道・1997年)
- 木畑和子、井上茂子、芝健介、矢野久、永岑三千輝「第2次世界大戦下のドイツにおける「安楽死」問題」『1939―ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』同文舘出版、1989年。ISBN 978-4495853914。
- 佐野誠「ナチス「安楽死」計画への道程:法史的・思想史的一考察」『浜松医科大学紀要. 一般教育』第12巻、浜松医科大学、1998年、1-34頁、NAID 110000494920。* 西岡昌紀『アウシュウィッツ「ガス室」の真実:本当の悲劇は何だったのか?』(日新報道・1997年))
- 宮野彬「ナチスドイツの安楽死思想 : ヒトラーの安楽死計画」『法学論集』第4巻、鹿児島大学、1968年、119-151頁、NAID 40003476739。
- ロジェ・ガロディー著・木村愛二訳『偽イスラエル政治神話』(れんが書房新社)1998年ん
- 広河隆一「パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で―フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社 1998年
- 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち――歴史修正主義の論理と病理――」「上智大学仏語・仏文学論集」2000年3月。(国立情報学研究所)
- 田中宇「ホロコーストをめぐる戦い」2005年12月20日。
- 光信一宏「ホロコースト否定論の主張の禁止と表現の自由 : 2003年6月24日の欧州人権裁判所ガロディ判決 (Garaudy c. France 24 Juin 2003) (故南充彦教授追悼号)」『愛媛法学会雑誌』35(1-4)、愛媛法学会、2009年、274-335頁、NAID 120006526737。
- 芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判(平瀬徹也教授退職記念)」『史論』第55巻、東京女子大学、2002年、20-40頁、NAID 110006607653。
- 南利明「民族共同体と法(19) : NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制」『静岡大学法経研究』44(3)、静岡大学、1995年11月、179-216頁、NAID 110000458862。
- ウォルター・ラカー編「ホロコースト大事典」(柏書房・2003年)
- 武井彩佳『歴史修正主義』中央公論新社〈中公新書〉、2021年。ISBN 978-4-12-102664-4。
関連項目
- 関連人物
- 高須克弥
- ポール・ラシニエ(en:Paul Rassinier)
- アーサー・バッツ (en:Arthur Butz)
- ボビー・フィッシャー
- ユルゲン・グラフ (en:Jürgen Graf)
- リチャード・ハーウッド (en:Richard E. Harwood)
- マイケル・ホフマン2世 (en:Michael Hoffman II)
- ユーリ・リナ (en:Jüri Lina)
- ティート・マディソン (en:Tiit Madisson)
- ハッサン・ナスララ
- ゲルマー・ルドルフ
- en:Wendy Campbell
- en:François Duprat
- en:Robert Faurisson
- en:Hutton Gibson
- en:Nick Griffin
- en:James Keegstra
- en:Fred A. Leuchter
- en:Norman Lowell
- en:Carl O. Nordling
- en:Roeland Raes
- en:Ahmed Rami (writer)
- en:Gerald Fredrick Töben
- en:Mohammed Mahdi Akef
- en:Richard Williamson
- en:Mark Weber
- en:Ernst Zündel
外部リンク
- ホロコーストの内容に疑問を投じるウェブサイト
- Institute for Historical Review (歴史見直し研究所) ホロコーストを否認する代表的な組織 (英語)
- CODOH:ブラッドリー・スミスのホロコーストに関する公開討論委員会 (英語)
- デイヴィッド・アーヴィング、David Irving's Action Report (英語)
- エルンスト・ツンデル、The Zundelsite (英語)
- カルロス・ホィットロック・ポーター、Website of Carlos Whitlock Porter (英語)
- マイケル・ホフマン2世、第二次世界大戦FAQト (英語)
- 歴史的修正主義研究会(日本語)
- 副島隆彦「1814」 レイチェル・ワイズ主演の映画『否定と肯定(Denial:Holocaust History on Trial)』の話をします(全1回・第2回) 2019年3月15日http://www.snsi.jp/tops/kouhouprint/2112
- マルコポーロ廃刊関係
- 西岡昌紀氏講演会「マルコポーロ事件から20年」「言論の自由と差別問題」2015.07.05 大阪市 https://www.youtube.com/watch?v=ho1iZfeoIq0feoIq0
- 「西岡昌紀2017/01/29「ミステリー講演会 アンネ・フランクはなぜ死んだか」1 https://www.youtube.com/watch?v=6GdDRTlPlkY
- 「西岡昌紀2017/01/29「ミステリー講演会 アンネ・フランクはなぜ死んだか」2 https://www.youtube.com/watch?v=k5dDsqywEeM
- 「ポーランド現代史の闇」『WiLL』2015年6月号 http://asread.info/archives/1902
- マルコポーロ廃刊事件に関するWikipediaの虚偽記載 http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori-rekishiokangaeru/archives/68775982.html
- ホロコースト否認への批判
- ニツコー・プロジェクト — ホロコースト否認に対する返答 (英語)
- Holocaust Controversies ホロコースト論争(英語)
- The Holocaust History Project — ホロコーストとその否認に関する書類や論文 (英語)
- ユダヤ人に対する「矯正手段」としてのガス処理 (英語、ドイツ語)
- Holocaust Denial: An Online Guide to Exposing and Combating Anti-Semitic Propaganda 名誉毀損防止同盟出版 (英語)
- Open Directory Project: Holocaust Denial: Opposing Views (英語)
- "No Planes and No Gas Chambers" ホロコースト否認論者たちはいかにして嘘を押し通し、9.11真実運動 (en:9/11 Truth Movement) に対する破壊工作をしているか (英語)
- The Jerusalem Post reporting on Rabbi Yisroel Dovid Weiss visit to Iran, supporting their denial of the Holocaust. (英語)
- Holocaust Denial Versus 9/11 Truth 9.11に関する公式説明に対する疑問を呈する研究者たちの信用を傷つける目的でのホロコースト否認の利用 (英語)
- History on Trial:デボラ・リプシュタットのブログ (英語)
- How To Be A Revisionist Scholar — もとは1996年 (英語) 1月3日に alt.revisionismに投稿されたもので、ホロコースト否認論者たちのさまざまな主張をちゃかしている (英語)
- Holocaust Denial: A Global Survey - 2004 アレックス・グロブマン (Alex Grobman) とラファエル・メドフ (Rafael Medoff) The David S. Wyman Institute for Holocaust Studiesにおけるアレックス・グロブマン (Alex Grobman) とラファエル・メドフ (Rafael Medoff) の論文 (英語) 。 2003 Surveyでも読むことが可能。
- A New Form of Holocaust Denial (英語)
- Palestinian Holocaust Denial at ICT. 2000年4月22日 (英語)
- PA Holocaust Denial イタマール・マルクス (Itamar Marcus) により著述および編集されたもの (英語) 。 他にPalestinian Media WatchにおけるHolocaust Denial. TV Archives。
- アメリカホロコースト記念館 (英語)
- ホロコーストの歴史、英国放送教会(BBC) (英語)
- 気のふれた修正主義者 (The Mad Revisionist) - ホロコースト否定論者たちに利用された議論の方法に関する風刺 (英語)
- Audio Testimony of Dr. Walter Ziffer, Recorded April 11, 2004 2004年4月11日現在ノース・カロライナ州のアッシュヴィル (Asheville) に住んでいるウォルター・ジファー (Walter Ziffer) 教授による討論。収容所での生活とホロコースト修正主義思想について。