T4作戦
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T4作戦(ドイツ語: Aktion T4, 英:T4 Euthanasia Program)は、ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づいて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地、ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき戦後に付けられた名称である。一次資料には E-Aktion, もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている。(戦後のニュルンベルク裁判の検察側による見積もり)
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[編集] 機関設立と目的
政策機関はアドルフ・ヒトラーによって設立され、ナチ党官房長(Leiter der Kanzlei des Führers)のフィリップ・ボウラー(Philip Bouhler)と親衛隊医官のカール・ブラント(Karl Brandt)の下、精神科医のヴァーナー・ハイデ (Werner Heyde)とパウル・ニッチェ(Paul Nitsche)によって行われた。
この政策の目的は、ドイツ国民の“遺伝的な純粋性”を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは家族から引き離され、特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに "Law for the Prevention of Hereditarily Diseased Offspring" の結果として強制的避妊の対象となっていたにもかかわらず、この政策の対象となった。
ナチスは「役に立たない人間」を「安楽死(もしくは尊厳死)」させることと見なしていた。しかし当人や彼らの身内からの承諾はなく、優生学的な目的は、後の時代だけでなく同時代にも殺人だと見なされた。
このT4作戦は、1941年8月にヒトラーの命令で中止となった。キリスト教の弱者保護の教えに反するとして、キリスト教の司教らが反対したのが原因と言われているが、今日でも中止理由は完全には明らかになっていない。
[編集] 文献
- フランツ・ルツィウス著、山下公子訳 『灰色のバスがやってきた;ナチス・ドイツの隠された障害者「安楽死」措置』 草思社、1991年、ISBN 4-7942-0445-0
- 小俣和一郎 『ナチスもう一つの大罪;「安楽死」とドイツ精神医学』 人文書院、1995年、ISBN 4409510371
- ヒュー・グレゴリー・ギャラファー著、長瀬修訳 『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』 現代書館、1996年、ISBN 4768466877
- 小俣和一郎 『精神医学とナチズム;裁かれるユング、ハイデガー』 講談社、1997年、ISBN 4061493639
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Website with photo of Philipp Bouhler and facsimile of Hitler’s letter to Bouhler and Brandt authorising the T4 program
- The complete text of Robert Lifton's The Nazi Doctors online
- List of Action T-4 personnel

