第三帝国
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第三帝国(だいさんていこく、ドイツ語: Das Dritte Reich 、ダス・ドゥリテ・ライヒ)とは、国家社会主義ドイツ労働者党時代にドイツが自称した国名のこと。
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[編集] 語源
通説では、国家社会主義ドイツ労働者党は、過去の栄光と自らを結びつけるため、神聖ローマ帝国(962年 - 1806年)を第一帝国、プロイセン王国がドイツ諸邦を統一したドイツ帝国(1871年 - 1918年)を第二帝国、自らの国家を第三帝国と称したとされる。しかし、「第三」という語のドイツ語の "dritte" には未来の意味があり、ナチスのいう Das Dritte Reich (第三帝国または第三の国)とは、未来の国の意と言われている。Das Dritte Reich の語を生み出したのはアルトゥール=メラー・ファン・デン・ブルック (Arthur Moeller van den Bruck) であり、メラーは、中世の神学者のフィオーレのヨアキム(Joachim of Fiore)の第三の時代から、「第三=未来」の語を用い、自著のタイトルとし、初期のナチスは保守革命の思想家であるメラーの造語を借用している。
ヒトラーは、1000年も存続し続ける第三帝国の首都としてベルリンを後に「ゲルマニア」と改称するつもりであった。
[編集] ライヒ
詳細は「ライヒ」を参照
ライヒ (Reich) とはドイツ語で、一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich) と規定される。ドイツは歴史的に小さな領邦 (Staat) が分立して神聖ローマ帝国皇帝の緩やかな支配を受けている時代が長く続き、その後もドイツ皇帝(カイザー)の緩やかな支配が続いた。バイエルン、ヘッセンと個々の地域は現在も Land (州)と呼ばれ、高度の自治を許されている。
1933年以降、ナチス・ドイツは地方自治を完全に停止し、全ドイツ (Reich) を一元支配した。Heiliges Römisches Reich (神聖ローマ帝国)を第一帝国とし、Kaiser-reich (プロイセン王国が統一した帝政ドイツ)を第二帝国、 Das Dritte Reich を第三帝国、第三の国と呼ぶのは一貫性がある。Reich は、「帝国」を意味する語ではなく「ドイツ全国」を意味しているからであり、ナチス政府の国家は、ドイツ全国を統治下に置いた三番目の国だからでもある。
第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国では「全国」を意味する語としては Reich ではなく Bund (連邦)の語を用い、 "Reichs---" ではなく "Bundes---" という。もし、Reich の語を使うとするならば、現在の統一ドイツは、「第四の Reich」ということになってしまうだろう。
[編集] 訳語
以上のとおり、ドイツ語の "Reich" は、過去に神聖ローマ帝国や帝政ドイツを指したことから、帝国との強い関連があることは確かであるものの、語自体はドイツ全国を意味し帝国を意味するわけではない。
帝国には「皇帝と呼ばれる君主が支配する国家」と「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」の2通りの意味がある。ナチス・ドイツの政治体制は共和制(共和国)であったので、前者の意味での帝国ではない(しばしば誤解されるが、共和制とは君主のいない体制を意味し、独裁政治・独裁制であるかどうかとは関係無い)。
またアーリア民族の優越を訴えるナチスの政策は、多民族を内包するものではなく、むしろ排斥するものであり、後者の意味での帝国でもない。よって、日本語における「第三帝国」という訳語は、ナチス・ドイツの政治体制を正確に反映していないことになる。ただし「大きな領域を統治する国家」が帝国であると考えれば、あながち間違った訳語であるとは言えない。
英語では、"Reich" を英訳することなくそのまま用いて、"Das Dritte Reich" のことを "The Third Reich" と呼んでいる。