国民突撃隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
国民突撃隊
Deutscher Volkssturm
Bundesarchiv Bild 146-1971-033-15, Vorbeimarsch des Volkssturms an Goebbels, Berlin.jpg
分列行進する国民突撃隊員
創設 1944年
廃止 1945年
所属政体 ドイツ国
所属組織 ナチ党
部隊編制単位 総軍
兵種/任務/特性 16歳から60歳のドイツ国民
所在地 ドイツ
担当地域 ドイツ
最終位置 ベルリン
主な戦歴 ベルリン攻防戦
テンプレートを表示

国民突撃隊(こくみんとつげきたい、独:Deutscher Volkssturm 「ドイツ民族の嵐」)は、第二次世界大戦末期に近い1944年9月25日の総統命令により本土防衛に備え設けられた16歳から60歳のドイツ国民から成る民間軍事組織を指す。これにより10,180個大隊(約600万人)の新しい兵力の創設が予定されていた[要出典]、。指揮官は軍人ではなく、ナチ党の地元指導者が任命された。1944年11月12日に大ベルリン大管区指導者(ガウライター)ゲッベルスヴィルヘルム広場で行われた入隊宣誓式に演説をする姿がニュースフィルムに納められている。傍らに駐独日本大使の大島浩中将の姿も見られた[要出典]

類似した組織に、日本の国民義勇戦闘隊、イギリスのホーム・ガードなどがある。

目次

[編集] 背景と編成

ドイツ軍スターリングラード攻防戦の敗北以降、慢性的な兵員不足に陥っていたが[要出典]、1944年7月には国民擲弾兵師団を編成し、14~50歳までの男子を動員した[要出典]。しかし、同年後半になると連合軍はドイツ本土に迫り事態が更に深刻化したため、郷土を守るために一般市民を最低限の訓練を施した後(最末期には訓練なしのまま前線に投入されていた[要出典])、郷土防衛の緊急度に応じて第一次召集、第二次、第三次、第四次と計画されていた[要出典]

[編集] 実態

国民突撃隊のカフタイトル(腕章)

動員された兵士(隊員)の質は一般部隊とは格段にばらつきが大きく[要出典]第一次世界大戦に参加した古参もいれば、老人、十代前半の子供もいる寄せ集めであり[要出典]、士気もお世辞にも高いとは言えなかった。

更に、大戦末期のため武器不足が深刻で、対戦車攻撃用に大量生産された使い捨てのパンツァーファウスト以外は小銃はおろか、拳銃でさえ前大戦時の物をかき集めても全てには行き渡らず、鹵獲したものをそのまま使ったり、個人所有の猟銃までもが駆り出される始末だった[要出典]。その上、銃を支給されても弾は満足に無く、小銃一丁につき銃弾が三〇発も支給されれば良い方だったという[要出典]。当然、補給はほとんど無かった[要出典]。 また、武器とともに物資も不足していたため鉄兜等も満足に行き渡らず、軍服に至っては私服に腕章を着けただけの物まで出るという有様だった(「野戦向きの服装なら何でも良い」とされた)[要出典]

武器もお粗末で、訓練もろくに受けず、戦闘経験が殆どない指揮官が多数を占めたため、戦力的には無いよりましという程度の存在であった。また、連合国軍との戦闘やその後の敗残兵狩りで、多くの一般市民が巻き添えを食う原因となった[要出典]

[編集] 戦史[要出典]

国民突撃隊は陸軍、海軍、空軍、武装親衛隊とともに多大な犠牲を出しながらも善戦し、ベルリン攻防戦では正規軍にも劣らない活躍を見せた[要出典]。しかし、国民突撃隊の指揮官は能力よりも党や指導者への忠誠心の度合いによって決まっていた[要出典]。戦場では死守命令が乱発され[要出典]、結果多くの国民突撃兵が戦死した。

[編集] 参考文献

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語