国防軍最高司令部 (ドイツ)

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国防軍最高司令部
Oberkommando der Wehrmacht
国防軍最高司令部総長旗(1941–1945)
活動期間1938年2月4日 – 1945年5月23日
国籍ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
軍種ドイツ国防軍
任務参謀本部
本部ツオッセンヴュンスドルフ
主な戦歴ヨーロッパにおける第二次世界大戦
指揮
国防軍最高司令官アドルフ・ヒトラー総統
カール・デーニッツ大統領
国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル
アルフレート・ヨードル

国防軍最高司令部(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、: Oberkommando der Wehrmacht、略号:OKW、オーカーヴェー)は、国防軍最高司令官である大統領総統)が国防大臣英語版ドイツ語版に指揮を負託する従来の仕組みを廃し、最高司令官であるアドルフ・ヒトラー自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。国防軍総司令部とも。

創設と役割[編集]

ヴァイマル共和国においては国防軍Reichswehr:1935年のドイツ再軍備宣言時に「Wehrmacht」に改称)の最高指揮権は大統領が有し、大統領の負託を受けて国防大臣 (Reichswehrminister) が国防軍を直接指揮していた。1934年パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が死去した後、ヒトラーは首相職と大統領職を兼務し、国防軍の最高指揮権を手に入れた。しかし、ヒトラーは戦争をも辞さない自らの強引な外交政策に異を唱える国防軍上層部の存在を疎ましく思い、1938年2月にスキャンダルを理由にブロンベルク国防大臣とフリッチュ陸軍総司令官を失脚させた(ブロンベルク罷免事件)。

1938年2月4日、ヒトラーは「以後は自身が直接国防三軍を指揮する」と宣言、後任の国防大臣を任命せず、国防省の国防軍局(Wehrmachtamt)を発展的解消させて国防軍最高司令部を設置、新組織のトップにヴィルヘルム・カイテル大将を任じた。この職位は国防軍最高司令部総長Chef des Oberkommandos der Wehrmacht)と呼ばれ、形式的には国務大臣に同位であるが、従来の意味の国防大臣ではなく、軍事指揮権を持たない事務職であった。

国防軍最高司令部総長旗(1938-1941)

戦争指導の最終的な決裁は、国防軍最高司令官であるヒトラー、国防軍最高司令部総長、陸軍総司令官、海軍総司令官、空軍総司令官、親衛隊全国指導者、外務大臣などが出席する総統大本営で行われた。

カイテルは、この会議では最高司令官であるヒトラーの作戦指導に異を唱える参謀将校や歴戦の軍司令官を押さえ込む役割を演じた。カイテルはこのためか敗戦まで国防軍最高司令部総長の地位に留まることができた。

国防軍最高司令部の本部は、1939年第二次世界大戦直前にベルリンの南 24km のヴュンスドルフ (Wünsdorf) に完成した巨大な地下施設(秘匿名称:Maybach II)に移されたが、第二次世界大戦開戦後はヒトラーは前線近くに指揮所を設けたので、ヒトラーが滞在するところすべてが、「野戦の移動」国防軍最高司令部となった。ベルリン総統官邸ベルヒテスガーデンの山荘(ベルクホーフ)、オストプロイセンの深い森の中に建設されたヴォルフスシャンツェ等がそうである。

なお、この機関のヒトラーのもとでの役割を正確に伝えるためには、字義通りの「国防軍最高司令部」よりも「統合参謀本部(英︰Combined General Staff)」と訳したほうが良い、という説がある[1]

組織[編集]

国防軍最高司令部は6部門から構成されている。指揮官名と勤務期間を記載する。

  • 国防軍一般局Amtsgruppe Allgemeine Wehrmachtangelegenheiten
    • 歩兵大将 ヘルマン・ライネッケ(1939年 - 1945年)
    • 国防軍損害・戦争捕虜部:Abteilung Wehrmachtverlustwesen (WVW)
      • Wehrmachtauskunftstelle für Kriegerverluste und Kriegsgefangene (WaSt)
  • 国防軍中央管理部:Wehrmacht-Zentral-Abteilung
  • 国防軍司法府:国防軍の司法に関する指揮権はWRとWuStを通じて国防軍最高司令部総長が持つ。

この他に、軍法会議と退職軍人保護法廷(de)が所属する。さらに、1942年以降ヴァルター・フォン・ウンルヒ歩兵大将以下の特務参謀(Stab z. B.V.)が置かれた。

無条件降伏後[編集]

参謀本部と国防軍最高司令部は、ニュルンベルク裁判では「犯罪的な組織」とは判定されなかった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 濱田常二良『独逸軍部論』昭和刊行会、1944年
  • S.L.Mayer Signal Hitler's Wartime Picture Magazine, Bison Books, 1976, ISBN 0-13-810051-9
  • バリー・リーチ『ドイツ参謀本部』戦史刊行会(訳)、原書房、1979年、ISBN 4-562-03384-3
  • ノルベルト・フライ / ヨハネス・シュミッツ 『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』五十嵐智友(訳)、1996年、ISBN 4-02-259660-0
  • ヴァルター・ゲルリッツ『ドイツ参謀本部興亡史』守屋純(訳)、学習研究社、1998年、ISBN 4-05-400981-6

脚注[編集]

  1. ^ ヒュー・トレヴァー=ローパー(橋本福夫訳)『ヒトラー最期の日』(筑摩書房、1975年)41ページ。

外部リンク[編集]