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ギラヴァンツ北九州

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ギラヴァンツ北九州
原語表記 ギラヴァンツ北九州
愛称 ギラヴァンツ、ギラ
クラブカラー   イエロー
創設年 1947年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
ホームタウン 福岡県北九州市
ホームスタジアム
北九州市立本城陸上競技場
収容人数 10,202人
運営法人 株式会社ギラヴァンツ北九州
代表者 日本の旗 横手敏夫
監督 日本の旗 三浦泰年
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ギラヴァンツ北九州(ギラヴァンツきたきゅうしゅう、Giravanz Kitakyushu)は、日本福岡県北九州市ホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2009年11月30日までのチーム名は、ニューウェーブ北九州

概要

株式会社ギラヴァンツ北九州
Giravanz Kitakyushu Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 802-0082
福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル2F
設立 2008年10月10日
業種 サービス業
法人番号 8290801008429 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 横手敏夫
資本金 1億3,795万円
売上高 4億9,500万円 (2011年1月期)
営業利益 200万円 (2011年1月期)
純資産 2,400万円 (2011年1月期)
総資産 8,900万円 (2011年1月期)
決算期 1月期
主要株主 ニューウェーブ北九州持株会 他
外部リンク http://www.giravanz.jp
特記事項:2011年2月に株式会社ニューウェーブ北九州から商号変更。本社も北九州市立商工貿易会館1階から、小倉駅北口のAIMビル2階へ移転。
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1947年に創部された三菱化成黒崎サッカー部が前身となり、2010年ロアッソ熊本に次ぐ九州地区で5番目のJリーグ加盟クラブとなった。運営会社は、株式会社ギラヴァンツ北九州である(2011年2月に株式会社ニューウェーブ北九州から商号を変更)。

元々のチーム名称は「ニューウェーブ北九州」であったが、商標登録の関係で商品の製作、販売などに支障を来たすという理由から、公募によって2009年10月2日にイタリア語で“ひまわり”という意味の「Girasole」と“前進する”という意味の「Avanzare」を組合せた造語「ギラヴァンツ北九州」(Giravanz Kitakyushu)とすることを発表し、12月1日より改称された[1]。7月23日に商標登録を出願した。

ホームタウン福岡県北九州市、ホームスタジアムは北九州市立本城陸上競技場である。練習場は門司区新門司北の新門司球技場および北九州市立本城陸上競技場に隣接する本城運動場となる。新門司球技場は特定非営利活動法人北九州フットボールクラブ(北九州FC)が同球技場を含めた北九州市立新門司体育施設全体の指定管理者となるため、優先的に使用できる。

チームマスコットは、ズグロカモメをモチーフとしたもので、2009年まで愛称はウェービー(Wavy)であったが、クラブ名の変更に合わせて2010年からギラン(Giran)へ変更されている。

歴史

前身

1947年創設の三菱化成黒崎サッカー部が前身となり、1995年に三菱化学黒崎フットボールクラブへチーム名を変更した。九州サッカーリーグでは7回のリーグ優勝を果たした。

2001年、北九州市と地元企業などが共同で設立した北九州FCへクラブ運営を移管して「ニューウェーブ北九州」へ改称。

2007年、九州リーグで18年ぶりにリーグ優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会は、1次ラウンドを1勝1PK勝で通過。決勝ラウンドは1勝1敗1PK負けながら、得失点差でファジアーノ岡山に次ぐ2位で2008年からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格を決めた。福岡県のチームとしてはアビスパ福岡以来13年ぶり、北九州市を本拠とするチームとしては新日鉄八幡サッカー部日本サッカーリーグ(JSL)から九州リーグへ降格した1991年以来17年ぶりの全国リーグ所属クラブとなった。

2008年 - 2009年 (JFL)

2008年

2008年2月、Jリーグへの準加盟カターレ富山とともに承認された。

2008年は、与那城ジョージが監督を続投したが、JFL初年度はリーグ戦10位に終わった。ホームゲームの観客動員が毎試合千人前後と低迷、最も観客を集めたMIOびわこ草津戦でも1,752人で、8月26日に準加盟チームに対して行われた予備審査で、Jリーグ理事会から、経営状況などの面で基準に劣るとの判断を示された[2]

初出場となった天皇杯全日本サッカー選手権大会(前身の三菱化成黒崎時代を含めると18年ぶり5回目)では、1回戦でホンダロックサッカー部にPK戦で勝利(三菱化成黒崎時代も含めて大会初勝利)、2回戦も三菱重工長崎サッカー部を破ったが、3回戦でベガルタ仙台に0-2で敗れた。

2009年

与那城体制3年目となり、新たにMF関光博、FW長谷川太郎などJリーグ経験者を補強した。前半戦は、一時は12位まで順位を下げたが8勝4分5敗の勝点28で5位。

後期は第2節以降はJリーグ昇格の基準となる4位以上を維持。9月には徳島ヴォルティスから大島康明をレンタルで獲得。後期第16節(11月23日)でアルテ高崎を破り、年間4位以上が確定(最終順位も4位)。11月30のJリーグ臨時理事会で2010年からのJリーグ加盟が承認された[3]。2008年はJリーグ加盟基準の1試合平均3,000名に遠く及ばなかった観客動員も、開幕戦のジェフリザーブズ戦で9,856人、前期第14節のV・ファーレン長崎戦で8,157人など、後期第15節のFC琉球戦の時点で、平均3,000人以上の基準となる年間通算観客数51,000人を突破した。

天皇杯は県代表として本大会に出場したが、1回戦で日本文理大学に敗退した。

2010年 - (J2)

2010年

チームスローガン:感動創出

与那城体制4年目。Jリーグ ディビジョン2に参加するに当たってチーム名を「ギラヴァンツ北九州」と改めた(経緯は前述)。

甲府から時久省吾福岡から長野聡ウェリントン熊本から河端和哉水戸から村松潤を完全移籍で、から池元友樹(北九州へは4年ぶりの復帰)をレンタル移籍で獲得した。前シーズン途中に徳島よりレンタル移籍していた大島康明を完全移籍で獲得。さらにシーズン途中の7月に栃木からレオナルドペルセラ・ラモンガン(インドネシア)から小森田友明を獲得した。

Jリーグ初戦は横浜FCに敗北したが、第3節の東京V戦に退場処分者を出しながらも1-0で勝ち、Jリーグ初勝利(及び初勝ち点)を挙げた。

その後は得点力不足(年間を通して公式戦で2得点以上を記録したのはわずか5試合)に苦しみ、11月7日の甲府戦に敗北したことでリーグ戦1シーズン29試合連続勝ち試合なし(それまでは2003年シーズンの鳥栖)、11月20日の千葉に敗北したことでリーグ戦31試合連続勝ち試合無しのそれぞれJリーグワースト記録を更新(それまでは2003年から2004年シーズンの鳥栖)した[4]

Jリーグ初年度は僅か1勝の最下位に終わり、シーズン末で契約の切れる与那城が責任を取る形で監督を辞任した。与那城の後任に三浦泰年が決まったが、2011年2月1日付での就任[5]となるため、与那城が退任した2010年11月末日から2ヵ月間、オフシーズンながら監督不在となった。ニューウェーブ北九州時代からプレーしてきた選手を含む多くの選手が退団・移籍した。

天皇杯は、2回戦で草津戦に勝利して、リーグ戦の東京V戦以来約5ヶ月半ぶりに公式戦勝利を挙げた。

2011年

チームスローガン:一心

2011年は、三浦に監督が交代した以外にコーチ陣も一新。新たにゴールキーパー専門のコーチも導入した。

選手についても、清水から永畑祐樹札幌から佐藤優也川崎から木村祐志G大阪から安田晃大、栃木から宮本亨林祐征を完全移籍で、東京Vから福井諒司横浜FCから橋村祐太FC東京から森村昂太(前年度所属は水戸)をレンタル移籍で獲得。開幕後は3月に金水連(8月に契約解除、公式戦出場なし)、4月に呉勝録、7月に金鐘必と韓国人選手を相次いで補強した。さらに前年度所属選手のうち、特別指定選手であった多田高行鹿屋体育大学)が正式に入団したほかレンタルだったレオナルドは完全移籍へ移行、池元友樹のレンタル期間も延長された。

一方で、7月に前年度の主力であった佐野裕哉S.C.相模原へレンタル移籍したほか、河内勇太が契約満了により退団した。

2月9日から19日まで、長崎県島原市で前身を含め球団創設以来初となるキャンプを行い、この年の主将に移籍1年目のMF木村が就任した[6]

3月6日の開幕戦はホームで千葉に敗北。東北地方太平洋沖地震による中断後の初戦(第8節・4月24日)も2011年よりJリーグへ加盟した鳥取に敗れJリーグ初勝利を献上したが、続く第9節(4月30日愛媛FC戦に3-0で勝利。これにより前年から持ち越した連続試合未勝利を35(12分23敗)でストップさせたほか、リーグ戦で初の複数得点・複数点差での勝利及びアウェー初勝利を達成した。また、第13節(5月22日京都戦で初のホーム連勝、第14節(5月29日富山戦(ホーム)で初の連勝を飾った。

第19節(7月2日大分戦で3-0と快勝してバトルオブ九州初勝利を挙げ、第23節(7月30日)でFC東京、第3節(8月5日)で徳島と当該節時点での首位を連破。また、第36節(11月20日)で同じく2位の鳥栖に勝利(後半戦19試合での鳥栖の敗戦はこの試合のみ)して、シーズン目標の「勝点56」を達成、順位も一時は5位へ上げた。

シーズンを通して、連敗は2度のみ(うち一度は開幕からの2連敗)で、最終順位は8位となり、昨年の最下位から順位を上げた。

その一方で、Jリーグでのアンフェアなプレーによる反則ポイントは、2010年の125[7]から180[8]へと増加し、制裁措置となる反則金の金額も前年の60万円[7]から150万円[8]へと増えた。特に2011年シーズンでは反則ポイント・反則金の金額ともJ1・J2の38クラブを通じて最多であった[8]

天皇杯は、3回戦で名古屋に敗戦。

2012年

チームスローガン:一心(前年度より継続)

大宮から新井涼平(前年度所属は岐阜)、徳島から登尾顕徳水戸から常盤聡を完全移籍で、甲府から加部未蘭、東京Vからキローラン木鈴キローラン菜入高野光司清水から竹内涼横浜FMから端戸仁をレンタルで獲得した。さらに渡大生広島皆実高校)と、前年度特別指定選手だった武田大東京学芸大学)が入団した[9]ほか、よりレンタル移籍していた池元友樹FC東京からレンタル移籍していた森村昂太を完全移籍で獲得した。

一方で、重光貴葵が引退、河端和哉長崎へ移籍)、桑原裕義(引退、北九州アンバサダー就任)、宮川大輔S.C.相模原へ移籍)、佐藤真也呉勝録が契約満了により退団し、時久省吾岐阜へ完全移籍、水原大樹カマタマーレ讃岐へレンタル移籍、東京Vからのレンタルだった福井諒司が復帰(その後へ完全移籍)、佐野裕哉がレンタル先の相模原へ完全移籍し、メンバーを大きく入れ替えた。

今年度の始動にあたり、三浦は目標を「勝ち点82」に設定。前年度同様勝ち点という絶対的な指標を示しつつも、同時にJ1への自動昇格圏(2位以内)・J1昇格プレーオフ出場圏(6位以内)を見据えていることを明言した[10]

成績

タイトル

  • 福岡県サッカー選手権大会(兼天皇杯福岡県予選):2回
    • 2008年、2009年

スタジアム

ホームスタジアムは八幡西区北九州市立本城陸上競技場である。2008年までは戸畑区北九州市立鞘ヶ谷陸上競技場も併用していた。なお両競技場ともに新日鐵八幡サッカー部のホームグラウンドとして日本サッカーリーグにおいて使用され、特に鞘ヶ谷は元々新日本製鐵八幡製鉄所)所有のグラウンドであった(2002年に北九州市に移管)。

本城の方が比較的Jリーグ規格に近かったものの、スタンドの大半は芝生席であり照明の明度が低いことなどJリーグが要求するスタジアム規格を満たしていないため、2004年に行われたアビスパ福岡主催のJ2の公式戦を最後にJリーグ公式戦は開催されていなかった。そのため、ギラヴァンツが2010年シーズンからJリーグへ加盟するのを機に、スタジアムをJ2の開催基準を満たすための改修工事が行われた。2011年は一部カテゴリの料金を値上げするとともに、ホーム・アウェイのサイドを入れ替えた(メインスタンドから見て右がホーム側)。

改修工事により収容能力は椅子席で10,202人となったが、それでもなおJ1の開催基準のひとつである収容人数15,000人には及ばない。こうした状況もあり、北九州市では小倉駅北側の小倉北区浅野3丁目に、2015年度末を完成目標とする2万人収容の球技専用スタジアム(以下、新スタジアム)を建設する方針を決め、市民からの意見募集など必要な手続きを段階を追って進めている[11][12]

それでも完成までには年数を要することから、この間に他のJ1昇格要件を満たした場合の対応として、クラブは新スタジアムの建設時期を明確にした上で本城に仮設スタンドを増設し、当面の収容人数要件をクリアする考えを示した[13]。ただし、Jリーグ側は「(スタジアムの基準は)常設の状態で条件をクリアすること」という意向を示しており、仮設席設置による基準クリアには否定的見解を示している[14]

下部組織

下部組織としてU-18、ユース年代の女子チームであるガールズ、シニアチームが存在する。U-18はJリーグの要求条件に従って株式会社ギラヴァンツ北九州の傘下であるが、ガールズとシニアチームは「北九州FC」が運営している。

若手育成を目的として発足した九州チャレンジャーズリーグ2009年の発足当初より参加している。

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) 濃紺 濃紺
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー

  •   イエロー

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
安川電機 YASKAWA
安川電機
2012年- 2011年はパンツ
背中 ゼンリン ZENRIN 2007年-
ナフコ ナフコ 2009年-
パンツ TOTO TOTO 2010年、
2012年-
2011年は胸

トレーニングウェアスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記
練習着 第一交通産業 第一交通産業

ユニフォームサプライヤー

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2008 WORLD INTEC 日専連ベネフル ZENRIN 第一交通産業 UMBRO
2009 WORLD INTEC
/TEAM KITAKYU
ナフコ
2010 Kitakyushu TOTO
2011 TOTO YASKAWA
2012 YASKAWA
安川電機
TOTO
  • 2009年の「TEAM KITAKYU」はTOTO・安川電機・八幡製鐵所の3社合同スポンサー
  • 2010年の「Kitakyushu」は多数企業の合同スポンサー
  • ユニフォームに関する備考
    • 2011年シーズンは1stが黄色、2ndは紺色のゲームシャツを採用したが、いずれも草津の1stユニフォーム(紺に黄色の縦縞)と色が重なるという問題が生じた。そのため、第32節(10月23日)の草津戦ではホームの草津が2nd(白に紺の縦縞)、アウェーの北九州が1stユニフォームを着用した。2012年も色を変更しなかったため、第10節において昨年と同様の措置をとった。

オフィシャルサプライヤー

スポンサー

関連項目

脚注

  1. ^ ニュースリリース:ニューウェーブ北九州がJリーグ入会 Jリーグ公式サイト 2009年11月30日
  2. ^ 日刊スポーツ 2008年8月26日付記事
  3. ^ フォトニュース Jリーグ:ニューウェーブ北九州の入会を承認 J's GOAL 2009年11月30日
  4. ^ “ギラ 31戦勝ち星なし Jワースト更新”. 西日本スポーツ. (2010年11月21日). http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/211152 2010年11月21日閲覧。 
  5. ^ "三浦泰年監督就任のお知らせ" (Press release). ギラヴァンツ北九州. 30 November 2010. 2010年11月30日閲覧それぞれの日付については当日NHK北九州放送局が地域ニュースで報じた。
  6. ^ NHK『こんばんは北九州』2011年2月14日放送の「VIVA!ギラヴァンツ」コーナーより
  7. ^ a b "2010Jリーグ アンフェアなプレーに対する反則金" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 21 December 2010. 2012年2月4日閲覧
  8. ^ a b c "2011Jリーグ アンフェアなプレーに対する反則金" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 19 December 2011. 2012年2月4日閲覧
  9. ^ “輝け!ギラヴァンツ:サッカー J2 11選手、新天地で活躍誓う--入団会見/福岡”. 毎日新聞北九州版. (2012年1月18日). http://mainichi.jp/area/fukuoka/archive/news/2012/01/18/20120118ddlk40050334000c.html 2012年2月26日閲覧。 
  10. ^ 初練習でJ1昇格へ意気込み - NHKオンライン 北九州のニュース 2011年1月19日
  11. ^ 海に臨むエコスタジアム J2北九州新本拠地発表 西日本新聞2010年11月17日
  12. ^ 新球技場について”. 北九州市. 2011年7月16日閲覧。
  13. ^ 【進め!ギラヴァンツ北九州】本城競技場に仮設席 横手社長が意向 J1昇格圏で - 西日本スポーツ2012年1月18日
  14. ^ 小畑大悟(北九州本社記者) (2012年4月27日). “ギラヴァンツ11年度決算 クラブ初 債務超過”. 西日本新聞北九州版 (西日本新聞社北九州本社): p. 26 

外部リンク