ザスパ草津

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ザスパ草津
原語表記 ザスパ草津
愛称 ザスパ
クラブカラー      紺、    
創設年 1995年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
ホームタウン 草津町前橋市
を中心とする群馬県全県
ホームスタジアム Syodashoyustadium2.JPG
正田醤油スタジアム群馬
収容人数 10,050
運営法人 株式会社草津温泉フットボールクラブ
代表者 植木繁晴
監督 日本の旗副島博志
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社草津温泉フットボールクラブ
Kusatsu Onsen Football Club Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 〒377-1711
群馬県吾妻郡草津町大字草津915-3
設立 2003年2月5日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 植木繁晴
資本金 1億8,600万円
売上高 5億1,200万円 (2011年1月期)
営業利益 ▲5,900万円 (2011年1月期)
純利益 ▲5,600万円 (2011年1月期)
純資産 ▲7,600万円 (2011年1月期)
総資産 1億0,400万円 (2011年1月期)
決算期 1月期
外部リンク http://www.thespa.co.jp
特記事項:前橋事務所およびファンクラブ事務局は、群馬県前橋市石関町136-3へ設置。
テンプレートを表示

ザスパ草津(ザスパくさつ、Thespa Kusatsu)は、日本吾妻郡草津町前橋市を中心とする群馬県全県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] 歴史

[編集] JFL時代以前

1995年に専修学校の東日本サッカーアカデミーに所属する選手を中心として編成されたリエゾン草津フットボールクラブが前身となる。選手の育成や将来のJリーグ加盟を目的としながら群馬県社会人サッカーリーグに所属していた。

1999年に同アカデミーが閉鎖され、チーム解散の危機に立たされたが、選手が草津温泉宿泊施設などでアルバイトの斡旋提供を受けて働きながら練習を続け、チームを維持した。

2002年に将来のJリーグ入りを念頭において組織を一新し、"これぞ温泉"を意味する「ザ・スパー(The spa)」から「ザスパ草津」へ改称。2003年に運営法人となる株式会社草津温泉フットボールクラブを設立した。

指導者として元山形監督の植木繁晴を招き、元日本代表のGK小島伸幸、元鹿島DF奥野僚右ら、元Jリーグ選手を多く獲得。 選手が働いて得た収入をクラブ運営費に充てて、群馬県社会人リーグの優勝と、関東サッカーリーグ2部への昇格を勝ち取った。

2003年に日本サッカー協会が将来のJリーグ参戦を目指すチームのための優遇処置として設けた、「飛び級制度」を利用して、関東リーグ2部から全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場し優勝。2004年度からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格を果たした(当初は入れ替え戦を予定していたが、JFLのジヤトコFCが休部となったため同決勝大会の優勝チームが自動昇格となった)。しかしJFL加盟直後に初出場を果たした天皇杯の1回戦で市立船橋高校に敗戦した。

2004年8月、2005年からのJリーグ ディビジョン2(J2)参戦を念頭において、同9月までにJリーグ加盟申請を行うことを表明。JFLは3位で終了し、成績上のJ2昇格ラインである2位以内は確保できなかったが、12月6日のJリーグ臨時理事会で2位Honda FCと勝ち点・得失点差が同じであったことが考慮され、Jリーグ加盟が決定。2005年からのJ2参戦が決まった。

同時に、Jサテライトリーグに参加することになり、それに向けたチャレンジャーズチームが編成された。 合格者はアマチュア選手契約で出場するため、チャレンジャーズチーム登録の選手はやはり草津温泉の宿泊施設等でのアルバイト、かつ合宿(専用寮がある)をこなしながらプレーすることとなった。

なお、同年の天皇杯では、11月14日に行われた4回戦でC大阪を2-1で、また、12月15日に行われた5回戦で同年のJリーグ年間王者である横浜FMを2-1の延長Vゴールでそれぞれ下す大金星を挙げ、ベスト8に進んだ。

[編集] 2005年 -(J2)

[編集] 2005年

チームスローガン:「Impact!」。

4月2日徳島戦でJ初勝利を挙げたが、結局リーグ戦で5勝にとどまり、最下位に終わる。

[編集] 2006年

チームスローガン:「走撃!」。

クラブをJ2に導いた植木繁晴を再び監督に招聘。 テーマに「走撃」を、目標に「10勝」を掲げて戦った。 だが、結局目標に届かず、9勝24敗15分の12位(13チーム中)でシーズンを終了した。

最終節前に31人のトップチーム登録者のうち、15人の契約満了による退団及び解雇が発表された。 この中には大宮からのレンタル移籍で獲得したGK高木貴弘、MF島田裕介が含まれる。 高木は札幌にレンタル移籍し、島田は大宮へ復帰した。 また、解雇者の中には、チームの最古参でリエゾン草津時代からの登録選手である堺陽二も含まれていた。更に6月、社長兼GMの大西忠生が死去。大西は2002年よりGMを務め、ザスパ草津の精神的支柱であった。

[編集] 2007年

チームスローガン:「進め」。

開幕戦で東京Vに0-5で敗れるなど勝ち点は伸びなかった。71失点はJ2ワーストであり守備に課題を残した。7勝20敗21分で11位(13チーム中)で終わった。

[編集] 2008年

チームスローガン:「必至 ~戦え!上蹴群騨~」。

それまでチームの顔だったFW佐藤正美の退団や、ザスパのDF陣を統率していたDFチカがブラジルに帰国、FWカレカC大阪に移籍するなどしたものの、MF島田を大宮から期限付きで再獲得。また、元韓国代表の崔成勇徳島からMF熊林親吾を獲得した。 中盤の島田・熊林が機能していることに加えて生え抜きの4年目FW後藤涼が大きな成長を見せ、一時は昇格争いに絡むまでの大躍進を遂げた。

昇格争いへの生き残りをかけ、第3クールを迎えた8月途中、川崎からFW都倉賢FC東京からMF池上礼一(いずれも期限付き移籍)、更に、2005年シーズンに当時前橋育英高等学校から特別指定選手として受け入れたFW反町一輝を再び特別強化指定選手として迎えるなど、3選手を補強する。 しかし、直後に絶対的なエースFW高田保則が2度目の網膜剥離により戦線離脱し、失速。J1の昇格には至らなかった。

[編集] 2009年

チームスローガン:「Get it Dream」。

チームを支えてきた島田が鳥栖に移籍したものの、東京Vから廣山望を、徳島から玉乃淳を完全移籍で獲得。更に浦和から小池純輝をレンタル移籍で獲得した。レンタル移籍だった都倉賢を川崎から完全移籍で獲得したものの、その後は失速し10位でシーズンを終えた。

[編集] 2010年

チームスローガン:「MAX evolution」。

新監督に副島博志を迎えた。ここ数年の低迷を受けて積極的に補強した。元日本代表の戸田和幸をはじめ、御厨貴文柴田慎吾前田雅文を完全移籍で、元福岡ラフィーニャをはじめ、佐藤将也梅井大輝菊池大介をレンタル移籍で獲得。山田晃平杉本裕之が新加入。前半戦は最下位に沈んだが、後半戦で盛り返して12位でシーズンを終えた。

[編集] 2011年

チームスローガン:「跳舞」。

崔成勇氏原良二が引退、尾本敬水戸へ、秋葉信秀JFLジェフリザーブズへ、廣山望、柴田慎吾、小林亮太が退団、佐藤将也、菊池大介、梅井大輝、西澤代志也がレンタル移籍期間満了により退団など大量に選手がチームを去った。

補強は、富山から橋田聡司、水戸から中村英之浦和から林勇介パウリスタFCから2007年チームに在籍していたリンコンを完全移籍で、浦和から永田拓也湘南から古林将太、鳥栖から萬代宏樹をレンタル移籍で加入、星野悟山本啓人が新加入した。7月ラフィーニャがガンバ大阪へ移籍した。リーグ戦は一時5位につけ、最終的には前年度を上回る9位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦で敗退した。

[編集] 2012年

元日本代表の戸田和幸町田へ移籍)をはじめ7人が退団、萬代宏樹山形へ移籍)、古林将太(湘南へ復帰)、柳川雅樹栃木SCへ移籍)、アレックス東京Vへ移籍)がレンタル移籍期間満了につき退団したが、富山から内藤圭佑、水戸から遠藤敬佑保崎淳JFL高崎から土井良太京都から金成勇を獲得、永田拓也のレンタル移籍期間が延長、松本浩幸乾大知小柳達司横山翔平が新加入した。

[編集] 成績

[編集] タイトル

[編集] ホームタウン・スタジアムについて

当初ホームタウンは草津町のみであったが、同町にJFLやJリーグを開催できる規格のスタジアムがないため、2005年のJリーグ加盟時から「草津町、前橋市を中心とする群馬県全県」と改めた。これによりメインの本拠地は群馬県立敷島公園県営陸上競技場(正田醤油スタジアム群馬)となったが、2005年前半はスタジアム全面改修で使用できなかったため隣接する群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場を暫定本拠地とした(同スタジアムは収容人員が7000人しかないのと、照明塔もないなどJ1・J2基準を満たしていないため本来は開催不可だが、バックスタンドに仮設座席を設けて特例での開催)。

練習会場は草津町の本白根第3グランドや、周辺のコニファーいわびつ(吾妻郡東吾妻町)、前橋市粕川町(旧勢多郡粕川村)西部グラウンド等を活用しているが、現在はほとんど使われていない。この内、2004年10月23日開催の佐川印刷戦が本白根第3グランドで特例的に開催されることが認められた。当日は1000人収容の常設スタンドに加えて仮設席を加え4,000人収容で対応し、2,174名を集めて開催された。この試合で1999年の横浜FCが記録した年間主催ホームゲーム観客動員記録・53,045人(9チーム参加・ホームゲーム12試合)を上回る53,596人(16チーム参加・ホームゲーム15試合中の12試合目)のJFL新記録を達成した。また同年11月5日に開かれた大塚製薬戦(敷島陸上競技場)でも1試合の最多観客動員のJFL新記録となる13,743人のファンを集めた。

また、前橋市をホームタウンにしたことを受けて、2005年度から同市内の建設会社・佐田建設のグラウンドを改修して「ザスパ前橋グランド」を練習会場に使用することになった。前述の草津町周辺のグラウンドは特に冬季は積雪などの影響から練習に使用することができないため、前橋市内の公営のグラウンドを借りて練習していたが、「練習場を毎日転々としてると調整がおぼつかなくなる」という理由で、佐田建設に年間数十万円程度の使用料で賃借契約を結び使用を開始した。2005年度は、トップチームの主な練習拠点はこの前橋グランド、チャレンジャーズチームの主な練習拠点は草津町の小雨グランドとなっていた。また、2008年には伊勢崎市に本社を置き当クラブのスポンサーでもある空調機器メーカー・サンデンの旧本社工場跡地に社員レクリエーション施設の一つとして設置した「サンデンフットボールパーク」も練習場に加えられた。

なお、クラブ設立から3年間でJリーグ加盟までこぎ着けたそのスピード、温泉地での町おこしというコンセプト、労働力と運営資金というバーター取引を築いた地域企業との関係、マスコミでの露出を高めて群馬県外の企業を多くスポンサーに付けた宣伝力など、日本のスポーツクラブとしては特徴的な運営スタイルを持つ。

その一方、急速な成長に対しユースチームなどの下部組織の充実が追いつかず、草津町内でのJリーグ規格スタジアム建設が未決定など、1部昇格を目指すための資金力強化以外にも問題点も抱えている。高校生年代のU-18(ユース)チームは2006年4月発足し、他のJリーグクラブとの対戦では苦戦を続けているが、今後のトップチーム選手の輩出などが期待されている。草津町では2007年にチャレンジャーズチームが改組されたU-23チームが活動を続け、リエゾン時代の主将・監督を務めた木村直樹やコーチに転身した堺陽二などの指導を受け、トップチームとの二重登録を果たす選手も生まれている。

[編集] スタジアム使用料を巡る問題点

ザスパはホームスタジアムの使用料などを巡っての問題を抱えた。

(1)草津町でのホームゲームでの協約違反問題
2004年10月23日に佐川印刷戦を本白根第3グランドで開いたが、その際同グランドの常設席が1000人分しかないので、仮設席を購入して4000人収容規模で試合を開催した。ところが本来はこの仮設席を草津町が使うことを前提に町からの補助金として500万円を助成したが、実際のところは仮設席は業者からのレンタルによるものだったとして、「協約違反だ」と助成金の返還を求めていた。
(2)敷島公園の両スタジアムの使用料未納問題
2005年度のザスパのホームゲームのうち、群馬県立敷島公園県営陸上競技場と群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場で開いた5月以後の主催ホームゲームの使用料金を管理者の群馬県に支払っていないことが判った。群馬県の説明では1試合の使用料が陸上競技場で100万円程度(ナイター照明の使用料は別途)、サッカー・ラグビー場は14万円程度。
これに関してザスパのゼネラルマネージャーの大西忠生は、「当時の賢持宏昭社長が2005年7月に経営責任から辞任した時、経営の見直しの際群馬県からの請求書を数枚見つけた」とするとともに、「いつ払うかはわからないが、やりくりをしながら必ず払う」と説明した。
(3)入場者の過少申告問題
さらにザスパ主催のホームゲームのうち、何れもサッカー・ラグビー場で開かれた5月-6月の5試合について、ザスパが群馬県に支払うスタジアム使用料の算定根拠となる有料入場者数や広告看板の設置数を過少申告していた。Jリーグに対しては正規の公式入場者数を報告する一方、群馬県に対してはそれより少ない数字で入場者数を申告していた。
クラブ側の説明によると、これら一連の不祥事は賢持による独断により執り行われたものであり、本人もそれを認めたという。当時、常勤の取締役は賢持のみであり、経営と執行が分離している状況下であった為に事態を未然に防げなかったとされており、クラブ運営についての早急な建て直しを求められた。
なお、2005年度のホームスタジアムの使用料については、他のJ2クラブと比べて数倍から数十倍の水準にあるといわれているが、文書などによる資料もなく、一般的に首都圏などのクラブの方が使用料は減免されていても高く、そうした推定を疑問視する声も多い。クラブは地域や行政の理解を得るべくより一層努力し、状況を改善するための機運を高める必要に迫られている。

一方で、これらを踏まえ、Jリーグは公式試合安定開催基金(2005年度から制度化。不安定な経営環境にあるチームを対象にJリーグが各チームに出資金から基金を呼びかけて資金を融資する制度)の適用第1号として5000万円を融資した。これにスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計からの追加融資を加えた総額1億6000万円を、2008年1月までに完済した。また、一連の問題への対応として、Jリーグの支援を得て業務・財務の総点検を行い、経営再生計画が策定された。それを受け、11月に臨時取締役会が開催され、取締役・監査役の増員、第三者割当による資本増強を行った。ガバナンスおよびコンプライアンスの強化を図り、ここに経営の新体制が発足した。なお、草津町からの補助金500万円、および群馬県への使用料等未納金1730万円余についても、2005年12月までに返還・納付した。

[編集] 応援スタイル

ザスパ草津のサポーターは応援に湯揉みを採用している。湯揉みをする女性はゴール裏に伝統的な湯揉みのかすりの着物と姉さんかぶりをまとって登場する。彼女達は草津温泉で実際に湯揉みをしている女性とは異なる。現在では一般から募集した女性で構成されている。ちなみに浴衣を着て応援しようという試みは現実に行われており、草津温泉の旅館などから借り廻って調達したが、現在はスタジアムでこの光景を見かけることはないようである。

又、Jリーグクラブはリーグ優勝など祝事があった際には水掛け(ウォーターファイト)を行う事が多いが、ザスパでは湯掛けが行われる。Jリーグ昇格決定時には、この湯掛けが選手・スタッフ・サポーター一体となって草津温泉の湯畑で行われた。

[編集] 下部組織

2006年まではチャレンジャーズチームとして活動していたが2007年から名称をザスパ草津U-23に変更した。2009年を以ってJサテライトリーグが廃止されたため2010年からは群馬県社会人サッカーリーグに参加している。

2007年に「ザスパU-23」改名と同時に監督も廃止されU-23コーチが指導する体制に移行した。2010年に群馬県社会人リーグに所属して以後、引き続き公式な監督としては扱わず「U-23コーチ」として指揮を執っているが、日本サッカー協会には名目上の監督を設置することが義務付けられており、「U-23コーチ」が事実上公式な監督とみなされている。

年度 所属 順位 勝点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失 監督
2005 JサテライトB組 2位 15 10 4 3 3 17 17 ±0 佐野達
2006 5位 7 8 2 1 5 11 19 -8
2007 JサテライトC組 4位 7 8 2 1 5 7 10 -3 木村直樹[1]
2008 5位 6 8 1 3 4 8 12 -4
2009 JサテライトB組 4位 3 6 0 3 3 8 14 -6
2010 群馬県4部E組 優勝 24 8 8 0 0 91 0 +91
2011 群馬県3部A組 優勝 27 9 9 0 0 103 2 +101
  1. ^ 公式には「U-23コーチ」。2010年の群馬県社会人リーグ加盟に伴い、日本サッカー協会のチーム加盟届出上の監督とみなされている

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 紺×黄
FP(2nd) 白×紺
GK(1st) オレンジ×黒 オレンジ オレンジ
GK(2nd) 緑×黒
GK(3rd) 黒×ピンク
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

[編集] チームカラー

  •      紺、    

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
カインズホーム CAINZ HOME 2010年、2012年 2006年~2009年は背中、
2010年より偶数年は胸、
奇数年は背中に掲載
背中 ベイシア Beisia 2010年、2012年 2004年~2009年は胸、
2010年より偶数年は背中、
奇数年は胸に掲載
アビリティジャパングループ K'BIX 2007年〜
パンツ 未定

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2004 Beisia BUNSHINDO 泉質主義 草津温泉 UNIQLO
2005 ITAGAKI 和豚
もちぶた
2006 ITAGAKI CAINZ HOME Phiten
2007 K'BIX
2008
2009 A-LINE
2010 CAINZ HOME Beisia
2011 Beisia CAINZ HOME
2012 CAINZ HOME Beisia 未定

[編集] 永久欠番

  • #31 奥野僚右 初代監督で選手兼任。チームをJリーグ昇格に導いた功績により、2005年、永久欠番に制定。

[編集] チーム名変遷 

  • 1995年 - 2001年 リエゾン草津
  • 2002年 - 現在  ザスパ草津

[編集] その他

  • チームがリエゾンからザスパへと生まれ変わった2002年から、Jリーグ ディビジョン2への昇格を決め、天皇杯でも活躍した2004年度までのできごとを漫画にした『ザスパ草津 〜夢は枯れない〜』が、2005年に発売された週刊少年サンデー24号に掲載された。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語