磯谷郡
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磯谷郡(いそやぐん)は、北海道南西部(後志国)の後志総合振興局のほぼ中央に位置する郡。郡部全域を蘭越町が占める。当初は磯屋郡と表記された。人口5,315人、面積449.68km²、人口密度11.8人/km²。(2011年12月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 蘭越町(らんこしちょう)
[編集] 沿革
江戸時代、磯屋郡域は和人地となる。松前藩によってイソヤ場所が開かれていた。陸上交通は、渡島国から天塩国増毛郡への道のりの途上であったが、北の岩内郡へは雷電峠が難所となって陸路が途絶えて舟に頼っており、安政年間に磯谷請負人の桝屋栄五郎がアフシタ以西の一里あまりを開削し、岩内請負人仙北屋仁左衛門がアフシタ以東の2里(7.9.km)余を開削、以降、雷電嶺(国道229号の前身)では通年の陸路での移動が可能となった。また、このとき中間の温泉(朝日温泉の前身)には箱館在住の又兵衛を家守とする家を建て、通行の官吏旅客の便を図った。
江戸時代後期の文化4年には、磯屋郡域は天領とされた。文政年間以前、伊都岐島神社(寿都町字磯谷町横澗)が創建される。文政4年には磯屋郡域は一旦松前藩の元に戻された。天保年間には稲荷神社(蘭越町字港町)が磯谷場所請負人・西川順兵衛によって創建されている。安政2年再び天領となる。安政3年、願翁寺が島古丹の大黒沢(磯谷村)に建立された。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制に倣い磯屋郡が置かれる。北海道後志国に含まれた。廃藩置県までの間、南部は肥前国松浦郡富江領の旗本交代寄合・五島銑之丞(明治2年9月14日-明治4年3月28日)、横澗・島古丹・能津登・西土場などの北部に藩士・山田民弥以下7名を送った米沢藩(明治2年9月14日-明治4年8月)によって分領支配された。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない函館県の所管となる。
- 1902年4月1日 - 二級町村制施行により磯谷村が成立する。(1村)
- 1909年4月1日 - 磯谷村が一級町村制を施行する。二級町村制施行により南尻別村が成立する。(2村)
- 1940年4月1日 - 南尻別村が一級町村制を施行する。
- 1954年12月1日 - 南尻別村が町制を施行するとともに改称して蘭越町となる。(1町1村)
- 1955年1月15日 - 磯谷村が寿都郡寿都町に編入される。(1町)
- 1955年4月1日 - 旧磯谷村北尻別地区を寿都郡寿都町から編入。(1町)
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
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