奥尻郡

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奥尻郡(おくしりぐん)は、北海道後志国の人口3,139人、面積142.98km²、人口密度22人/km²。(2011年12月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

[編集] 沿革

日本書紀に記された、斉明天皇6年3月に阿倍比羅夫粛慎の砦を陥落させた弊賂弁嶋は、現在の奥尻島にあたるといわれている。

室町時代には、享徳3年8月28日に松前藩祖・武田信広公が漂着。文明元年6月5日、若狭国の僧随芳草庵を建立。これは延徳2年大館(渡島国津軽郡松前)に移り松前山法源寺となった。弘治元年7月、上杉謙信の臣宇田遠江守師長が従者3名と漂着。

江戸時代、奥尻郡域は和人地となる。松前藩によってヲコシリ場所が開かれ、元和3年5月、松前山法源寺第4世芳龍が、現在の青苗地区に空谷大仙寺を建立。寛文7年空谷山大仙寺が松前城下蔵町に移転。安永年間には薬師村(現在の奥尻町字松江)の少彦名神社が創建されている。江戸時代後期文化4年には、奥尻郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり津軽藩が警固をおこなった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制に倣い奥尻郡が置かれる。北海道後志国に含まれた。明治2年8月28日から廃藩置県の行われた明治4年8月まで福岡藩の所領となっていた。

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