石狩郡
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石狩郡(いしかりぐん)は北海道道央(石狩国)に位置する石狩支庁管内東部の地域。
人口22,639人、面積500.95km²、人口密度45.2人/km²。(2009年3月31日、住民基本台帳人口)
以下の一町一村を含む。
[編集] 沿革
日本書紀に斉明天皇6年3月阿倍比羅夫が大河の河口で蝦夷と粛慎の交戦を知ったとあり、この大河が石狩川の河口にあたると言われている。
江戸時代の石狩郡域は西蝦夷地に属し、慶長年間には松前藩によって石狩川左岸河口付近に石狩十三場所のひとつトクヒラ場所が開かれ北前船も寄航し大いに栄えた。貞享5年6月26日、水戸藩主・徳川光圀が派遣した快風丸が石狩に到着、御目付足軽深野萩右衛門が石狩川上流まで足を伸ばしている。元禄7年には石狩弁天社が創建されている。江戸時代後期になると、文化4年国防上の理由から石狩郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり幕府によって石狩役所が置かれた。安政5年には能量寺および石狩八幡神社、安政6年には金龍寺および法性寺、文久3年には曹源寺が建立されている。1869年8月15日に石狩郡が置かれる。北海道石狩国に含まれた。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1906年 - 篠津村が札幌郡江別村と合併したため離脱。現在の江別市篠津地区。
- 1917年 - 石狩郡の人口:27,022名。石狩郡のマラリア患者数:36名。
- 1996年 - 石狩町が市制施行したため離脱。現在の石狩市
[編集] 参考文献
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)
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