寿都郡

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3.寿都町, 4.黒松内町


寿都郡(すっつぐん)は、北海道南西部(後志国)の後志総合振興局の西に位置する人口6,544人、面積440.84km²、人口密度14.8人/km²。(2011年12月31日、住民基本台帳人口)

以下の2町を含む。

[編集] 沿革

江戸時代、寿都郡域は和人地となる。松前藩によってスツツ場所が開かれ、寛永4年4月には寿都神社が創建されている。陸上交通は、沿岸部に渡島国から天塩国増毛郡へ至る道(国道229号の前身)が通じ、また胆振国山越郡からの道はもともと寛政文化年間よりもあとに黒松内在住の利右衛門が木賃宿渡船を営んでいたが、安政年間に黒松内越(道道寿都黒松内線の前身)が開削され、これは黒松内を通り追分で分岐しそれぞれ寿都と歌棄郡に通じていた。黒松内越は歌棄場所請負人桝屋栄五郎の父・定右衛門が黒松内以北を、黒松内以南は箱館弁天町の福治郞、千代田の才太郎の2人が工事を請け負っている。海上交通は北前船の航路も開かれていた。

江戸時代後期文化4年には、寿都郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり、津軽藩が寿都に出張陣屋を築き警固にあたった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制に倣い寿都郡が置かれる。北海道後志国に含まれた。郡の成立時、東に隣接する歌棄郡とは朱太川で境界を成し、緑橋より上流の黒松内地区は当初胆振国虻田郡に属していた[3]明治5年、胆振国虻田郡から黒松内地区を移管され編入。

[編集] 関連項目


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