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大量虐殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ、: Mass killing[1])とは、人間を意図的に大量に虐殺(: Massacre)すること。

大量虐殺はジェノサイドの訳語でもある[2][3][4]が、ジェノサイドはジェノサイド条約などで、政治共同体人種民族宗教集団を意図的に破壊することと定義されている[5][6]

また、本項では、大量殺人: Mass murder}とは異なるものとして説明する。ただし、Mass murderを大量虐殺と翻訳する場合もある[7]

概念[編集]

大量虐殺は、英語Mass killing[1]Genocide (ジェノサイド)[2][3]Mass murder (大量殺人)[7]の訳語でもある。オランダの社会学者アブラム・デ・スワーンは、大量虐殺(mass annihiliation)、大量絶滅(mass extermination)、大量破壊(mass destruction)、大量殺人(mass murder)とは互換的に使われると指摘している[8]

ジェノサイドジェノサイド条約第2条で、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもって行われた」「集団構成員を殺すこと」(集団殺害)や、「重大な肉体的又は精神的な危害を加えること」「肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」「集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」と定義される[6]。ジェノサイド条約が採択された1948年時点では、絶滅の意図のない偶発的虐殺や、戦争による殺戮も除外されており、さらに条約の適用は第二次世界大戦の敗戦国に限定されていた[9]。その後、オランダの法学者Pieter N.Drost ドゥロストは、ジェノサイド条約が「政治的集団」を除外したことに異議をとなえ、社会学者アーヴィング・ホロヴィッツは「Genocide: State Power and Mass Murder (ジェノサイド:国家権力と大量殺人)」(1976)でジェノサイドを、国家による民衆の構造的体系的破壊として定義し[9]ヘレン・ファインは戦争による殺戮もジェノサイドに含めた[9]

大量虐殺の研究者松村高夫は、ジェノサイドを、国家犯罪としてのマス・キリング(mass-killing、大量虐殺[1])と定義し、これに戦時下における無差別殺戮を含めた[9]。大量虐殺(マス・キリング)には、ジェノサイド、ポグロムエスノサイド、アトロシティーズ、医療による国家犯罪も含む[9]。マス・キリングの本質は、国家権力による殺戮であるが、国家の指令でなくても、国家が扇動した民衆間の対立が、宗教的対立や民族的対立という形態をとることもある[9]。松村によれば、近現代では、ナチス、スターリン、ポルポトのように、全体主義イデオロギーによるものが多い。マルクス主義者のなかには、社会主義国での虐殺を認めようとしない傾向があったが、社会主義国でもマスキリングが広範囲に実行されていることを踏まえ、松村は、資本主義国だけでなく、社会主義国、発展途上国でのマスキリングをも考察すべきであるという[9]。松村と矢野は、国連のジェノサイド定義では不十分であるとし、大量虐殺(マスキリング)とは、「自国の政府・軍隊などの国家権力主導による、あるいはその執行機関による大量殺戮」であると定義し、政治集団や社会階級に対する虐殺も含めた[10]

ジェノサイド研究者アーヴィン・ストウブ(Ervin Staub)は、政府や国家によって行われた非戦闘員の殺戮事件を定義するために Mass killing (大量虐殺)概念を提唱した[11]

大量殺戮とは、集団全体を抹殺する意図を持ったジェノサイドと異なり、集団全体を抹殺する意図なしに集団の構成員を殺害すること、あるいは集団の構成員が明確でないまま多数の人々を殺害することと定義される: "Mass killing means killing members of a group without the intention to eliminate the whole group or killing large numbers of people without a precise definition of group membership."

[13]

オランダの社会学者アブラム・デ・スワーンは、大量虐殺とは、つりあいのとれない、近距離の暴力であり、それは、たいてい、戦争内乱革命クーデタという状況で起きると定義する[8]。デ・スワーンの大量虐殺概念では、戦争のように力の均衡のとれた正規軍同士の暴力の使用は除外され、力の不均衡のある虐殺は、力の均衡のとれた戦争とは分離される[14]。力の不均衡のある虐殺とは、たとえば、組織化された兵士が、非武装の組織化されていない無数の人々を殺害するといった場合である[14]

大量虐殺とされる例[編集]

米比戦争時のニューヨークジャーナルの風刺画。フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵の背後には「10歳以上の者は皆殺し」と書かれている。

一般的に、1つの人種民族国家宗教などの構成員に対する計画的大量虐殺等の行為は、ジェノサイドと言い、その一部はジェノサイド条約において集団殺害罪(国際法違反)として規定されている。

1936年8月-9月、スペイン内戦初期、フランシスコ・フランコ率いる反乱軍(ナショナリスト軍)のファシストによる共和主義者の虐殺。この24人の集団墓地は、スペイン北部エステパルという小さな町にある。2014年7月-8月に発掘。

古来、戦争・征服においては大量虐殺は付き物である。ここでは歴史上注目されているものを列挙する。なお、ジェノサイドの項目と一部重複するが、同項目の分類方法とは別に、いわゆる「大量虐殺」と呼ばれている事件の中でも歴史的な大量虐殺と見られるもの[誰によって?]を列挙する。

斜体は犠牲者100万人以上、太字は犠牲者1000万人以上のもの。史料の解釈や実在性・数字の正確性の疑われるものも含まれる。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 松村 & 矢野 2007, p. 6.
  2. ^ a b 添谷 2011, p. 23, 57.
  3. ^ a b C P.Scherrer代表「大量虐殺と集団暴力の比較研究:その普遍的形態の分析と防止策の考察」科学研究費助成事業,広島市立大学,2004 – 2007
  4. ^ バシール,ハリマ/ルイス,ダミアン著、真喜志順子訳「悲しみのダルフール : 大量虐殺 (ジェノサイド) の惨禍を生き延びた女性医師の記録」PHP研究所(2010)
  5. ^ 西井正弘「ジェノサイド」『世界大百科事典 12 シ―シャ』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、51頁。
  6. ^ a b 集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約”. データベース「世界と日本」. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所. 2024年5月4日閲覧。
  7. ^ a b Abram de Swaan, The Killing Compartments: The Mentality of Mass Murder, 2015日本語訳アブラム・デ・スワーン、大平章訳『殺人区画 大量虐殺の精神性』法政大学出版局、2020.
  8. ^ a b デ・スワーン 2020, p. 9.
  9. ^ a b c d e f g 松村高夫「マス・キリングの社会史 : 問題の所在」三田学会雑誌 94 (4), 565(1)-580(16), 2002-01,慶應義塾経済学会
  10. ^ 松村 & 矢野 2007, p. 10.
  11. ^ Staub 2011.
  12. ^ Staub 1989, p. 8.
  13. ^ Staub 2011, p. 100: "In contrast to genocide, I see mass killing as 'killing (or in other ways destroying) members of a group without the intention to eliminate the whole group, or killing large numbers of people' without a focus on group membership."[12]
  14. ^ a b デ・スワーン 2020, p. 6.
  15. ^ ...その際の混乱にあたり燕京におった胡人が大虐殺に遭った..., 前嶋信次『東西文化交流の諸相』, 東西文化交流の諸相刊行会, 1971年, 110頁
  16. ^ ...盧竜にソグド系武人の史料がほとんど残っていないのは,安史の乱末期に安史軍を構成していたソグド人が大量に虐殺されたことと関係しているという指摘がある...(栄新江「安史之乱後粟特胡人的動向」『曁南史学』 2 2003,115頁) 森部豊「ソグド系突厥の東遷と河朔三鎮の動静 -特に魏博を中心として-」『関西大学 東西学術研究所紀要』第41輯, 平成20年(2008年)4月, 145頁
  17. ^ ソ連のロシア人と、チェコスロヴァキアの民族主義者によるズデーテン地方にいたドイツ民間人の大虐殺(アルフレッド・デ・ザヤス (en:Alfred-Maurice de Zayas著 "A Terrible Revenge")。また、ナチス・ドイツの強制収容所が、ドイツ民間人を収容するために一時的に転用もされた。
  18. ^ 宮崎正弘『出身地でわかる中国人』PHP研究所、2006年、185頁。ISBN 4569646204 
  19. ^ “Ghosts Of Cheju A Korean Island's Bloody Rebellion Sheds New Light On The Origin Of The War” (英語). ニューズウィーク. (2000年6月19日). http://www.newsweek.com/2000/06/18/ghosts-of-cheju.html 2011年2月18日閲覧。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]