フォンニィ・フォンニャットの虐殺

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フォンニィ・フォンニャットの虐殺
Phong Nhi massacre 8.jpg
犠牲者を収容するアメリカ海兵隊員(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影撮影)
各種表記
ハングル 퐁니•퐁넛 양민 학살 사건
漢字 퐁니•퐁넛 良民 虐殺 事件
発音 ポンニ・ポンノッ ヤンミン ハッサル サゴン
2000年式
英語表記:
Pongni / Pongneot yangmin haksal sageon
Phong Nhi and Phong Nhat massacre
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フォンニィ・フォンニャットの虐殺
各種表記
クォック・グー Thảm sát Phong Nhất và Phong Nhị
漢字・チュノム 惨殺豐一且豐二
北部発音: タムサット・フォンニャット・ヴァー・フォンニィ
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両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳の女。写真撮影後に病院に徹送されたが「お母さん、お母さん…」と母を呼びながら妹達の前で息絶えた[1](J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)
至近距離から撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)[2]
アメリカ軍の手当を受ける負傷した少女(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)
殺害された子供(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影撮影)[2]
韓国軍に焼かれた住民(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)[2]
ロバート・モレヘッド・コックアメリカ陸軍大佐監察官として作成した虐殺事件の報告書(1970年1月10日)[3]
ベトナム議会に補償を求める遺族の嘆願書[4]

フォンニィ・フォンニャットの虐殺(フォンニィ・フォンニャットのぎゃくさつ、퐁니•퐁넛 양민 학살 사건[3]、フォンニィ・フォンニャット良民虐殺事件[3]Phong Nhi and Phong Nhat massacre[5])は、ベトナム戦争中の1968年2月12日に、南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)(en)によって、非武装の民間人69-79人[6] が虐殺された事件。

概要[編集]

1968年2月12日[7]、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)第1大隊は婦女子を集めると至近距離から銃殺、刺殺し火を付け立ち去った。ところが、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が現場に到着してしまった[8]。アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した[8][2]。また、J・ボーン伍長によって事件現場の撮影が行われた[8]。事件後に生き残った村人たちは犠牲者の遺体を国道1号線に並べて抗議の意思を示した。

当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍en)に参加していた[9]。続く2月25日には韓国海兵隊によってハミの虐殺(en)が引き起こされ、ハミ村の婦女子・老人135名が虐殺された[10]

事件を受けてアメリカ陸軍参謀総長ウィリアム・ウェストモーランド大将が韓国軍に調査報告を繰り返し求め続けたため[11]、韓国軍は韓国海兵隊の軍服を着たベトコンによる陰謀であったとアメリカ軍に報告した[11]。フォンニィ・フォンニャットの虐殺当時の韓国では韓国政府が行った聞慶虐殺事件保導連盟事件では共産主義者に罪を着せることで虐殺事件を闇に葬りさることに成功していた[12][13]。韓国軍からの報告を受け取ったアメリカ軍では、アメリカ軍監察官のロバート・モレヘッド・コック大佐による調査が行われ、1970年1月10日に韓国海兵隊による虐殺事件であったことを明らかにした報告書が提出された[3]。2000年11月に行われた、ハンギョレ新聞による蔡命新(朝鮮版) ベトナム派遣軍最高司令官へのインタビューでは、蔡命新中将はアメリカ人はゲリラ戦に無知であったために韓国側と対立することがあったが、最終的にはアメリカ軍は韓国軍の戦術を取り入れるようになったと述べている[11]。事件翌月にはアメリカ軍の一小隊によってソンミの虐殺が引き起こされたがアメリカ軍は軍法会議を開き実行犯を処罰した。この事件について蔡命新は戦争では普通のことであるとして実行犯を擁護する発言を行っている[14]

韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって、少なくとも民間人9,000人が殺害されており[15]、あるいは、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている[16]

アメリカ軍内部では、韓国軍を完全な後方部隊とするか、南ベトナム民族解放戦線が完全に支配していて、誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきである、とした検討が行われた[17]。韓国兵は残忍なやり方で女性強姦してから殺害するケースが多く、アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった[18]。また妊婦や子供は井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ。生き残った村人はバラバラになった遺体を井戸から引き上げ、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った[18]1969年2月には事件の遺族達によって南ベトナム議会に賠償を求める請願書が提出されている[8]2000年には蔡命新将軍は数々の事件について、我々は誰にも償いをする必要はないと述べている[14]

2013年8月クォン・キヒョン大韓民国国防部スポークスマンはグローバル・ポストen)に対して、「韓国軍が組織的に民間人虐殺を行うことは不可能」「ベトナム女性への性的搾取はない」と、ベトナム戦争当時の韓国軍によるベトナム人虐殺・女性凌辱を否定した[19]

脚注[編集]

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  1. ^ “특집 “그날의 주검을 어찌 잊으랴” 베트남전 종전 26돌, 퐁니·퐁넛촌의 참화를 전하는 사진을 들고 현장에 가다”. ハンギョレ. (2001年4月24日). http://h21.hani.co.kr/section-021005000/2001/04/021005000200104240356037.html 2011年2月9日閲覧。 
  2. ^ a b c d “여기 한 충격적인 보고서가 있다 미국이 기록한 한국군의 베트남 학살 보고서 발견”. オーマイニュース. (2000年11月14日). http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000023943 2011年2月9日閲覧。 
  3. ^ a b c d “잠자던 진실, 30년만에 깨어나다 “한국군은 베트남에서 무엇을 했는가”… 미국 국립문서보관소 비밀해제 보고서•사진 최초공개”. ハンギョレ. (2000年11月15日). http://h21.hani.co.kr/section-021003000/2000/021003000200011150334040.html 2011年2月9日閲覧。 
  4. ^ “미군 보고서로 다시 입증된 <한겨레21>의 퐁니•퐁넛사건 보도… 남은 건 ‘누가 쏘았는가’”. ハンギョレ. (2000年11月23日). http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/1036.html 2011年2月9日閲覧。 
  5. ^ p47 Di Heonik Kwon
  6. ^ “미국의 관심은 ‘학살은폐 책임’ 최초공개된 미국 비밀보고서의 의미… 정부는 참전군인의 명예를 위해서 진상조사에 나서라”. ハンギョレ. (2000年11月15日). http://h21.hani.co.kr/section-021003000/2000/021003000200011150334039.html 2011年2月9日閲覧。 
  7. ^ 『知られざる歴史の真実 世界史編』 インターナショナル・ラグジュアリー・メディア、2011年、51頁。ISBN 4905144124
  8. ^ a b c d “‘끝없이 벗겨지는 ‘제2의 밀라이’미군 보고서로 다시 입증된 <한겨레21>의 퐁니·퐁넛사건 보도… 남은 건 ‘누가 쏘았는가’”. ハンギョレ. (2000年11月15日). http://www.hani.co.kr/section-021003000/2000/021003000200011150334035.html 2011年2月9日閲覧。 
  9. ^ Kwon, Heonik. After the massacre: commemoration and consolation in Ha My and My Lai. University of California Press. p. 32. ISBN 9780520247970. 
  10. ^ Kwon, p. 1.
  11. ^ a b c ““한국군도 많이 당했다” 채명신 전 주월한국군총사령관 인터뷰… 남베트남군 사령관 만나 사과한 적도”. ハンギョレ. (2000年11月15日). http://h21.hani.co.kr/section-021003000/2000/021003000200011150334008.html 2011年2月9日閲覧。 
  12. ^ “South Korea owns up to brutal past”. シドニー・モーニング・ヘラルド. (2008年11月5日). http://www.smh.com.au/news/world/south-korea-owns-up-to-brutal-past/2008/11/14/1226318928410.html 2011年2月10日閲覧。 
  13. ^ '문경학살사건' 유족 항소심도 패소('聞慶虐殺事件' 遺族抗訴審も敗訴)”. 朝鮮日報. (2009年8月6日). http://www.chosun.com/site/data/html_dir/2009/08/06/2009080600689.html 2011年2月10日閲覧。 
  14. ^ a b The Cold Warrior”. Newsweek (2000年4月9日). 2011年9月23日閲覧。
  15. ^ “韓国 軍も企業もベトナム参戦”. 朝日新聞. (2008年1月28日). http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html 2011年2月13日閲覧。 
  16. ^ 『親日派のための弁明』金完燮草思社、2002)
  17. ^ “편견인가, 꿰뚫어 본 것인가 미군 정치고문 제임스 맥의 보고서 “쿠앙남성 주둔 한국군은 무능·부패·잔혹””. ハンギョレ. (2000年11月15日). http://h21.hani.co.kr/section-021003000/2000/021003000200011150334051.html 2011年2月9日閲覧。 
  18. ^ a b WORLD AFFAIRS 証言 Apocalypse Then 「私の村は地獄になった」ニューズウィーク日本版 2000年4月12日号 P.24
  19. ^ Battle of the dueling war crimes グローバル・ポスト August 16, 2013

参考文献[編集]

関連項目[編集]