ナゴルノ・カラバフ戦争

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ナゴルノ・カラバフ戦争(ナゴルノ・カラバフせんそう)とは、アルメニアアゼルバイジャンナゴルノ・カラバフ自治州を巡る争い。日本の報道では「ナゴルノ・カラバフ紛争」と呼ばれることもある。戦争は泥沼化し、現在は事実上、アルメニア人の占領下にある。

目次

戦争の名称 [編集]

  • アルメニア: アルツァフ解放戦争(アルメニアではナゴルノ・カラバフのことをアルツァフと呼ぶから)
  • アゼルバイジャン: カラバフ戦争

前史 [編集]

1917年ロシア革命に際して、南カフカスのアルメニア民主共和国アゼルバイジャン民主共和国がそれぞれ独立したが、ナゴルノ・カラバフの帰属を巡り1918年に両国間の戦争が起こる。イギリスの介入により、一旦は領土問題がパリ講和会議に持ち越されることとなったが、ソビエト軍が南カフカスを制圧し、両国をソ連邦構成共和国であるザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国に編入すると、ボリシェヴィキの手によってナゴルノ・カラバフの帰属が決定されることになる。

ボリシェヴィキの民族問題担当人民委員ヨシフ・スターリンの下にカフカス委員会が設置され、委員会は4対3でナゴルノ・カラバフをアルメニアに帰属させることを一旦決定したが、その後アルメニアで反ソビエト反乱が起りボリシェヴィキの心証を害し、アゼルバイジャン側による強い抗議もあったため、委員会は決定を覆し、ナゴルノ・カラバフを自治州としてアゼルバイジャンの下に置くこととした。当時のナゴルノ・カラバフの人口の94%はアルメニア人であった。

概要  [編集]

両国が争っているのはアゼルバイジャンの西部にある山岳地帯に存在するアルメニア人居住区である「ナゴルノ・カラバフ自治州」である。このナゴルノ・カラバフ自治州は住民の4分の3がアルメニア人である[1]。この自治州がソ連崩壊直前からアルメニアへの帰属を求め、アゼルバイジャンとの紛争になったのである。

アルメニアアゼルバイジャンはともに中央アジアに位置しており、黒海カスピ海に挟まれているカフカス山脈の南に存在する。しかし、隣り合う両国は、民族宗教ともに大きな違いがある。アゼルバイジャンはトルコと友好関係にあるイスラム教(シーア派)が多数住む国であるが、その一方、ロシアと強固な関係をもつアルメニアは、キリスト教国である。1988年に、ナゴルノ・カラバフ自治州に住むアルメニア人が、アルメニアへの帰属をアゼルバイジャンに要求すると、アゼルバイジャンは自治州を廃止、共和国が直轄統治するという措置を取ったのである。当然だが、ナゴルノ・カラバフの住民はアゼルバイジャンに対して強い反発をした。ソ連の崩壊に際し、両国は共に1991年に独立を果たすが、1992年に、ナゴルノ・カラバフ側が一方的に「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立を宣言したのである。これをきっかけに、紛争が勃発。さらに、ナゴルノ・カラバフ側にはアルメニアが加担し、本格的な戦争に発展した。1994年ロシアフランスが仲介を請け負い、停戦が成立した。この紛争により、2万人の死者が発生し、難民にいたっては100万人以上が発生した。

この停戦の際の調停案和平案には「アルメニアが占領したアゼルバイジャンの領土の返還」「ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに帰属後は自治共和国に昇格」などと書かれており、この紛争を有利に進めてきたアルメニア側からすれば、納得できるようなものではなかった。そのため、アルメニアがナゴルノ・カラバフを占拠したままになっており、ナゴルノ・カラバフの帰属問題は未だに解決の目処は立っていない。

国境線の引き直しを認めると更なる紛争を惹起しかねないという懸念から、ロシア・西側諸国ともに国境変更に対して極めて慎重であるためこのような調停案になったのだが、アゼルバイジャンがバクーに油田を持っており、経済的な理由から調停側がアゼルバイジャンを優遇せざるを得なかったとする見方[2]もある。

トルコとアルメニアの関係改善による地域の安定を画策した欧米の後押しもあり、2009年10月10日に両国間で国交正常化が実現したが、合意文書でのナゴルノ・カラバフ戦争の言及にアルメニア側が難色を示すなど紛糾し、問題を先送りする形となっている[3]

略史 [編集]

Nagorno Karabakh03.png
Nagorno karabakh republic.png

関連項目 [編集]

注釈・出典 [編集]

  1. ^ アルメニア人77%、アゼルバイジャン人21%(廣瀬陽子「紛争解決の枠組み」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 167ページ)
  2. ^ 世界情勢を読む会 『面白いほどよく分かる 世界の紛争地図』日本文芸社、平成19年12月、ISBN 978-4-537-25548-5
  3. ^ a b “トルコ・アルメニア国交正常化、前途多難の船出”. 読売新聞. (2009年10月11日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091011-OYT1T00549.htm 2009年10月11日閲覧。 
  4. ^ 廣瀬陽子「紛争解決の枠組み」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 167ページ

外部リンク [編集]