ロベルト・コチャリャン

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ロベルト・セドラキ・コチャリャン
Ռոբերտ Սեդրակի Քոչարյան
Robert Kocharyan.jpg
2001年のコチャリャン

任期 1998年2月4日2008年4月9日

アルメニアの旗 アルメニア共和国
第6代首相
任期 1997年3月20日1998年4月10日

任期 1994年12月29日1997年3月20日

出生 1954年8月31日(60歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of Azerbaijan SSR.svg アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国ナゴルノ・カラバフ自治州ステパナケルト
配偶者 ベラ (en)

ロベルト・セドラキ・コチャリャンアルメニア語: Ռոբերտ Սեդրակի Քոչարյան1954年8月31日 - )は、アルメニア政治家で第2代大統領1998年 - 2008年)。

アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内、ナゴルノ・カラバフ自治州の州都ステパナケルトの出身。ナゴルノ・カラバフについては強硬派としてアゼルバイジャンからの同自治州分離を一貫して主張してきた。同自治州が「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立宣言したのちの1992年に「ナゴルノ・カラバフ共和国」の首相兼防衛委員に就任した。また1994年12月には「ナゴルノ・カラバフ共和国」大統領に選出された。1997年にアルメニアの首相に就任し、1998年から2008年まで大統領を務めた。大統領在任中の1999年に発生した議会銃撃事件についての関与が囁かれている[1]

ソ連崩壊までは共産党の職員であったが、以後はどの政党にも属していない。コチャリャンの下、アルメニアは比較的安定・成長し、レヴォン・テル=ペトロシャンの元で起きた多くの移民の発生を減らすことに成功した。

コチャリャンの2003年の再選は、選挙違反の申し立てにより傷つけられたが、多くの専門家は選挙違反がこの選挙結果をくつがえすほどのものではないと主張している。2004年の始めの頃、コチャリャンの辞任要求が散発的に起こり、彼の信任を問う国民投票を要求するデモが彼に反対する陣営の指導の下で行われた。

妻ベラの間には3人の子供がいる。

脚注[編集]

  1. ^ 吉村貴之「アルメニア / 『第二共和国』の政治 - 安定か停滞か」、『アジ研ワールド・トレンド』第8巻第4号(通巻第79号)、アジア経済研究所広報部、2002年4月、 30頁、 ISSN 13413406NAID 40005089033

外部リンク[編集]

公職
先代:
レヴォン・テル=ペトロシャン
アルメニアの旗 アルメニア共和国大統領
第2代:1998年 - 2008年
次代:
セルジ・サルキシャン
先代:
アルメン・サルキシャン英語版
アルメニアの旗 アルメニア共和国首相
第6代:1997年 - 1998年
次代:
アルメン・ダルビニアン英語版
先代:
ラレン・バブリアンイタリア語版
(国民会議議長)
ナゴルノ・カラバフの旗 ナゴルノ・カラバフ共和国大統領
初代:1994年 - 1997年
次代:
レオナルド・ペトロシャン英語版