栗原小巻

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くりはら こまき
栗原 小巻
本名 栗原 小巻(同じ)
生年月日 (1945-03-14) 1945年3月14日(79歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区
職業 女優
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
活動期間 1967年 - 現在
活動内容 1963年俳優座養成所入所(15期生)
著名な家族 父:栗原一登
主な作品
映画
戦争と人間(第一部、第二部)
いのちぼうにふろう
忍ぶ川
サンダカン八番娼館 望郷
八甲田山
テレビドラマ
三姉妹
樅ノ木は残った
黄金の日日
関ヶ原
初婚・再婚
 
受賞
毎日映画コンクール
女優演技賞
1972年忍ぶ川
第6回紀伊國屋演劇賞
第36回文化庁芸術祭賞優秀賞
第46回文化庁芸術祭賞
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栗原 小巻(くりはら こまき、本名同じ、1945年3月14日 - )は、東京都世田谷区出身の女優である。父は劇作家栗原一登

桐朋女子を経て東京バレエ学校を卒業し後、1963年劇団俳優座に入った。1968年の『三人姉妹』(チェーホフ)で注目を浴び、以降、舞台、テレビドラマを中心に活動している。未婚

人物・来歴

テレビでは1967年NHK大河ドラマ三姉妹』における主人公の妹役で知られるようになり、その後の大河ドラマ『樅ノ木は残った』(1970年)で精神崩壊する悲運のヒロインを演じた。大河ドラマ『黄金の日日』(1978年)にも出演した。

映画女優としても『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』で、加藤剛相手に大胆なベッドシーンを見せた(毎日映画コンクール女優演技賞)。映画では他にも、『戦争と人間(第一部、第二部)』(1970年1971年)、『いのちぼうにふろう』(1971年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『八甲田山』(1977年)などがあり、『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』及び『柴又より愛をこめて』でマドンナ役を演じている。

ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ戦争と平和』を挙げている。

イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の「青少年のための管弦楽入門」の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品)

1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国との繋がりも深い。

クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。

吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた。奇しくも吉永とは誕生日が1日違い。アイドル的存在として人気を分けたが、中年以降吉永が女優としての活動の主軸を映画に据えているのに対し、栗原はもともとのフィールドである舞台を中心としながらもテレビドラマの出演も少なくない。

主な出演

映画

テレビドラマ

バラエティー・教養番組

他多数

CM

書籍

  • 『ソビエト研究』第3号(1990年4月25日) 栗原小巻「ペレストロイカとソ連の芸術」
  • 『ロシアを友に 演劇・文学・人』 舞台公演『櫻の園』の立役者、宮澤俊一の著作。ISBN 4-905821-39-8

レコード

  • 『愛は蜃気楼のように』 (1984年, クラウンレコードGGA-109。2007年にBRIDGEレーベルからCDとして復刻された)

外部リンク