延光寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。59.86.43.49 (会話) による 2016年1月4日 (月) 08:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

延光寺
延光寺境内
境内
所在地 高知県宿毛市平田町中山390
位置 北緯32度57分40.7秒 東経132度46分26.6秒 / 北緯32.961306度 東経132.774056度 / 32.961306; 132.774056座標: 北緯32度57分40.7秒 東経132度46分26.6秒 / 北緯32.961306度 東経132.774056度 / 32.961306; 132.774056
山号 赤亀山
宗派 真言宗智山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)神亀元年(724年
開基 (伝)行基
正式名 赤亀山 寺山院 延光寺
札所等 四国八十八箇所39番
文化財 梵鐘(重要文化財)
法人番号 9490005002629 ウィキデータを編集
テンプレートを表示
延光寺の位置(日本内)
延光寺
延光寺

延光寺(えんこうじ)は、高知県宿毛市にある寺院。宗派は真言宗智山派。赤亀山(しゃっきざん)、寺山院(じさんいん)と号す。本尊薬師如来四国八十八箇所霊場の第三十九番札所

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

ご詠歌:南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ

歴史

草創伝承

寺伝によれば聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立、当初は亀鶴山施薬院宝光寺と称したという。その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」を掘ったといわれる。

伝説によれば延喜11年(911年)赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきた。そこで現在の山号、寺号に改めたという。

境内

  • 山門仁王門
  • 本堂
  • 大師堂:大師像が拝顔できる。
  • 鐘楼
  • 護摩
  • 眼洗いの井戸
  • 赤亀と梵鐘の像
  • 庭園:池泉式と枯山水式がある。
  • 新四国霊場:護摩堂の後ろに入口がある。昭和57年4月8日開眼。

山門の左側に手水場があり、その先に鐘楼がある。参道の両側に庭園があり、伝説に関わる、梵鐘を背負った赤亀の像が置かれている。参道が右に曲ると左側に大師堂が、その先に本堂が建っている。本堂と大師堂の間の道を上がって行くと護摩堂があり、本堂前を右手に行くと眼洗いの井戸、庫裏・納経所がある。

  • 宿坊:定員60名
  • 駐車場:50台、大型5台。無料。

文化財

重要文化財
  • 銅鐘 - 総高33cm鐘身25.2cm口径23.5cmの小型梵鐘。延喜11年(911年)正月の銘があり、平安時代前期の紀年銘鐘として貴重である。銘文に「鋳弥勒寺鐘」とあるが、この弥勒寺がどこにあった寺かはわかっていない。赤い亀が竜宮城より持ち帰ったとの伝説がある。昭和16.7.3指定
宿毛市指定保護有形文化財
  • 木造薬師如来立像と日光菩薩・月光菩薩(本尊と脇佛):本尊126cm平安時代作、脇佛87cm江戸時代初期作、昭和38.7.24指定
  • 笑不動の画像:縦95cm横33cmの紙に画かれた不動尊の画像で、巨勢金岡筆で清和天皇から寺山の明俊僧正が拝領したものであると伝えられている。明俊僧正が枯れかかった御所の右近の橘、左近の桜をよみがえらせた功によるものである。昭和38.7.27指定
  • 鈸子:板鍛造の帽子形で、文治5年 (1189) の作である。金剛寺の什物であったものを、文明17年住持敬石が帰国の時持ち帰ったもので面経33cm総高6.5cmである。昭和47.8.30指定
宿毛市指定天然記念物
  • 寺山のいぶき:目通りの周囲2.7m樹高10m、幹は南東に傾斜しているが樹勢は旺盛、推定樹齢400年。昭和38.7.24指定

画像

奥の院

南光院
南光院
本寺から500m奥に不動明王を祀る堂がある

交通案内

鉄道
バス
道路

前後の札所

四国八十八箇所
38 金剛福寺 --(50.8km:市野瀬・三原経由)-- 39 延光寺 -- (25.8km)-- 40 観自在寺

参考文献

外部リンク