セントラル・リーグ

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セントラル・リーグ
競技日本プロ野球
開始年1950年
参加チーム6
日本の旗 日本
前回優勝東京ヤクルトスワローズ(7回目)
最多優勝読売ジャイアンツ(45回)

セントラル・リーグCentral League)は、日本プロ野球リーグのひとつ。

正式名称は日本プロ野球組織 セントラル・リーグ運営部セ・リーグと呼称される。かつては、CBLという略称が使用された(Central Baseball Leagueにちなむ。1950年代の連盟旗や優勝チームのペナントなどに見られる[1])。

沿革

1949年、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、中日ドラゴンズ松竹ロビンスを中心に、大阪タイガース(現:阪神タイガース。当初は賛成派だったが巨人戦との兼ね合いで撤回し残留)、新球団の大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)、広島カープ(現:広島東洋カープ)、西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟(セントラルやきゅうれんめい)が発足。袂を分かった賛成派は、3つの新チームと共に太平洋野球連盟ことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成した。

1950年1月には国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)も加盟し、8球団に。1951年シーズン開始直前、西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパース(現:埼玉西武ライオンズ)と合併し脱退。なお、1952年シーズン終了後には大洋ホエールズが松竹ロビンスを吸収(大洋松竹ロビンス)し、6球団になる以降、親会社ならびにチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減はない。

2009年1月1日の改定日本プロフェッショナル野球協約発効に伴い、連盟事務局と直下の審判部・記録部はコミッショナー事務局、パシフィック・リーグ事務局と統合され、コミッショナー直属の『セントラル・リーグ運営部』『審判部』『記録部』となり、リーグ会長職は廃止された[2]

2013年より開幕前のイベントとして東京ビッグサイトにて『セ・リーグファンミーティング』を行っている。

現存する加盟球団

セントラル・リーグの加盟球団とリーグ優勝回数
球団名 創設年度 優勝回数
読売ジャイアンツ
Yomiuri Giants
1934年 45(9)
東京ヤクルトスワローズ
Tokyo Yakult Swallows
1950年
横浜DeNAベイスターズ
Yokohama DeNA BayStars
1950年 2
中日ドラゴンズ
Chunichi Dragons
1936年 9(0)
阪神タイガース
Hanshin Tigers
1935年 9(4)
広島東洋カープ
Hiroshima Toyo Carp
1950年 6
  • リーグ優勝回数は2015年まで
  • 球団表記順は野球協約の保護地域表記順
  • ()内の数字は1リーグ時代の優勝回数
球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 遍歴
読売ジャイアンツ

1934年12月26日大日本東京野球倶楽部として結成
1936年、アメリカ遠征の際に球団名を東京巨人軍に改称
1937年後楽園球場を本拠地とする
1947年読売新聞社が経営に当たり、名称を読売ジャイアンツに改称
1988年後楽園競輪場跡地に開場した東京ドームに本拠地を移転

阪神タイガース

1935年12月10日阪神電気鉄道を親会社として大阪タイガースを結成
1936年阪神甲子園球場を本拠地とする
1940年敵性語である英語の使用禁止を受け、球団名を阪神軍に改称
1946年、球団名を再び大阪タイガースに改称
1961年、球団名を阪神タイガースに改称

中日ドラゴンズ

1936年1月15日新愛知新聞社中日新聞社の前身)を親会社として名古屋軍を結成
1944年、理研工業(旧理化学研究所を母体とする理研コンツェルンの一企業)の傘下に入り、球団名を産業に改称
1946年、中部日本新聞社(新愛知新聞社と名古屋新聞社との合併企業)が経営に復帰。球団名を中部日本に改称
1947年、球団名を中部日本ドラゴンズに改称
1948年、球団名を中日ドラゴンズに改称、後楽園球場を本拠地とする
1949年中日スタヂアム(現・ナゴヤ球場)に本拠地を移転
1951年名古屋鉄道が経営参加を表明。球団名を名古屋ドラゴンズに改称
1954年、名古屋鉄道の経営撤退に伴い、球団名を再び中日ドラゴンズに改称
1997年ナゴヤドームに本拠地を移転

横浜DeNAベイスターズ

1949年12月15日大洋漁業(現・マルハニチロ)を親会社としたまるは球団(暫定名)がセントラル・リーグに加盟
1950年、開幕後に球団名を大洋ホエールズに改称、下関市営球場を本拠地とする
1953年松竹ロビンスとの合併に伴い球団名を大洋松竹ロビンスに改称、大阪球場に本拠地を移転
1954年、球団名を洋松ロビンスに改称
1955年、松竹の経営撤退に伴い、球団名を再び大洋ホエールズに改称、川崎球場に本拠地を移転
1978年、球団名を横浜大洋ホエールズに改称、横浜スタジアムに本拠地を移転
1993年、大洋漁業→マルハへの社名変更に伴い、球団名を横浜ベイスターズに改称
2002年、マルハの球団株式売却により東京放送(現・東京放送ホールディングス)が経営権を持つ
2011年、東京放送ホールディングスの球団株式売却によりディー・エヌ・エーが経営権を持つ
2012年、球団名を横浜DeNAベイスターズに改称

広島東洋カープ

1949年12月15日広島カープがセントラル・リーグに加盟。広島総合球場を本拠地とする
1957年、シーズン中に広島市民球場に本拠地を移転
1968年、球団名を広島東洋カープに改称
2009年MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に本拠地を移転

東京ヤクルトスワローズ

1950年1月12日鉄道弘済会日本通運日本交通公社(現・JTB)などを親会社とした国鉄スワローズがセントラル・リーグに加盟。後楽園球場を本拠地とする
1964年明治神宮野球場に本拠地を移転
1965年、シーズン中に親会社が産経新聞社フジテレビジョンニッポン放送文化放送(この4社は直後の1967年、集結してフジサンケイグループ)となり、
球団名をサンケイスワローズに改称。後にヤクルト本社も出資に参加
1966年、球団名をサンケイアトムズに改称
1969年、球団名をアトムズに改称
1970年、フジサンケイグループの球団株式売却によりヤクルト本社が経営権を持つ。球団名をヤクルトアトムズに改称
1974年、球団名をヤクルトスワローズに改称
2006年、球団名を東京ヤクルトスワローズに改称

  • 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
  • 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記

過去に存在した加盟球団

セントラル・リーグの消滅球団と成績
球団名 創設年度 優勝回数 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
松竹ロビンス
Shochiku Robins
(1950年 - 1952年)
1936年 1 372 185 176 11 .512
西日本パイレーツ
Nishinippon Pirates
(1950年)
1950年 0 136 50 83 3 .376
  • 成績はリーグが結成された1950年以降のもの
球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 遍歴
松竹ロビンス

1936年2月15日國民新聞社東京新聞の前身)を親会社として大東京軍を結成。洲崎球場を本拠地とする
1937年、8月に小林商店(現・ライオン)が経営参加を表明。球団名をライオン軍に改称
1941年、敵性語である英語の使用禁止を受け、球団名を朝日軍に改称
1946年、球団名をパシフィックに改称
1947年、球団名を太陽ロビンスに改称
1948年、球団名を大陽ロビンスに改称。阪急西宮球場に本拠地を移転
1950年松竹が経営参加を表明。球団名を松竹ロビンスに改称。衣笠球場に本拠地を移転
1953年、シーズン開幕前に大洋ホエールズと合併。合併球団名は大洋松竹ロビンスとなる

西日本パイレーツ

1949年12月15日西日本新聞社を親会社とした西日本パイレーツがセントラル・リーグに加盟。平和台野球場を本拠地とする
1951年、シーズン開幕前に西鉄クリッパースと合併しパシフィック・リーグへ移動脱退。合併球団名は西鉄ライオンズとなる

  • 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
  • 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記

試合方式

総当り回数

1952年フランチャイズホームタウン)制度採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。

  • 1950年 - 1952年:20回 (1950年のみ:140試合、1951-52年:120試合)
  • 1953年 - 1962年:26回 130試合
  • 1963年 - 1965年:28回 140試合
  • 1966年 - 1996年:26回 130試合
  • 1997年 - 2000年:27回 135試合 ※1
  • 2001年 - 2004年:28回 140試合
  • 2005年 - 2006年:22回+対パ・リーグ6チーム6回(交流試合) 146試合
  • 2007年 - 2014年:24回+対パ・リーグ6チーム4回(交流試合) 144試合
  • 2015年:25回+対パ・リーグ6チーム3回(交流試合) 143試合 ※1、※2

※1:1997年 - 2000年と2015年<リーグ間の対戦>は総当りが奇数回となるため、対戦カードのどちらか一方がホームゲームを1試合多く行う形式(前者は14試合、後者は13試合)である。なお1試合増加分のホームチームについては、2年単位で隔年入れ替わりである。

※2:2015年のセ・パ交流戦は3回総当たりとなるため、対戦カードごとに隔年でホームチームを入れ替える。

引き分けに関する扱い
  • 引き分け再試合制度実施年:1962年、1966年 - 1968年、1990年 - 2000年
  • 引き分けを0.5勝0.5敗で勝率計算した年:1956年 - 1961年

上記が規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦を一部中止した年度がある。

  • 1950年:日本シリーズの日程関係のため一部試合を中止。
  • 1951年:広島カープが存続問題から第一節(3月29日 - 4月6日)の参加を見送り。この期間の対広島戦中止。また、同年10月20日より予定されていた日米野球の日程関係のため同月9日でペナントレースを打ち切り。
  • 1953年:読売ジャイアンツがアメリカ遠征のため第一~第三節途中(3月28日 - 4月9日)まで不参加で、かつ日本シリーズに進出したため、また同年10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合の日程の都合上、読売ジャイアンツ対国鉄スワローズ戦5試合を残してペナントレースを打ち切り。
  • 2004年:プロ野球ストライキの関係で一部の試合を中止。

回数・時間制限

内容
1950年 - 1951年

シングルの場合は回数・時間制限なし(デーゲームの場合日没まで)。
ダブルヘッダー第1試合は延長戦は原則として12回。ただしナイトゲーム(薄暮開催含む)は9回まで。

1952年 - 1954年5月24日まで

シングル、ダブルヘッダーとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限。
ナイトゲームは深夜24時を過ぎて次のイニングに入らない。

1954年5月25日 - 同年の閉幕まで

デーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ)。
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで(回数制限は1962年まで同じ)、ナイトゲームは22:30まで。

1955年 - 1958年

ナイトゲームは22:15まで。

1959年 - 1962年

ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ)。

1963年

ダブルヘッダー第1試合は延長13回まで。

1964年 - 1965年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは22:15まで(時間制限は1967年まで同じ)。

1966年 - 1967年

ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで。

1968年 - 1970年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは22:20まで。

1971年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは原則として試合開始時刻から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。ただし、以下の規定がある(時間制限は1973年まで同じ)。
(1):19:00以降開始の場合は経過時間に関わらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1972年 - 1973年

ダブルヘッダー第1試合は、延長11回まで。

1974年 - 1982年

ダブルヘッダー第1試合については9回まで(回数制限は1987年まで同じ)。
その他の試合(ダブルヘッダー第2試合含む)は試合開始から3時間を過ぎて次のイニングに入らない。ただし、以下の規定がある。
(1):19:00以降は経過時間にかかわらず22:00を過ぎて次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1983年 - 1987年

ダブルヘッダー第1試合以外は、開始時刻に関わらず試合開始から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。
ただし、9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1988年 - 1989年

延長12回まで、時間制限なし。
ただし、ダブルヘッダー第1試合については9回までで打ち切り。

1990年 - 2000年

延長15回まで、時間制限なし。引き分けの場合は再試合(降雨コールド時も含む)。

2001年 - 2010年

延長12回まで、時間制限なし。

2011年 - 2012年

延長12回まで[3]。ただし、東日本大震災に伴う節電対策として以下の規定がある。
(1):試合開始から3時間30分(雨天等による中断時間も含む)が経過した場合は次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

※ただしクライマックスシリーズでは時限なし。
2013年

延長12回まで、時間制限なし。

2014年

延長12回まで、時間制限なし。
ただし、9月5日以後のダブルヘッダー第1試合については9回までで打ち切り。[4]

順位の決め方

  • 2000年以前は勝率順で決めており、勝率が同率でシーズンが終了した場合のみ、プレーオフで優勝を決めることとなっていた。
  • 2001年は例外的に勝ち星の多い順で順位を決定していた。ただし、勝ち星1位と勝率1位のチームが異なった場合は3戦2勝制のプレーオフを行い優勝を決定する。
  • 2002年からは再び勝率順に変更された。ただし、勝率3位以内に勝ち星1位のチームが別にいた場合、3戦2勝制のプレーオフで優勝を決定する。この制度は2006年まで続いた。
    ※以上のようなケースによるプレーオフは2006年まで過去1度もなかった。
  • 2007年からはクライマックスシリーズの導入により、以下の制度となった(クライマックスシリーズの結果にかかわらず、レギュラーシーズンの順位がリーグ確定順位となる)。
    1. レギュラーシーズンの勝率
    2. 1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
    3. 2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
    4. 3も同率の場合、前年度順位の上位
    ※2015年度は3チーム以上が勝率で並ぶ場合があるため、その場合でも2チームが同成績で並んだ場合に従って優勝を決める方式となった。

プレーオフ制度についての詳細はプレーオフ制度(日本プロ野球)・セントラル・リーグの項参照。

年度別順位

  • 黄色地は日本シリーズも制覇、水色地はクライマックスシリーズ(2007年 - )を突破したものの日本シリーズ敗退。
  • 球団名が複数併記されているのは同率同順位。
  • プレイング・マネージャー(選手兼任監督)がこれまでに4人出ているが(1955年 - 1957年の藤村富美男(大阪)、1970年 - 1972年の村山実(阪神)、2006年 - 2007年の古田敦也(ヤクルト)、2014 - 2015年の谷繁元信(中日))、パ・リーグと違いリーグ優勝を果たしていない。なお、谷繁元信は2015年に現役を引退した後、そのまま監督専任となり2016年も指揮を執る。
  • 2位以下のチームの監督名は、1950年を除き、監督が交代した年のみ記載。☆はシーズン途中より就任。
リーグ優勝
(優勝監督)
2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1950 松竹
98勝35敗4分
小西得郎
中日
89勝44敗4分
天知俊一
巨人
82勝54敗4分
水原茂
大阪
70勝67敗3分
松木謙治郎
大洋
69勝68敗3分
渡辺大陸
西日本
50勝83敗3分
小島利男
国鉄
42勝94敗2分
西垣徳雄
広島
41勝96敗1分
石本秀一
1951 巨人
79勝29敗6分
水原茂
名古屋
62勝48敗3分
大阪
62勝51敗3分
松竹
53勝57敗5分
新田恭一
国鉄
46勝59敗2分
大洋
40勝64敗4分
(☆有馬義一)
広島
32勝64敗3分
1952 巨人
83勝37敗
(水原茂)
大阪
79勝40敗1分
名古屋
75勝43敗2分
坪内道典
大洋
58勝62敗
(小西得郎)
国鉄
50勝70敗
広島
37勝80敗3分
松竹
34勝84敗2分
1953 巨人
87勝37敗1分
(水原茂)
大阪
74勝56敗
名古屋
70勝57敗3分
広島
53勝75敗2分
(☆白石勝巳
洋松
52勝75敗1分
国鉄
45勝79敗1分
1954 中日
86勝40敗4分
天知俊一
巨人
82勝47敗1分
大阪
71勝57敗2分
広島
56勝69敗5分
国鉄
55勝73敗2分
藤田宗一
洋松
32勝96敗2分
(永沢武夫)
1955 巨人
92勝37敗1分
水原円裕
中日
77勝52敗1分
野口明
大阪
71勝57敗2分
(☆藤村富美男
広島
58勝70敗2分
国鉄
57勝71敗2分
大洋
31勝99敗
藤井勇
1956 巨人
82勝44敗4分
(水原円裕)
大阪
79勝50敗1分
中日
74勝56敗
国鉄
61勝65敗4分
宇野光雄
広島
45勝82敗3分
大洋
43勝87敗
(迫畑正巳)
1957 巨人
74勝53敗3分
(水原円裕)
大阪
73勝54敗3分
中日
70勝57敗3分
(天知俊一)
国鉄
58勝68敗4分
広島
54勝75敗1分
大洋
52勝74敗4分
1958 巨人
77勝52敗1分
(水原円裕)
大阪
72勝58敗
田中義雄
中日
66勝59敗5分
国鉄
58勝68敗4分
広島
54勝68敗8分
大洋
51勝73敗6分
1959 巨人
77勝48敗5分
(水原円裕)
大阪
62勝59敗9分
中日
64勝61敗5分
杉下茂
国鉄
63勝65敗2分
広島
59勝64敗7分
大洋
49勝77敗4分
森茂雄
(同率2位)[juni 1]
1960 大洋
70勝56敗4分
三原脩
巨人
66勝61敗3分
大阪
64勝62敗4分
金田正泰
広島
62勝61敗7分
中日
63勝67敗
国鉄
54勝72敗4分
1961 巨人
71勝53敗6分
川上哲治
中日
72勝56敗2分
濃人渉
国鉄
67勝60敗3分
砂押邦信
阪神
60勝67敗3分
藤本定義
広島
58勝67敗5分
門前眞佐人
大洋
50勝75敗5分
1962 阪神
75勝55敗3分
藤本定義
大洋
71勝59敗4分
中日
70勝60敗3分
巨人
67勝63敗4分
広島
56勝74敗4分
国鉄
51勝79敗4分
1963 巨人
83勝55敗2分
(川上哲治)
中日
80勝57敗3分
杉浦清
阪神
69勝70敗1分
国鉄
65勝73敗2分
浜崎真二
大洋
59勝79敗2分
広島
58勝80敗2分
(白石勝巳)
1964 阪神
80勝56敗4分
(藤本定義)
大洋
80勝58敗2分
巨人
71勝69敗
広島
64勝73敗3分
国鉄
61勝74敗5分
林義一
中日
57勝83敗
西沢道夫
1965 巨人
91勝47敗2分
(川上哲治)
中日
77勝59敗4分
阪神
71勝66敗3分
大洋
68勝70敗2分
広島
59勝77敗4分
(☆長谷川良平
サンケイ
44勝91敗5分
(☆砂押邦信)
1966 巨人
89勝41敗4分
(川上哲治)
中日
76勝54敗2分
阪神
64勝66敗5分
(☆藤本定義)
広島
57勝73敗6分
大洋
52勝78敗
サンケイ
52勝78敗5分
飯田徳治
(同率最下位)
1967 巨人
84勝46敗4分
(川上哲治)
中日
72勝58敗4分
阪神
70勝60敗6分
大洋
59勝71敗5分
サンケイ
58勝72敗5分
広島
47勝83敗8分
1968 巨人
77勝53敗4分
(川上哲治)
阪神
72勝58敗3分
広島
68勝62敗4分
根本陸夫
サンケイ
64勝66敗4分
別所毅彦
大洋
59勝71敗3分
別当薫
中日
50勝80敗4分
(杉下茂)
1969 巨人
73勝51敗6分
(川上哲治)
阪神
68勝59敗3分
後藤次男
大洋
61勝61敗8分
中日
59勝65敗6分
(水原茂)
アトムズ
58勝69敗3分
広島
56勝70敗4分
1970 巨人
79勝47敗4分
(川上哲治)
阪神
77勝49敗4分
村山実
大洋
69勝57敗4分
広島
62勝60敗8分
中日
55勝70敗5分
ヤクルト
33勝92敗5分
(☆小川善治
1971 巨人
70勝52敗8分
(川上哲治)
中日
65勝60敗5分
大洋
61勝59敗10分
広島
63勝61敗6分
阪神
57勝64敗9分
ヤクルト
52勝72敗6分
三原脩
1972 巨人
74勝52敗4分
(川上哲治)
阪神
71勝56敗3分
中日
67勝59敗4分
与那嶺要
ヤクルト
60勝67敗3分
大洋
57勝69敗4分
広島
49勝75敗6分
1973 巨人
66勝60敗4分
(川上哲治)
阪神
64勝59敗7分
(金田正泰)
中日
64勝61敗5分
ヤクルト
62勝65敗3分
大洋
60勝64敗6分
青田昇
広島
60勝67敗3分
(別当薫)
1974 中日
70勝49敗11分
与那嶺要
巨人
71勝50敗9分
ヤクルト
60勝63敗7分
荒川博
阪神
57勝64敗9分
大洋
55勝69敗6分
宮崎剛
広島
54勝72敗4分
森永勝也
1975 広島
72勝47敗11分
(☆古葉竹識
中日
69勝53敗8分
阪神
68勝55敗7分
吉田義男
ヤクルト
57勝64敗9分
大洋
51勝69敗10分
秋山登
巨人
47勝76敗7分
長嶋茂雄
1976 巨人
76勝45敗9分
長嶋茂雄
阪神
72勝45敗13分
広島
61勝58敗11分
中日
54勝66敗10分
ヤクルト
52勝68敗10分
(☆広岡達朗
大洋
45勝78敗7分
1977 巨人
80勝46敗4分
(長嶋茂雄)
ヤクルト
62勝58敗10分
中日
64勝61敗5分
阪神
55勝63敗12分
広島
51勝67敗12分
大洋
51勝68敗11分
(別当薫)
1978 ヤクルト
68勝46敗16分
広岡達朗
巨人
65勝49敗16分
広島
62勝50敗18分
大洋
64勝57敗9分
中日
53勝71敗6分
中利夫
阪神
41勝80敗9分
(後藤次男)
1979 広島
67勝50敗13分
(古葉竹識)
大洋
59勝54敗17分
中日
59勝57敗14分
阪神
61勝60敗9分
D.ブレイザー
巨人
58勝62敗10分
ヤクルト
48勝69敗13分
1980 広島
73勝44敗13分
(古葉竹識)
ヤクルト
68勝52敗10分
武上四郎
巨人
61勝60敗9分
大洋
59勝62敗9分
土井淳
阪神
54勝66敗10分
(☆中西太
中日
45勝76敗9分
1981 巨人
73勝48敗9分
藤田元司
広島
67勝54敗9分
阪神
67勝58敗5分
ヤクルト
56勝58敗16分
中日
58勝65敗7分
近藤貞雄
大洋
42勝80敗8分
1982 中日
64勝47敗19分
(近藤貞雄)
巨人
66勝50敗14分
阪神
65勝57敗8分
安藤統男
広島
59勝58敗13分
大洋
53勝65敗12分
関根潤三
ヤクルト
45勝75敗10分
1983 巨人
72勝50敗8分
(藤田元司)
広島
65勝55敗10分
大洋
61勝61敗8分
阪神
62勝63敗5分
中日
54勝69敗7分
ヤクルト
53勝69敗8分
1984 広島
75勝45敗10分
(古葉竹識)
中日
73勝49敗8分
山内一弘
巨人
67勝54敗9分
王貞治
阪神
53勝69敗8分
ヤクルト
51勝71敗8分
(☆土橋正幸
大洋
46勝77敗7分
1985 阪神
74勝49敗7分
吉田義男
広島
68勝57敗5分
巨人
61勝60敗9分
大洋
57勝61敗12分
(近藤貞雄)
中日
56勝61敗13分
ヤクルト
46勝74敗10分
1986 広島
73勝46敗11分
阿南準郎
巨人
75勝48敗7分
阪神
60勝60敗10分
大洋
56勝69敗5分
中日
54勝67敗9分
ヤクルト
49勝77敗4分
1987 巨人
76勝43敗11分
王貞治
中日
68勝51敗11分
星野仙一
広島
65勝55敗10分
ヤクルト
58勝64敗8分
(関根潤三)
大洋
56勝68敗6分
(古葉竹識)
阪神
41勝83敗6分
1988 中日
79勝46敗5分
(星野仙一)
巨人
68勝59敗3分
広島
65勝62敗3分
大洋
59勝67敗4分
ヤクルト
58勝69敗3分
阪神
51勝77敗2分
(村山実)
1989 巨人
84勝44敗2分
(藤田元司)
広島
73勝51敗6分
山本浩二
中日
68勝59敗3分
ヤクルト
55勝72敗3分
阪神
54勝75敗1分
大洋
47勝80敗3分
1990 巨人
88勝42敗
(藤田元司)
広島
66勝64敗2分
大洋
64勝66敗3分
須藤豊
中日
62勝68敗1分
ヤクルト
58勝72敗
野村克也
阪神
52勝78敗
中村勝広
1991 広島
74勝56敗2分
(山本浩二)
中日
71勝59敗1分
ヤクルト
67勝63敗2分
巨人
66勝64敗
大洋
64勝66敗1分
阪神
48勝82敗
1992 ヤクルト
69勝61敗1分
(野村克也)
巨人
67勝63敗
阪神
67勝63敗2分
広島
66勝64敗
大洋
61勝69敗1分
(☆江尻亮
中日
60勝70敗
高木守道
(同率2位)
1993 ヤクルト
80勝50敗2分
(野村克也)
中日
73勝57敗2分
巨人
64勝66敗1分
(長嶋茂雄)
阪神
63勝67敗2分
横浜
57勝73敗
近藤昭仁
広島
53勝77敗1分
1994 巨人
70勝60敗
(長嶋茂雄)
中日
69勝61敗
広島
66勝64敗
三村敏之
ヤクルト・阪神
62勝68敗
(同率4位)
横浜
61勝69敗
1995 ヤクルト
82勝48敗
(野村克也)
広島
74勝56敗1分
巨人
72勝58敗1分
横浜
66勝64敗
中日
50勝80敗
阪神
46勝84敗
(☆藤田平
1996 巨人
77勝53敗
(長嶋茂雄)
中日
72勝58敗
(星野仙一)
広島
71勝59敗
ヤクルト
61勝69敗
横浜
55勝75敗
大矢明彦
阪神
54勝76敗
1997 ヤクルト
83勝52敗2分
(野村克也)
横浜
72勝63敗
広島
66勝69敗
巨人
63勝72敗
阪神
62勝73敗1分
(吉田義男)
中日
59勝76敗1分
1998 横浜
79勝56敗1分
権藤博
中日
75勝60敗1分
巨人
73勝62敗
ヤクルト
66勝69敗
広島
60勝75敗
阪神
52勝83敗
1999 中日
81勝54敗
(星野仙一)
巨人
75勝60敗
横浜
71勝64敗
ヤクルト
66勝69敗
若松勉
広島
57勝78敗
達川晃豊
阪神
55勝80敗
(野村克也)
2000 巨人
78勝57敗
(長嶋茂雄)
中日
70勝65敗
横浜
69勝66敗1分
ヤクルト
66勝69敗1分
広島
65勝70敗1分
阪神
57勝78敗1分
2001
[juni 2]
ヤクルト
76勝58敗6分
(若松勉)
巨人
75勝63敗2分
横浜
69勝67敗4分
森祇晶
広島
68勝65敗7分
(山本浩二)
中日
62勝74敗4分
阪神
57勝80敗3分
2002 巨人
86勝52敗2分
原辰徳
ヤクルト
74勝62敗4分
中日
69勝66敗5分
山田久志
阪神
66勝70敗4分
(星野仙一)
広島
64勝72敗4分
横浜
49勝86敗5分
2003 阪神
87勝51敗2分
(星野仙一)
中日
73勝66敗1分
巨人・ヤクルト
71勝66敗3分
(同率3位)
広島
67勝71敗2分
横浜
45勝94敗1分
山下大輔
2004 中日
79勝56敗3分
落合博満
ヤクルト
72勝64敗2分
巨人
71勝64敗3分
堀内恒夫
阪神
66勝70敗2分
岡田彰布
広島
60勝77敗1分
横浜
59勝76敗3分
2005 阪神
87勝54敗5分
(岡田彰布)
中日
79勝66敗1分
横浜
69勝70敗7分
牛島和彦
ヤクルト
71勝73敗2分
巨人
62勝80敗4分
広島
58勝84敗4分
2006 中日
87勝54敗5分
(落合博満)
阪神
84勝58敗4分
ヤクルト
70勝73敗3分
古田敦也
巨人
65勝79敗2分
(原辰徳)
広島
62勝79敗5分
M.ブラウン
横浜
58勝84敗4分
2007 巨人
80勝63敗1分
(原辰徳)
中日[juni 3]
78勝64敗2分
阪神
74勝66敗4分
横浜
71勝72敗1分
(大矢明彦)
広島
60勝82敗2分
ヤクルト
60勝84敗
2008 巨人
84勝57敗3分
(原辰徳)
阪神
82勝59敗3分
中日
71勝68敗5分
広島
69勝70敗5分
ヤクルト
66勝74敗4分
高田繁
横浜
48勝94敗2分
2009 巨人[juni 4]
89勝46敗9分
(原辰徳)
中日
81勝62敗1分
ヤクルト
71勝72敗1分
阪神
67勝73敗4分
真弓明信
広島
65勝75敗4分
横浜
51勝93敗0分
2010 中日
79勝62敗3分
(落合博満)
阪神
78勝63敗3分
巨人
79勝64敗1分
ヤクルト
72勝68敗4分
広島
58勝84敗2分
野村謙二郎
横浜
48勝95敗1分
尾花高夫
2011 中日
75勝59敗10分
(落合博満)
ヤクルト
70勝59敗15分
小川淳司
巨人
71勝62敗11分
阪神
68勝70敗6分
広島
60勝76敗8分
横浜
47勝86敗11分
2012 巨人
86勝43敗15分
(原辰徳)
中日
75勝53敗16分
(高木守道)
ヤクルト
68勝65敗11分
広島
61勝71敗12分
阪神
55勝75敗14分
和田豊
横浜
46勝85敗13分
中畑清
2013 巨人
84勝53敗7分
(原辰徳)
阪神
73勝67敗4分
広島
69勝72敗3分
中日
64勝77敗3分
横浜
64勝79敗1分
ヤクルト
57勝83敗4分
2014 巨人
82勝61敗1分
(原辰徳)
阪神
75勝68敗1分
広島
74勝68敗2分
中日
67勝73敗4分
谷繁元信
横浜
67勝75敗2分
ヤクルト
60勝81敗3分
2015 ヤクルト
76勝65敗2分
(真中満)
巨人
75勝67敗1分
阪神
70勝71敗2分
広島
69勝71敗3分
(緒方孝市)
中日
62勝77敗4分
横浜
62勝80敗1分
  1. ^ 1959年の大阪と中日は同率の2位で、この年は引き分け(0.5勝+0.5敗)を勝率に含めていた(引き分けを勝率に含めなかった場合、2位は大阪・3位は中日となっていた)。
  2. ^ 2001年の3位は横浜、4位は広島で、この年は勝率ではなく勝利数で順位を決めていた(勝率に関しては3位は広島、4位は横浜となっていた)。
  3. ^ 2007年からはクライマックスシリーズが導入され、2007年・2位の中日が、クライマックスシリーズで巨人を、日本シリーズで日本ハムを破り、セントラル・リーグ初のリーグ制覇を経ないで日本シリーズに優勝した球団となった。
  4. ^ 2007年からのクライマックスシリーズ導入後では、2009年・優勝の巨人が、クライマックスシリーズで中日を、日本シリーズで日本ハムを破り、セントラル・リーグ初の完全制覇日本一(セントラル・リーグ→クライマックスシリーズ→日本シリーズを全て征した)球団に輝いた。

歴代リーグ代表者

リーグ会長

リーグ運営部長

  • 初代:大越英雄(2009年 - )

脚注

  1. ^ 参考:『プロ野球ユニフォーム物語』(連盟旗および日米野球でセ・リーグ選抜チームが戦った際に使用したユニフォームの左そでに使用したことがイラスト付きでつづられている)・外部リンク…優勝ペナントの研究綱島プロ野球研究所より。1950年代前半頃にCBLのマークを刺しゅうしたペナントが製作されていたことがつづられている)
  2. ^ セ、パ両事務局が廃局 サンケイスポーツ 2008年12月27日付・同日閲覧(リンク先は、インターネット・アーカイブ同日付保存キャッシュ)
  3. ^ 当初は「延長戦は行わず、9回終了時で打ち切り」としていた。なお、時間制限を設けるのは1987年以来24年ぶり。
  4. ^ セ・リーグのダブルヘッダーについて

参考文献

関連項目

外部リンク