ゴールパフォーマンス
ゴールパフォーマンスは、サッカーの試合において選手が得点を決めた後に行う表現方法である[1]。得点後のパフォーマンスには「拳をあげる」「両手を広げる」といったシンプルに喜びを表現するものから、複数の選手が絡む趣向を凝らしたアイデアの物まで様々な種類があり、サッカー観戦における娯楽の一つとなっている[2]。ゴールセレブレーション(英語: goal celebration)と呼ばれる場合もあり[3][4]、日本サッカー協会ではそれを直訳した「得点の喜び」という言葉を用いている[5]。
経緯
ボディランゲージを伴った意志伝達や感情の表現方法については国や地域の文化や生活習慣によって認識に差異があり[1][2]、例えばイギリス[6]やドイツ[7]をはじめとした北ヨーロッパや東アジアなどの国々では、成人が感情を率直に表現する行為は幼稚か未成熟さの表れと見做されている[1]。これに対し、イタリア[8]やスペイン[9]といった地中海沿岸のラテン系の国々や南米のブラジル[10]などでは成人が社会的な制約もなく外向的に振舞うことが許容されている[1]。
「ラテン系の選手の行為は初めのうちは嘲笑の対象となっていたが、次第に北ヨーロッパの選手たちも自制心を捨てざる得なくなった。そしてそれが自然なこととなった。得点という最高の状況に相応しいのはラテン式の表現であって、文化的に抑制された北ヨーロッパ式の儀礼ではなかったのである[11]」 |
- デズモンド・モリス |
第二次世界大戦前に得点後のパフォーマンスは目立ったものは存在せず、選手同士が握手をしたり得点者の肩を叩いて祝福する程度のものだったという[1]。戦後、各国のサッカークラブの間での選手移籍が活発化し[1]、テレビ放送の普及や航空機を使用した国際便の就航によりグローバル化が進み[1]、異なる国や地域の選手の表現方法を目の当たりにする機会が増加した[11]。
選手による率直的な表現方法が普及すると、そのなかでも新しい情報に対し閉鎖的[12]であり公共の場で他者とのボディコンタクトを避ける傾向が強い[12]といわれるイギリスの社会は衝撃を受け、長きに渡って「スポーツマン精神に反する」として非難の対象となった[13]。一方で、自制心が強いとされるヨーロッパ北部の国の選手達もラテン系の選手達に倣って喜びの感情を表現するようになった[11]。
こうした中、いつどこで誰が特別なゴールパフォーマンスを始めたのかは定かでないが[13]、1966年にイングランドで開催された1966 FIFAワールドカップの際に9得点を挙げて得点王となったポルトガル代表のエウゼビオが行ったパフォーマンスが大きな影響を与えたと言われている[13]。サッカージャーナリストの大住良之はエウゼビオの得点後に大きく飛び上がり握り締めた拳を空に向かって突き出すパフォーマンス[14]が世界中へと広まり、特別なパフォーマンスが行われるようになった、との説を採っている[14]。
選手によるパフォーマンスは、一時的な流行に留まらず1970年代に入った後も様々なバリエーションを生み出すなど[14]サッカー文化の一部として定着している[11]。
特徴
イギリスの動物学者であるデズモンド・モリスは1983年に出版した著書『サッカー人間学-マンウォッチング2』の中で、ゴールパフォーマンスの基本的なパターンについて以下のものを挙げている。
- 疾走
- 得点者がピッチを駆け回る表現。興奮のあまり大きく口を開け、両手を突き出し、カンガルーの様に走りながら飛び跳ねまわるといった行為も伴う[15]。
- 片手を使った表現
- 片手を頭上に突き出す表現としては人差し指を突き出すパターン[16]、手の平を伸ばす敬礼風のパターン[16]、握りこぶしを突き出すパターンなどがある[16]。
- 両手を使った表現
- 両手を広げたり頭上に突き出す表現は最も一般的な表現方法とされる[16]。両手を頭上に突き出した選手が飛び上がれば得点者の存在を相手により大きく誇示することが出来る[16]。この他には両手の人差し指を天に向けるパターンなどもある[17]。
- ダンス
- 表現手法としては変則的なもので、先住民による戦勝の儀式を模したもの、駆け足行進、両足を小刻みに動かしてステップを踏むものなどのパターンがある[16]。
- 抱擁
- 得点者に他の選手が駆け寄り抱きしめる表現[18]。得点者の脚に抱きつくパターンや[18]、得点者に抱きつく勢いが余ってピッチに転倒させるパターン[18]、得点者の髪の毛をかき乱すなどのパターンもあり[19]、こうした表現には他の選手も次々に加わり互いの肩に手を回し大きな集団を形成する[18]。
- 接吻
- 得点者の額や頬に唇を接触させる表現[19]。文化圏によっては男性同士でも親愛の情を示すスキンシップとして認知されている場合もあれば、タブー視される場合もある[19]。
-
片膝を付きポーズをとる。
-
両膝を付きポーズをとる。
-
感情を露わにする。
-
互いに抱きしめ合う。
-
人指し指を掲げる。
-
両手の人指し指を掲げる。
-
両手を広げる。
-
ガッツポーズをとる。
-
ユニフォームを脱ぐ。
-
ピッチに寝そべる。
-
ダンスを踊る。
-
蹴りを入れる。
規則
国際サッカー連盟 (FIFA) は競技規則の第12条の中で「得点時の選手によるパフォーマンスは過剰であってはならない」と定めている[20]。規則では適度な表現方法は認められているものの[20]、過剰な表現により時間が浪費され試合進行が妨げられる場合は、審判が介入してパフォーマンスの中止を命ずることが出来る[20]。このほか「相手に対し挑発的な態度を取る[20]」「得点後に周辺のフェンスによじ登る[20]」「ユニフォームを脱ぐか、頭部をユニフォームで覆い隠す[20]」「頭部を覆面か、それに類似したアイテムで覆い隠す[20]」行為を行った選手は警告の対象となっている[20]。また「ピッチ外へ飛び出して喜びを表現する」行為は本来は警告の対象とはならないが[20]、選手達を速やかにピッチ内に誘導するように定めている[20]。
各国の事例
ヨーロッパ
「私はあの時の疾走も、絶叫も覚えていない。あの場面を再びビデオで観た時の記憶だけが残っている。しかし、あの瞬間、私の心の中は大小様々な感情が入り混じり狂喜に包まれていたことは覚えている[23]」 |
- マルコ・タルデッリ |
- イタリア
- マルコ・タルデッリは1982 FIFAワールドカップ決勝の西ドイツ戦において決勝点を決めた際に、両手の拳を握り締め、雄叫びを上げながらピッチを疾走するパフォーマンスを行った[24][25][26]。この場面は「l'urlo di Tardelli」(タルデッリの雄叫び)と呼ばれている[26]。
- ヴィンチェンツォ・モンテッラは両手を横に広げて走り回るパフォーマンスから「アエロプラニーノ(小型飛行機)」の愛称で呼ばれた[27]。ローマ出身の競馬騎手ミルコ・デムーロはモンテッラに憧れ、大レースを制した時はこの飛行機ポーズを真似する[28]。
- フランチェスコ・トッティは右手の親指を口に銜えるチュッチョ(おしゃぶり)ポーズ[29]で知られる。また、2015年1月のセリエASSラツィオ戦でローマ・ダービーの最多得点記録を更新した時には、スタッフに預けておいたスマートフォンで自撮りをおこない話題になった[30][31]。
- イングランド
- ポール・ガスコインはUEFA欧州選手権1996グループリーグ第2戦のスコットランド戦において「歯医者の椅子」と呼ばれるパフォーマンスを行った[25]。これはガスコインがピッチに大の字になって寝転んだところに、チームメイトが給水用のペットボトルを持って駆け寄り、彼の大きく開けた口に水を流し込むという物だった[25]。
- ピーター・クラウチはロボット・ダンスのパフォーマンスで知られている[25]。
- ジミー・ブラードはハル・シティFC在籍時の2009年11月に行われたマンチェスター・シティFC(以下、マンC)戦で得点を決めた際に、チームメイトを座らせて説教をするパフォーマンスを行った[32]。これは前年に行われたマンC戦で大敗を喫した際のフィル・ブラウン監督の姿を模倣したものだという[32]。
- スウェーデン
- スペイン
- キコは得点後に両膝をつきながら両手で弓を射るようなポーズをとる「アルケロ」(スペイン語: Arquero)と呼ばれるパフォーマンスを行っていたが[34]、このパフォーマンスはフェルナンド・トーレスやダニエル・ゴンサレス・グイサによって模倣されている[35][36]。
- ラウル・ゴンサレスは得点後に結婚指輪にキスをするパフォーマンスや両指を使って背番号を指すパフォーマンスを行っている[37]。
- ドイツ
- ユルゲン・クリンスマンはトッテナム・ホットスパーFC在籍時にヘッドスライディングの様な格好でピッチを滑るパフォーマンスを行った[25]が、これはクリンスマンが相手の反則を故意に誘う「ダイビング」を頻繁に行う選手として知られていたことに由来している[25]。トッテナム加入前に行われた1994 FIFAワールドカップ準々決勝のブルガリア戦でも「ダイビング」の反則を犯したため、国際的な批判を受けていた[38]。
- フランス
- エリック・カントナはマンチェスター・ユナイテッドFC在籍時の1996年12月21日に行われたサンダーランドAFC戦で得点を決めた際に、感情を表さずに観衆の反応を360度見渡した後に胸を張り悠然と両手を掲げるパフォーマンスを見せた[39]。一見すると傲慢とも取られる行為だが[39]、「あの様なパフォーマンスの似合う選手は彼しかいない」と評する者もいる[40]。
南米
- アルゼンチン
- ディエゴ・マラドーナは1994 FIFAワールドカップのグループリーグ初戦のギリシャ戦で得点を決めた際に、ビデオカメラに向かって駆け寄り、興奮した目つきで吼えかかるパフォーマンスを行った[26]。しかし第2戦のナイジェリア戦終了後のドーピング検査で尿からエフェドリンを含む5種類の禁止薬物が検出され、大会からの追放処分を受けた[26]。
- ガブリエル・バティストゥータはフィオレンティーナ在籍時、コーナーフラッグを右手でつかみ左手を腰にあて胸を張るガリバルディポーズをみせた。本拠地スタディオ・アルテミオ・フランキにはこのポーズの銅像が建てられたが、2000年にローマへ移籍した際、怒ったサポーターたちが破壊してしまった。ほかにはマシンガンを乱射するポーズもみせていた。
- エクアドル
- イバン・カビエデスは2006 FIFAワールドカップのコスタリカ戦で得点を決めた際に、黄色の覆面を被る「スパイダーマン」のパフォーマンスを行った[41][42]。このパフォーマンスはエクアドル国内でオティリノ・テノリオが実践し人気を集めていたが2005年に交通事故により死去したため[41]、カビエデスがテノリオの「ワールドカップの舞台で得点を決め、覆面パフォーマンスを行う」という夢を引き継いだ[41]。
- ブラジル
- ベベットはアメリカ合衆国で行われた1994 FIFAワールドカップ準々決勝のオランダ戦で得点を決めた際に、赤ん坊を抱える様な格好で両手を左右に揺らす「揺り籠」のパフォーマンスを行った[26]。これは試合の数日前にベベットの妻が第3子を出産したことを祝福する意味があり[26]、ロマーリオやマジーニョもこのパフォーマンスに加わった[26]。このパフォーマンスは世界各国の選手達に模倣されている[43]。
- Jリーグ創成期に活躍したビスマルクは、得点後に片膝をついて頭を垂れ、こめかみに指をあてて神に感謝の祈りを捧げるポーズをとった。また、カカはゴールを決めると両手の人差し指で空を指し、空を見上げて神に感謝する。日本の長谷部誠やイングランドのフランク・ランパードも亡くなった家族へのメッセージとしてカカと似たポーズをとる[44][45]。
北中米
アフリカ
- カメルーン
- ロジェ・ミラは1990 FIFAワールドカップにおいて得点を決めるたびにコーナーフラッグ付近へ駆け寄り、右手を掲げ腰をくねらせて踊る「マコッサ・ダンス」と呼ばれるパフォーマンスを行った[48][49]。マコッサとはカメルーンの伝統的な音楽に由来している。
アジア
- 日本
- 日本サッカーリーグ時代には釜本邦茂が拳をあげて飛び上がるパフォーマンスを行ったが[14]、これは1966年にイングランドで開催されたワールドカップでポルトガルのエウゼビオがみせたパフォーマンスを模倣したものである[14]。
- Jリーグが開幕した1993年以降では三浦知良が両足でサンバのダンスの様に細かいステップを踏む「カズダンス」と呼ばれるパフォーマンスを行っているが[50]、これはブラジルのカレカが得点後に行っていたパフォーマンスに影響を受けたのだという[50]。
- 2000年代以降ではサンフレッチェ広島に所属する選手達が趣向を凝らしたパフォーマンスを行っている[51]。
- このほか、長友佑都の「お辞儀」や藤本主税の「阿波踊り」の様に日本の伝統文化に基づいたパフォーマンスを行う選手もいる[52][53]。
- 韓国
- 安貞桓は2002 FIFAワールドカップグループDアメリカ戦でゴールした後、スピードスケートの滑走の真似をした。これは同年のソルトレイク冬季オリンピックショートトラック男子1500mで韓国の金東聖が走路妨害の判定で失格となり、アメリカのアポロ・オーノが金メダルを獲得したことに対するパフォーマンスだった[54]。なお、安はラウルと同じく結婚指輪にキスするパフォーマンスをよくしていた。
問題となった事例
ヨーロッパ
北中米
アフリカ
- エジプト
- アル・アハリに所属するアフマド・アブドゥル・ザヘルは2013年11月10日に行われたCAFチャンピオンズリーグ決勝のオーランド・パイレーツ戦で得点を決めた際、親指以外の4本の指を突き立てるパフォーマンスを行った[61][62]。これはアラビア語で「ラバア」といい数字の4を示すと共に、同年8月に治安部隊との衝突で600人以上が亡くなったラバア・アル=アダウイヤ広場を意味するもので、暫定政府に反対する象徴となっている[61][62]。ザヘルは政治的意図はないと主張したが、クラブは同選手の出場停止と事情聴取が終わるまでの間、給与を支払わないないことを発表した[61]。
- トーゴ
- 2009年夏にアーセナルからマンチェスター・シティへ移籍したエマヌエル・アデバヨールは、同年9月の両チームの対戦においてゴールを決めたあと、わざわざピッチ逆方向のアーセナルサポーターの前まで走っていき、挑発的なパフォーマンスを行った。怒ったサポーターが物を投げ込み、これに当たった警備員が気絶して搬送された[63]。イングランドサッカー協会 (FA) はアデバヨールに2万5000ポンド(約355万円)の罰金と執行猶予付きの2試合出場停止処分を科した[63]。2011年、トッテナムに移籍したアデバヨールは、アーセナル戦で一部サポーターから「お前が撃たれればよかった」というチャントを浴びせられた[64](前年のアフリカネイションズカップ2010でトーゴ代表のバスが銃撃され関係者が死傷し、アデバヨールは代表を引退していた[65])。
アジア
- イラン
- ペルセポリスFCに所属するモハメド・ノスラティは2011年10月29日に行われたSCダマシュ・ギラン戦でチームメイトが先制点を決めた際、抱き合って祝福していたシェイズ・レザエイの背後に近寄りレザエイの尻に指でカンチョーの悪戯をした[66]。 この模様はテレビで生放送されていたこともあって問題視され、イラン・イスラム共和国サッカー連盟はノスラティに対し無期限出場停止処分と40,000ドルの罰金を科した[66]。またレザエイもチームが3-2と勝ち越した得点の際に他の選手の股間を触る行為があったとして同様の処分が下った[66]。
その他のエピソード
ヨーロッパ
- スペイン
- アンドレス・イニエスタは2010年7月11日の2010 FIFAワールドカップ・決勝でスペインを初のW杯勝者に導く先制ゴールを挙げ、ユニフォームを脱いで喜びを表現したが、アンダーウエアには手書きで「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS(ダニ・ハルケはいつも我々と共に)」と、元スペイン代表で前年8月に26歳の若さで急逝した親友ダニエル・ハルケに捧げたメッセージが書かれていた[67]。
南米
- ウルグアイ
- マンチェスター・ユナイテッドに所属していたディエゴ・フォルランは、2002年12月のサウサンプトン戦で豪快なミドルシュートを決め、ユニフォームを脱いで喜びを表現した。その後、絡まったユニフォームを着直せないうちに試合が再開されてしまい、フォルランはユニフォームを片手に持ったまま、しばらく上半身裸でプレーした。
- ブラジル
- ネイマールはサントスFC在籍時、2011年のコパ・リベルタドーレスのCSDコロコロ戦でゴールを決めたあと、ピッチに投げ込まれた自分の顔写真のお面を被っておどけたが、主審から2枚目の警告を受けて退場となった[68]。
北中米
アジア
脚注
- ^ a b c d e f g モリス 1983、164頁
- ^ a b 大住 2010、165頁
- ^ “ゴールセレブレーション 【ゴールセレブレイション】”. コトバンク. 2014年1月12日閲覧。
- ^ “ゴール‐セレブレーション【goal celebration】”. goo辞書. 2014年1月12日閲覧。
- ^ “審判員のための追加指示およびガイドライン” (PDF). 日本サッカー協会. 2014年1月12日閲覧。
- ^ モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、130頁
- ^ モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、154頁
- ^ モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、230頁
- ^ モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、409頁
- ^ モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、46頁
- ^ a b c d モリス 1983、165頁
- ^ a b モリスン、コナウェイ、ボーデン 1999、125頁
- ^ a b c 大住 2010、166頁
- ^ a b c d e 大住 2010、167頁
- ^ モリス 1983、166頁
- ^ a b c d e f モリス 1983、168頁
- ^ “岡田Jの心臓・長谷部 背中押してくれた祖父に誓う活躍”. 朝日新聞 (2010年6月15日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c d モリス 1983、169頁
- ^ a b c モリス 1983、170-172頁
- ^ a b c d e f g h i j “Laws of the Game 2010/2011” (PDF). 国際サッカー連盟. p. 116. 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c Lorna Blount. “Is This The Best Goal Celebration Ever?”. Sky News. 2010年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “「釣り人」ゴール・パフォーマンスで、アイスランドのサッカーチームが大人気”. AFPBB News (2010年8月13日). 2013年12月4日閲覧。
- ^ “Spagna '82: l'urlo di Tardelli”. LASTAMPA.it. 2007年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ “World Cup memories: Tardelli's celebration, 1982”. CBC Sports (2010年5月13日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e f “Top 10 memorable goal celebrations”. Telegraph (2008年3月3日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g “World Cup celebrations”. ESPN Soccernet. 2010年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ "モンテッラ監督、ローマ時代の勇姿5選". UEFA.COM. (2015年3月1日) 2016年3月17日閲覧。
- ^ "ミルコ・デムーロ騎手の飛行機パフォーマンスは「モンテッラの影響」". 競馬TIMES. (2015年6月30日) 2016年3月17日閲覧。
- ^ "トッティ2ゴール、おしゃぶりポーズで祝う". livedoor NEWS. (2006年1月20日) 2016年3月17日閲覧。
- ^ 利根川晶子 "セリエ10大ニュース。世界に広まるトッティの自撮り". web Sportiva. (2015年6月9日) 2016年3月18日閲覧。
- ^ "ASローマのfacebookに投稿されたトッティの自撮り画像". (2015年1月11日) 2016年3月18日閲覧。
- ^ a b “Phil Brown hails Jimmy Bullard's Hull celebration”. BBC Sport (2009年11月28日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “FINISHED PUBLISH 12PM UK Coca-Cola Memorable Celebrations 21: Tomas Brolin Leaps For Sweden”. Goal.com (2010年1月12日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “Entrevista Francisco Narváez “Kiko”: “Mi padre era pintor de brocha gorda y gracias al fútbol le bajé del andamio y no me tuve que subir yo””. 1001 Experiencias. 2012年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ “F・トーレスがV弾だめ押し2発/H組”. nikkansports.com (2006年6月21日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “How dirty Nuria rescued one of Spain's greatest talents”. the guardian.com (2008年4月28日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “ラウルがゴールパフォーマンスを変えた理由とは?”. livedoor ニュース (2007年11月3日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “No.77 「ダイビング」を見極める”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1994年11月1日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “The Joy of Six: goal celebrations”. The Guardian (2007年12月14日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “OT100:カントナのゴール”. マンチェスター・ユナイテッド 公式ホームページ (2010年1月12日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c “FIFA、カビエデスへの処分はなし”. livedoor スポーツ (2006年6月17日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “スパイダーマン・カビエデスの処分なし”. nikkansports.com (2006年6月18日). 2015年12月6日閲覧。
- ^ a b c “Bravo Bernardo, from duffer to dubber”. The Guardian (2006年11月22日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ "岡田Jの心臓・長谷部 背中押してくれた祖父に誓う活躍". 朝日新聞社. (2010年6月15日) 2016年3月18日閲覧。
- ^ "ランパードの「ちょっといい話」…母を亡くした17歳の相手選手に見せた心遣い". サッカーキング. (2015年2月13日) 2016年3月18日閲覧。
- ^ a b “Hugo Sanchez, con alas en los pies”. univision.com. 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ “ロビー・キーンがMLSデビュー戦でゴール”. AFPBB News (2011年8月21日). 2013年12月4日閲覧。
- ^ “Roger MILLA - Roger Milla, the pride of the Indomitable Lions”. FIFA.com. 2013年11月30日閲覧。
- ^ “Roger Milla : meilleur footballeur africain pour les internautes” (2007年1月15日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “カズ“カズダンス”の由来はカレカ”. SANSPO.COM. 2012年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ “サンフレッチェ広島のパフォーマンス、是か非か ?”. Number Web - ナンバー (2010年11月4日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “長友「お辞儀パフォーマンスはサネッティにささげたかった」”. SANSPO.COM (2013年11月10日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “【J2:第2節 熊本 vs 鳥取】レポート:鮮やかな逆転で鳥取をくだした熊本がホームで今季初勝利。決勝点の藤本主税がKKウイングで初の阿波踊りを披露した。(12.03.12)”. J's GOAL. 2012年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ "オーノ真似た安貞桓のセレモニーに喝采". 中央日報日本語版. (2002年6月10日) 2016年3月18日閲覧。
- ^ a b サイモン・クーパー (2013年4月28日). “サンダーランドのイタリア人監督、ディカーニオの政治的信条とは?”. Sportiva. 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “Footballer's 'fascist salute' row”. BBC NEWS (2005年1月9日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “Robbie Fowler factfile”. Manchester Evening News (2005年3月1日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c “試合で「ナチ式敬礼」、ギリシャサッカー選手が代表永久追放に”. AFPBB News (2013年3月18日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “Greek soccer player gets life ban for Nazi salute. Rumors tell that Katidis is thinking about studying at UCN.”. CBS News (2013年3月18日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c “Players fined in Mexico for 'gunshot' goal celebration”. Reuters (2011年10月21日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b c “試合中に指のしぐさで政権批判? エジプト、大臣が激怒”. 朝日新聞. 2013年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月30日閲覧。
- ^ a b “Egyptian footballer handed ban for political celebration”. CNN.com (2013年11月12日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b "アデバヨール ファン挑発行為で罰金と執行猶予付き出場停止処分". AFPBB News. (2009年10月2日) 2016年3月20日閲覧。
- ^ "トットナム指揮官 アーセナル応援歌に不快感「最低だ」". Sponichi Annex. (2011年10月3日) 2016年3月20日閲覧。
- ^ ポール・ギバルシュタイン/Paul Gibersztajn "アデバヨルの代表引退". スポーツナビ. (2010年4月17日) 2016年3月20日閲覧。
- ^ a b c “Iran bans footballers for 'immoral' goal celebration”. Manchester Evening News (2011年11月1日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “イニエスタ、“ハルケTシャツ”をエスパニョールに寄贈”. GOAL.com. (2010年11月12日) 2010年12月5日閲覧。
- ^ "ネイマール、お面かぶって退場処分". livedoor NEWS. (2011年4月8日) 2016年3月17日閲覧。
- ^ a b c d e 森田浩之『メディアスポーツ解体〈見えない権力〉をあぶり出す』NHK出版、2009年、121-124頁。ISBN 978-4140911488。
- ^ “福田正博(サッカー解説者)<後編>「いつか監督として再びピッチへ」”. スポーツコミュニケーションズ (2013年5月23日). 2016年3月17日閲覧。
- ^ “サッカー競技規則2015/2016 第8条「プレーの開始および再開」” (PDF). 日本サッカー協会. p. 31. 2016年3月17日閲覧。
参考文献
- 大住良之『旅するワールドカップ-サッカーの話をしよう』あすとろ出版、2010年。ISBN 978-4755508974。
- デズモンド・モリス著、白井尚之訳『サッカー人間学-マンウォッチング 2』小学館、1983年。ISBN 978-4096930090。
- T.モリスン、W.A.コナウェイ、G.A.ボーデン著、幾島幸子訳『世界比較文化事典』マクミランランゲージハウス、1999年。ISBN 978-4895858298。
関連項目