キャリア (国家公務員)

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キャリア(キャリア官僚)[1]とは、日本における国家公務員試験の総合職試験、上級甲種試験又はI種試験(旧外務I種を含む)等に合格し、幹部候補生として中央省庁に採用された国家公務員の俗称である。

概説

キャリア制度

高級官僚とその候補生の登用、昇進のシステムがキャリア制度(キャリアシステム)と呼ばれる。採用時の試験区分によって選抜された幹部候補グループ(「キャリア」と呼ばれる)は、その他の職員(「ノンキャリア」と呼ばれる)と区別して一律に人事管理が行われ、より早いスピードで昇進、高級官僚の地位をほぼ独占する。しかし、各府省ごとにシステムが若干異なり、府省ごとに違う意味で捉えられることが多いため、統一的な定義はない。どういう人までをキャリアと呼ぶかも、各府省で異なる。国家I種の「行政」「法律」「経済」区分に合格した者(総合職試験に合格した事務官)を指すこともあるが、広義は技官を含めた国家I種合格者全体を指す。ただし、法務省では一部の検察官がキャリアとして扱われたり、都道府県警察を含め多くの職員を有する警察組織は国家II種警察庁採用の警察官について準キャリア(セミキャリア)と呼ぶ場合があるなど、例外もみられる。「制度」とは呼ばれるものの現行のキャリア制度について法的根拠は存在せず、全くの慣行として事実上の運用がなされている。

昇格や給与などの待遇は他の公務員(ノンキャリア)と比べ物にならないほど良いと思われがちだが、明らかな差がつくのは入省して相当の経験を積んでからとなる。キャリアは政策の企画・立案や法令案の作成といった法制担当などの責任の重い職務が割り振られることが多い。定時終業など先ず望めず、退庁時間が非常に遅くなることも少なくない(ただ本省勤務者はノンキャリアも含め、概して退庁時間が遅いのが常態ではある)。ほぼ全員が本省室長クラスまで横並びで昇進し、その後の出世競争から脱落した者は府省の地方支分部局地方公共団体外郭団体などの幹部職員として出向したり、民間企業に再就職あるいは政治家に転身する。一部は高級官僚(慣例的に本省局長クラス以上を指す)まで昇進し、一般に同期入省又は後年入省の事務次官が誕生するまでに、同年次のキャリアは定年を待たずに退官する。

日本銀行や元々国の機関であった組織(旧鉄道省日本国有鉄道JRや旧電気通信省日本電信電話公社NTT、旧郵政省郵政公社JP)も、特定大学出身者の優遇などといった形でキャリア制度が残存し、特殊法人地方公務員や戦前からある大企業でも、キャリア制度に類似した採用、昇進のシステムを存続させているところもある。

キャリア公務員の頂点

事務次官級

キャリアの一般的な最高位は、各府省の官僚の最高位となる事務次官である(例外の法務省は後述)。また公正取引委員会事務総長警察庁警察庁長官金融庁は金融庁長官が事務次官級の官僚の最高位のポストである。内閣官房では特別職内閣官房副長官補内閣広報官及び内閣情報官もいずれも政権中枢の業務を担う事務次官級のポストである[2][要検証]

なお従前は、外務省では事務次官任官後に、特別職の認証官である特命全権大使の一部(駐米大使・国連大使)に任官する例外的な運用が続けられてきたが、2001年から2002年頃の外務省機密費流用事件鈴木宗男事件などの不祥事を受けた改革で、事務次官を名実ともに外務官僚の第一人者として指導力・求心力を強化し、キャリアの最終ポストとすべきとする報告書が提出されて、以後は事務次官がポストの頂点と位置付けられている[3]。これ以後に事務次官経験者が大使職(駐米大使)に就いた例は2例のみに留まる(参照)。

副大臣級

一般的に、その職務の重要性と権限から各省の事務次官を越えたキャリア官僚の頂点とされるのが内閣官房内閣官房副長官(事務担当)である。同職は副大臣[4]で特別職の認証官であり、閣議への陪席も認められ、事務次官等会議を主催している。旧内務省系官庁において事務次官級のポストを務めた経験者が就任するのが慣例となっている。官僚が就任する他の副大臣級の役職としては、認証官の宮内庁長官、慣例的に閣議への陪席が認められている内閣法制局長官があり、官僚出身者が就くこともあるポストとしては公正取引委員会委員長があり、いずれも特別職である[4]

大臣政務官級

内閣官房副長官を補佐する特別職の内閣危機管理監国家安全保障局長大臣政務官[5]であり政権中枢の業務を担っている[6]。官僚と官僚出身者が就任することもある他の大臣政務官級の役職としては、いずれも特別職の認証官である人事官(人事院総裁除く)、検査官(会計検査委員長除く)、侍従長がある[5]

国務大臣級

官僚出身者が就任する例の多い人事院総裁会計検査院長は、更に格上の国務大臣[7]であり、特別職の認証官である。

法務省における例外的運用

例外的に法務省では認証官の検事総長・次長検事・検事長の方が事務次官より待遇が格上であり、給与面は検事総長は国務大臣級、東京高等検察庁検事長は副大臣級、次長検事と検事長(東京高検除く)は大臣政務官級と定められている[8]。これは検事が職務上対応するポストが三権の一つの司法を司る裁判所最高裁判所判事高等裁判所長官であり、対応する裁判官に合わせた待遇とされているからである。

キャリア制度の歴史

「高等官七等」辞令書。上は埼玉県警察部の某警視に、下は埼玉県庁の某理事官に発令されたもの

キャリア制度とは、明治時代大日本帝国を近代国家にするためドイツ帝国の公務員採用制度を参考にし、1888年にスタートした試補制度に起源をもつ。このときは帝国大学出身者は無試験で任用できるようにし、不足した人数を帝国大学出身者以外の試験選抜という形で採用した。もっとも、帝国大学卒業者の無試験任用は批判が多く、1894年高等文官試験(高文試験)と呼ばれる今のキャリア採用制度と同様な制度が誕生した。高文合格者は高等官と呼ばれたが、他の官吏(判任官など)とは勅令によって厳格に区別され、現在のキャリアと比べても極めて速いスピードで昇進した[9]

戦後、GHQは従来の身分制的な公務員制度を改めるべく、アメリカ的な職階制の導入をはじめ様々な改革を試みたが、各省の抵抗もあって不徹底に終わった。高文試験は名前を変え国家上級を経て国家I種となったが、採用制度と昇進制度は殆ど変化していない。戦後は制度上廃止された高等官に代わり、「キャリア」の語が俗称として定着した。

武官については、陸軍大学校海軍大学校卒業者が高文合格者に類似した形で各軍における指導的な地位についていた(ただし、大学校を卒業していないものでも将官まで昇進する場合も散見された)。戦後に創設された自衛隊自衛官は、防衛研究所一般課程、各自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程幹部高級課程統合幕僚学校一般課程(2006年廃止、以降統合高級課程)及び外国陸・海・空軍大学等の卒業生が指導的地位に昇進している。

明治以来の高等文官制度、及び戦後それを非公式に継承したキャリア制度は、世襲や門閥、藩閥による高級官僚登用を防ぎ、かつ職員間の過当競争を回避し[10]、日本の近代国家化・発展に大きな役割を果たした。

2008年に成立した国家公務員制度改革基本法に基づき、国家I種・II種・III種試験は2011年度を最後に廃止され、2012年度から「総合職(院卒者試験、大卒程度試験)」「一般職(大卒程度・高卒程度)」「専門職」区分による国家公務員採用試験が導入された。新たに設けられた「総合職試験」は「政策の企画立案に係る高い能力」を試す試験とされたが、幹部候補の育成については、別途幹部候補育成課程を設けるものとし、課程対象者の選定については、採用後、一定期間の勤務経験を経た職員の中から、本人の希望及び人事評価に基づいて随時行うものとされている。

この制度変更によって「現行のキャリアシステムは廃止され、根本的に異なる仕組みができ上がる」と当時の渡辺喜美行政改革担当大臣は国会で答弁[11]しているが、実際の運用では、総合職試験は旧I種試験を、一般職試験はII種試験及びIII種試験を継承するものと見なされており、キャリア制度の修正に至っていない。

古代から官僚は存在し、資格任用制による官僚登用制度も存在していた(中国の科挙など)。しかしそれは、日本では基本的に貴族武士を対象とした世襲と門閥即ち家系によるものであり、庶民が高級官僚になることは実際は厳しいものだった。やや例外的に、平安時代は、方略試という官僚登用試験が存在していた。この試験は当時の大学院生が対象であり、当時の大学(大学寮)は入学資格として、五位以上の官人の子弟であることが要求されるが、初期の大学寮は聡明な者なら無位の者でも入学が許され、大学寮での成績が優秀な学生であるなら式部省が行う官人登用試験である進士を受験し合格すれば官人になる道もあった。稀なことではあるが庶民から進士に合格し下級官人となり、最終的に貴族にまでなった人物として勇山文継が知られている。江戸時代では、旗本御家人の子弟のみを対象とした官僚採用試験が行われていた。

各官庁ごとのキャリアの現状

戦前まで、高等官の採用数は昭和一桁時代までの旧大蔵省が5〜10人前後であったように現在のそれと比べれば少なかった。とりわけ戦後になって、各省ともキャリアの採用数を増やしたため、全員が局長まで辿り着けず、キャリア各人のモチベーションの維持にも大きな作用があったことが指摘されている[誰によって?]

1980年代までは、事務官として採用されると30歳で地方の税務署長、警察署長、郵便局長などに就き、本省課長クラスは大企業の社長に行政指導という形で号令をかける立場になれ、更に天下りして約70歳までは職に困ることは無いばかりか、生涯賃金で多くの民間企業を圧倒するということで、非常に人気が高かった。しかし、経済のグローバル化による政府の存在感の相対的な低下、民間企業などとの給料の格差や著しいサービス残業、及び不祥事の頻発とマスコミの公務員バッシングによるイメージの低下等から、民間企業(主に外資系)への人材の流出が指摘されている[誰によって?]

一方で、低成長時代への突入とともに民間企業の魅力も落ちていること、就職の際の競合相手である法曹界が法科大学院制度導入とともに先行き不透明になっていること、自民党民主党双方が官界出身の政策通議員をより幅広く受け入れるようになったことなどから、依然としてある程度の人気を保っている。

人事院

近年では、総合職職員として4~10名程度採用されている。人事院のキャリアは、人事院規則などの法令の改正作業や企画立案、査定業務などの重要ポストを早くから経験し、他省庁などへの出向の機会も早くから与えられる。通常、係長は5年目以降に、課長補佐は10年目以降に昇進する。通常、ノンキャリアは係長になるまでに10年以上、課長補佐になるまでに20年以上かかる。人事院の事務方トップは、事務総長(事務次官級)である。

内閣府

ここ最近は、総合職職員として11~16名程度採用されている。キャリアは、内閣府本府のほか、内閣官房や旧内閣府国民生活局を改組した消費者庁などに数多く出向している。宮内庁公正取引委員会国家公安委員会警察庁)、及び金融庁は内閣府の外局であるが、完全な別採用であり、人事も独立している(宮内庁では現在事務系キャリアの採用を行っていない)。内閣官房同様、政府のその時々の課題に応じ、臨時の組織が設置されることが多いが、その場合の組織は、ほとんどは他省庁からの出向者で占められる。

公正取引委員会

ここ最近は、総合職職員として6~8名程度採用されている。公正取引委員会の所管法律は、独占禁止法下請法及び官製談合防止法など限られているものの、その適用範囲は広汎であり、職権行使の独立性と広範な裁量を付与されていることが特徴である。キャリアも独占禁止法のスペシャリストとしての経験を積んでいくこととなり、退職後に法学部の教授に就任する例も多い。警察庁国家公安委員会)と同様に、他府省における大臣副大臣大臣政務官のような政治家が任用されるポストはなく、幹部ポストは全て公正取引官僚(行政官)が就任する。公正取引委員会の事務方トップは、事務総長(各府省次官級審議官(指定職7号)と同等)である。

警察庁(国家公安委員会)

ここ最近は、総合職職員として25 - 35名程度採用されている。警察庁は他府省における大臣副大臣大臣政務官のような政治家が任用されるポストはなく、幹部ポストは全て警察官僚(行政官)が就任する。警察庁の事務方トップは、警察庁長官(事務次官級)である。このため、警察組織は日本の国家機関の中でもとりわけ官僚主導型の運営がなされている。国家公安委員会は警察庁を管理するが、中央管理機関であり、国務大臣たる国家公安委員会委員長も警察官の最高位という位置付けではない。

警察官警察庁の旧国家I種採用者・旧国家II種採用者と、都道府県採用者に分かれている。警察官の場合、役職以外に階級による区分もあるため、他府省より一層差別化が進んでいる。警部補を初任とする国家l種採用者(キャリア)は採用7年目に無試験で警視に一斉昇任する。他方、巡査を初任とする都道府県採用者(いわゆる「ノンキャリア」)で警視に昇任する者の数は少なく、最も早く昇任したとしても学歴に関係なく45歳程度であるため、両者の格差は大きい。

旧・国家II種試験に合格して警察庁に採用された警察官は巡査部長を初任とし、キャリアと同様に無試験で昇任するなど、都道府県採用者に比べ有利に処遇されている。このため、公務員試験受験生の間では準キャリアと称されることもある。しかし、最高幹部(警察庁長官や警視総監警視監)へ至ることができないと見込まれる点では、他省庁の国家II種採用者と同様である。ただし、昭和61年に始まったこの制度の歴史はまだ浅く、それ以前は都道府県警察採用の警察官が推薦を受けて警察庁に入庁する制度が存在した。この制度の歴史は比較的新しいものであり、以前は、都道府県採用の警察官が推薦を受けて警察庁に転籍する制度が存在し(警察庁中堅・県警幹部候補)、それは非常に名誉なこととされたが、時代の変遷とともに若手職員の価値観が変わり、昇進・名誉よりも霞が関での激務や全国規模での転勤を敬遠する傾向が見られ、制度が形骸化したことも背景にある。キャリア・準キャリアとして採用された警察官は階級に関係なく国家公務員としての立場が確立するため、都道府県を跨ぐ全国異動がある。一方、ノンキャリアとして採用された警察官は都道府県単位で採用された地方公務員であるため、立場が国家公務員の扱いとなる警視正以上の階級に昇任しない限り都道府県を跨ぐ人事異動は無い。ただし、転籍届により他都道府県警察に移籍という形を採ることができる。ノンキャリアが都道府県を跨ぐ人事異動の例外的な例としては、人事交流が在る。この制度は違う都道府県警察同士がお互いに異動者を出す方式であり、一方的に異動する人事とは性格が異なる。

これらの警察官として採用される職員の他に、毎年、技術系職員の採用が行われている。キャリア技官の最高位は、警察庁情報通信局長である。キャリアは本庁でのみ採用される。技官や事務官は階級を待たない。

ただし、技官キャリアが警察本部長を始め、都道府県警察の幹部に就任する場合があり、その際には警察官に任用され警視長等の階級を有する事もある。

金融庁

ここ最近は、総合職職員として10~15名程度採用されている。金融庁は、平成10年に発足した金融監督庁が平成12年に改組して成立した比較的新しい官庁であり、金融庁(金融監督庁)採用のキャリア1期生は平成11年採用である。このため、現段階では、旧大蔵省出身者が同庁幹部(課長級以上)の大半を占めている。金融庁の事務方トップは、金融庁長官(事務次官級)である。

消費者庁

近年では、総合職職員として1~6名程度採用されている。消費者庁は、平成21年に発足した新しい官庁である。このため、現段階では、母体となった内閣府出身者が同庁幹部(課長級以上)や職員の大半を占めている。消費者庁の事務方トップは、消費者庁長官(事務次官級)である。

総務省

近年では、総合職職員として46~54名程度が採用されている。総務省は、旧自治省・旧郵政省・旧総務庁の3省庁の統合によって成立した。そのため自治系、郵政系、総務系と事実上別々に採用を行っている。また、総務系は、独自採用を行っていない内閣人事局と一体として人事が行われている。 総務事務次官は、事実上、自治省又は郵政省出身者に限られ、総務省発足後の歴代総務事務次官は自治省出身者が最も多い。

自治系キャリアは、地方公共団体の幹部として出向して経験を積む機会が多く与えられる。入省後数ヶ月で都道府県の地方課や財政課に出向となり、本省勤務の後早い者であれば30歳を前にして市役所の部長・都道府県の課長クラスに、さらに本省課長補佐ののち40歳前後で県の部長や政令市の局長に就任する。 その後課長級から審議官クラスとなり若手の頃に出向した県に副知事や政令市の副市長など最高幹部として派遣される者も少なくなく、そのまま知事選や市長選に出馬し当選する者も多い。本省内では自治財政局(旧自治省財政局)の格が高い。

郵政系キャリアは、他省庁や民間企業、在外公館、国際機関といった幅広い組織に出向して経験を積む機会が与えられる。郵政省時代は入省5年で郵便局長、その後地方郵政局課長となっていた。IT企業への巨大な権限を背景に、民間企業との人事交流が活発に行われている。40代後半から選別が本格化し、日本郵政グループの役員クラスへ出向する者も少なからず存在する。 全般的に、民間企業との距離感近さを背景として、民間企業、特にIT企業への転職が多い傾向にある。

総務系キャリアは、総理府・総務庁採用で行政管理、行政評価、統計、内閣人事局(旧人事・恩給局)中心の勤務。管区行政評価局への出向もあり、事務次官も2人しか出せていない。近年では行政制度担当の総務審議官が最高ポストとなっている。

法務省・検察庁

近年では、総合職職員として30~34名程度採用されている。 法務省は、防衛省自衛官厚生労働省医系技官と同様に、幹部人事に他府省と異なる慣行が確立されている官庁である。 法務省において幹部候補として処遇される職員には、国家総合職試験合格者から法務省に採用された者の他に、司法試験合格者である検察官及び裁判官で、法務省に勤務する検事(ただし、裁判官は法務省に出向する際は検事に転官する)が存在しており、検事は、国家総合職採用者に比べ優位な地位に立っている現状にある。

ただし、検事の場合、法務省の幹部候補として歩むことが予定された者が一期あたり4~5名程度存在するとされ、通常の検事とは異なるキャリアパスを歩む(法務省本省での勤務、海外留学、在外公館勤務が多い等)傾向にある。 大半の検事は、退官まで検察庁の現場で働くこととなるため、検事全員が他府省におけるキャリア組と同様に位置付けられているとは、必ずしも言えない。 また、キャリア組類似の人事配置についても、あくまで流動的になされており、法務省勤務の勤務も機会も上記の者にのみ限定されている訳ではない。

法務本省の要職の多くは、検事(裁判官からの転官者を含む)で占められ、国家総合職採用者が本省の局長になるケースは例外的である。法務省では、事務次官検事総長を頂点とする検察庁のピラミッドの一過程として位置づけられており、刑事局長を経験した検事が法務事務次官、次長検事東京高等検察庁検事長等の要職を経て、検事総長あるいは最高裁判所判事に至るのが出世コースとされている。このように法務省人事は、実質上検察庁と一体的に運用されている。

国家総合職採用の事務官は、伝統的に、本省局長となれる可能性は低く、事務次官となった者は過去にいないなど、他省庁のキャリアに比べると不遇とされてきた。ただし、近年では国家総合職採用者の処遇が向上しており、これまでに、出入国在留管理庁長官1名(2019年就任)、矯正局長3名(2016、2018、2020年就任)、保護局長1名(2019年就任)、人権擁護局長1名(2017年就任)及び入国管理局長3名(2006、2011、2019年就任)が、本省局長級(指定職4号俸)以上のポストに就任している。(うち矯正局長1名(2018年就任)と人権擁護局長1名(2017年就任)および出入国在留管理庁長官1名と入国管理局長1名(2019年就任)はそれぞれ同一人物である。)。この他に検事出身・事務系キャリア出身以外に、ノンキャリア組刑務官出身の矯正局長1名(2013年就任)がいる。 一方で採用数が少ないことから、出世レースは、他省庁ほど激しいものではなく、ほぼ全員が本省課長級から審議官・管区局長級(指定職1号以上)まで出世でき、強制的に天下りさせられることもないので、安定性は他省庁よりも高いと言える。

法務省は局ごとの縦割り意識が強く、国家総合職採用者の人事も、民事局 - 法務局矯正局 - 矯正管区、入国管理局 - 地方入国管理局などの局別に縦割りで行われている(総務省厚生労働省などの省庁再編に起因する縦割り行政ではなく、霞が関最古参の省の一つで、100年以上大きな組織改編もなく存続したことにより、各組織が細分化したことや、出自に違いがあること(例: 入国管理局が外務省から移管されたものである等)に起因するとみられている) ただし、形式上は、省として一括した採用が行われている。

外務省

ここ最近は、総合職職員として26~28名程度採用されている。かつては外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく独自の「外務公務員採用I種試験」によりキャリアを採用していた。キャリアの多くが定年前に特命全権大使になるなどの理由から人気が高い。「外務公務員採用I種試験」は21歳から受験可能な一方で合格者名簿の有効期間が1年(国家公務員採用I種試験合格者の名簿は3年)しかなかったため、合格者の中に大学3年で中退をして入省した者もおり、外務省では「大学中退」が飛び級的名誉とされていた。「外務公務員採用I種試験」では合格者の中に外務省職員の子弟が多いことや、外務省職員が特権意識を抱きがちなことが問題視され、それらのことと外交官試験が独立していることとの関連が指摘され続けた[誰によって?]2001年より、外務省キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験の合格者から採用されるようになった。しかし、依然として親が外務省職員の場合が多い。一つには外務省職員の子は、子供の時から海外で過ごし、外国語がかなり堪能であることも理由として考えられる。

財務省

ここ最近は、総合職職員として37~41名程度採用されている。財務省では、財務本省のほか、税関財務局および国税庁がそれぞれ独自にキャリアを採用している。しかし、本省課長級以上のポストのほとんどは本省採用キャリアで占められ、キャリアといえども財務局・税関・国税庁採用者は本省・本庁の一部の課長もしくは地方支分部局の長までしか昇進できないのが実状である。以前は財務省本省で採用されると入省5~6年目(30歳前後)で地方の税務署長に就任する慣行があったが、大蔵省接待汚職事件に端を発する大蔵省改革の中で、税務署長に就任するのは原則35歳以上とするように運用が改められた。財務省の中でも予算編成を担う主計局が強く、主計局主計官補佐(主査)や課長級の主計局主計官を経験しなければ局長級以上への昇進は難しいとされる。

文部科学省

ここ最近は、総合職職員として31~44名程度採用されている。文部科学省は省庁再編後、事務系・技術系・施設系の3つに分けて総合職の採用がなされる。事務系と技術系は旧文部省・旧科学技術庁の事務官(理系出身の者を含む)の流れを汲むもので、官庁訪問の窓口は、官房人事課の各担当になる。昇任昇格はほぼ対等で、入省3〜4年で係長級、7年で課長補佐級、17年で企画官、22年前後で課長級。係長級の段階で海外留学へ、課長補佐級になる段階で国立大学の部長や各地方公共団体教育委員会の課長として出向する場合がある。他府省への出向もある。従来I種採用者は本省課長までは同期が対等に就くことができたが、省庁再編による課長クラスの減少で、課長補佐・企画官の段階で外部への出向を兼ねてフェードアウトするケースが出てきている。最近ではI種新採用者が減少しているため、I種採用者が係員のまま(昇任せずに)係長の席に就くケースや、従来I種採用者の係員・係長がいた席(主に各課の法規・企画ライン)に補充的に本省II種採用者を就かせるケースが出てきている。昨今の教育改革政策により大臣官房や初等中等教育局等でのプロジェクトチームの増設により(特に中堅の)I種採用者をこれらの非常設のチームに投入する一方で、他局原課への(特に中堅の)I種採用者の配置が不足しているという指摘もなされている[誰によって?]

課長級以上に、原課の課長から各局筆頭課長、総括官、官房審議官、部長、局長(次長)、文部科学審議官事務次官があるが、他府省と同様に選抜が始まり、徐々に内部に残る者が減少する。この段階では、従来は各地方公共団体の教育委員会への教育長ポストへの出向や、国立大学・青少年の家などの文部科学省の施設等機関に出向することが多かったが、地方分権化や施設等機関の大学法人化・独法化により、徐々に出向先が減り、その結果、内部での昇進が遅くなっている。

施設系のI種採用者は主に国家公務員採用I種試験の「理工I」(旧建築)区分合格者から採用され、大臣官房の文教施設企画部が官庁訪問の窓口である。採用後は同部を中心に国立大学等にも出向する。

厚生労働省

ここ最近は、総合職職員として50~57名程度採用されている。厚生労働省では、国家公務員採用I種試験合格者に加え、医師歯科医師である医系技官もキャリアに準じた扱いとされる。ただし、医系技官は、2017年に新設された次官級ポストの医務技監[12]が最高ポストであり、局長ポスト2つ(医政局長、健康局長、老健局長。このうち2つが医系技官に割り当てられる。)がそれに続き、事務次官に就任した例はない。旧厚生省採用と、旧労働省採用の幹部については人事上の統合は進んでいないが、中央省庁再編以後に採用された平成12年採用以降は一括採用しており、厚生部局と労働部局を交互に経験させるなど統合が進んでいる。厚生労働省は旧内務省系官庁にあたり、事務次官経験者は、内閣官房副長官宮内庁長官に進む例もある。

農林水産省

ここ最近は、総合職職員として75~93名程度採用されている。法律、経済、行政の事務官と、農学Ⅰ(農学、農業経済、畜産)、理工Ⅳ(農芸化学)、農学Ⅱ(農業工学)、農学Ⅲ(林学)、農学Ⅳ(水産)、獣医、の技官に分かれている。事務官は本省、外局、他省庁にも広く勤務するが、技官は専門職として農業工学は農村振興局(旧構造改善局)、林学は林野庁、水産は水産庁、獣医、畜産は生産局(旧畜産局)など地方公共団体への出向も含めほぼ採用された分野のみの勤務である。事務官は各部局に勤務し、局長や事務次官を目指す。中央省庁再編前の出世のコースは大蔵省(現財務省)ほどではないが、ある程度決まっており、課長時代に大臣官房総務課長秘書課長を経験し、官房長、内局の局長、食糧庁長官を経て事務次官になるケースが代表的なものとされていた。特に食糧庁長官は事務次官への待機ポストとも呼ばれていたが、食糧庁廃止後は酪農や畜産を所管する生産局長が事務次官への保守本流ポストへとなった[13]。農学Ⅰ(農業経済)や理工Ⅳ(農芸化学)の採用では事務官に準ずる扱いで局長まで昇進することもある。農学Ⅲ(旧林学)の採用者はかつては入省8~9年で営林署長となっていた。その後は森林管理局(旧営林局)や林野庁での勤務で課長級までは横並びである。徐々に減っていき、部長から次長となる。最高ポストは林野庁長官であり、事務官と交互に就任する。水産区分は水産庁次長が最高ポストであったが、2017年60年ぶりに技官から長官が誕生した。農学Ⅱ(農業工学)の採用者は地方農政局の土地改良系のポストにも多く勤務し、本省では農村振興局内の異動のみで、長く農村振興局次長(旧構造改善局次長)[14]が最高ポストであったが、2018年農村振興局次長から局長となった。獣医や農学Ⅰ(旧畜産)の採用は生産局中心に家畜改良センターや検疫所での勤務があり、消費・安全局長や畜産部長まで昇進することもある。

経済産業省

ここ最近は、総合職職員として42~45名程度採用されている。事務官と技官に分かれている。事務官は課長補佐の終わりに法令審査委員(筆頭課長補佐)を大臣官房総務課、秘書課、会計課のいずれかで経験することが出世の第一関門である。20年ほどで課長となりその後各課長から経済産業政策課長、官房総務課長、秘書課長、会計課長を経験するとほぼ局長級へ昇進となる。技官は事務官より出世は遅れ、同一ポストに長く勤務することもある。局長級への昇進もある。一般職(Ⅱ種)の場合も30年ほどで課長級となることもあり管区局長や審議官へ昇進することもある。

国土交通省

ここ最近は、総合職職員として105~113名程度採用されている。国土交通省技官が強い巨大官庁である。技官が事務次官になれるのは、ここと文部科学省環境省のみである。しかし、異動などでキャリア事務官は本省内にとどまり早い段階で本省課長に就任できるものの、技官(試験職種問わず)は全国の出先機関(地方整備局、各事務所、公益法人等)や地方公共団体の要職(所長、室長・部長級役職)として出向することが多いと言われている[誰によって?]。そのため事務官よりも昇進は遅れがちになる。

技官で事務次官に就任できるのは、技監次官級で技官の最高職)経験者のみである。基本的に技監には道路局長または水管理・国土保全局長(旧河川局長)経験者が就任するのが慣例となっている。道路局企画課、水管理・国土保全局河川計画課は予算配分権限を担うとともに、建設技官中心で構成されるのが特徴であり、技官権力の源泉とされる。運輸技官については、省庁再編によって建設技官との統合を図ったものの、国土交通省になってから、2018年7月31日に旧運輸省技官出身者の港湾局長が技監に初めて就任した。なお、旧運輸省技官出身の局長経験者が就任する技術総括審議官を技監の運輸側カウンターパートとみなして事実上、局長よりも高位に取扱っている。旧建設技官の中でも試験区分により区別があり、「土木」が一番強く、事務次官・技監に就任できるのも「土木」のみである。「土木」以外の職種である「砂防(砂防部長)」、「建築(住宅局長(事務官と交互)・官庁営繕部長)」、「機械・電気・電子(海事局長(事務官と交互)、自動車局次長、航空局安全部長)」などは原則的に( )内のポストまでしか昇進できない(ただし、例外はある)。技官が本省局長に就任できる局は道路局、水管理・国土保全局、住宅局、海事局、港湾局、北海道局のいずれかで、技術的な行政能力・判断能力を特に必要とする部局のみ(技官の就任できる指定職ポストは他に各地方整備局長、一部の地方運輸局長、大阪航空局長、北海道開発局長、国土技術政策総合研究所長をはじめ、国土地理院長、気象庁長官、技術総括審議官など)。外局である海上保安庁長官・次長はこれまで例外なく旧運輸省出身のキャリアが就任するのが通例となっていたが、2013年に初めてプロパー(生え抜き)の海上保安大学校出身者が長官職に就任した。

環境省

ここ最近は、総合職職員として19~33名程度採用されている。環境省は事務系・理工系・自然系の3つに分けて総合職の採用がなされる。1972年より環境庁の採用を開始。1971年発足のため、長らく厚生省、大蔵省の出向者が事務次官、局長級、課長級のほとんどを占めてきたが、1990年代よりプロパーの課長が出始め、2008年に初の生え抜きの事務次官(西尾哲茂)が誕生。それ以降は2020年まで10人中7人が環境省出身である。長く大臣(長官)官房長、総合環境政策局長からの昇格が通例であったが、近年は多様化している。理工系も事務次官に就任することもあるが、自然系は地方環境事務所、国立公園等の勤務もあり、自然環境局長が最高ポストである。

会計検査院

ここ最近は、総合職職員として5名程度採用されている。調査官を経て採用10年程度で他省庁の課長補佐に該当する副長となり(一般職では副長まで20年以上かかる)、かつては15年で上席調査官や監理官など課長級となり全省庁で最短だった。現在は課長級まで20年以上かかる。審議官級から選抜され、局長を経て事務次長から事務総長となる。退職後は検査官や会計検査院長となることもある。

防衛省・自衛隊

ここ最近は、総合職職員として27~33名程度採用されている。自衛隊員自衛官だけでなく、事務官技官防衛省職員も含む)の身分は、ほぼ全員が特別職国家公務員である。このうち事務官が防衛省のキャリア組(防衛キャリア)とされる。文官[15]である防衛キャリアは政策的見地から防衛大臣を補佐するのに対し、武官[16]である自衛官は各幕僚監部等に所属し軍事的見地から大臣を補佐する。自衛官は制服を着用していることから『制服組』と呼ばれるのに対し、防衛キャリアは背広を着用するため『背広組』と呼ばれる。

防衛キャリアは20代後半で「部員」と呼ばれる他省の「課長補佐」に相当するポストに昇進し、事務官は事務次官等の最高幹部まで昇進が可能である。一方、技官の防衛省I種採用者は防衛装備庁長官等が最高ポストである。防衛省II種試験採用者等が「部員」相当級へ昇進するのは早くとも30代後半以降になる。

他官庁では、政策系部局と実施系部局が混在しているが、防衛省における実施系の部局は各幕や機関等に属するため内局は全体として政策系に限定された業務を担当する。この関係で、キャリア組の人事異動が狭い範囲に限られる賛否両論がある。2006年の旧防衛施設庁(現: 防衛省地方協力局)技術審議官他3名が天下りを背景にした官製談合で逮捕された防衛施設庁談合事件に際しては、不適切な官民関係が形成された原因の一端にかかるがあるとの指摘もなされた。 防衛庁(現: 防衛省)発表資料などからは、これらセクショナリズムの弊害を試みていることが窺える。

かつては、キャリア職員の採用数が局長級ポスト数を下回っており、またキャリア職員の能力が他省庁から格段に見劣りすると評する向きもあった。大蔵省・警察庁などから送り込まれた出向者により課長級以上の主要ポストの多くが占められ、植民地省庁とも揶揄されてきた。しかし、近年のキャリア採用人数の大幅な拡大と学生間で防衛省の人気が高まりなどを経て、現在では、内局課長級以上のポストのほぼ全てをプロパーの職員が占めている。

武官のうち士官に相当する幹部自衛官はキャリアとは呼ばれないが、制服最高ポストである統合幕僚長(俸給表上は、事務次官警察庁長官等と同様、指定職8号の俸給を受ける)を頂点とし、陸・海・空の各幕僚長まで上り詰めることが可能であり、指定職ポストは事務系・技術系を合わせた文官ポストの指定職よりも多く、指揮する部下の数や責任を持つ装備品の金額も桁違いに多い。

幹部自衛官は基本的に防衛大学校出身者及び、一般大学出身で幹部候補生採用試験により採用される『一般幹部』は一尉までは横並びに昇進し、以後、処遇に差異が生ずる。『上級の幹部』を養成する幹部学校等で教育を受けた者は、一佐までの昇任がほぼ確実視される。このことから、幹部学校等の指揮幕僚課程を修めた自衛官について、文官のキャリアに相当する処遇がなされていると捉えられる。一佐は各幕僚監部(統幕陸幕海幕空幕)の課長職や、連隊長艦長等に補せられ、数百名の人員を指揮し、場合によっては1千億円を超える装備に対する責任を負う。師団長司令官、各幕の幕僚長・部長等は将官のポストである。

防衛医科大学校医学科出身者は、医師国家試験に合格すれば『医科幹部』として二尉で任官する。防衛医科大学校看護学科自衛官候補看護学生出身者は、看護師国家試験に合格すれば『看護科幹部[17]』として三尉で任官する[18]

行政組織法上の「特別の機関」たる統合・陸上・海上・航空幕僚監部は、大本営陸軍省参謀本部海軍省軍令部両方の機能を持っており、それを内局が内閣の一員の省として調整するという組織構成である。つまり、軍政・軍令を内局・幕僚監部が完全に分化して所掌するのではなく、幕僚監部の軍令・軍政事務を、内局が包括的に管理し調整するという融合型の組織形態がとられている。企画立案・政策実施(運用)を二段階で行い、内局と幕僚監部とは、相互に同程度のカウンタパート(例えば内局の防衛政策課と陸幕の防衛課)が存在する。この点で幕僚監部の課長は、また、中央省庁の課長級と同じ職階であり、戦前における陸・海軍省の課長と同等の職階(俸給制度上も同様)と捉えられる。 なお、頻繁に各幕に勤務する、旧軍の「軍官僚」に類似したキャリアパスを歩む自衛官も多数存在している。

最高裁判所

裁判所は日本国憲法の三権分立の原則に基づき、行政府より独立しているものの、裁判所職員の身分は特別職の国家公務員である。裁判官以外の裁判所職員には、人事院実施の国家公務員採用総合職試験とは別に、裁判所職員採用総合職試験(法律経済区分、人間科学区分[19])により採用される者が存在するが、司法行政の中心をなす最高裁判所事務総局の事務総長、事務次長及び各局局長は全て裁判官によって占められている[20]

三権の一府であることから裁判官以外のキャリアが担当する指定職ポストも少なからず存在しており、大庁(東京や大阪等の大都市の地裁)の事務局長や首席家庭裁判所調査官等は概ね一般行政職の指定職俸給表に準じた俸給が支払われる。これらの中から一部の人間は最高裁判所大法廷首席書記官最高裁判所事務総局家庭審議官など最高裁判所における重要ポストに昇ることもある。2013年8月1日付で最高裁判所大法廷首席書記官に初の女性が起用された[21]

なお、別途試験を受ける事により、簡易裁判所判事執行官副検事などへの道も開かれている。

キャリア制度の問題

キャリア制度については、優秀な人材の誘致、幹部職員の早期育成・高い士気の維持といった観点からその有効性を評価する意見がある一方で、戦前の高等文官試験を継承し、法令になんらの根拠を持たない非民主的システムとの批判がある。そもそも、国家公務員法は「職員が、民主的な方法で、選択され、かつ、指導される」(第1条第1項)、「すべて職員の任用は、能力の実証に基づいて、これを行う」(第33条第1項)と、職員の民主的な任用のために成績主義を根本原則として規定しており、採用時の1回限りの試験で幹部職員の選抜を行う人事管理は想定していない。過去の国家公務員採用上級甲種試験もI種試験も、人事院規則により創設された単なる大学卒業者を採用するための試験の一つに過ぎず、それに合格し採用されることは、幹部候補としての資格免許を法制度上与えられるものではない[22]

キャリア職員を中心とした早期退職慣行がいわゆる「天下り」の温床となっていること、採用時の1回限りの試験で幹部要員の選抜を行うため、優秀なノンキャリア職員の意欲を削いだり、キャリア職員の誤った特権意識につながる場合があるなどの問題点が指摘されている。試験区分、出身大学、および性別による区別、差別も問題化している。特に事務官(国家I種の場合、試験区分が「行政」「法律」「経済」)と技官(国家I種の場合、かつての「機械」「建築」「土木」など)の確執は根強い。例としては旧建設省(現: 国土交通省)で技官キャリアが、事務官との“パワーバランス”により、1949年より事務次官就任への道が開かれたことが挙げられる。

技官・事務官の処遇(例: 国土交通省)

内務省が存在していた1935年、土木局(現: 国土交通省)で技官事務官の人事面における内紛が勃発した。当時、局長・課長等の主要ポストに就任できたのは法文系の事務官のみであった。社会資本整備で技官主導(現在とは違い戦前は、調査、設計、施工監理、管理等を全て技官が担当していた)が最も必要とされた土木局で技官はことのほか“蔑視”されており、昇格したとしても良くて地方出張所長(今で言う地方整備局長)等に甘んじるなど、長らく苦汁をなめていた。当時の土木局技監(当時の技術官僚の最高職で、土木局の次長職相当)だった青山士(土木学会23代会長、パナマ運河建設従事者)でさえも、技監でありながら一度も本省勤務できなかった有様であったといわれる。技官の不満は、戦時中に待遇改善の是正などを求めたが受け入れてもらえず、宮本武之輔ら技官の不満は頂点に達した。結果、内紛が生じ、青山がその責任を取る形で技監を辞職した。

ノンキャリアの処遇

ノンキャリアとは、公務員試験で国家公務員採用I種試験(旧外務公務員採用I種試験を含む)以外の試験に合格し、採用された公務員を指す俗称である(ただし、厚生労働省の医系技官・法務省の検事は除き、防衛大学校卒業後自衛隊防衛省)に採用された自衛官も除くことがある)。広義は地方公務員も含むが、キャリアの概念が一様でないため、ノンキャリアの概念も一律に定義することは難しい。

キャリア制度の元では、キャリアでない者=ノンキャリアは事務次官など高位の職への昇格・昇進が望めず、現状ではどんなに出世した者でも本省の課長級(本省以外で小規模管区の局長等)までの昇進で終わることが多く、同じ「課長職」であっても、キャリアが着任するポストとは分けられていることが多い。そのため、ノンキャリア職員のモチベーション維持や、身分制的な待遇差から生じるキャリア職員との感情的な軋轢などが問題となっている。近年ではノンキャリア職員の高学歴化が進み、キャリア職員との待遇の格差が以前ほどの正当性を得られなくなってきたとの指摘もある。

昨今のキャリア制度批判を受け、最近はわずかではあるがノンキャリアにも指定職など幹部への扉が開きつつある(例: 1981年、大蔵省印刷局長に初めてノンキャリア職員が抜擢された(石井直一)。2011年、外務省領事局長に初めてノンキャリア出身のキャリア職員が着任した(沼田幹男)。ただし、外務省のキャリアは外務公務員I種試験であったため、他省庁と若干相違がある事を留意しなければならない。2013年に、法務省矯正局長に検事以外では初、さらにノンキャリアの刑務官出身職員が着任した(西田博)。2014年には高校卒業後東京国税局に採用されたノンキャリア国税職員が、出向先の静岡県副知事に就任し、次いで財務省主計局主計官や、北海道財務局長等を歴任した(高秀樹)。
人事院は、ノンキャリア職員の幹部登用を進めるため、1999年に「II種・III種等採用職員の幹部職員への登用の推進に関する指針」を作成し各省庁に対し計画的育成者の選抜、育成を促すとともに人事院公務員研修所でII種・III種等採用職員の登用研修を始めている。2019年には文部科学省初等中等教育局の局長に高校卒業後に国家公務員採用初級試験(当時)で入省したノンキャリア職員が起用された(丸山洋司[23]

平成24年度より、国家公務員採用I種試験、II種試験及びIII種試験は、国家公務員採用総合職試験(院卒者試験、大卒程度試験)及び一般職試験(大卒程度試験、高卒者試験)などに再編された。

キャリアを扱った作品

ノンフィクション

  • 松本清張『現代官僚論』文藝春秋社、1963年
  • 草柳大蔵『官僚王国論』文藝春秋社、1975年
  • 柿澤弘治『霞ヶ関3丁目の大蔵官僚は、メガネをかけたドブネズミといわれる挫折感に悩む凄いエリートたちから』学陽書房、1977年
  • テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』飛鳥新社
  • テリー伊藤『大蔵官僚の復讐―お笑い大蔵省極秘情報2』飛鳥新社
  • 小林道雄『日本警察腐敗の構造』ちくま文庫
  • 川北隆雄『官僚たちの縄張り』新潮社(新潮選書)、1999年。ISBN 4106005581
  • 神一行『警察官僚 完全版』角川書店角川文庫)、2000年。ISBN 4043533012
  • 西村健『霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち』中央公論新社中公新書ラクレ)、2002年。ISBN 4121500563
  • 宮崎哲弥、小野展克『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』中央公論新社(中公新書ラクレ)、2004年。ISBN 4121501195
  • 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』新潮社、2005年。ISBN 4104752010
  • 後藤裕美 『キャリア官僚になったアタシ。。。でも、挫折しました(>_<)―24歳女子が見た官僚と刑務所の世界 』雷鳥社、2011年。ISBN 978-4844135616

小説

漫画

テレビドラマ・映画

脚注

  1. ^ 和製英語。英語の「career」は一般に職業を意味する。
  2. ^ 特別職の職員の給与に関する法律(昭和二十四年法律第二百五十二号)”. e-Gov法令検索 (2018年11月30日). 2019年12月29日閲覧。 “2019年4月1日施行分”
  3. ^ 外務省改革に関する「変える会」・最終報告書
  4. ^ a b 特別職の職員の給与に関する法律で副大臣と同じ給与
  5. ^ a b 特別職の職員の給与に関する法律で大臣政務官と同じ給与
  6. ^ 「国家安全保障会議」について(「国家安全保障会議の創設に関する有識者会議」説明資料)”. 内閣官房 国家安全保障会議設置準備室. 2013年12月24日閲覧。
  7. ^ 特別職の職員の給与に関する法律で国務大臣と同じ給与
  8. ^ 検察官の俸給等に関する法律(昭和二十三年法律第七十六号)”. e-Gov法令検索 (2018年11月30日). 2019年12月29日閲覧。 “2018年11月30日施行分”
  9. ^ 例えば、戦後まもなく次官となった池田勇人佐藤栄作は当時いずれも40代であった。
  10. ^ 職務内容が国民への奉仕であり、数値化した業績の指標を出すことが難しい。
  11. ^ 「昨年の国家公務員法改正による能力・実績主義の導入と併せてこれらの改革を実施していくことによって、まさに採用試験の種類にとらわれず、能力ある多様な人材が能力と実績の評価に基づいて幹部候補として育成され幹部へと登用されていくようになり、現行のキャリアシステムは廃止され、根本的に異なる仕組みができ上がるものと考えております。」( 平成20年6月3日参議院内閣委員会における渡辺喜美行政改革担当大臣答弁)
  12. ^ 省庁の幹部人事決定 厚生次官に蒲原氏”. 日本経済新聞 (2017年7月4日). 2019年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
  13. ^ 「官邸人事」によって混乱に陥った農水省の知られざる悲劇 現代ビジネス 2019.02.28
  14. ^ 霞が関最大のタブー、技官間題を剥ぐ! (別冊宝島) 外野”. www.asyura2.com. 2019年10月19日閲覧。
  15. ^ 官吏のうち武官以外のものをいう。
  16. ^ 職業軍人に相当し、事実上の軍事的見地に立った補佐を担当する。
  17. ^ 第54期MD課程 第1期NB課程 卒業式 <陸上自衛隊幹部候補生学校>/自衛隊ニュース 981号 (2018年6月15日)”. www.boueinews.com. 防衛ホーム. 2019年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月16日閲覧。
  18. ^ 『2019年度入校 防衛医科大学校 医学教育部看護学生(自衛官候補看護学生)募集案内』(防衛省自衛隊)、1頁・11頁。
  19. ^ 旧裁判所職員I種・家庭裁判所調査官補I種
  20. ^ 最高裁判所事務総局は「司法省の戦後の再編成版」とも呼ばれ、これら最高裁判所事務総局の要職(事務総長・局長・課長など)の経験者は、その多くが後に最高裁判所裁判官(国務大臣級・最高裁判所長官を含む)や高等裁判所長官(認証官)へと昇進している(詳しくは「最高裁判所事務総局」の項を参照)
  21. ^ 最高裁大法廷:首席書記官に初の女性”. 毎日新聞. 2013年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月4日閲覧。 
  22. ^ 平成19年6月30日に成立した改正国家公務員法では、「職員の採用後の任用、給与その他の人事管理は、職員の採用年次及び合格した採用試験の種類にとらわれてはならず、第58条第3項に規定する場合を除くほか、人事評価に基づいて適切に行われなければならない。」(第27条の2)という条文が新たに加えられた。
  23. ^ 文科省 「ノンキャリア」職員が初めて局長に - NHK

参考文献

関連項目

外部リンク