キャリア (国家公務員)

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キャリア[1]とは、日本における国家公務員試験の総合職又は上級甲種又はI種(旧外務I種を含む)等に合格し、幹部候補生として中央省庁に採用された国家公務員の俗称である。

概説[編集]

キャリア制度[編集]

高級官僚とその候補生の登用、昇進のシステムがキャリア制度(キャリアシステム)と呼ばれる。採用時の試験区分によって選抜された幹部候補グループ(「キャリア」と呼ばれる)は、その他の職員(「ノンキャリア」と呼ばれる)と区別して一律に人事管理が行われ、より早いスピードで昇進、高級官僚ポストをほぼ独占する。しかし、各省庁ごとにシステムが若干異なり、また省庁ごとに違う意味で捉えられることが多いため、統一的な定義はない。またどういう人までをキャリアと呼ぶかも、各省庁で違う。国家I種の「行政」「法律」「経済」区分に合格した者を指すこともあるが、広義には技官を含めた国家I種合格者全体を指す。一方、法務省においては検察官がキャリアとして扱われたり、都道府県警察を含め多くの職員を有する警察組織においては国家II種警察庁採用の警察官について準キャリアと呼ぶ場合があるなど、例外もみられる。なお、「制度」とは呼ばれるものの現行のキャリア制度について法的根拠は存在せず、全くの慣行として事実上の運用がなされている。

昇格や給与などの待遇は他の公務員(ノンキャリア)と比べ物にならないほど良いと思われがちだが、明らかな差がつくのは入省して相当の経験を積んでからとなる。キャリアは法制担当など責任の重い職務が割り振られることが多い。また、定時終業など先ず望めず、退庁時間が非常に遅くなることも少なくない(ただ本省勤務者はノンキャリアも含め、概して退庁時間が遅いのが常態ではある)。ほぼ全員が本省室長クラスまで横並びで昇進し、その後の出世競争から脱落した者は省庁の地方支分部局地方公共団体外郭団体などの幹部職員として出向したり、民間企業に再就職あるいは政治家に転身する。一部は高級官僚(慣例的に本省局長クラス以上を指す)まで昇進し、一般に同期入省又は後年入省の事務次官が誕生するまでに、同年次のキャリアは定年を待たずに退官する。

なお、日本銀行や元々国の機関であった組織(旧鉄道省日本国有鉄道JRや旧電気通信省日本電信電話公社NTT、旧郵政省郵政公社JP)も、特定大学出身者の優遇などといった形でキャリア制度が残存し、特殊法人地方公務員や戦前からある大企業でも、キャリア制度に類似した採用、昇進のシステムを存続させているところもある。

キャリア公務員の頂点[編集]

キャリアの一般的な最高職は事務次官警察庁においては警察庁長官)。外務省法務省では、一部の特命全権大使(例として駐米大使)、検事総長検事長の方が待遇は格上である[2]など例外も存在する。

一般的に、各省庁の事務次官を越えたキャリア官僚の頂点とされるのが内閣官房内閣官房副長官(事務担当)である。同職は副大臣級で特別職認証官であり、閣議への陪席も認められ、事務次官等会議を主催している。旧内務省系官庁の事務次官・長官経験者が就任するのが慣例となっている。また、この内閣官房副長官を補佐する内閣危機管理監国家安全保障局長は同位であり政権中枢の業務を担うことから[3]、事務次官に匹敵するか、それ以上の格とみなされることもあり[4]、いずれも特別職となっている。

また、内閣法制局の長である内閣法制局長官は認証官ではないが慣例的に閣議への陪席が認められ、内閣官房副長官と同様に副大臣級の官職である。

官僚出身者が就任する例の多い人事院総裁会計検査院長は、更に格上の国務大臣級の特別職の認証官である。

キャリア制度の歴史[編集]

「高等官七等」辞令書。上は埼玉県警察部の某警視に、下は埼玉県庁の某理事官に発令されたもの

キャリア制度とは、明治時代に日本を近代国家にするためドイツの公務員採用制度を参考にし、1888年にスタートした試補制度に起源をもつ。このときには帝国大学出身者は無試験で任用できるようにし、不足した人数を帝国大学出身者以外の試験選抜という形で採用した。もっとも、帝国大学卒業者の無試験任用には批判が多く、1894年高等文官試験(高文試験)と呼ばれる今のキャリア採用制度と同様な制度が誕生した。高文合格者は高等官と呼ばれたが、他の官吏(判任官など)とは勅令によって厳格に区別され、現在のキャリアと比べても極めて速いスピードで昇進した[5]

戦後、GHQは従来の身分制的な公務員制度を改めるべく、アメリカ的な職階制の導入をはじめ様々な改革を試みたが、各省の抵抗もあって不徹底に終わった。高文試験は名前を変え国家上級を経て国家I種となったが、採用制度と昇進制度は殆ど変化していない。戦後は制度上廃止された高等官に代わり、「キャリア」の語が俗称として定着した。

武官については、陸軍大学校海軍大学校卒業者が高文合格者に類似した形で各軍における指導的な地位についていた(ただし、大学校を卒業していないものでも将官まで昇進する場合も散見された)。戦後に創設された自衛隊自衛官においては、防衛研究所一般課程、各自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程幹部高級課程統合幕僚学校一般課程(2006年廃止、以降統合高級課程)及び外国陸・海・空軍大学等の卒業生が指導的地位に昇進している。

明治以来の高等文官制度、及び戦後それを非公式に継承したキャリア制度は、世襲や門閥、藩閥による高級官僚登用を防ぎ、かつ職員間の過当競争を回避し[6]、日本の近代国家化・発展に大きな役割を果たした。

2008年に成立した国家公務員制度改革基本法に基づき、国家I種・II種・III種試験は2011年度を最後に廃止され、2012年度から「総合職(院卒者試験、大卒程度試験)」「一般職(大卒程度・高卒程度)」「専門職」区分による国家公務員採用試験が導入された。新たに設けられた「総合職試験」は「政策の企画立案に係る高い能力」を試す試験とされたが、幹部候補の育成については、別途幹部候補育成課程を設けるものとし、課程対象者の選定については、採用後、一定期間の勤務経験を経た職員の中から、本人の希望及び人事評価に基づいて随時行うものとされている。

この制度変更によって「現行のキャリアシステムは廃止され、根本的に異なる仕組みができ上がる」と当時の渡辺喜美行政改革担当大臣は国会で答弁[7]しているが、実際の運用においては、総合職試験は旧I種試験を、一般職試験はII種試験及びIII種試験を継承するものと見なされており、キャリア制度の修正には至っていない。

なお、古代から官僚は存在し、資格任用制による官僚登用制度も存在していた(中国の科挙など)。しかしそれは、日本では基本的に貴族武士を対象とした世襲と門閥即ち家系によるものであり、庶民が高級官僚になることは実際には厳しいものだった。やや例外的に、平安時代は、方略試という官僚登用試験が存在していた。この試験は当時の大学院生が対象であり、また当時の大学(大学寮)は入学資格として、五位以上の官人の子弟であることが要求されるが、初期の大学寮は聡明な者なら無位の者でも入学が許され、大学寮での成績が優秀な学生であるなら式部省が行う官人登用試験である進士を受験し合格すれば官人になる道もあった。稀なことではあるが庶民から進士に合格し下級官人となり、最終的に貴族にまでなった人物として勇山文継が知られている。江戸時代では、旗本御家人の子弟のみを対象とした官僚採用試験が行われていた。

キャリアの現状[編集]

戦前まで、高等官の採用数は昭和一桁時代までの旧大蔵省が5〜10人前後であったように現在のそれと比べれば少なかった。とりわけ戦後になって、各省ともキャリアの採用数を増やした為、全員が局長まで辿り着けず、キャリア各人のモチベーションの維持にも大きな作用があったことが指摘されている。

1980年代までは、事務官として採用されると30歳で地方の税務署長、警察署長、郵便局長等になり[8]、また本省課長クラスにもなると大企業の社長に行政指導という形で号令をかける立場になれ、更には天下りして約70歳までは職に困ることは無いばかりか、生涯賃金で多くの民間企業を圧倒するということで、非常に人気が高かった。しかし経済のグローバル化による政府の存在感の相対的な低下、および民間企業などとの給料の格差や著しいサービス残業、不祥事の頻発とマスコミの公務員バッシングによるイメージの低下等から、民間企業(主に外資系)への人材の流出が指摘されている。

一方で、低成長時代への突入とともに民間企業の魅力も落ちていること、就職の際の競合相手である法曹界が法科大学院制度導入とともに先行き不透明になっていること、自民党民主党双方が官界出身の政策通議員をより幅広く受け入れるようになったことなどから、依然としてある程度の人気を保っている。

人事院[編集]

人事院のキャリアは、人事院規則などの法令の改正作業や企画立案、査定業務などの重要ポストを早くから経験し、他省庁などへの出向の機会も早くから与えられる。通常、係長には5年目以降に、課長補佐には10年目以降に昇進する(通常、ノンキャリアは係長になるまでに10年以上、課長補佐になるまでには20年以上かかる)。人事院の事務方トップは、事務総長(次官級)である。

内閣府[編集]

内閣府キャリアは、内閣府本府のほか、旧国民生活局を改組した消費者庁などに出向している。宮内庁金融庁警察庁及び公正取引委員会は内閣府の外局であるが、完全な別採用であり、人事も独立している(なお、宮内庁では現在事務系キャリアの採用を行っていない)。内閣官房同様、政府のその時々の課題に応じ、臨時の組織が設置されることが多いが、その場合の組織は、ほとんどは他省庁からの出向者で占められる。

警察庁[編集]

警察官警察庁の旧国家I種採用者・旧国家II種採用者と、都道府県採用者(旧国家Ⅲ種採用相当)に大きく分かれており、その区別は現在、各省庁のなかでは最も厳しい。また、警察官の場合、役職以外に階級による区分もあるため、他の省庁より一層差別化が進んでいる。警部補を初任とする国家l種採用者(キャリア)は採用7年目に無試験で警視に一斉昇任する。他方、巡査を初任とする都道府県採用者(いわゆる「ノンキャリア」)で警視に昇任する者の数は少なく、最も早く昇任したとしても学歴に関係なく45歳程度であるため、両者の格差は大きい。

警察庁には他省における大臣副大臣大臣政務官のような政治家が任用されるポストは一切なく、事務次官級の警察庁長官を初め、幹部ポストには全て警察官僚(行政官)が就任する。このため、日本の警察組織は国家組織の中でもとりわけ官僚主導型の運営がなされている。国家公安委員会は警察庁を管理するが、行政機関であるため、国務大臣たる国家公安委員会委員長が日本警察のトップという位置付けにはならない。

なお、旧・国家II種試験に合格して警察庁に採用された警察官は巡査部長を初任とし、キャリアと同様に無試験で昇任するなど、都道府県採用者に比べ有利に処遇されている。このため、公務員試験受験生の間では準キャリアと称されることもある。しかし、最高幹部(警察庁長官や警視総監警視監)へ至ることができないと見込まれる点では、他省庁の国家II種採用者と同様である。ただし、昭和61年に始まったこの制度の歴史はまだ浅く、それ以前は都道府県警察採用の警察官が推薦を受けて警察庁に入庁する制度が存在した。 なお、この制度の歴史は比較的新しいものであり、以前は、都道府県採用の警察官が推薦を受けて警察庁に転籍する制度が存在し(警察庁中堅・県警幹部候補)、それは非常に名誉なこととされたが、時代の変遷とともに若手職員の価値観が変わり、昇進・名誉よりも霞が関での激務や全国規模での転勤を敬遠する傾向が見られ、制度が形骸化したことも背景にある。キャリア・準キャリアとして採用された警察官は階級に関係なく国家公務員としての立場が確立するため、都道府県を跨ぐ全国異動がある。一方、ノンキャリアとして採用された警察官は都道府県単位で採用された地方公務員であるため、立場が国家公務員の扱いとなる警視正以上の階級に昇任しない限り都道府県を跨ぐ人事異動は無い。ただし、転籍届により他都道府県警察に移籍という形を採ることができる。ノンキャリアが都道府県を跨ぐ人事異動の例外的な例としては、人事交流が在る。この制度は違う都道府県警察同士がお互いに異動者を出す方式であり、一方的に異動する人事とは性格が異なる。

以上は警察官の場合であるが、キャリア技官の最高位は、警察庁情報通信局長である。キャリアは本省でのみ採用される。技官や事務官には階級がない。なお、技官のキャリアでも警察本部長に就任する場合があり、その場合は警察官として警視長の階級が付与される。

公正取引委員会[編集]

公正取引委員会のキャリアは、事務系から毎年4名程度採用している。同委員会の所管法律は独占禁止法下請法官製談合防止法の三法のみであるが、その適用範囲は広汎であり、職権行使の独立性と広範な裁量(準立法機能等)を付与されていることが特徴である。キャリアも独占禁止法のスペシャリストとして経験を積んでいくこととなり、退職後に法学部の教授に就任する例も多い。

金融庁[編集]

金融庁は、平成10年に発足した金融監督庁が平成12年に改組して成立した比較的新しい官庁であり、金融庁(金融監督庁)採用のキャリア1期生は平成11年採用である。このため、現段階では、旧大蔵省出身者が同庁幹部(課長級以上)の大半を占めている。

総務省[編集]

総務省は、旧総務庁・旧自治省・旧郵政省の3省庁の統合によって成立した。

自治系キャリアは、地方公共団体の幹部として出向して経験を積む機会が多く与えられる。早い者であれば30歳を前にして市役所の部長・都道府県の課長クラスに、さらに40歳前後で県の部長や政令市の局長に就任する。その後、県の副知事や政令市の副市長など最高幹部として派遣される者も少なくなく、そのまま知事選や市長選に出馬し当選する者も多い。なお、国家II種試験を経て自治系職員として採用された職員も、地方公共団体の管理職として出向することが多い。

総務省発足後の歴代総務事務次官は、前身の3省庁のうち、自治省出身者が最も多い。

法務省・検察庁[編集]

法務省は、防衛省自衛官厚生労働省医系技官と並んで、他省庁と異なったキャリア制度が採用されている官庁である。法務省のキャリアは、国家I種試験を経て法務省に採用された者と、司法試験を経て検察官ないし裁判官として採用後に法務省に出向している者(ただし、裁判官は法務省に出向する際は検事に転官する)に分けられ、後者が前者に比べ優位な地位に立っている。

もっとも、検事の場合、採用の段階で法務省の幹部候補として歩むこととなる者4~5名を事実上色分けして採用しており、彼らのみ通常の検事とは異なるキャリアパスを歩む(法務省本省での勤務、海外留学、在外公館勤務が多い等)こととなり、その他大勢の検事は退官まで検察の現場で働くこととなるため、検事が他省庁におけるキャリア組にそのまま相当する訳ではない(なお、採用時に幹部候補でなかった検事が後に法務省の幹部候補に合流することもある。)。

法務本省の要職の多くは、検事(裁判官からの転官者を含む)で占められ、国家I種採用者が本省の局長になるケースは例外的である。法務省では、事務次官検事総長を頂点とする検察庁のピラミッドの一過程として位置づけられており、刑事局長を経験した検事が法務事務次官、次長検事東京高等検察庁検事長等の要職を経て、検事総長あるいは最高裁判所判事に至るのが最高の出世コースと言われる。このように法務省は、人事面でも検察庁と密接な関係を有している。

国家I種採用の事務官にも局長級のポストは存在するが、出世においては、平均すると技官よりは恵まれているものの、事務次官・本省局長となれる可能性は低く、他省庁のキャリアに比べると不遇といえる。その反面、採用数が少ないことで他省庁ほど激しい競争もなく、ほぼ全員が本省課長級から審議官・管区局長級(指定職1号以上)まで昇進でき、強制的に天下りさせられることもない。トップに立てない代わりに比較的安定したキャリアといえる。これまでに本省局長に就任した事務系キャリアは、矯正局長1名(2016年就任)及び入国管理局長2名(2006年と2011年就任)である(なお矯正局長1名(2013年就任)は刑務官出身でキャリアではない)。

法務省は局ごとの縦割り意識が非常に強く、国家l種採用者の人事も、民事局 - 法務局矯正局 - 矯正管区、入国管理局 - 地方入国管理局などの局別に縦割りで行われている(総務省厚生労働省などの省庁再編に起因する縦割り行政ではなく、霞が関最古参の省の一つで、100年以上大きな組織改編もなく存続したことにより、各組織が細分化したことや、出自に違いがあること(例: 入国管理局が外務省から移管されたものである等)に起因するとみられている)。そのため、国家l種の採用も形式上は省として一括採用している。

外務省[編集]

かつては外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく独自の「外務公務員採用I種試験」(いわゆる外交官試験)によりキャリアを採用していた。キャリアの多くが最終的に特命全権大使になるなど処遇の高さから人気が高く、合格者名簿の有効期間が1年(上級職の名簿は3年)しかなかったため、合格者の中には大学を中退し入省した者も多くいたほどである。一方で、合格者の中に他省庁と比較して外交官の子弟が多いことや、外交官が特権意識を抱きがちなことが問題視され、それらのことと外交官試験が独立していることとの関連が指摘され続けた。2001年より、外務キャリアは他省庁と同様に旧国家公務員採用I種試験合格者から採用されていた。

財務省[編集]

大蔵省財務省では、財務本省のほか、税関財務局および国税庁がそれぞれ独自にキャリアを採用している。しかし、本省課長級以上のポストのほとんどは本省採用キャリアで占められ、キャリアといえども局・庁採用者は本省・本庁の一部の課長もしくは地方支分部局の長までしか昇進できないのが実状である。

以前は財務省本省で採用されると入省5~6年目(30歳前後)で地方の税務署長に就任する慣行があったが、大蔵省接待汚職事件に端を発する大蔵省改革の中で、税務署長に就任するのは原則35歳以上とするように運用が改められた。

文部科学省[編集]

文部科学省は省庁再編後、事務系・技術系・施設系の3つに分けてI種採用がなされる。

事務系と技術系は旧文部省・旧科学技術庁の事務官(理系出身の者を含む)の流れを汲むもので、官庁訪問の窓口は、官房人事課の各担当になる。昇任昇格はほぼ対等で、入省3〜4年で係長級、7年で課長補佐級、17年で企画官、22年前後で課長級。係長級の段階で海外留学へ、課長補佐級になる段階で国立大学の部長や各地方公共団体教育委員会の課長として出向する場合がある。他省庁への出向もある。従来I種採用者は本省課長までは同期が対等に就くことができたが、省庁再編による課長クラスの減少で、課長補佐・企画官の段階で外部への出向を兼ねてフェードアウトするケースが出てきている。なお最近ではI種新採用者が減少しているため、I種採用者が係員のまま(昇任せずに)係長の席に就くケースや、従来I種採用者の係員・係長がいた席(主に各課の法規・企画ライン)に補充的に本省II種採用者を就かせるケースが出てきている。また、昨今の教育改革政策により大臣官房や初等中等教育局等でのプロジェクトチームの増設により(特に中堅の)I種採用者をこれらの非常設のチームに投入する一方で、他局原課への(特に中堅の)I種採用者の配置が不足しているという指摘もなされている。

課長級以上においては、原課の課長から各局筆頭課長、総括官、官房審議官、部長、局長(次長)、文部科学審議官事務次官があるが、他省庁と同様に選抜が始まり、徐々に内部に残る者が減少する。この段階では、従来は各地方公共団体の教育委員会への教育長ポストへの出向や、国立大学・青少年の家などの文部科学省の施設等機関に出向することが多かったが、地方分権化や施設等機関の大学法人化・独法化により、徐々に出向先が減り、その結果、内部での昇進が遅くなっている。

施設系のI種採用者は主に国家公務員採用I種試験の「理工I」(旧建築)区分合格者から採用され、大臣官房の文教施設企画部が官庁訪問の窓口である。採用後は同部を中心に国立大学等にも出向する。

厚生労働省[編集]

厚生労働省では、国家公務員採用I種試験合格者に加え、医師歯科医師である医系技官もキャリアに準じた扱いとされる。ただし、医系技官は局長(医政局長、健康局長、老健局長。このうち2つが医系技官に割り当てられる。)が最高位であり、事務次官に就任した例はない。また、旧厚生省採用と、旧労働省採用の幹部については人事上の統合は進んでいないが、中央省庁再編以後に採用された平成12年採用以降は一括採用しており、厚生部局と労働部局を交互に経験させるなど統合が進んでいる。また、厚生労働省は旧内務省系官庁にあたり、事務次官経験者は、内閣官房副長官宮内庁長官に進む例もある。

国土交通省[編集]

国土交通省技官の強い、巨大官庁である。技官が事務次官になれるのは、ここと文部科学省のみである。しかし、異動等においてキャリア事務官は本省内にとどまり早い段階で本省課長に就任できるものの、技官(試験職種問わず)は全国の出先機関(地方整備局、各事務所、公益法人等)や地方公共団体の要職(所長、室長・部長級役職)として出向することが多いと言われている。そのため事務官よりも昇進は遅れがちになる。

技官で事務次官に就任できるのは、技監次官級で技官の最高職)経験者のみである。技監は道路局長または水管理・国土保全局長(旧河川局長)経験者のみが就任できる。また、道路局企画課、水管理・国土保全局河川計画課は予算配分権限を担うとともに、建設技官中心で構成されるのが特徴であり、力の源泉となっていると言えよう。運輸技官については、省庁再編によって建設技官との統合を図ったものの、国土交通省になってからも、旧運輸省技官出身者の局長が技監に就任する可能性は未だ出てきていない。その代わり、旧運輸省技官出身の局長経験者が就任する技術総括審議官を技監の運輸側カウンターパートとみなして事実上局長よりも高位に取扱っている。旧建設技官の中でも試験区分により区別があり、「土木」が一番強い。「土木」以外の職種である「砂防(砂防部長)」、「建築(住宅局長(事務官と交互)・官庁営繕部長)」、「機械・電気・電子(海事局長(事務官と交互)、自動車局次長、航空局安全部長)」などは原則的に( )内のポストまでしか昇進できない(ただし、例外はある)。技官が本省局長に就任できる局は道路局、水管理・国土保全局、住宅局、海事局、港湾局、北海道局のいずれかで、技術的な行政能力・判断を特に必要とする部局のみ(技官の就任できる指定職ポストは他に各地方整備局長、一部の地方運輸局長、大阪航空局長、北海道開発局長、国土技術政策総合研究所長をはじめ、国土地理院長、気象庁長官、技術総括審議官など)。なお、外局である海上保安庁の長官・次長はこれまで例外なく旧運輸省出身のキャリアが就任するのが通例となっていたが、2013年に初めてプロパー(生え抜き)の海上保安大学校出身者が長官職に就いた。

防衛省・自衛隊[編集]

自衛隊員自衛官だけでなく、事務官技官防衛省職員も含む)の身分は、ほぼ全員が特別職国家公務員である。各幕僚監部等に所属する自衛官(いわゆる「制服組」)は、軍事的見地から防衛大臣を補佐するのに対し、背広組は政策的・法律的見地から大臣を補佐する。防衛キャリアは20代後半で「部員」と呼ばれる他省の「課長補佐」に相当するポストに昇進し、事務官は事務次官等の最高幹部まで昇進が可能である。一方、技官の防衛省I種採用者は防衛装備庁長官等が最高ポストである。なお、防衛省II種試験採用者が「部員」相当級へ昇進するのは早くとも30代後半以降になる。

他官庁では、政策系部局と実施系部局が混在しているのが当然であるが、防衛省における実施系の部局は各幕や機関等に属するため内局は全体として政策系を担当する。このため人事が狭い範囲にとどまっていることには賛否両論がある。2006年の旧防衛施設庁(現: 防衛省地方協力局)技術審議官他3名が天下りを背景にした官製談合で逮捕された防衛施設庁談合事件は記憶に新しく、防衛庁(現: 防衛省)発表資料を見る限り、これらセクショナリズムの弊害を是正しようという動きが起こっているようである。

キャリアの採用人数が局長級ポストより少なかった時代は、人数・能力ともに他省庁から格段に見劣りしていたため、大蔵・警察などから送り込まれた出向者により課長級以上のポストの大多数が占められており、植民地省庁と言われていた。しかし、近年のキャリア採用人数の大幅な拡大と、学生間での(防衛省)人気の高まりにより優秀な人材が集まるようになり、現在は内局課長級以上のポストのほぼ全てをプロパー(生え抜き)の人間が占めるに至る。

なお、武官(職業軍人)のうち士官に相当する幹部自衛官は、文官(民間人)ではないためキャリアとは呼ばれないが、彼らは制服最高ポストである統合幕僚長(俸給表上は、事務次官警察庁長官等と同様、指定職8号の俸給を受ける)を頂点とし、陸・海・空の各幕僚長まで上り詰めることが可能であり、指定職ポストは事務系・技術系を合わせた文官ポストの指定職よりも多く、指揮する部下の数も桁違いに多い。実際上、官吏には文官と武官が存在するのが国家であり、自衛官を武官と考えれば、公務員の職階上は理解がしやすい。

幹部自衛官は基本的に防衛大学校出身者及び、一般大学出身で幹部候補生採用試験により採用される『一般幹部』は、一尉までは横並びに昇進するが、それから先は各人に差が出る。さらに『上級の幹部』を養成する幹部学校で教育を受けた者は、一佐まではほぼ確実に昇進する。さらに言えば、幹部学校の指揮幕僚課程を修めた自衛官が、キャリア相応の待遇を受けると考えてよい。一佐は各幕僚監部(統幕陸幕海幕空幕)の課長職や、連隊長艦長等に補せられ、数百名の人員を指揮し、場合によっては1千億円を超える装備に対する責任を負う。なお、師団長司令官、各幕の幕僚長等は将官のポストである。

防衛医科大学校出身者は医師国家試験に合格すれば『医科幹部』として二尉で任官する。部隊の指揮よりも医師として自衛隊病院での勤務が中心であり、厚労省の医系技官よりも国立病院で勤務する公務員医師に近い存在である。

他省庁との違いとして、防衛省では防大や防医大、一般大以外にも、幹部への昇進が確約される採用区分(航空学生)、一般隊員から選抜する制度(部内選抜試験、陸曹航空操縦学生)など高卒者でも幹部に昇進できる制度が複数存在する。またこれらには陸上自衛隊高等工科学校から進むことも出来るため、制度上は中卒で防衛省に入省[9]し最高ポストまで昇進が可能である。しかし内部的には『一般幹部』、『医科幹部』、航空学生や陸曹航空操縦学生ら『飛行幹部』、部内選抜者などは入隊の時点で人事的に区別されており、それぞれ横並び昇進の限度やスピードが異なるなど格差が存在する。なお複数人が陸上自衛隊生徒[10]から防大や一般大を経由して陸将に昇進しているが、2016年現在、各幕の幕僚長まで昇進できた例は無い。この他に大卒程度の社会人から公募する公募幹部課程など外部からの中途採用枠も存在し、同様に制度上は最高ポストまで昇進が可能である。

行政組織法上の「特別の機関」たる陸上・海上幕僚監部は、それぞれ陸軍省参謀本部海軍省軍令部両方の機能を持っており、それを内局が内閣の一員の省として調整するという組織構成である。つまり、軍政・軍令を内局・幕僚監部が完全に分化して所掌するのではなく、幕僚監部の軍令・軍政事務を、内局が包括的に管理し調整するという融合型の組織形態がとられている。企画立案・政策実施(運用)を二段階で行う以上、内局と幕僚監部には同程度のカウンタパート(例えば内局の防衛政策課と陸幕の防衛課のように)が必要であり、この点において幕僚監部の課長は、戦前における陸・海軍省の課長と同等の職階(俸給制度上も同様)であり、中央省庁の課長級と同じ職階であると意識してよい。頻繁に各幕に勤務するような旧軍で言う「軍官僚」的な自衛官も多数存在している。

裁判所[編集]

裁判所は日本国憲法の三権分立の原則に基づき、行政府より独立しているものの、裁判所職員の身分は特別職の国家公務員である。裁判所キャリアは裁判所職員採用総合職試験(法律経済・人間科学区分(旧裁判所職員I種・家庭裁判所調査官補I種))を行政府とは別途設けてこれを採用しているが、司法行政の中心をなす最高裁判所事務総局の事務総長、事務次長並びに各局局長は全てキャリア裁判官によって占められており、法務省・検察庁と同様法曹有資格者がその中心をなしている。最高裁判所事務総局は「司法省の戦後の再編成版」とも呼ばれ、これら最高裁判所事務総局の要職(事務総長・局長・課長など)の経験者は、その多くが後に最高裁判所裁判官(国務大臣級・最高裁判所長官を含む)や高等裁判所長官(認証官)へと昇進している(詳しくは「最高裁判所事務総局」の項を参照)。また三権の一府であることから事務方の担当する指定職ポストも少なからず存在しており、大庁(東京や大阪等の大都市各裁判所)の事務局長や首席家庭裁判所調査官等は概ね一般行政職の指定職俸給表に準じた俸給が支払われる。またこれらの中から一部の人間は最高裁判所大法廷首席書記官最高裁判所事務総局家庭審議官など最高裁判所における重要ポストに昇ることもある。別途試験を受ける事により、簡易裁判所判事執行官副検事などへの道も開かれている。2013年8月1日付で最高裁判所大法廷首席書記官に初の女性が起用された[11]

キャリア制度の問題[編集]

キャリア制度については、優秀な人材の誘致、幹部職員の早期育成・高い士気の維持といった観点からその有効性を評価する意見がある一方で、戦前の高等文官試験を継承し、法令になんらの根拠を持たない非民主的システムとの批判がある。そもそも、国家公務員法は「職員が、民主的な方法で、選択され、かつ、指導される」(第1条第1項)、「すべて職員の任用は、能力の実証に基づいて、これを行う」(第33条第1項)と、職員の民主的な任用のために成績主義を根本原則として規定しており、採用時の1回限りの試験で幹部職員の選抜を行う人事管理は想定していない。過去の国家公務員採用上級甲種試験もI種試験も、人事院規則により創設された単なる大学卒業者を採用するための試験の一つに過ぎず、それに合格し採用されることは、幹部候補としての資格免許を法制度上与えられるものではない[12]

また、キャリア職員を中心とした早期退職慣行がいわゆる「天下り」の温床となっていること、採用時の1回限りの試験で幹部要員の選抜を行うため、優秀なノンキャリア職員の意欲を削いだり、キャリア職員の誤った特権意識につながる場合があるなどの問題点が指摘されている。試験区分、出身大学、および性別による区別、差別も問題化している。特に事務官(国家I種の場合、試験区分が「行政」「法律」「経済」)と技官(国家I種の場合、かつての「機械」「建築」「土木」など)の確執は根強い。例としては旧建設省(現: 国土交通省)で技官キャリアが、事務官との“パワーバランス”により、1949年より事務次官就任への道が開かれたことが挙げられる。

技官・事務官の処遇(例: 国土交通省)[編集]

内務省が存在していた1935年、土木局(現: 国土交通省)において技官事務官の人事面における内紛が勃発した。当時、局長・課長等の主要ポストに就任できたのは法文系の事務官のみであった。社会資本整備で技官主導(現在とは違い戦前は、調査、設計、施工監理、管理等を全て技官が担当していた)が最も必要とされた土木局において技官はことのほか“蔑視”されており、昇格したとしても良くて地方出張所長(今で言う地方整備局長)等に甘んじるなど、長らく苦汁をなめていた。当時の土木局技監(当時の技術官僚の最高職で、土木局の次長職相当)だった青山士(土木学会23代会長、パナマ運河建設従事者)でさえも、技監でありながら一度も本省勤務できなかった有様であったといわれる。技官の不満は、戦時中に待遇改善の是正などを求めたが受け入れてもらえず、宮本武之輔ら技官の不満は頂点に達した。結果、内紛が生じ、青山がその責任を取る形で技監を辞職した。

ノンキャリアの処遇[編集]

ノンキャリアとは、公務員試験で国家公務員採用I種試験(旧外務公務員採用I種試験を含む)以外の試験に合格し、採用された公務員を指す俗称である(ただし、厚生労働省の医系技官・法務省の検事は除き、防衛大学校卒業後防衛省に採用された自衛官も除くことがある)。広義には地方公務員も含むが、キャリアの概念が一様でないため、ノンキャリアの概念も一律に定義することは難しい。

キャリア制度の元では、キャリアでない者=ノンキャリアは事務次官など高位の職への昇格・昇進が望めず、現状ではどんなに出世した者でも本省の課長級(本省以外においては小規模管区の局長等)までの昇進で終わることが多く、また同じ「課長職」であっても、キャリアが着任するポストとは分けられていることが多い。そのため、ノンキャリア職員のモチベーション維持や、身分制的な待遇差から生じるキャリア職員との感情的な軋轢などが問題となっている。また、近年ではノンキャリア職員の高学歴化が進み、キャリア職員との待遇の格差が以前ほどの正当性を得られなくなってきたとの指摘もある。

昨今のキャリア制度批判を受け、最近はわずかではあるがノンキャリアにも指定職など幹部への扉が開きつつある(例: 2011年、外務省領事局長に初めてノンキャリア出身のキャリア職員が着任した(沼田幹男)。ただし、外務省のキャリアは外務公務員I種試験であったため、他省庁と若干相違がある事を留意しなければならない。また、2013年には、法務省矯正局長に検事以外初で、さらにノンキャリアで刑務官出身職員が着任した(西田博))。人事院は、ノンキャリア職員の幹部登用を進めるため、1999年に「II種・III種等採用職員の幹部職員への登用の推進に関する指針」を作成し各省庁に対し計画的育成者の選抜、育成を促すとともに人事院公務員研修所においてII種・III種等採用職員の登用研修を始めている。

平成24年度より、国家公務員採用I種試験、II種試験及びIII種試験は、国家公務員採用総合職試験(院卒者試験、大卒程度試験)及び一般職試験(大卒程度試験、高卒者試験)などに再編された。

キャリアを扱った作品[編集]

ノンフィクション[編集]

  • 松本清張『現代官僚論』文藝春秋社、1963年
  • 草柳大蔵『官僚王国論』文藝春秋社、1975年
  • 柿澤弘治『霞ヶ関3丁目の大蔵官僚は、メガネをかけたドブネズミといわれる挫折感に悩む凄いエリートたちから』学陽書房、1977年
  • テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』飛鳥新社
  • テリー伊藤『大蔵官僚の復讐―お笑い大蔵省極秘情報2』飛鳥新社
  • 小林道雄『日本警察腐敗の構造』ちくま文庫
  • 川北隆雄『官僚たちの縄張り』新潮社(新潮選書)、1999年。ISBN 4106005581
  • 神一行『警察官僚 完全版』角川書店角川文庫)、2000年。ISBN 4043533012
  • 西村健『霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち』中央公論新社中公新書ラクレ)、2002年。ISBN 4121500563
  • 宮崎哲弥、小野展克『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』中央公論新社(中公新書ラクレ)、2004年。ISBN 4121501195
  • 佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』新潮社、2005年。ISBN 4104752010

小説[編集]

漫画[編集]

テレビドラマ・映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 和製英語。なお英語の「career」とは一般に職業を意味する。
  2. ^ ただし外務省においては、2001年頃に明らかになった不祥事を受けた改革により、事務次官を名実ともに外務官僚の第一人者として指導力・求心力を強化し、またキャリアの最終ポストとすべきとの報告(外務省改革に関する「変える会」・最終報告書)が提出されたこともあって、以後は事務次官経験者が大使職についた例は1例を除いてない。事務次官#外務省における事務次官も参照。
  3. ^ 「国家安全保障会議」について(「国家安全保障会議の創設に関する有識者会議」説明資料)”. 内閣官房 国家安全保障会議設置準備室. 2013年12月24日閲覧。
  4. ^ 初代国家安全保障局長の谷内正太郎は元外務次官。
  5. ^ 例えば、戦後まもなく次官となった池田勇人佐藤栄作は当時いずれも40代であった。
  6. ^ 職務内容が国民への奉仕であり、数値化した業績の指標を出すことが難しい。
  7. ^ 「昨年の国家公務員法改正による能力・実績主義の導入と併せてこれらの改革を実施していくことによって、まさに採用試験の種類にとらわれず、能力ある多様な人材が能力と実績の評価に基づいて幹部候補として育成され幹部へと登用されていくようになり、現行のキャリアシステムは廃止され、根本的に異なる仕組みができ上がるものと考えております。」( 平成20年6月3日参議院内閣委員会における渡辺喜美行政改革担当大臣答弁)
  8. ^ 実際の現場を知らないため、ベテランの総務部長に「おんぶにだっこ」状態であり、第一線の職員達からは“現場を知らぬバカ殿”との陰口も聞かれた。一方、叩き上げのように細かいことまで容喙してこないので仕事がやりやすいと言う意見もある。なお、現在では20代で署長になることは無くなり、社会、業務経験のある35歳前後とするようになっている。
  9. ^ 陸上自衛隊高等工科学校の高等工科学校生徒自衛隊員防衛省職員)であり、課程を修了すると高等学校卒業資格を得る。
  10. ^ 旧制度であり現在は高等工科学校生徒に改定
  11. ^ 最高裁大法廷:首席書記官に初の女性”. 毎日新聞. 2013年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。... 
  12. ^ 平成19年6月30日に成立した改正国家公務員法では、「職員の採用後の任用、給与その他の人事管理は、職員の採用年次及び合格した採用試験の種類にとらわれてはならず、第58条第3項に規定する場合を除くほか、人事評価に基づいて適切に行われなければならない。」(第27条の2)という条文が新たに加えられた。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]