久夛良木健

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久夛良木 健

久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年8月2日 -)は日本技術者経営者である。 ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)の代表取締役社長、後、2001年執行役員制の導入によりCEO兼任した。2003年4月から2005年3月までは、ソニーの 副社長 兼 COO を務めた。2006年12月1日付で社長職を退き、代表取締役会長 兼 グループCEOに就任。2007年6月19日の任期満了を持って取締役を退任し、SCEIの名誉会長に就任した。

2009年4月より、立命館大学大学院の客員教授に就任。

「夛」は「多」の異体字であるため、の「久夛良木」は「久多良木」と表記されることもある。

目次

経歴・人物

東京都江東区生まれ。

1975年電気通信大学からソニーに入社し、技術者として研究所に勤めた。

1980年代後半に任天堂家庭用ゲーム機の開発を手がけた。その後、任天堂との提携が決裂し、ソニー独自の家庭用ゲーム機開発にのりだした。ソニー社内では、独自の家庭用ゲーム機の開発、販売に否定的な意見がほとんどであったが、当時ソニーの社長であった大賀典雄を説得し、社内ベンチャー・カーブアウトによりSCEを設立。プレイステーションの発売を実現した。その後のプレイステーション2などと併せて、ゲーム業界において記録的な大成功を収めた。

2003年4月にはソニー本体の取締役およびホームエレクトロニクス・ゲーム・半導体部門を統括する執行役副社長に就任したが、ソニー本体、特にエレクトロニクス部門の不振や自身が推奨し開発したPSXの失敗などが解消できず、責任をとる形で2005年3月に副社長を退任し、SCEの経営に専念することとなった。

2004年4月には雑誌『TIME』が公表した「世界で最も影響ある100人」に選ばれるものの[1]、そのわずか2年後の2006年6月には、CNNが公表した「重要ではない人物10人」の中の一人として、マイクロソフトCEOのスティーブ・バルマーLinuxカーネル開発者のリーナス・トーバルズなどとともに選出された[2]

2005年3月、ロサンゼルスで行われたElectronic Entertainment Expo(E3)にてプレイステーション3(外観とスペックのみ)を公開した。5月には、SCEがPS3のプレスリリースを出している。

2006年に自身が念願であった10億円の豪邸を建てたとして話題になった。

2006年12月、ソニーのハワード・ストリンガー会長によりSCEグループの会長に“棚上げ”。後任としてSCEアメリカ社長だった平井一夫がSCE社長兼グループCOOに就任。

2007年4月26日ソニーの取締役会に対して辞表を提出。

2007年6月19日代表取締役会長兼SCEグループCEOを退任し名誉会長に就任。これにより、久夛良木はSCE役員職から退くこととなった。SCEグループCEOとしての最後の仕事はPSP-2000開発であった。

2007年11月26日、ビデオゲームの振興を目指す非営利団体Academy of Interactive Arts & Sciences(AIAS)は久夛良木に「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を授与すると発表した。プレイステーションにより、世界中の家庭内エンターテインメントを革新したとして、久夛良木の功績を評価しての受賞となった。[3]

2008年6月22日角川グループホールディングスの定時株主総会において同社の社外取締役に就任することの承認を得た。

発言

  • 1999年4月19日 - ファミコン音楽なんてやれない。普通の人はそれで感動しない[4]
  • 2004年5月18日 - 報道陣の「PSXの世間の評判についてどう思うか」という質問に対し、「何言ってんだと思った。家族はみんなPSXを使っている。」(自身の家族を言ったのか、各世帯を言ったのかは不明)
  • 2005年1月24日 - PSPのボタンを押しても反応しない事があり、設計に問題があるという声に対し、「仕様に合わせて貰うしかない。世界で一番美しい物を作った。著名建築家が書いた図面に対しての位置がおかしいと難癖をつける人はいない。それと同じこと。」と語った[5]。しかし、数ヵ月後にこの事実をSCEが不具合と認め、無償修理となった。
  • 2005年5月27日 - 朝日新聞にてPS3に対し、「(PS3の強力なハードウェアをさして)BMWフェラーリエンジンを載せるようなもの。任天堂はかわいい新型のファミリー車あたりか。」
  • 2006年5月9日 - PS3の価格に対して、「高価なレストランで食事をした時の代金と、 社員食堂での食事の代金を比べるのはナンセンスですよね?これは極端な例ですが、まさにそういうことなのです。」[6]
  • 2007年5月1日 - EEtimesのインタビューにて、「当然のことだが、私自身の中には、ネットワークと融合させて楽しむプレイステーション4、5、6というビジョンがある」、「ソニーのプレステーション3の設計チームに、今後2年間に取り組むべき、コスト削減に向けた構想を引き継いだ」、 「そして今、さらに大きな世界で仕事に取り組む準備が整った。今後もソニーとは良い関係を続けていくつもりだ」と語った。[7]
  • 2007年9月20日 - PS3が任天堂Wiiの後塵を拝している現状に対して、「(PS3は)少し先を行き過ぎたかもしれない」とする一方で、「日本の電機メーカーは進化が止まっている印象がある。グーグルマイクロソフトなどパソコンの世界も同じだ」といらだちを見せた。「投資ファンドが常にエグジット(資金回収)を求め、利益の伸びが少し鈍ると株は売り浴びせられ、『2ちゃんねる』でたたかれる。やりたいことができない」という現実があると指摘。「若い人も株式公開など小さなサクセスで満足してしまう」と苦言を呈した[8]


略歴

  • 1969年 3月、早稲田高等学校卒業。
  • 1975年 3月、電気通信大学電気通信学部電子工学科卒業。
  • 1975年 4月、ソニー株式会社入社。
  • 1993年 4月、ホームビデオ事業本部コンピュータ・エンターテイメント事業準備室室長。11月、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)取締役開発部長。
  • 1999年 4月、SCE代表取締役社長に就任。
  • 2003年 4月、ソニー株式会社取締役、執行役副社長兼ホーム、ゲーム、半導体担当COOに就任。
  • 2005年 3月、ソニー株式会社取締役、副社長兼COOを退任、同社グループ役員に就任。
  • 2006年12月、SCE代表取締役会長兼CEOに就任。
  • 2007年 6月、SCE代表取締役会長兼CEOを退任、同社名誉会長に就任。
  • 2007年11月、Academy of Interactive Arts & Sciences(AIAS)より、「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を授与。
  • 2008年 6月、角川グループホールディングスの社外取締役に就任。
  • 2009年 4月、立命館大学大学院の客員教授に就任。

脚注

  1. ^TIME誌, 2004年4月、世界で最も影響力のある人物100人(The Time 100)
  2. ^CNN, 2006年、重要でない人物世界トップ10 (10 People Who Don't Matter)
  3. ^ ITmedia, 2007年11月27日、「プレステの父」久夛良木氏、特別功労賞を受賞
  4. ^ ASCII24, 1999年4月19日、これがプレステ2だ!―SCE久多良木健氏インタビュー―
  5. ^ 日経BP, 2005年1月24日、「それがPSPの仕様だ」久多良木SCE社長、ゲーム機不具合騒動を一蹴
  6. ^ ITmedia, 2006年5月9日、やっとすべてを発表できた――SCE久夛良木健氏プレスイベント直後インタビュー
  7. ^ EEtimes, 2007年5月1日、[http://www.eetimes.jp/contents/200705/17805_1_20070501191243.cfm ソニーを去る久夛良木氏、 「すでにPS4の構想あり」]
  8. ^ ITmedia, 2007年9月21日、久夛良木氏語る「2chでたたかれる」「少し先を行き過ぎたかも」

外部リンク