久夛良木健

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くたらぎ けん
久夛良木 健
生誕 1950年8月2日(62歳)
日本の旗 東京都江東区
出身校 電気通信大学電気通信学部卒業
職業 ソニー
シニアテクノロジーアドバイザー
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久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年8月2日 - )は、日本技術者実業家である。「夛」は「多」の異体字であるため、の「久夛良木」は「久多良木」と表記されることもある。

サイバーアイ・エンタテインメント株式会社代表取締役社長[1]ソニー株式会社シニアテクノロジーアドバイザー。立命館大学大学院経営管理研究科客員教授。ほか、株式会社角川グループホールディングス、株式会社角川マガジンズ楽天株式会社、株式会社ノジマの各社で、社外取締役を務める。

1999年4月よりソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCEI)の代表取締役社長2001年執行役員制導入によりCEOも務めた。2000年からはソニー取締役にも就任し、2003年4月から2005年3月までは、ソニー副社長兼COOを務めた。2006年12月1日付でSCEI社長職を退き、SCEI代表取締役会長兼グループCEOに就任。2007年6月19日の任期満了を持ってSCEIの代表取締役会長兼グループCEOを退任し名誉会長に就任、2011年6月28日に名誉会長を退任した。[2]

目次

経歴・人物 [編集]

1950年、東京都江東区生まれ。実家は印刷業を営んでいた。1969年に早稲田高等学校を卒業後、2年の浪人生活を過ごした後、1971年電気通信大学電子工学科に入学。その後、1975年に同大学を卒業しソニーに入社。大学時代の指導教員は長谷川伸教授であり、画像処理に関する卒業研究を行った。ソニーでは技術者として第一開発部、第二開発部、情報処理研究所、総合研究所、ホームビデオ事業本部等に所属した。

ソニー入社後は、液晶ディスプレイの研究開発を行なっていた。また、オーディオ機器の音の変動に連動し、バー表示が変化するLED音声バーグラフ装置を開発。このLED音声バーグラフ装置は、ソニー社外の機器にも広く使われ、出荷量が1000万個を超えるヒット商品となった[3]

ソニー在籍時の1980年代後半には任天堂とソニー間で進められていたスーパーファミコン向けのCD-ROMアダプタ開発プロジェクトに参加。 その後の任天堂との提携が決裂したことにより、このプロジェクトは終了。

これを契機に、久夛良木は当時ソニーの社長である大賀典雄にソニー独自の家庭用ゲーム機開発への進出を提言。当時のソニー社内では、独自の家庭用ゲーム機の開発、販売に否定的な意見がほとんどであった。しかし、会議の場で進出を強く主張し、皆を説得する久夛良木に対し、大賀は「そんなに言うのだったら、本当かどうか、証明してみろ!DO IT !!」と怒号を飛ばしながら、開発のゴーサインを出した[4]。これにより、社内ベンチャー・カーブアウトによりSCEを設立し、家庭用ゲーム機開発を進めた。設立当時のSCEはソニー・ミュージックエンターテイメント(SME)の子会社であったので、当時久夛良木はSMEの技術者をスカウトしながら、ゲーム機開発のプロジェクトを進めていた。

そして、1994年プレイステーションの発売を実現。その後のプレイステーション2などと併せて、ゲーム業界において記録的な大成功を収めた。

その後、1999年にSCEの社長に就任した。2003年4月にはソニー本体の取締役およびホームエレクトロニクス・ゲーム・半導体部門を統括する執行役副社長に就任したが、ソニーの歴史上最悪の意思決定といわれる[要出典]サムスンと共同での(液晶パネル生産会社の)S-LCDの設立を自分で提案して自分で決裁し[要出典]、ソニー本体、特にエレクトロニクス部門の不振や自身が推奨し開発したPSXの失敗などが解消できず、責任をとる形で2005年3月に副社長を退任し、SCEの経営に専念することとなった。

2004年4月には雑誌『TIME』が公表した「世界で最も影響ある100人」に選ばれるものの[5]、そのわずか2年後の2006年6月には、CNNが公表した「重要ではない人物10人」の中の一人として、マイクロソフトCEOのスティーブ・バルマーLinuxカーネル開発者のリーナス・トーバルズなどとともに選出された[6]

2005年3月、ロサンゼルスで行われたElectronic Entertainment Expo(E3)にてプレイステーション3(外観とスペックのみ)を公開した。5月には、SCEがPS3のプレスリリースを出している。

2006年に自身が念願であった10億円の豪邸を建てたとして話題になった[要出典]

2006年12月、ソニーのハワード・ストリンガー会長によりSCEグループの会長に“棚上げ”。後任としてSCEアメリカ社長だった平井一夫がSCE社長兼グループCOOに就任。

2007年4月26日ソニーの取締役会に対して辞表を提出。

2007年6月19日代表取締役会長兼SCEグループCEOを退任し名誉会長に就任。これにより、久夛良木はSCE役員職から退くこととなった。SCEグループCEOとしての最後の仕事はPSP-2000開発であった。

2007年11月26日、ビデオゲームの振興を目指す非営利団体Academy of Interactive Arts & Sciences(AIAS)は久夛良木に「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を授与すると発表した。プレイステーションにより、世界中の家庭内エンターテインメントを革新したとして、久夛良木の功績を評価しての受賞となった[7]

2008年6月22日より角川グループホールディングスの社外取締役、2009年 より角川メディアマネジメント(現・角川マガジンズ)の社外取締役を務める。

2009年4月より、立命館大学大学院の客員教授に就任。同年、10月にはサイバーアイ・エンタテインメントを設立[1]

2010年2月より楽天の社外取締役、2011年 6月よりノジマの社外取締役を務める。

愛称はくたたん。元々はゲーマーの間で自然発生的に使われてきた呼称だったが、『トロ・ステーション』1000回記念(2009年8月4日配信分)で本人が登場したときにこの呼称で呼ばれるなど、最近はメディア上でも使われている。

発言 [編集]

  • 1999年4月19日 - ファミコン音楽なんてやれない。普通の人はそれで感動しない[8]
  • 2004年5月18日 - 報道陣の「PSXの世間の評判についてどう思うか」という質問に対し、「何言ってんだと思った。家族はみんなPSXを使っている。」(自身の家族を言ったのか、各世帯を言ったのかは不明)
  • 2005年1月24日 - PSPのボタンを押しても反応しないことがあり、設計に問題があるという声に対し、「仕様に合わせて貰うしかない。世界で一番美しい物を作った。著名建築家が書いた図面に対しての位置がおかしいと難癖をつける人はいない。それと同じこと。」と語った[9]。しかし、数か月後にこの事実をSCEが不具合と認め、無償修理となった。
  • 2005年5月27日 - 朝日新聞にてPS3に対し、「(PS3の強力なハードウェアをさして)BMWフェラーリエンジンを載せるようなもの。任天堂はかわいい新型のファミリー車あたりか。」
  • 2006年5月9日 - PS3の価格に対して、「安すぎたかも」、「高価なレストランで食事をした時の代金と、社員食堂での食事の代金を比べるのはナンセンスですよね?これは極端な例ですが、まさにそういうことなのです。」[10]
  • 2007年5月1日 - EEtimesのインタビューにて、「当然のことだが、私自身の中には、ネットワークと融合させて楽しむプレイステーション4、5、6というビジョンがある」、「ソニーのプレステーション3の設計チームに、今後2年間に取り組むべき、コスト削減に向けた構想を引き継いだ」、「そして今、さらに大きな世界で仕事に取り組む準備が整った。今後もソニーとは良い関係を続けていくつもりだ」と語った[11]
  • 2007年9月20日 - PS3が任天堂Wiiの後塵を拝している現状に対して、「(PS3は)少し先を行き過ぎたかもしれない」とする一方で、「日本の電機メーカーは進化が止まっている印象がある。グーグルマイクロソフトなどパソコンの世界も同じだ」といらだちを見せた。「投資ファンドが常にエグジット(資金回収)を求め、利益の伸びが少し鈍ると株は売り浴びせられ、『2ちゃんねる』でたたかれる。やりたいことができない」という現実があると指摘。「若い人も株式公開など小さなサクセスで満足してしまう」と苦言を呈した[12]

略歴 [編集]

  • 1969年 3月、早稲田高等学校卒業。
  • 1975年 3月、電気通信大学電気通信学部電子工学科卒業。
  • 1975年 4月、ソニー株式会社入社。
  • 1993年 4月、ソニー株式会社ホームビデオ事業本部コンピュータ・エンターテイメント事業準備室室長に就任。
  • 1993年11月、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) 取締役開発部長に就任。
  • 1999年 4月、SCE代表取締役社長に就任。
  • 2000年 6月、ソニー株式会社取締役に就任。
  • 2003年 4月、ソニー株式会社取締役、執行役副社長兼ホーム、ゲーム、半導体担当COOに就任。
  • 2005年 3月、ソニー株式会社取締役、副社長兼COOを退任、同社グループ役員に就任。
  • 2006年12月、SCE代表取締役会長兼CEOに就任。
  • 2007年 6月、SCE代表取締役会長兼CEOを退任、同社名誉会長に就任。ソニー株式会社グループ・エグゼクティブを退任、同社シニア・テクノロジーアドバイザーに就任。
  • 2007年11月、Academy of Interactive Arts & Sciences (AIAS) より、「特別功労賞 (Lifetime Achievement Award) 」を授与。
  • 2008年 4月、Consumer Electronics Association (CEA) より、「HALL of Fame」を授与。
  • 2008年 6月、株式会社角川グループホールディングスの社外取締役に就任。
  • 2009年 、株式会社角川メディアマネジメント(現・株式会社角川マガジンズ)の社外取締役に就任。
  • 2009年 4月、立命館大学大学院の客員教授に就任。
  • 2009年12月、電気通信大学より、「特別客員教授」を授与。
  • 2009年10月、サイバーアイ・エンタテインメント株式会社を設立、同社代表取締役社長に就任。
  • 2010年 2月、楽天株式会社の社外取締役に就任。
  • 2011年 6月、株式会社ノジマの社外取締役に就任。
  • 2011年 6月、SCE名誉会長を退任。

脚注 [編集]

外部リンク [編集]