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=== 2度目のホワイトソックス復帰 ===
=== 2度目のホワイトソックス復帰 ===
2000年のシーズン途中に、古巣シカゴ・ホワイトソックスに2度目の復帰を果たした。
2000年のシーズン途中に、古巣シカゴ・ホワイトソックスに2度目の復帰を果たした。


{{by|2001年}}に、現役を引退を表明した。
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2017年7月19日 (水) 11:21時点における版

ハロルド・ベインズ
Harold Baines
シカゴ・ホワイトソックス コーチ #3
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州イーストン
生年月日 (1959-03-15) 1959年3月15日(65歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1980年4月10日
最終出場 2001年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • シカゴ・ホワイトソックス (2004 - )

ハロルド・ダグラス・ベインズHarold Douglas Baines , 1959年3月15日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州イーストン出身の元プロ野球選手(右翼手及び指名打者)。左投左打。現在はMLBシカゴ・ホワイトソックスでコーチを務める。

ニックネームは「静かな男」。

経歴

プロ入りとホワイトソックス時代

1977年ドラフト会議で、ホワイトソックスから全体1位で指名され入団。 シカゴ・ホワイトソックスの名物オーナー、ビル・ベックは、12歳のベインズがリトルリーグでプレイしているのを見て、マークしていたという。

1980年4月10日にメジャーデビューを果たし、弱冠20歳ですぐにレギュラーに定着。

1982年には161試合に出場して25本塁打、105打点を記録。

1983年は29本塁打、99打点でチームの地区優勝に貢献。1984年には自己最多の29本塁打をマーク。長打率.541はア・リーグ1位であった。

1985年は打率.309、本塁打22、打点113(自己最高)で初のオールスター出場を果たす。

1986年頃よりの故障に悩まされた。

1987年以後はほぼ指名打者(DH)での起用が中心となる。すでにこの時点で、将来背番号3」が永久欠番になるのが決定していた。また、「静かな男」のニックネームで、当時もっとも無口なメジャーリーガーと言われていたぐらいだった。しかし、球場には誰よりも一番先に着いて黙々と練習に励み、若いころから人望が厚かった。「よく、昔の名選手の誰かが僕に似ていると言うけど、僕としてはそんな風に比較されるのは好きじゃない。僕はハロルド・ベインズなんだ。ファンが球場に足を運んで見てみたいと思う選手になりたいだけだ」と述べている。前後するが、1984年5月8日のコミスキー・パークで行われた対ミルウォーキー・ブルワーズ戦は延長戦に入り、午前1時を過ぎたところでアメリカンリーグの規定により、サスペンデッドゲームとなった。翌9日に正規の試合前に続きが行われ、8時間6分に及ぶMLB史上最長時間試合となったが、延長25回裏にチャック・ポーターから中堅方向へサヨナラ本塁打を放つ[1]。この時のバットはアメリカ野球殿堂入りしている。

レンジャーズ時代

1989年シーズン途中、2対3の交換トレードテキサス・レンジャーズに移籍(この際、レンジャーズからホワイトソックスに移った3選手のうち1人が当時ルーキーのサミー・ソーサであった)。

アスレチックス時代

1990年のシーズン途中には2選手との交換でオークランド・アスレチックスに移籍。この年初のワールドシリーズ出場を果たすが、シンシナティ・レッズに1勝もできぬまま4連敗を喫する。

1991年は、打率.295、20本塁打、90打点の活躍で4年ぶりにオールスターに出場。

1992年は、地区優勝を経験した

オリオールズ時代

1993年にマイナー2投手との交換でボルチモア・オリオールズに移籍した。

古巣ホワイトソックス復帰

1996年には古巣ホワイトソックスにフリーエージェント(FA)で復帰。

同年は、打率.313、本塁打22、打点95と活躍する。

オリオールズ時代

1997年シーズン中に再びオリオールズに移籍し、チームのプレイオフ進出に貢献。

1999年には8年ぶりのオールスター出場を果たす。

インディアンス時代

1999年シーズン途中でクリーブランド・インディアンスに移籍したが、この年は40歳にして25本塁打、103打点の活躍。

オリオールズ復帰

2000年は、オリオールズで開幕を迎えた。

2度目のホワイトソックス復帰

2000年のシーズン途中に、古巣シカゴ・ホワイトソックスに2度目の復帰を果たした。

2001年に、現役を引退を表明した。

現役引退後

引退後、2004年3月にホワイトソックスのベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)に就任。

2005年には、現役時代に果たせなかったワールドチャンピオンを、コーチとして成し遂げた。

選手としての特徴

指名打者としての出場試合1,652はメジャーリーグ記録である。メジャー歴代50位(2006年終了時点)の通算384本塁打を打っているが、シーズン30本塁打を打ったことのない選手の中では歴代2位である。通算1,628打点はメジャー歴代26位だが、22シーズンずっとア・リーグのチーム所属だったため、ア・リーグ歴代に限定すると第11位である(順位はいずれも2006年終了時点)。ただし、2007年7月末時点ですでにフランク・トーマスに抜かれており、順調なら1 - 2年内にマニー・ラミレスアレックス・ロドリゲスも追い抜く。

ベインズは2007年にアメリカ野球殿堂入りの候補者資格を得たが、初年度の殿堂入り投票では29票(得票率5.3%)しか得られなかった。2008年度以降の投票でも殿堂入りに必要な得票率75%には届かず、むしろ足切りラインの得票率5%(これを下回ると候補者資格を失い、次年度以降の候補者リストから外される)を辛うじて上回る程度であった。2011年の投票で得票率が4.8%(得票数28票)と5%を下回り、殿堂入りの資格を失った。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1980 CWS 141 518 491 55 125 23 6 13 199 49 2 4 2 5 19 7 1 65 15 .255 .281 .405 .686
1981 82 296 280 42 80 11 7 10 135 41 6 2 0 2 12 4 2 41 6 .286 .318 .482 .800
1982 161 668 608 89 165 29 8 25 285 105 10 3 2 9 49 10 0 95 12 .271 .321 .469 .790
1983 156 655 596 76 167 33 2 20 264 99 7 5 3 6 49 13 1 85 15 .280 .333 .443 .776
1984 147 629 569 72 173 28 10 29 308 94 1 2 1 5 54 9 0 75 12 .304 .361 .541 .903
1985 160 693 640 86 198 29 3 22 299 113 1 1 0 10 42 8 1 89 23 .309 .348 .467 .815
1986 145 618 570 72 169 29 2 21 265 88 2 1 0 8 38 9 2 89 14 .296 .338 .465 .803
1987 132 554 505 59 148 26 4 20 242 93 0 0 0 2 46 2 1 82 12 .293 .352 .479 .831
1988 158 674 599 55 166 39 1 13 246 81 0 0 0 7 67 14 1 67 21 .277 .347 .411 .758
1989 96 397 333 55 107 20 1 13 168 56 0 1 0 3 60 13 1 52 11 .321 .423 .505 .928
TEX 50 186 172 18 49 9 0 3 67 16 0 2 0 1 13 0 0 27 4 .285 .333 .390 .723
'89計 146 583 505 73 156 29 1 16 235 72 0 3 0 4 73 13 1 79 15 .309 .395 .465 .860
1990 103 371 321 41 93 10 1 13 144 44 0 1 0 3 47 9 0 63 13 .290 .377 .449 .826
OAK 32 118 94 11 25 5 0 3 39 21 0 2 0 4 20 1 0 17 4 .266 .381 .415 .796
'90計 135 489 415 52 118 15 1 16 183 65 0 3 0 7 67 10 0 80 17 .284 .378 .441 .819
1991 141 566 488 76 144 25 1 20 231 90 0 1 0 5 72 22 1 67 12 .295 .383 .473 .857
1992 140 543 478 58 121 18 0 16 187 76 1 3 0 6 59 6 0 61 11 .253 .331 .391 .723
1993 BAL 118 480 416 64 130 22 0 20 212 78 0 0 1 6 57 9 0 52 14 .313 .390 .510 .900
1994 94 357 326 44 96 12 1 16 158 54 0 0 0 0 30 6 1 49 9 .294 .356 .485 .840
1995 127 459 385 60 115 19 1 24 208 63 0 2 0 4 70 13 0 45 17 .299 .403 .540 .943
1996 CWS 143 572 495 80 154 29 0 22 249 95 3 1 0 3 73 7 1 62 20 .311 .399 .503 .902
1997 93 361 318 40 97 18 0 12 151 52 0 1 0 2 41 10 0 47 9 .305 .382 .475 .857
BAL 44 149 134 15 39 5 0 4 56 15 0 0 0 1 14 1 0 15 3 .291 .356 .418 .774
'97計 137 510 452 55 136 23 0 16 207 67 0 1 0 3 55 11 0 62 12 .301 .375 .458 .832
1998 104 328 293 40 88 17 0 9 132 57 0 0 0 2 32 4 1 40 17 .300 .369 .451 .819
1999 107 390 345 57 111 16 1 24 201 81 1 2 0 2 43 3 0 38 14 .322 .395 .583 .977
CLE 28 96 85 5 23 2 0 1 28 22 0 0 0 0 11 0 0 10 2 .271 .354 .329 .684
'99計 135 486 430 62 134 18 1 25 229 103 1 2 0 2 54 3 0 48 16 .312 .387 .533 .919
2000 BAL 72 252 222 24 59 8 0 10 97 30 0 0 0 1 29 6 0 39 6 .266 .349 .437 .786
CWS 24 68 61 2 13 5 0 1 21 9 0 0 0 0 7 1 0 11 0 .213 .294 .344 .638
'00計 96 320 283 26 72 13 0 11 118 39 0 0 0 1 36 7 0 50 6 .254 .338 .417 .754
2001 32 94 84 3 11 1 0 0 12 6 0 0 0 2 8 0 0 16 2 .131 .202 .143 .345
通算:22年 2830 11092 9908 1299 2866 488 49 384 4604 1628 34 34 9 99 1062 187 14 1441 298 .289 .356 .465 .820
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 3(1980年 - 1989年、1989年 - 2001年)
  • 13(1989年)
  • 10(1997年)
  • 33(1999年)

脚注

関連項目

外部リンク