「春風亭昇太」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
86行目: 86行目:


== 主な新作落語 ==
== 主な新作落語 ==
*『悲しみにてやんでい』
* [[悲しみにてやんでい]]
*『ワシントン伝』
* 『ワシントン伝』
*『[[力士の春]]』
* 『[[力士の春]]』
**[[高田文夫|立川藤志楼]]・演によるリニューアル作品『力士の春'08』もあり
** [[高田文夫|立川藤志楼]]・演によるリニューアル作品『力士の春'08』もあり
*『[[ストレスの海]]』
* 『[[ストレスの海]]』
*『[[宴会の花道]]』
* 『[[宴会の花道]]』
*『リストラの宴』
* [[リストラの宴]]
*『愛犬チャッピー』
* [[愛犬チャッピー]]
*『お父さんの決断』
* 『お父さんの決断』
*『夫婦に乾杯』
* 『夫婦に乾杯』
*『吉田さんのソファー』
* 『吉田さんのソファー』
*『マサコ』
* 『マサコ』
*『遠い記憶』
* 『遠い記憶』
*『人生が二度あれば』
* 『人生が二度あれば』
*『花粉寿司』
* 『花粉寿司』



2012年10月20日 (土) 11:15時点における版

春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた)は、落語家の名。先代は前座の時に名乗っただけであるため、代数をつけて呼ぶことはない。


しゅんぷうてい しょうた
春風亭 昇太
本名 田ノ下 雄二
生年月日 (1959-12-09) 1959年12月9日(64歳)
出生地 日本の旗 日本静岡県静岡市清水区
活動期間 1983年 -
活動内容 落語家落語芸術協会理事)
配偶者 なし
受賞
1989年 NHK新人演芸コンクール 優秀賞
2000年 国立演芸場花形演芸大賞
テンプレートを表示

春風亭 昇太(しゅんぷうてい しょうた、本名:田ノ下 雄二(たのした ゆうじ)、1959年12月9日 - )は、静岡県静岡市清水区(旧・清水市)出身の落語家5代目春風亭柳昇の弟子。大師匠は“春風亭の先生”こと6代目春風亭柳橋。前座名は、春風亭 昇八。愛称は「ちび師匠」。落語芸術協会に所属。現在同協会理事。出囃子は『デイビー・クロケット (The Ballad of Davy Crockett)』。血液型はO型。定紋は『五瓜に唐花』または『クラゲ』。未だ独身で、自虐ネタに使ったり共演者からいじられることがあるが、50歳の大台を迎えてからは洒落にならなくなってきた(実年齢を出すと笑いが生まれなくなった)と『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』のオープニング等でこぼしている。

一門

師の春風亭柳昇は、自身の身体的特徴もあり(落語の道に入る前、兵役中の負傷で手の指を数本欠いていた)、新作落語専門で大成した人物であったが、弟子たちは新作派(昔昔亭桃太郎)、古典派(9代目春風亭小柳枝瀧川鯉昇)とバラエティに富む。昇太は新作が売物であるが、古典もかなりの量を手掛けている。ただし、誰とも似ていない昇太流の強烈なアレンジが施されている。

また、もともとテレビの視聴者参加番組から出てきて弟子入りしたという経緯もあるが、テレビ活動に力を入れるところも師・柳昇譲りである。

昇太は前述のごとく6代目春風亭柳橋の一門で、柳派であってもルーツは春風亭柳枝(4代目とそれ以前の)。同じ春風亭であっても、春風亭小朝はその大師匠林家彦六の一門で、3代目柳家小さんの系統。彦六が小朝の師匠・5代目春風亭柳朝の真打昇進時に6代目柳橋から「柳朝」の名跡を譲り受けた経緯があるものの、昇太と小朝の間には一門の関係はない。

来歴・人物

東海大学第一高校を卒業。高校時代はソフトボール部に所属していた。東海大学文学部に入学し、ラテンアメリカ研究会に入ろうとして部室を訪ねたが、たまたま留守で、隣の部室だった落語研究部の先輩に「ここで待ってれば?」と声を掛けられて部室に招き入れられ、稽古等を見ていて「楽しそうなので」入部(同時に学生プロレスのリングアナ兼、実況として活躍)。落研時代の高座名は「頭下位亭切奴」(とうかいてい きりど)。名前の由来は、突然部室にやって来た一年生に上級生が「ドッキリした」ことから、「ドッキリ → きりどっ → きりど」となったという。学生時代にテレビ東京の『大学対抗落語選手権』にて優勝、落研の先輩のすすめでテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に漫才コンビ、ザ・まんだらーずとして出演。初代グランドチャンピオンになったのを期に大学を中退し、春風亭柳昇に入門した。前座時代より『演芸ひろば』司会など、テレビに多数出演。

前座名の昇八は、柳昇の8番弟子であることから付けられている(林家彦六の9番弟子である林家九蔵とほぼ同様の理由)。師匠が新作落語の名手と謳われた柳昇ということもあり、同じく新作落語を活動の中心に置き、「悲しみにてやんでい」など型破りな新作落語で人気を得て、1989年NHK新人演芸コンクール優秀賞受賞、1992年に7人抜きで真打に昇進した。その後2000年の独演会「古典とわたし」など独自の解釈を加えた古典落語にも挑戦する(二つ目の時代には既に独演会で古典落語に挑戦し、アレンジを加えた「初天神」を披露し、好評を博している)。同年国立演芸場花形演芸大賞、文化庁芸術祭大賞受賞。

2003年からはタレントの松尾貴史、マジシャンのパルト小石(ナポレオンズ)、コメディ作家の須田泰成らと、東京都世田谷区のバー「bar-closed」を共同経営している。 2005年には落語を題材にしたテレビドラマタイガー&ドラゴン』に出演し、自ら出演俳優らに落語の演技指導も行った。同年10月からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務めるなど、多方面で活躍。2006年1月8日には、毎日放送制作のドキュメンタリー番組『情熱大陸』で特集された。落語家によるデキシーバンドにゅうおいらんず」でトロンボーンを担当(師匠・柳昇も、噺家になる前の会社勤めをしていた頃に、勤務先の吹奏楽団でトロンボーンを吹いていた)。また、東西落語界の壁を超えた六人の会の一人であり、SWA(創作話芸アソシエーション)の一員。

2006年5月より、日本テレビ笑点』の大喜利メンバーに加入した。

芸歴

  • 1982年:春風亭柳昇に弟子入りし、春風亭昇八と名乗る。上述のように、前座名は柳昇の8番弟子であることに由来。
  • 1986年9月:二つ目に昇進、春風亭昇太に改める。
  • 1992年5月:席亭推薦により抜擢にて真打昇進。

エピソード

  • アジの干物まで作るほどの料理好き。
  • 持っている着用メガネは50本以上。
  • 自宅には、ダイヤル式テレビや蓄音機などレトログッズだらけの部屋がある。
  • 愛車はトヨタパブリカ。他にもダットサンブルーバード312やホンダ・カブC100も所有。これらの所有車両からしてかなりの旧車好きと見える。本人曰く「一番の夢は平屋の家を建てて庭に置いたパブリカやダットサンを眺めつつ縁側でお茶を飲むこと」
  • 趣味は、中世城郭めぐり。またミドリフグハムスターモモンガを飼育している。
  • プロレス好きとしても知られ、ルチャリブレ観戦にわざわざメキシコまで行き、覆面をまとめ買いしたこともある。
  • 東京ヤクルトスワローズのファンであり、『ウチくる!?』で間接的に高津臣吾についてコメントしたこともある。
  • サッカーでは、清水出身ということで、自他共に認めるJリーグ清水エスパルスのサポーターである。チーム会報「エスパルスニュース」で連載を持っていたこともある。
  • 独演会の開演時には、「携帯電話撲滅キャンペーン」の自作映画を上映。さらに、噺と噺の間に行うステージ上での生着替えが定番となっている。
  • 2007年に初めて直弟子を持った。オフィシャル本の中では、男同士でサシで向き合うのがこんなにも気恥ずかしいことなのかと感じ、柳昇への弟子入り当時のことを思い出しながら、どう稽古を付けたらよいか模索しているとのこと。また『笑点』に出演するようになってから地方のコンビニエンスストアポルノ雑誌が買えなくなったため、せっかく取った弟子に買いに行かせることにしたと語っている。
    • 弟子に仲人(いわゆる、媒酌人)を頼まれた場合(即ち、弟子に結婚を先に越された場合)は「破門にする」と明言しているが、ネタで言っている可能性もある。
    • ちなみに、弟弟子から「結婚するので、披露宴の司会をしてほしい」と頼まれたので、馬鹿にされているのかと思ったが、その弟弟子から「仲人を頼みたかったが、(昇太が独身のために)できないので司会をお願いした」といわれてしまったことを、『笑点』の大喜利の挨拶で自虐していたことがある。
  • 1993年高田文夫のラジオビバリー昼ズの企画で他の4名の若手(当時)落語家とともに立川談志に寝起きドッキリを仕掛けた際、「古典(落語)は上手にできないので新作をやっている」と聞いたところ、談志から「(古典も)できると思うよ、センスがあれば」と返された。

『笑点』の大喜利メンバーとして

演芸コーナーで若手大喜利を放送していた頃には大喜利メンバーの1人として出演していたことがあり、1990年代後半に入ってからは司会を務めるようになった(『BS笑点』→『笑点Jr.』での総合司会につながる)。大喜利メンバーの新加入年齢では、4代目三遊亭金馬の41歳を抜いて歴代最高齢である(46歳)。

加入して日が浅い頃には奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもあった。喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという師匠柳昇と同様の欠点があり、「カミカミ王子」を自虐ネタとしている。歌丸司会時代では座布団10枚を3回経験している一方で、6代目圓楽以上に毒のきつい歌丸罵倒ネタを時折言い放つこともあることから、「一度の座布団剥奪の最高記録(9枚)」という不名誉な記録も持っている。

また、小遊三・歌丸に次ぎ、本名(田ノ下雄二)をネタに出される傾向が多い(特に、6代目圓楽やたい平)。

兄弟番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』としてスタートしてから放送終了に至るまで総合司会を務め、ハキハキと取り仕切る様が映る。大喜利でも司会を務めるが威厳を敢然と振りかざすには至らず、メンバーに振り回される様子もしばしば映る。

その昔のラジコン(RC)カーの番組『タミヤRCカーグランプリ』に出ていた事を今は隠しているが、『笑点』の大喜利の時、結婚できない男というお題の中で、本名とともにたい平に暴露された(ただし、似たようなところでたい平も深夜のゲーム番組に出演していた)。

メンバー6人の中で唯一の未婚で子供なし(他5人と司会の歌丸および座布団運び山田は全員既婚子供あり)というネタを多用する。好楽からは、「奥さんの名前が『なし』でしょ」とネタにされたこともある(山田を除き、好楽自身より年長者は「子」がつく夫人(歌丸の冨士子夫人など)がいるが、小遊三より年下のメンバーの夫人はいずれも「子」がつかない(たい平の嫁・ちかなど)ため)。

未婚の娘がいる共演者からは娘を嫁にもらってくれという縁談を持ちかけられている、木久扇と好楽(娘はひなの郷の経営者じっこさん)と山田隆夫の3人から大喜利の挨拶で縁談の話があった。

主な新作落語

出演番組

現在

過去

映画

CM

著書

  • 「ぼくがモスラを好きなわけ」立風書房、1992 
  • 「楽に生きるのも、楽じゃない」東京書籍、1997 のち新潮OH!文庫 
  • 「楽しんだ者勝ち」(林家たい平と共著)インフォバーン、2002 
  • 「はじめての落語。春風亭昇太ひとり会」糸井重里監修 東京糸井重里事務所、2005 
  • 「城あるきのススメ」小学館、2011 

一門弟子

関連項目

外部リンク