「太平記 (NHK大河ドラマ)」の版間の差分

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[[鎌倉時代]]末期から[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の動乱期を、[[室町幕府]]初代将軍・[[足利尊氏]]を主人公に描いた物語。原作は1950年代末から執筆された、[[吉川英治]]晩年の作品である『[[私本太平記]]』。吉川作品の大河ドラマ化は、1972年(昭和47年)の『[[新・平家物語 (NHK大河ドラマ)|新・平家物語]]』以来で、通算3度目となる。主役の[[真田広之]]は、1987年(昭和62年)の『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』以来4年ぶりの大河ドラマ出演で、2度目の出演にして主役に抜擢された。「政宗」同様、共演の沢口靖子とは本作品でも夫婦となる設定である。脚本は池端俊策と仲倉重郎(後半の一部)が担当しており、共に大河ドラマ初執筆。この作品以降、番組終了後に、各回にちなんだ名所旧跡を紹介するコーナー(「紀行」)が設けられた。このコーナーは、その後いったん消滅するが[[1997年]]の『[[毛利元就 (NHK大河ドラマ)|毛利元就]]』で復活し以後定着している。
[[鎌倉時代]]末期から[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の動乱期を、[[室町幕府]]初代[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利尊氏]]を主人公に描いた物語。原作は1950年代末から執筆された、[[吉川英治]]晩年の作品である『[[私本太平記]]』。吉川作品の大河ドラマ化は、1972年([[昭和]]47年)の『[[新・平家物語 (NHK大河ドラマ)|新・平家物語]]』以来で、通算3度目となる。主役の[[真田広之]]は、1987年(昭和62年)の『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』以来4年ぶりの大河ドラマ出演で、2度目の出演にして主役に抜擢された。「政宗」同様、共演の沢口靖子とは本作品でも夫婦となる設定である。脚本は池端俊策と仲倉重郎(後半の一部)が担当しており、共に大河ドラマ初執筆。この作品以降、番組終了後に、各回にちなんだ名所旧跡を紹介するコーナー(「紀行」)が設けられた。このコーナーは、その後いったん消滅するが[[1997年]]の『[[毛利元就 (NHK大河ドラマ)|毛利元就]]』で復活し以後定着している。


原作をもとに、足利尊氏の挙兵から鎌倉幕府滅亡から[[建武の新政]]、南北朝動乱を経て尊氏の死までを描く。後半は吉川原作には無い[[観応の擾乱]]も描くなど、まったくの創作となっている。NHK大河ドラマでは初めて南北朝動乱を本格的に取り上げた作品であるが、全49回のうち中盤の山場となる鎌倉陥落の第22回までが鎌倉時代、南北朝成立の第38回までが建武新政期となる配分で、南北朝時代が描かれたのは最後半の10数回程度。尊氏死後(1358年~)の、古典『太平記』が筆を擱く[[細川頼之]](未登場)の管領就任時点(1367年)や、将軍義満時代の[[南北朝合一]](1392年)までの南北朝時代後半は未消化であった。
原作をもとに、足利尊氏の挙兵から鎌倉幕府滅亡から[[建武の新政]]、南北朝動乱を経て尊氏の死までを描く。後半は吉川原作には無い[[観応の擾乱]]も描くなど、まったくの創作となっている。NHK大河ドラマでは初めて南北朝動乱を本格的に取り上げた作品であるが、全49回のうち中盤の山場となる鎌倉陥落の第22回までが鎌倉時代、南北朝成立の第38回までが建武新政期となる配分で、南北朝時代が描かれたのは最後半の10数回程度。尊氏死後(1358年~)の、古典『太平記』が筆を擱く[[細川頼之]](未登場)の管領就任時点(1367年)や、将軍義満時代の[[南北朝合一]](1392年)までの南北朝時代後半は未消化であった。
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[[群馬県]][[太田市]]には[[武家屋敷]]のオープンセットが作られ、足利、新田、楠木館のシーンが撮影された。また、[[栃木県]][[足利市]]には鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、中盤の山場となる第22話「鎌倉炎上」の撮影にも使用された。
[[群馬県]][[太田市]]には[[武家屋敷]]のオープンセットが作られ、足利、新田、楠木館のシーンが撮影された。また、[[栃木県]][[足利市]]には鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、中盤の山場となる第22話「鎌倉炎上」の撮影にも使用された。


本作の特徴の一つとして、(自害・戦を除く)登場人物のを直接描くシーンが皆無という点がある。これは気などで亡する際も同様で、息絶える瞬間を映す事が無く全てナレーションによる説明に留まっている。
本作の特徴の一つとして、する登場人物(足利貞氏、後醍醐天皇、清子、尊氏ら)最期を直接描くシーンが皆無という点がある。病死の場合、息絶える瞬間を映す事が無く全てナレーションによる説明に留まっている。一方、討死、殺害、自害するシーンは数多くあったが、中には、千種忠顕のようにいつの間にか退場(史実では[[湊川の戦い]]後の京都攻防戦で討死)という人物もあった

また、大河ドラマに登場する[[皇族]]や[[公家]]の言葉遣いは、[[1988年]]の『[[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]]』([[武田信玄|信玄]]の正室[[三条の方]]とその侍女八重)以降、部分的・断片的に御所言葉が採用されることがあったが、歴代の大河ドラマの中でも皇族や公家が多く登場する本作では御所言葉ではなく[[標準語]]に近い言葉を話し、物腰や語尾等で[[武士]]や庶民との違いを描いていた。御所言葉は、[[2001年]]の『[[北条時宗 (NHK大河ドラマ)|北条時宗]]』に登場した将軍[[宗尊親王]]以降、大河ドラマに定着し、[[2004年]]の『[[新選組!]]』以降は、せりふのある皇族・公家のほぼ全員が御所言葉を話すようになった。


プロデューサーのインタビュー記事によると、局内でも時期尚早であるとの意見があったものの、機が熟して取り上げられる時期が来るものでもないだろうとの判断から、本格時代劇として制作されるに至ったとのことである。その後も、この時期に関する大河ドラマは本作以外に存在しない<ref><small>[[皇室]]が積極的に関与する時代であるがため、南北朝・[[室町時代]]のドラマ化は戦後長年タブー視されてきただけでなく、歴史的にも極めて難解な権力闘争が繰り返される時期であるため、視聴者に十分な理解を得るための歴史的背景のドラマ化が困難であることから、そもそもこの時代を映像化した作品自体、戦後は数えるほどしかない(戦前は天皇の忠臣として[[楠木正成]]を描いた作品『大楠公』といった作品があり、戦後も[[昭和30年]]代に『大楠公』という正成を描いた連続テレビドラマがあった)。</small></ref>。
プロデューサーのインタビュー記事によると、局内でも時期尚早であるとの意見があったものの、機が熟して取り上げられる時期が来るものでもないだろうとの判断から、本格時代劇として制作されるに至ったとのことである。その後も、この時期に関する大河ドラマは本作以外に存在しない<ref><small>[[皇室]]が積極的に関与する時代であるがため、南北朝・[[室町時代]]のドラマ化は戦後長年タブー視されてきただけでなく、歴史的にも極めて難解な権力闘争が繰り返される時期であるため、視聴者に十分な理解を得るための歴史的背景のドラマ化が困難であることから、そもそもこの時代を映像化した作品自体、戦後は数えるほどしかない(戦前は天皇の忠臣として[[楠木正成]]を描いた作品『大楠公』といった作品があり、戦後も[[昭和30年]]代に『大楠公』という正成を描いた連続テレビドラマがあった)。</small></ref>。

余談だが、本作のために撮影された、「火を噴く大道芸人」や「炎上する門」のシーンは、その後の大河ドラマにも流用されている。


2005年から2006年にかけて[[ファミリー劇場]]で全話が放送された。
2005年から2006年にかけて[[ファミリー劇場]]で全話が放送された。
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*[[吉田定房]](後醍醐の側近):[[垂水悟郎]]
*[[吉田定房]](後醍醐の側近):[[垂水悟郎]]
*[[二条道平]](後醍醐の側近):[[宮本充]]
*[[二条道平]](後醍醐の側近):[[宮本充]]
*[[洞院公賢]](後醍醐の側近、のち北朝方):[[高橋豊]]
*[[洞院公賢]](後醍醐の側近、のち北朝方):[[山崎豊]]
*[[洞院公賢]](後醍醐の側近):[[羽場裕一]]
*[[洞院実世]](後醍醐の側近):[[森松條次]]
*[[文観]](僧侶・後醍醐の側近):[[麿赤兒]]
*[[文観]](僧侶・後醍醐の側近):[[麿赤兒]]



2008年3月17日 (月) 16:48時点における版

太平記』(たいへいき)は、NHK1991年に放送された第29作目の大河ドラマである。放送期間は1991年1月6日 - 12月8日で、全49回。平均視聴率は26.0%、最高視聴率は34.6%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)。インターネット上では「大河太平記」と呼ばれることも多く、古典文学作品の『太平記』(古典太平記)や歴史小説の『私本太平記』(本作品の原作)との区別がなされている。

NHK大河ドラマ
通番 題名 放映期間
第28作 翔ぶが如く 1990年1月7日
~1990年12月9日
第29作 太平記 1991年1月6日
~1991年12月8日
第30作 信長
KING OF ZIPANGU
1992年1月5日
~1992年12月13日

作品内容と反響

鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱期を、室町幕府初代将軍足利尊氏を主人公に描いた物語。原作は1950年代末から執筆された、吉川英治晩年の作品である『私本太平記』。吉川作品の大河ドラマ化は、1972年(昭和47年)の『新・平家物語』以来で、通算3度目となる。主役の真田広之は、1987年(昭和62年)の『独眼竜政宗』以来4年ぶりの大河ドラマ出演で、2度目の出演にして主役に抜擢された。「政宗」同様、共演の沢口靖子とは本作品でも夫婦となる設定である。脚本は池端俊策と仲倉重郎(後半の一部)が担当しており、共に大河ドラマ初執筆。この作品以降、番組終了後に、各回にちなんだ名所旧跡を紹介するコーナー(「紀行」)が設けられた。このコーナーは、その後いったん消滅するが1997年の『毛利元就』で復活し以後定着している。

原作をもとに、足利尊氏の挙兵から鎌倉幕府滅亡から建武の新政、南北朝動乱を経て尊氏の死までを描く。後半は吉川原作には無い観応の擾乱も描くなど、まったくの創作となっている。NHK大河ドラマでは初めて南北朝動乱を本格的に取り上げた作品であるが、全49回のうち中盤の山場となる鎌倉陥落の第22回までが鎌倉時代、南北朝成立の第38回までが建武新政期となる配分で、南北朝時代が描かれたのは最後半の10数回程度。尊氏死後(1358年~)の、古典『太平記』が筆を擱く細川頼之(未登場)の管領就任時点(1367年)や、将軍義満時代の南北朝合一(1392年)までの南北朝時代後半は未消化であった。

群馬県太田市には武家屋敷のオープンセットが作られ、足利、新田、楠木館のシーンが撮影された。また、栃木県足利市には鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、中盤の山場となる第22話「鎌倉炎上」の撮影にも使用された。

本作の特徴の一つとして、病死する登場人物(足利貞氏、後醍醐天皇、清子、尊氏ら)の最期を直接描くシーンが皆無という点がある。病死の場合、息絶える瞬間を映す事が無く全てナレーションによる説明に留まっている。一方、討死、殺害、自害するシーンは数多くあったが、中には、千種忠顕のようにいつの間にか退場(史実では湊川の戦い後の京都攻防戦で討死)という人物もあった。

また、大河ドラマに登場する皇族公家の言葉遣いは、1988年の『武田信玄』(信玄の正室三条の方とその侍女八重)以降、部分的・断片的に御所言葉が採用されることがあったが、歴代の大河ドラマの中でも皇族や公家が多く登場する本作では御所言葉ではなく標準語に近い言葉を話し、物腰や語尾等で武士や庶民との違いを描いていた。御所言葉は、2001年の『北条時宗』に登場した将軍宗尊親王以降、大河ドラマに定着し、2004年の『新選組!』以降は、せりふのある皇族・公家のほぼ全員が御所言葉を話すようになった。

プロデューサーのインタビュー記事によると、局内でも時期尚早であるとの意見があったものの、機が熟して取り上げられる時期が来るものでもないだろうとの判断から、本格時代劇として制作されるに至ったとのことである。その後も、この時期に関する大河ドラマは本作以外に存在しない[1]

余談だが、本作のために撮影された、「火を噴く大道芸人」や「炎上する門」のシーンは、その後の大河ドラマにも流用されている。

2005年から2006年にかけてファミリー劇場で全話が放送された。

  1. ^ 皇室が積極的に関与する時代であるがため、南北朝・室町時代のドラマ化は戦後長年タブー視されてきただけでなく、歴史的にも極めて難解な権力闘争が繰り返される時期であるため、視聴者に十分な理解を得るための歴史的背景のドラマ化が困難であることから、そもそもこの時代を映像化した作品自体、戦後は数えるほどしかない(戦前は天皇の忠臣として楠木正成を描いた作品『大楠公』といった作品があり、戦後も昭和30年代に『大楠公』という正成を描いた連続テレビドラマがあった)。

評価

若手・ベテランをたくみに織り交ぜた大胆なキャスティングが功を奏し高視聴率を獲得し、脚本も緻密な構成であると評され、本作を大河の最高傑作に推す大河ドラマファンは今も多い。中でも第22話『鎌倉炎上』は大河ドラマ史上最高傑作とまで言われている。

スタッフ

キャスト

北朝方

足利一族

  • 足利又太郎→足利高氏→足利尊氏雨笠利幸真田広之
    主人公。青年時代にはアクのない「誰からも好かれる」人物として描かれた。建武の新政が始まった中盤以降は、朝敵となったことを恥じて戦いから離れたりするなど、やや屈折も見せた。
  • 赤橋登子(尊氏の正室):沢口靖子
    青年時代の高氏は赤橋家に母・清子の借り物を届けに行った(実は清子が仕組んだ「見合い」であった)際、歌のやり取りを通して、登子のことを気に入ってしまった。夫婦仲は良好であったとされ、ドラマでもそのように描かれている。
  • 足利貞氏(尊氏の父):高野八誠緒形拳
    当代きっての御家人・足利家の当主として、北条家・幕府側から常に監視される立場にあった。幕府との協調と、源氏の棟梁としてのプライドの板ばさみの中、血気盛んな高氏をなだめながら、密かに天下取りを託していた。
  • 上杉清子(尊氏の母):藤村志保
  • 足利家時(尊氏の祖父):小形竹松
  • 足利直義(尊氏の弟):高橋守高嶋政伸
    史実では冷静沈着な人物であったとされているが、青年時代は兄に北条との対決をけしかけるなど、むしろ血気盛んな若者という印象が強くなっている。一方で愚直一筋な人物としての一面も描かれている。
  • 不知哉丸→足利直冬(尊氏の庶長男、直義の養子)・・・山崎雄一郎筒井道隆
    本作品では、高氏が藤夜叉と京都で密会した後生まれた子とされている(史実では母親不明)。父親に愛されなかったコンプレックスから反感を抱き、事あるごとに父に反発し、やがて尊氏たちの大きな脅威となる。
  • 千寿王→足利義詮(尊氏の嫡男):稲葉洋介森田祐介片岡孝太郎
    独断で直義派の暗殺を図るなど、無能な人物として描かれている。
  • 光王(尊氏の次男(実は三男)):枝松拓矢

足利方武将

  • 佐々木道誉(尊氏の盟友):陣内孝則
    この時代を象徴する「ばさら大名」の代表。高氏が京都に行った際花夜叉一座を紹介したり、高氏が侍所で尋問に遭った際に証人として高氏を救う証言をしたり、高氏が倒幕の意思を固めた際にはその説明を受けたりしている。生涯にわたって尊氏にとっての盟友的存在であり、要所を占める重要人物となっている。
史実では北条高時の執権辞任に伴って出家しており、「道誉」はその際につけた法名であり、諱は「高氏」である。しかし本作では最終回まで俗体のままであり、同時に出家時の法名で呼ばれるという、いささか奇妙な扱いになっている(主役と同名で呼ばれるのを回避するためと思われる)。

持明院統他

南朝・吉野政権

大覚寺統

  • 後醍醐天皇大覚寺統の天皇):片岡孝夫
    本作品では、高氏が京都を訪れた際に偶然天皇に出会ったことになっている。序盤では鷹揚な君主として描かれ、中盤以降は肖像にも見える髭を生やして野趣な趣きを表し、朝敵討伐に見せる執念を見せた。
  • 阿野廉子(後醍醐の愛妃、後村上・恒良・成良親王の母):原田美枝子
  • 護良親王(後醍醐の皇子):堤大二郎
    鎌倉幕府打倒に活躍したが、尊氏を事あるごとに敵視したため、後醍醐天皇に疎まれ鎌倉の直義に預けられた。ドラマでも父以上に倒幕・打倒武家に執念を燃やす人物像が描かれている。なお、本作が放送される以前は「大塔宮護良親王」を「だいとうのみや・もりながしんのう」と読むことがほとんどであったが、本作は当時の最新説に従って「おおとうのみや・もりよししんのう」という読み方を使用した。この影響は非常に大きかったようで、これ以降この読み方が急速に普及していった。今日では後者の読み方が完全に定着しており、前者の読み方はほとんど使われなくなっている。
  • 宗良親王(後醍醐の皇子):八神徳幸
  • 尊良親王(後醍醐の皇子):新岡義章
  • 恒良親王(後醍醐の皇子):大河原梓
  • 成良親王(後醍醐の皇子):長谷川宙
  • 義良親王→後村上天皇(後醍醐の皇子):細山田隆人西垣内佑也黒樹洋

楠木家

  • 楠木正成(河内の豪族、尊氏の盟友・ライバル):武田鉄矢
    戦前の皇国史観において忠臣として称揚され、天才的軍師としてのイメージが浸透していた人物だが、ドラマでは自らも鍬を持って農作業に携わる、ほがらかな田舎の土着武士として描かれた。ただし戦の際には、通説・従来のイメージに沿って、ゲリラ戦の手腕を見せている。武田自身、忠臣のイメージが強いこの役の話が来た時は躊躇したが、本作での扱いが「河内の気のいいおっさん」と聞いて承諾した。
  • 楠木正季(正成の弟):赤井英和
    本作で田舎の農民のような兄と対照的な、武士らしい武士として描かれる。
  • 楠木久子(正成の正室):藤真利子
  • 楠木正行(正成の長男):北代隼人加藤盛大中村繁之
  • 和田五郎(楠木正成の配下):桜金造
  • 神宮寺正房(楠木正成の配下):でんでん

新田家

南朝方公家・武将

鎌倉幕府

史実では北条高時・金沢貞顕・長崎円喜は出家しているが、本作では鎌倉幕府滅亡までいずれも俗体のままである。

北条一族

鎌倉幕府御家人・御内人

  • 長崎円喜(先代の北条家内管領):フランキー堺
    末期の鎌倉幕府における実質的な最高権力者であり、専横を極めていたとされる。本作品でも、反対勢力にさまざまな策謀を巡らし排除を図ろうとする円喜の姿が見事に描かれている。ドラマでは北条一族・郎党の最期を見届けた後、自らも壮絶な切腹を遂げた。
  • 長崎高資(円喜の長男、高時の内管領):西岡徳馬
    父と同じく幕府内で専横を極め、幕政を混乱させる。なお、長崎円喜・高資親子の知名度は本作品の放送をきっかけに大きく高まっていった。
  • 二階堂道蘊(幕府政所執事):北九州男
  • 安達泰盛(北条家外戚、のち粛清):加賀邦男
    ストーリーには絡まないものの、霜月騒動(ドラマでは「霜月の乱」)で粛清され北条家の専横の犠牲になった人物として、ドラマの冒頭に登場する。
  • 宍戸知家(鎌倉軍の武士):六平直政
  • 土肥佐渡前司(鎌倉軍の武士):大塚周夫

その他

  • 夢窓疎石田武謙三
  • 花夜叉/卯月(猿楽一座の座長、実は楠木正成の妹):樋口可南子
  • 藤夜叉(花夜叉一座の一員、尊氏の恋人、直冬の母):宮沢りえ
    史実にはない人物だが、直冬の生母として物語上重要な役割を担っている人物である。当時宮沢はアイドルとして人気絶頂の中にあり、幻想的な雰囲気を持ったヒロイン的存在として描かれた。原作では最後まで生存するが、ドラマでは中盤で悲劇的な最期を遂げる。
  • 猿(ましら)の石(花夜叉一座の一員):高山良柳葉敏郎
    史実にも原作にもない架空の人物。藤夜叉の兄として育てられるが、藤夜叉には密かに恋心を抱いている。子供の頃の体験から足利家を憎み、京都に上る途中の高氏に対決を挑んだりした。後には楠木正成の赤坂・千早城攻防戦にも参陣するなど、要所で顔を出してくる。また、建武新政後は村の代官となり、派遣された目代の横暴に立ち向かうなど、新政の混乱・人心の離反を象徴する存在としても描かれる。柳葉のスケジュールの影響か、第33回を境に全く登場しなくなる。
  • 乙夜叉(花夜叉一座の一員):中島啓江
  • 服部清次(花夜叉の息子):西岡秀記
  • 二条の君(高師直の愛人):森口瑤子
  • 殿の法印:大林丈史
  • 権ノ大夫:大家兼臣
  • 吉次:豊川悦司
  • 侍女:常盤貴子上村典子石川佳代
  • 武将;大杉漣長江英和加藤正之
  • 大男:ストロング金剛
  • 小男:Mr.オクレ
  • 魚売り:サード長嶋
  • 物売り:谷津勲
  • 奉公人:大林隆介
  • 重臣:山崎満
  • 石の家来:大阪百万円
  • 死体:原田泰造
    エキストラ出演、本編ではノンクレジット。

各話一覧

  • 第1回「父と子」(1月6日)
  • 第2回「芽生え」(1月13日)
  • 第3回「風雲児」 (1月20日)
  • 第4回「帝、ご謀反」(1月27日)
  • 第5回「あやうし足利家」(2月3日)
  • 第6回「楠木登場」(2月10日)
  • 第7回「悲恋」(2月17日)
  • 第8回「妖霊星」(2月24日)
  • 第9回「宿命の子」(3月3日)
  • 第10回「帝の挙兵」(3月10日)
  • 第11回「楠木立つ」(3月17日)
  • 第12回「笠置落城」(3月24日)
  • 第13回「攻防赤坂城」(3月31日)
  • 第14回「秋霧」(4月7日放送)
  • 第15回「高氏と正成」(4月14日)
  • 第16回「隠岐配流」(4月21日)
  • 第17回「決断の時」(4月28日)
  • 第18回「帝の脱出」(5月5日)
  • 第19回「人質」(5月12日)
  • 第20回「足利決起」(5月19日)
  • 第21回「京都攻略」(5月26日)
  • 第22回「鎌倉炎上」(6月2日)
  • 第23回「凱旋」(6月9日)
  • 第24回「新政」(6月16日)
  • 第25回「足利尊氏」(6月23日)
  • 第26回「恩賞の波紋」(6月30日)
  • 第27回「公家か武家か」(7月7日)
  • 第28回「開戦前夜」(7月14日)
  • 第29回「大塔宮逮捕」(7月21日)
  • 第30回「悲劇の皇子」(7月28日)
  • 第31回「尊氏叛く」(8月4日)
  • 第32回「藤夜叉死す」(8月11日)
  • 第33回「千寿王と不知哉丸」(8月18日)
  • 第34回「尊氏追討」(8月25日)
  • 第35回「大逆転」(9月1日)
  • 第36回「湊川の決戦」(9月8日)
  • 第37回「正成自刃」(9月15日)
  • 第38回「一天両帝」(9月22日)
  • 第39回「顕家散る」(9月29日)
  • 第40回「義貞の最期」(10月6日)
  • 第41回「帝崩御」(10月13日)
  • 第42回「母の遺言」(10月20日)
  • 第43回「足利家の内紛」(10月27日)
  • 第44回「下剋上」(11月3日)
  • 第45回「政変」(11月10日)
  • 第46回「兄弟の絆」(11月17日)
  • 第47回「将軍の敗北」(11月24日)
  • 第48回「果てしなき戦い」 (12月1日)
  • 第49回「尊氏の死」(12月8日)

総集編

  • 第1部「青春」
  • 第2部「倒幕」
  • 第3部「建武の新政」
  • 第4部「南北朝動乱」

ゲーム

NHK大河ドラマ 太平記
ジャンル 戦略シミュレーション
対応機種 PCエンジン[PCE]
開発元 NHKエンタープライズ
発売元 NHKエンタープライズ
人数 1~2人
メディア Huカード(4MB)
発売日 1992年1月31日
テンプレートを表示

PCエンジン版

NHKエンタープライズより1992年1月31日に発売された。機種はPCエンジン

なお、前年にインテックより同機種で「太平記」が発売されている関係上、「NHK大河ドラマ 太平記」と言うタイトルになっている。

内容はオーソドックスな戦略シミュレーションゲームで、シナリオ1「鎌倉幕府の滅亡」をクリアするとシナリオ2「南北朝の大乱」がプレイ可能になるがシナリオ1でプレイヤーは倒幕軍を、シナリオ2では南朝を操作するため両方のシナリオに連続性は無い。

2人同時プレイモードでは、プレイヤー2がそれぞれ北条軍・北朝を担当する。

メガドライブ版

セガより1991年12月13日に発売された。

関連項目

外部リンク