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山根基世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまね もとよ
山根 基世
プロフィール
本名 戸張基世
出身地 日本の旗 日本
香川県高松市生まれ[1]
山口県防府市育ち[1]
生年月日 (1948-03-22) 1948年3月22日(77歳)
最終学歴 早稲田大学第一文学部英文科卒業
職歴 大阪[2]東京アナウンス室[3]放送総局[4]→フリー
活動期間 1971年 -
ジャンル 報道
配偶者 あり
出演番組・活動
出演経歴NHKニュース7』『NHK週刊ニュース

山根 基世(やまね もとよ、1948年昭和23年)3月22日 - )は、日本のアナウンサーNHKアナウンス室長を務めた。本名・戸張 基世(とばり もとよ)。

人物

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香川県高松市生まれ[1]。2、3歳のころ山口県山口市へ移り、5歳からはおもに山口県防府市で育った[1]。公式的には「山口県生まれ」としている。山口県立防府高等学校早稲田大学卒業後、1971年に日本放送協会入局。「本当に楽しかった」と語る3年間の大阪勤務を経て[5]、1974年より東京勤務[5]

チーフアナウンサー、1997年エグゼクティブアナウンサー(局次長級)、同理事待遇を経て、2005年6月の人事異動で、全国でおよそ500人のアナウンサーを統括するヘッド、アナウンス室長に就く。女性でははじめての役職であり[6]管理職経験がない中での大抜擢であった。室長時代は女性アナウンサーの地方異動の増加、インタビュー番組の作成、アナウンサーの海外支局解説委員へのキャリアパス導入、子どものことば教育を行うなどの取り組みを行った。同年、『第56回NHK紅白歌合戦』の総合司会を務めた。アナウンス室長経験者は、NHK放送研修センター・日本語センターに異動しセンター責任者を務めることが慣例化しているが、アナウンス業にこだわり、元アナウンサー仲間の広瀬修子(現跡見学園女子大学教授)、宮本隆治(2007年3月退職)らとともに、退職翌月の2007年に「ことばの杜」を立ち上げた[7]。以後、フリーランスの立場で活動している。同年10月18日放送分のテレビ朝日徹子の部屋』で民放初出演を果たす。

2019年6月に伊藤忠エネクス社外取締役に就任[8]東京大学客員准教授を歴任。有限責任事業組合ことばの杜」の共同発起人を経て、現在は、ナレーション、講演活動のほか、「山根基世の朗読指導者養成講座」講師、「声の力を学ぶ連続講座」を主宰。子どものことば教育と地域をつなぐ、独自の活動を続けている。

エピソード

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テレビ・ラジオ出演

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NHK時代

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フリー転向後

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音声ガイド

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著書

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共著・監修

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翻訳

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  • ダイアン・アダムズ文 ペイジ・カイザー絵『このてはあなたのために』評論社、2014年10月。ISBN 978-4566001671

脚注

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  1. ^ a b c d 斎藤 2011, p. 251 - 252.
  2. ^ 1971.6-1974.3
  3. ^ 1974.4-2007.6
  4. ^ 2007.6
  5. ^ a b 斎藤 2011, p. 255.
  6. ^ 後藤 2010, p. 89.
  7. ^ 「現役続行」 退職アナが事業組合 NHK・山根さんら”. 朝日新聞 (2007年6月14日). 2007年6月29日閲覧。
  8. ^ 伊藤忠エネクス 役員一覧 山根基世”. 2019年12月2日閲覧。
  9. ^ NHK女子アナ 知性・アナウンス能力で民放と段違いな理由”. 週刊ポスト (2012年2月17日). 2020年4月12日閲覧。
  10. ^ テレメンタリー”. 北海道テレビ放送. 2022年1月21日閲覧。
  11. ^ お知らせ|テレビ朝日「ドラマプレミアム 看守の流儀」”. 山根基世オフィシャルサイト. 2025年6月22日閲覧。
  12. ^ 本人の当時の肖像(画像)を含む。

参考文献

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  • 後藤正治『清冽―詩人茨木のり子の肖像』中央公論新社、2010年10月。ISBN 978-4120040962 
  • 斎藤明美『家の履歴書 文化人・芸術家篇』キネマ旬報社、2011年7月。ISBN 978-4873763613 

外部リンク

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