ハーレム・ヒート

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ハーレム・ヒート
タッグチーム
メンバー スティービー・レイ / ケイン
ブッカー・T / コール
名称
  • ハーレム・ヒート
  • ザ・ハフマン・ブラザーズ
  • ジ・エボニー・エクスペリエンス
  • ザ・ブラック・ボンバーズ
デビュー 1989年
解散 2000年
団体

ハーレム・ヒートHarlem Heat)は、1990年代全般に亘ってアメリカ合衆国で活動したプロレスタッグチームである。テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人スティービー・レイ(レーン・スティーブン・ハフマン)とブッカー・T(ロバート・ブッカー・ハフマン)の兄弟によって組まれた。

ロッキー・ジョンソントニー・アトラスのソウル・パトロール、ココ・B・ウェアノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングス、イライジャ・アキームカリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレス、ブッチ・リードロン・シモンズのドゥームなど、彼ら以前にも黒人レスラーによるタッグチームは様々に存在していたが、10年間に及ぶ活動期間やWCW世界タッグ王座を通算10回獲得した戴冠歴において[1]、比類なき実績を残した。

メンバー[編集]

  • スティービー・レイStevie Ray
    • 195cm、132kg。ブッカー・Tの実兄。弟以上に恵まれた体格を持つ大型のラフ&パワーファイター[2]
  • ブッカー・TBooker T
    • 191cm、113kg。スティービー・レイの実弟。身体能力は兄を上回り、後にシングル・プレイヤーとしても大きな成功を収めた[3]

来歴[編集]

エボニー・エクスペリエンス[編集]

1989年のデビュー後は、師匠のイワン・プトスキーが主宰していた地元テキサス州ヒューストンのウエスタン・レスリング・アライアンスにて、ハフマン・ブラザーズThe Huffman Brothers)として活動。1991年スカンドル・アクバに見込まれダラスのインディー団体グローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)に参戦、スティービー・レイブッカー・Tをそれぞれのリングネームに、エボニー・エクスペリエンスThe Ebony Experience)と名乗ってベビーフェイスのポジションで活躍[3]マネージャーは当時GWFでアクバと敵対していたゲーリー・ハートが担当した。

以後、キング・パーソンズとアクション・ジャクソンのブラックバーズ、イアン&アクセル・ロッテンのバッド・ブリードなどのチームを破り、1992年から1993年にかけてGWFタッグ王座を通算3回獲得[4]。1992年10月には桜田一男らが主宰するネットワーク・オブ・レスリングに、ブラック・ボンバーズThe Black Bombers)の名義で初来日した[5]

ハーレム・ヒート[編集]

1993年8月、WCWに参戦。カーネル・ロバート・パーカーをマネージャーに迎えてヒールに転向し、ニューヨークハーレム出身という設定のもとチーム名をハーレム・ヒートHarlem Heat)に改め、リングネームもスティービーはケインKane)、ブッカーはコールKole)と変更した[3]。参戦当初は当時のWCWのトップヒールだったシッド・ビシャスボディーガード的な役回りを演じ、9月13日のPPV "Fall Brawl 1993" ではビシャス&ベイダーとのカルテットで変則金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」に出場、スティングデイビーボーイ・スミスダスティン・ローデスザ・ショックマスターのベビーフェイス軍と対戦した[6]

1994年からはシスター・シェリーを新しいマネージャーに、リングネームも元に戻して活動。12月8日にジョージア州アトランタにてスターズ&ストライプス(マーカス・バグウェル&ザ・パトリオット)を破り、WCW世界タッグ王座に初戴冠する[1]1995年は5月にフロリダ州セントピーターズバーグナスティ・ボーイズ、7月にアトランタでディック・スレーター&バンクハウス・バックにタイトルを奪われるも、いずれも短期間で奪還に成功[1]

1996年は1月にスティング&レックス・ルガーに敗れ、しばらくは無冠となったものの、6月24日にノースカロライナ州シャーロットで収録されたマンデー・ナイトロにおいて、スティング&ルガーおよびスタイナー・ブラザーズとのトリプルスレットマッチに勝利しタイトルを取り戻した[1]。この間、1996年2月26日のマンデー・ナイトロではロード・ウォリアーズとも対戦し、翌月には揃って新日本プロレスに来日。3月20日の名古屋愛知県体育館大会にて橋本真也&平田淳嗣IWGPタッグ王座に挑戦した[5]

分裂[編集]

1996年9月23日にはパブリック・エナミー英語版に足をすくわれるも1週間後のリターンマッチで7度目の戴冠を果たすが、10月27日にネバダ州ラスベガスで開催された"Halloween Havoc 1996" においてnWoのアウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)に敗退し王座から陥落[1][7]。これを機にベビーフェイスのチームとなり、nWoとの抗争に臨んだ。

しかし1997年秋、ジミー・ハート率いるファースト・ファミリーのフェイシズ・オブ・フィアー(ミング&ザ・バーバリアン)との試合でスティービー・レイが足首を負傷し、長期欠場に追い込まれる。その間、ブッカー・TはWCW世界TV王座を獲得するなどシングル・プレイヤーとして売り出され成功するが、復帰後のスティービーはブッカーと袂を分かち、1998年よりハリウッド・ハルク・ホーガンの誘いでnWoに加入。ブライアン・アダムススコット・ノートンなどで構成されたBチーム、nWoブラック&ホワイトのリーダー格となった。

再結成[編集]

1999年、ブッカー・Tの説得によりスティービー・レイはnWoを離れ、フェイスターンしてハーレム・ヒートを再結成。8月14日の"Road Wild 1999" にてジャージー・トライアッドのバンバン・ビガロ&クリス・キャニオンを破り、WCW世界タッグ王座に返り咲く[1][8]。同月23日にウエスト・テキサス・レッドネックスバリー&ケンドール・ウインダムに敗れるも、3週間後の9月12日開催の"Fall Brawl 1999" でタイトルを奪還[1][9]

10月18日、ペンシルベニア州フィラデルフィアでフィルシー・アニマルズのコナン&レイ・ミステリオ・ジュニアにタイトルを奪われるが、ミステリオの負傷で王座は空位となり、同月24日の"Halloween Havoc 1999" にて王者チーム決定戦に出場。コナン&ビリー・キッドマンブライアン・ノッブス&ヒュー・モラスとのトリプルスレットマッチを征し、WCW世界タッグ王座への10度目の戴冠を果たした[1][10]

ハーレム・ヒート2000[編集]

しかし、ブッカー・Tがハーレム・ヒートのセコンドとして黒人女性ボディビルダーのミッドナイト英語版[11]を帯同し始めたことにより、兄弟の間に再び亀裂が発生。スティービー・レイはヒールに戻り、ビッグ・Tを新しいパートナーにハーレム・ヒート2000Harlem Heat 2000)を結成、「ハーレム・ヒート」の名称使用権を巡りブッカー・Tと骨肉の抗争を展開する。

悪徳弁護士のJ・ビッグス英語版[12]をマネージャーに雇い、入場テーマ曲やリングネームの変更をブッカー・Tに強要するなどしたが、2000年3月19日の"Uncensored 2000" にてブッカー&ビリー・キッドマンに敗退[13]。以後ハーレム・ヒート2000は消滅し、スティービー・レイは現役を離れ "WCW Thunder" のカラー・コメンテーターに転向。ブッカー・Tとも復縁し、彼のWCW世界ヘビー級王座奪取を祝福したが、以降ハーレム・ヒートがリユニオンされることはなかった。

解散後[編集]

スティービー・レイ引退後の2005年、ハフマン兄弟は地元のヒューストンにてプロレスリング・アカデミー併設のインディー団体 "Pro Wrestling Alliance" を共同で主宰[14]。後に "Reality of Wrestling" の団体名で活動している。

2013年4月6日、ブッカー・TがWWE殿堂に迎えられ、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて行われた顕彰セレモニーではスティービー・レイがインダクターを務めた[15]

2019年3月11日、今度はハーレム・ヒートとしてWWE殿堂入りすることが発表された[16]。4月6日、ブルックリンバークレイズ・センターで開催された式典では、兄弟揃って久々に公の場へ姿を見せた[17]

合体攻撃[編集]

獲得タイトル[編集]

グローバル・レスリング・フェデレーション
  • GWFタッグ王座:3回[4]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・エンターテインメント

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月17日閲覧。
  2. ^ Stevie Ray”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  3. ^ a b c Booker T”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  4. ^ a b GWF Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月17日閲覧。
  5. ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P48(2002年、日本スポーツ出版社
  6. ^ Fall Brawl 1993 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  7. ^ Halloween Havoc 1996 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  8. ^ Road Wild 1999 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  9. ^ Fall Brawl 1999 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  10. ^ Halloween Havoc 1999 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  11. ^ Midnight”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  12. ^ Clarence Mason”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  13. ^ Uncensored 2000 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  14. ^ Booker T's Pro Wrestling Alliance”. Online World of Wrestling. 2014年9月21日閲覧。
  15. ^ Booker T gets inducted into the WWE Hall of Fame”. WWE.com. 2014年9月21日閲覧。
  16. ^ a b Harlem Heat to be inducted into the WWE Hall of Fame Class of 2019”. WWE.com. 2019年3月12日閲覧。
  17. ^ Booker T cedes the spotlight to Stevie Ray at Harlem Heat’s WWE Hall of Fame induction”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。

外部リンク[編集]