ノーベル・オースチン
ノーベル・オースチン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ノーベル・オースチン ザ・シャドウ |
ニックネーム | 狂った黒猫 |
身長 | 177cm |
体重 | 102kg(全盛時) |
誕生日 | 1951年??月??日[1] |
出身地 |
![]() ![]() エスカンビア郡ペンサコーラ |
トレーナー | スプートニク・モンロー |
デビュー | 1970年代初頭 |
引退 | 1980年代末 |
ノーベル・オースチン(Norvell Austin、1951年[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。フロリダ州ペンサコーラ出身のアフリカ系アメリカ人。
1970年代から1980年代にかけて、フロリダ、アラバマ、テネシー、ジョージアなど南部を主戦場に、主にタッグ・プレイヤーとして活動した。
来歴[編集]
デビュー後の1970年代初頭はスプートニク・モンロー(Sputnik Monroe)のパートナーとしてヒールのポジションで活動、1972年2月にはモンローに帯同して日本プロレスに初来日している[2]。帰国後もモンローと共に南部エリアを転戦し、エディ・グラハムの主宰するNWAフロリダ地区ではジャックとジェリーのブリスコ・ブラザーズとフロリダ・タッグ王座を争った[3]。なお、モンローとのコンビは当時では珍しい白人と黒人によるヒールの混成タッグチームとして、"Black is Beautiful, White is Wonderful" をキャッチフレーズにしていた[4]。
モンローとのチーム解散後、メキシコ湾岸のガルフ・コースト地区を経て、1975年よりテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)に定着。ベビーフェイスに転じてパット・バレットやビル・ダンディーとタッグを組み、ハリウッド・ブロンズなどのチームと南部タッグ王座を争った[5]。1970年代末にはジム・バーネットの運営するNWAジョージア地区にも進出、黒人レスラーの先輩ルーファス・ジョーンズと組み、1979年4月25日にイワン・コロフ&オレイ・アンダーソンからジョージア・タッグ王座を奪取している[6]。
1980年9月には、ビル・ドロモ、ロン・バス、そして第2次シリーズより参加のビッグ・ジョン・クインやアレックス・スミルノフらと共に国際プロレスに来日[7]。エースのラッシャー木村をはじめ、大木金太郎や阿修羅・原ともシングルマッチで対戦した[8]。
以降もベビーフェイスのポジションでアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場としたが、1981年に再びヒールターンして、ランディ・ローズ&デニス・コンドリーとミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)を結成[9]、1980年代に一世を風靡した歴史的タッグチーム・ユニットのオリジナル・メンバーとなった。1982年には古巣テネシーのCWAにて、コンドリーとのコンビでAWA南部タッグ王座を再三獲得[10]。スティーブ・カーンとスタン・レーンのファビュラス・ワンズなどのチームと抗争を展開した[11]。
オリジナル版ミッドナイト・エクスプレスは1983年末に一旦解散、オースチンはCWAに継続参戦し、1984年よりココ・ウェアとの黒人タッグチーム、プリティ・ヤング・シングス(The Pretty Young Things)を結成。PYTエクスプレス(The PYT Express)とも呼ばれ、トミー・リッチとエディ・ギルバートのニュー・ファビュラス・ワンズ、イライジャ・アキームとカリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレスなどとAWA南部タッグ王座を争った[10]。テキサス州ダラスのWCCWやNWAフロリダ地区にも進出し、フロリダではパーシー・プリングル3世をマネージャーに迎え、1985年2月26日にジェイ・ヤングブラッドとマーク・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズからUSタッグ王座を奪取している[12]。
PYT解散後はアラバマのSECWに戻り、フェイスターンしてブリックハウス・ブラウンと新コンビを結成[13]。1986年1月6日にはエイドリアン・ストリートを破りNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を獲得した[14]。
1980年代末の引退後は、2004年9月にアラバマのコンチネンタル・レスリングにレジェンドとして特別出場、ランディ・ローズとのオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを再結成した[9]。
得意技[編集]
獲得タイトル[編集]
- NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回[14]
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:10回(w / ジミー・ゴールデン、ポール・オーンドーフ、ブラッド・アームストロング、デニス・コンドリー&ランディ・ローズ×6、ブリックハウス・ブラウン)[15]
- NWA USジュニアヘビー級王座(サウスイースト版):2回[16]
- NWA USタッグ王座(ガルフ・コースト版):1回(w / ロケット・モンロー)[17]
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ルーファス・ジョーンズ)[6]
脚注[編集]
- ^ a b 『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット / '80 ダイナマイト・シリーズ(2011年、クエスト)
- ^ “JWA 1972 Dynamic Series”. Puroresu.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ Greg Oliver and Steve Johnson (2005). “Integrating the south”. The Pro Wrestling Hall of Fame: The Tag Teams. ECW Press. pp. 140?143. ISBN 978-1-55022-683-6.
- ^ a b “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “IWE 1980 Dynamite Series I & II”. Puroresu.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Norvell Austin in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “The Midnight Express”. Online World of Wrestling. 2010年9月5日閲覧。
- ^ a b “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Norvell Austin in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “The CCW matches fought by Norvell Austin in 1985”. Wrestlingdata.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月5日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “NWA United States Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。
- ^ “NWA United States Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月21日閲覧。