福岡国際マラソン

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福岡国際マラソン
開催地 日本の旗 日本福岡市
開催時期 12月
種類 ロードコース
距離 マラソン
最高記録 エチオピアの旗ツェガエ・ケベデ 2:05:18
創立 1947年
スポンサー タマホーム(第65回 - )
公式サイト 福岡国際マラソン
博多駅前のモニュメント

福岡国際マラソン選手権大会(ふくおかこくさいマラソンせんしゅけんたいかい)は、福岡県福岡市中央区平和台陸上競技場をスタート及びゴール地点とし、福岡市西南部を周回し、福岡市東区香椎を折り返し地点として42.195 kmを走破する。12月最初の日曜日に行なわれる。かつてランナーの間では「非公式の世界選手権大会」とみなされ世界のトップランナーの集うハイレベルのエリートマラソン大会であった。近年は参加資格を緩めて参加者の門戸を広めている(ただし、一般市民参加にはいたっていない)。

歴代優勝者の足型とサイン入りのプレートが博多駅博多口広場に埋め込まれている。

大会の概要と変遷

  • 本マラソン大会は、日本で「マラソンの父」と言われた金栗四三の功績をたたえる『金栗賞朝日マラソン』として第1回大会が1947年に金栗の地元熊本市で開催されたのが始まりである。2006年の大会はこれを基点として第60回記念大会としている。
  • 第2回以降1954年までは、開催地を高松市静岡市広島市福岡市宇部市名古屋市鎌倉市と毎年変えて続いた。
    • なお鎌倉で行われた第8回大会は日本初の外国選手を招待したマラソンであった。
  • 第9回大会から『朝日国際マラソン』と名称を変え、第11回大会以降開催地が福岡市に定着した。
    • また第11回から平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返しのコースが多少の変更を経ながら第38回まで長い間親しまれてきた。
    • 1963年・第16回に関しては、丁度この1年後の1964年10月に行われる東京オリンピックへ向けたリハーサル大会をかねて、その大会のマラソン競技で使用されるコースをそのまま利用して行った。
  • 1966年日本陸連世界陸連(IAAF)に対して世界選手権の開催を提案し、実質的に世界一を決める国際マラソン選手権として本大会が充てられることになった。
    • その結果第20回大会から“Open Marathon Championship”として選手権 (Championship) を名乗る唯一の国際レースに生まれ変わった。
  • 1974年の第28回大会より福岡の名前を冠して福岡国際マラソン選手権となり現在に至っている。
  • 雁ノ巣折り返しのコースは海風の影響を受けやすいことから、第39回より海の中道の部分をカットし市の南西部の市街地を周回するコースに変更された。第45回からコースが和白丘折り返しから香椎折り返しになり海沿いの部分がさらに短縮され好記録の出やすいコースに変更されている。
  • 日本人選手にとっては、オリンピック世界選手権アジア競技大会など、大きな国際大会の代表を決定する男子三大レースの第1弾に位置づけられている(ほかの2つは、東京マラソンびわ湖毎日マラソン)。反面近年は駅伝重視の傾向が強まり、元旦の全日本実業団対抗駅伝大会に重きを置くチームが多く、実力ある選手の出場が減少傾向にあり、危惧する声もある[要出典]2009年の63回大会は五輪や世界選手権の代表選考とならないこともあり、国内招待された日本人選手は佐藤智之と欠場した尾方剛の2人のみとなった[1]
  • 2010年の第64回大会では、ペースメーカーとして5kmを15分10秒前後のペースで30kmまで先頭集団を引っ張る契約だったエリウド・キプタヌイ(ケニア)が15kmから急加速し独走。30kmを過ぎても棄権しなかったため係員に制止された[2][3]。2011年1月、同年12月4日に開催される当大会が国際陸上競技連盟による格付けで最高位となる「ゴールド」に昇格したことが発表された。これはびわ湖毎日マラソン、東京マラソンに続き3大会目である[4]

参加資格

日本陸上競技連盟登記登録男子競技者で日本陸上競技連盟公認の大会で下記の標準記録を突破した者。

Aグループ
  1. マラソン2時間27分
  2. 30kmロードレース1時間35分
  3. ハーフマラソン1時間07分
※以上のほか日本陸上競技連盟が特に推薦する者
Bグループ
  1. マラソン2時間42分
  2. 30kmロードレース1時間50分
  3. ハーフマラソン1時間15分

現行コース

1991年以降のコース

平和台陸上競技場(Aグループ)/大濠公園(Bグループ)→大手門交差点(左折)→(明治通り)→小戸西交差点(左折)→(県道560号線)→青果市場入口交差点(左折)→(国道202号)→警固交差点(右折)→(県道31号線大正通り)→薬院六ッ角交差点(右折)→(県道31号線・大正通り・高宮通り)→平尾交差点(左折)→(県道555号線百年橋通り) →美野島交差点(左折)→(小柳通り)→博多駅前4丁目交差点(右折)→(住吉通り)→博多駅前3丁目交差点(左折)→博多駅前→(県道43号線大博通り)→築港本町交差点(右折)→(県道602号線那の津通り)→千鳥橋交差点(左折)→(国道3号)→御幸町バス停留所前で折り返し→(国道3号)→千鳥橋交差点(右折)→(那の津通り)→浜の町公園前交差点(左折)→平和台交差点(右折)→(明治通り)→大手門交差点(左折)→平和台陸上競技場

歴代優勝者

-数字-は優勝回数、太字は世界記録、太字は日本記録、太字は大会記録(福岡市に固定後、いずれも当時)。

開催日 優勝者 タイム 備考
1 1947年12月7日  和田敏一 (JPN) 2:45:45 熊本市で開催
2 1948年12月5日  山田三郎 (JPN) 2:37:25 高松市で開催
3 1949年12月4日  古賀新三 (JPN) 2:40:26 静岡市で開催
4 1950年12月10日  小柳舜治 (JPN) 2:30:47 広島市で開催
5 1951年12月9日  拝郷弘美 (JPN) 2:30:13 福岡市前原町(当時)折り返しで開催
6 1952年12月7日  西田勝雄 (JPN) 2:27:59 宇部市で開催
7 1953年12月6日  浜村秀雄 (JPN) 2:27:26 名古屋市で開催
8 1954年12月5日  レイナルド・ゴルノ (ARG) 2:24:55 外国選手を初招待、鎌倉市横浜市折り返しで開催
9 1955年12月11日  ヴェイッコ・カルボネン (FIN) 2:23:16 「朝日国際マラソン」に名称変更。福岡市―古賀町(当時)折り返しで開催
10 1956年12月9日  山田敬蔵 (JPN) 2:25:15 名古屋市で開催。外国人選手参加なし
11 1957年12月1日  廣島庫夫 (JPN) 2:21:40 福岡市(雁の巣折り返し)で開催
12 1958年12月7日  貞永信義 (JPN) 2:24:01 宇都宮市日光市折り返しで開催
13 1959年11月8日  廣島庫夫 (JPN) -2- 2:29:34 福岡市(雁の巣折り返し)で開催。これ以降開催地を福岡市に固定(1963年を除く)
14 1960年12月4日  バリー・マギー (NZL) 2:19:04  
15 1961年12月3日  パベル・カントレク (CZE) 2:22:05 国際陸連のルール改正によりこの大会より給水所設置
16 1962年12月2日  寺沢徹 (JPN) 2:16:18.4 ルール改正により記録表記を10分の1秒単位に
17 1963年10月15日  ジェフリー・ジュリアン (NZL) 2:18:00.6 東京オリンピックプレイベントとして本大会のみオリンピックと同コース(東京都内)で開催
18 1964年12月6日  寺沢徹 (JPN) -2- 2:14:48.2  
19 1965年10月10日  廣島日出国 (JPN) 2:18:35.8  
20 1966年11月27日  マイク・ライアン (NZL) 2:14:04.4 「国際マラソン選手権」に名称変更
21 1967年12月3日  デレク・クレイトン (AUS) 2:09:36.4 初の2時間10分の壁を破る当時の世界最高記録
22 1968年12月8日  ビル・アドコックス (GBR) 2:10:47.8  
23 1969年12月7日  ジェロム・ドレイトン (CAN) 2:11:12.8  
24 1970年12月6日  宇佐美彰朗 (JPN) 2:10:37.8  
25 1971年12月5日  フランク・ショーター (USA) 2:12:50.4  
26 1972年12月3日  フランク・ショーター (USA) -2- 2:10:30.0  
27 1973年12月2日  フランク・ショーター (USA) -3- 2:11:45.0  
28 1974年12月8日  フランク・ショーター (USA) -4- 2:11:31.2 現在の大会名に変更
29 1975年12月7日  ジェロム・ドレイトン (CAN) 2:10:08.4  
30 1976年12月5日  ジェロム・ドレイトン (CAN) -2- 2:12:35.0  
31 1977年12月4日  ビル・ロジャース (USA) 2:10:55.3  
32 1978年12月3日  瀬古利彦 (JPN) 2:10:21.0  
33 1979年12月2日  瀬古利彦 (JPN) -2- 2:10:35 ルール改正により記録表記が秒単位に戻る
34 1980年12月7日  瀬古利彦 (JPN) -3- 2:09:45 瀬古3連覇達成。宗猛が4秒差の2位となり、世界初の2人のランナーが同時に2時間10分台を切るレースとなる
35 1981年12月6日  ロバート・ド・キャステラ (AUS) 2:08:18  
36 1982年12月5日  ポール・バリンジャー (NZL) 2:10:15  
37 1983年12月4日  瀬古利彦 (JPN) -4- 2:08:52  
38 1984年12月2日  中山竹通 (JPN) 2:10:00  
39 1985年12月1日  新宅雅也 (JPN) 2:09:51 コースを一部変更。海の中道区間を削除し、早良区城南区経由追加、和白丘折り返しとなる
40 1986年12月7日  ジュマ・イカンガー (TZA) 2:10.06  
41 1987年12月6日  中山竹通 (JPN) -2- 2:08:18  
42 1988年12月4日  渋谷俊浩 (JPN) 2:11:04  
43 1989年12月3日  マヌエル・マティアス (PRT) 2:12:54  
44 1990年12月2日  ベライン・デンシモ (ETH) 2:11:35  
45 1991年12月1日  森田修一 (JPN) 2:10:58 コースを現在のレイアウト(西区経由、香椎折り返し)に変更
46 1992年12月6日  テナ・ネゲレ (ETH) 2:09:04  
47 1993年12月5日  ディオニシオ・セロン (MEX) 2:08:51  
48 1994年12月4日  ボアイ・アコナイ (TZA) 2:09:45  
49 1995年12月3日  ルイス・アントニオ・ドスサントス (BRA) 2:09:30  
50 1996年12月1日  李鳳柱 (KOR) 2:10:48  
51 1997年12月7日  ジョサイア・チュグワネ (ZAF) 2:07:28  
52 1998年12月6日  ジャクソン・カビガ (KEN) 2:08:42  
53 1999年12月5日  ゲザハン・アベラ (ETH) 2:07:54  
54 2000年12月3日  藤田敦史 (JPN) 2:06:51  
55 2001年12月2日  ゲザハン・アベラ (ETH) 2:09:25  
56 2002年12月1日  ゲザハン・アベラ (ETH) -2- 2:09:13  
57 2003年12月7日  国近友昭 (JPN) 2:07:52  
58 2004年12月5日  尾方剛 (JPN) 2:09:10  
59 2005年12月4日  ドミトロ・バラノフスキー (UKR) 2:08:29  
60 2006年12月3日  ハイレ・ゲブレセラシェ (ETH) 2:06:52  
61 2007年12月2日  サムエル・ワンジル (KEN) 2:06:39  
62 2008年12月7日  ツェガエ・ケベデ (ETH) 2:06:10  
63 2009年12月6日  ツェガエ・ケベデ (ETH) -2- 2:05:18 日本国内男子マラソン大会初の2時間5分台
64 2010年12月5日  ジャウアド・ガリブ (MAR) 2:08:24  
65 2011年12月4日  ジョセファト・ダビリ (KEN) 2:07:37  
66        

世界記録

過去、本大会では2回世界記録(当時は世界最高記録)が樹立されている。

  • 第21回(1967年) D.クレイトン 2:09:36.4
  • 第35回(1981年) R.キャステラ 2:08:18.

クレイトンの記録は、多くの人が「1970年代の記録」と考えていたサブテン(2時間10分以内)を世界で初めて実現した歴史的なレースであった。

一方、キャステラの記録は当時アメリカのアルベルト・サラザールが同年のニューヨークシティマラソンで記録した 2:08:13 が世界最高記録とされており、世界最高とはアナウンスされなかった。その後、1984年になってサラザールの走ったレースは距離不足だったことが判明するが、そのときにはすでにイギリスのスティーブ・ジョーンズによって 2:08:05 の記録が樹立されており、一度も世界最高と呼ばれなかった不運な記録である。

テレビ中継・ラジオ中継の態勢

テレビ中継

1991年の第45回まではNHK福岡放送局が制作し、総合テレビで放送していた。翌年の第46回以降はキー局テレビ朝日とKBC九州朝日放送の共同制作となった。両者が主催に参加となったための変更である。

  • 平和台陸上競技場に近い福岡市中央区長浜のKBC本社が中継ターミナルとなっている。
  • ANN系列フルネット局福井放送テレビ宮崎クロスネット局)、北日本放送山梨放送四国放送高知放送NNS非マストバイ局)にて放送。なお、テレビ朝日系列局が存在しない山陰地方でのTVネットはされておらず、周辺各県のANN系列局が見られない限りテレビでの放映を見ることはできない(山陰地方のテレビ局3局は全てフルネット局)。なお、ラジオ放送では2010年まで山陰放送がネットしていたが、スポンサーの都合によるネット局縮小により、2011年は放送されないため、結果的に山陰地方では電波媒体での放送が一切ない状態になった(NHK総合テレビが放送していた時代は当然ながら山陰地方でも見ることができた)。
  • 岩手県では、放映局変更後1992年から1995年までテレビでの放送がなかった。これは山陰地方と同じくテレビ朝日系列局が当時存在していなかったことや(岩手朝日テレビは1996年10月開局)、当時所在していた岩手県のテレビ局3局が全てフルネット局であることによる[5]
  • 沖縄県では、放映局変更後1992年から1994年までテレビでの放送がなかった。これは当時琉球朝日放送が未開局だったことと、朝日新聞と友好関係にある琉球放送は同日開催のNAHAマラソンを主催・放送しており、またスタート時刻はTBSの『アッコにおまかせ』をネット、その後時間変更の『サンデーモーニング』を放送しているためである[5]
  • 移動中継車は3台配備される。

第65回の放送体制

解説
実況
その他
  • 優勝者インタビューはテレビ朝日のアナウンサーが担当する。
  • KBCは2006年12月1日、九州・沖縄の他の系列局とともに最後発組として地上デジタル放送を開始した。それ以降は、ハイビジョンシステムによる中継、データ放送を活用した選手の情報や途中経過などの提供が行われている(NNS非マストバイ局を除く)。
  • 2004年以前の解説は、伊藤国光宗茂が担当していた。
  • また2005年以前の実況アナは、テレ朝のマラソン中継によく携わっている森下桂吉アナがメイン実況を担当していた他、全日本大学駅伝のメイン実況担当の角澤照治アナ、またゴルフ中継担当の進藤潤耶アナも中継に携わっていた。
  • 2007年(第61回)大会では2006年(第60回)大会の1号車の実況を務めた中山貴雄アナと一部のテレビ朝日のスタッフが同時期に「アジア野球選手権」に関わったため、再び進藤潤耶と森下桂吉両アナが担当した。

ラジオ中継

  • 1991年の第45回まではNHK福岡放送局制作・ラジオ第1での放送と、KBCラジオ制作・NRN一部系列局での放送が両方存在していた。
  • 1992年の第46回以降はラジオからもNHKが撤退し、ニッポン放送の制作協力のもと、冠スポンサー番組として(スポンサーは年度により異なる)KBCラジオをキーステーションに、NRN加盟34局で全国放送されていた。
  • 北海道ではSTVラジオ、大阪では朝日放送ABCラジオ)がネットする。
    • STVラジオで放送される理由は、STVラジオがNRN単独系列(HBC北海道放送JRNとのクロスネット)であるため。一方、JRNとのクロスネットであるABCラジオがネットする理由はテレビ系列がKBCと同系列であり、テレビ中継との兼ね合いもあるためといわれる。朝日新聞・テレビ朝日系のテレビ・ラジオ兼営局はABCとKBCの2局のみである。なお、STVラジオの親会社である札幌テレビ放送と、東海地区のネット局である東海ラジオ放送にも僅かながら朝日新聞の資本が入っている。
  • 同じ首都圏のラジオ局でも、ニッポン放送がカバーしているため、茨城放送栃木放送は放送していなかった。一方、近畿圏ではABCラジオの他にKBS京都和歌山放送でも放送されていた。
  • 中継車はKBCが2台配備する。なお、実況担当は平和台陸上競技場をニッポン放送、中継車並びに折り返し地点をKBCのアナウンサーが担当している。
  • 2011年は冠スポンサーが付かなかったためか、五大都市圏(KBC・ニッポン放送・STV・東海ラジオ・ABC)並びに信越放送長野県)のみの6局ネットに減った。2012年以降この体制が続くかは未定。

第60回(2006年)

  • 解説 宇佐美彰朗(東海大学体育学部教授兼陸上部顧問)

実況アナウンサー

  • 平和台陸上競技場 山内宏明(ニッポン放送)
※以前は、ニッポン放送松本秀夫アナが担当していた。
岡田・小林両アナはここ数年、ラジオの中継担当である。
  • 各地点(折り返し地点など)の実況や選手および監督のリポートは、九州朝日放送のアナウンサーが担当する。

大会運営

協賛

2002年から2006年までの協賛社はないが、TV中継放送では「年末ジャンボ宝くじスポーツスペシャル」として放送していた。

協力

大会車両
公式時計
競技用品
公式飲料

参考図書

福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 『福岡国際マラソン選手権大会50年史』 朝日新聞社 1997

関連項目

脚注

  1. ^ 福岡国際マラソンプレーバック 朝日新聞
  2. ^ 【甘口辛口】人を食ったペースメーカー、もう廃止しては…産経ニュース 2010年12月7日
  3. ^ 「暴走ペースメーカー」 ロッテルダムマラソン出場へasahi.com 2011年4月9日
  4. ^ “福岡国際マラソンが最高位ゴールド/陸上”. sanspo.com. (2011年1月17日). http://www.sanspo.com/sports/news/110117/spg1101171738002-n1.htm 2011年8月25日閲覧。 
  5. ^ a b テレビ中継未放送期間中の岩手県・沖縄県ではラジオ放送(ラジオ放送はIBC岩手放送ラジオ沖縄で放送〈RBCiラジオJRN単独加盟局〉)のみ放送された。
  6. ^ 福岡国際マラソン|大会概要より 2010年7月5日発表
  7. ^ テレビ中継の提供は2002年のみ前半のみの1分(代わりにアクサ生命保険が2分提供)だったが、2003年以後は2分提供に変更された。

外部リンク