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中尾彬

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なかお あきら
中尾 彬
生年月日 (1942-08-11) 1942年8月11日(81歳)
出生地 千葉県木更津市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
血液型 O型[1]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 - 現在
配偶者

茅島成美1970年1975年

池波志乃1978年 -)
主な作品
映画
本陣殺人事件』 『白昼の死角
テレビドラマ
暴れん坊将軍』『GTO
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中尾 彬(なかお あきら、1942年8月11日[1] - )は、日本俳優タレント千葉県木更津市出身[1]古舘プロジェクト所属。

元妻は女優茅島成美、現在の妻は女優池波志乃。義父は落語家10代目金原亭馬生、義祖父は5代目古今亭志ん生、義叔父は3代目古今亭志ん朝。『暴れん坊将軍』の初代徳川宗春役で知られている。

来歴・人物

酒屋を営む家に生まれる。1958年に千葉県立木更津第一高等学校(現・千葉県立木更津高等学校)へ入学する。在学中の1960年には油彩画の「石の花」が千葉県美術展に入選するなど絵の才能を発揮したのち、1961年武蔵野美術大学油絵学科へ入学する[1]。しかし何故か1962年日活ニューフェイス(第5期)に合格[1]後、映画デビューするも、絵の道を捨てきれず翌年に大学を中退してフランスへ留学する[1]。だが諸般の理由で留学期間を短縮し、1964年に帰国、演劇の道を再び目指す。

同年、劇団民藝に研究生として入団する。同年、中平康監督・加賀まりこ主演の日活映画『月曜日のユカ』に助演し[1]、期待の新人俳優として注目を浴びる。1970年に日活と民藝を離れてフリーとなってからは、各映画会社やテレビで活動を始める。横溝正史原作・高林陽一監督作品『本陣殺人事件』(1975年ATG)では、主役金田一耕助を演ずる。

前妻は女優の茅島成美で、1970年に結婚した。一児(俳優の中尾学)をもうけるも、1975年に離婚した。現在の妻・池波志乃と再婚した1978年からは再び絵を始め、同年に個展(2回)を開催した。創作活動はその後も継続して行われ、フランスのル・サロン展にて大賞(「BUNRAKU・狂乱」、1981年)、国際賞(「COUNTRY・故郷」、1982年)を受賞後は、定期的に個展を開催することとなる。

2007年3月31日早朝、毎日放送の生番組『知っとこ!』レギュラー出演のために滞在していた大阪市内のホテルで、高熱を出す体調不良を訴えて救急車で病院に運ばれ、急性肺炎および横紋筋融解症と診断された。ICUで絶対安静の状態であったが、4月3日夕方に一般病棟へ移った。5月に入り大阪市内の病院から都内の病院へ転院して5月15日に退院した。その後、しばらくの自宅療養の後に6月30日放送の『知っとこ!』に生出演し、約3カ月ぶりに芸能界復帰を果たした。復帰の第一声は「地獄からはい上がってきました」であった。

エピソード

  • 俳優になりたいと考え長谷川一夫の門をたたいたところ、「高校を出たらまたここに来なさい」と言われた。この時点では、単に時間の猶予を与えられたのだと思っていた。しかし、現在では「高校の勉強は最低限勉強しておくべきものだからしっかり勉強しなさい」という意味を持っていたと考えるようになったという[2]
  • 俳優・前田吟峰岸徹安岡力也とは駆け出しの頃から、共にしてきた仲である。
  • 俳優・江守徹とは旧知の仲であることも有名で、この2人のコンビでのバラエティ出演も多い、共演するたびに子供っぽいケンカをしている。2007年には2月脳梗塞で江守が倒れ、同年3月に中尾も急性肺炎と相次いで大病を患っていた。
  • ネクタイが嫌いで(当然だが私生活及びバラエティ・トーク番組に出演するときだけで、ドラマ・映画・舞台でビジネスマンや教師・政治家などスーツ・ネクタイを着用する役を演じる場合には身につける)、マフラーのぐるぐる巻き(いわゆる「彬巻き」。妻の池波志乃は「ねじねじ」と言う。)を好む。ぐるぐる巻きは、今や自他ともに認めるトレードマークである。1990年代前半、海外ロケの移動中に飛行機の中でイライラしながらマフラーをよじっていると取れなくなり、そのままにしていたところ、「オシャレだな(レストランのシェフみたいで)」と共演していた神田正輝から褒められたことがきっかけで有頂天になった。今や「ねじねじ」コレクションは300本、春夏秋冬、冠婚葬祭により使い分けていて、葬儀の際は黒のマフラーを着用するという域である。また、「ねじねじ」をプリントしたオリジナルTシャツもあって他人にも勧めており、『ザ・ベストハウス123』のプロデューサーである千葉隆弥がそれを着用して中尾と一緒に出演したこともあった。2010年龍馬伝第42話にゲスト出演した際には、マフラーが好きな中尾を意識したような衣装の設定がなされた。
  • 趣味の1つとして万年筆集めがあり、これまでに50本、高い物は1本56万円もして、これまでに500万円以上使っている。また宝物として2007年に病気を患って退院後に、島田紳助から退院祝いとして貰った、キャップのクリップ部分が「ねじねじ」になっている、ペン先に中尾の顔が描かれている万年筆を挙げ、お金に変えがたいものとして大切にしている。
  • 絵画陶芸が趣味。住まいは台東区池之端だが、沖縄にアトリエを構えている。その関係からか琉球放送で毎週土曜日午後5時から『中尾彬・沖縄時間』というラジオ番組を持っていた(2007年5月に終了)。
  • ガリガリ君が好きで、『日本一おいしいスイーツ』と評している。また、ガリガリ君の一番おいしい食べ方は、買いに行ったコンビニから家に帰るまでに食べるのがいいという。相当数のガリガリ君を買っているために家に当たり棒が3本あるが、自分で行くのは恥ずかしいので引き換えに行かず、お守り代わりに持っている。この事をテレビで言った所、赤城乳業からガリガリ君が「ねじねじ」を巻いた特別なバージョンのパッケージのガリガリ君をプレゼントされた。好きなフレーバーはマンゴー味[3]。またハッピーターンも大好物。
  • 池波は中尾が自宅でゴロゴロしているのがいやだという。理由は「男が家でゴロゴロしていると、色気や男気がなくなる」のこと。これは、池波の実父などが芸で身を立てた人物であることから来ている。中尾が家でゆっくりすることができたのは、2007年2月に肺炎で入院して、その後の自宅療養を主治医から指示されたからと中尾本人がバラエティ番組でコメントしている。
  • かつては酒豪でヘビースモーカーだったが、来歴に載っている病気により、飲酒と煙草はやめている。
  • 強面の印象もあってか、バラエティ番組に出演した際は共演する芸人等に対してブルドッグの如く睨みを利かせる展開が多々見受けられるが、本人は「同じ舞台に立っているのだから、(本番中は)どんな失礼なことがあっても気にならない」と語っている。
  • 番組で「女なんてぶん殴ればいいんですよね」と言った太田光に「男が勝つに決まってんだから殴っちゃ駄目よ」と過去の経験からか諭したこともある。
  • 世界のナベアツがブレイク期にやっていた「3の倍数と3がつく数字の時だけアホになります」のネタがお気に入りだった時期があり、ところ構わず披露していた(池波談)。池波は正直うんざりしていたとのこと。
  • 中尾のものまねをする松村邦洋から、お歳暮として10年前からハムが贈られて来る。別にハムが好きな訳ではないが、松村の気持ちには感心している。
  • 日本体育大学体育学部体育学科へ進学した千葉真一を「生意気だから」いう理由で下駄を手にはめ、「しめてやった」という逸話をダウンタウンDXで披露した。
  • やじうまにてももいろクローバーZのことを「ももクロ?ユニクロの支店かと思った」と発言。

主な出演

映画

テレビドラマ

義祖父・5代目古今亭志ん生の親友役。主演である志ん生の妻・美濃部りん(義祖母)を妻池波志乃が演じ、ナレーターを義叔父・3代目古今亭志ん朝が務めた。

吹き替え

バラエティ

ほかゲスト出演多数。

ドキュメント

コマーシャル

その他

脚注

  1. ^ a b c d e f g タレント 中尾彬”. 古舘プロジェクト. 2012年5月7日閲覧。
  2. ^ スタジオパークからこんにちは』(2007年3月2日)
  3. ^ CX『ごきげんよう』(2008年6月9日)ますだおかだ談より

外部リンク